2010年4月29日木曜日

ケルンの週末のこと

 夫は、ドイツ在住時代はサッカー観戦が好きで、よく行っていた。ブリュッセルにきてからはこどももいることもあって、行かずにいたのだが、この間、ついにまた行って来た。ケルンFC。金曜日の夜の試合なので、夫は少し早引けして来て、車で出かける。
 スタジアムだから、食いっぱぐれるかもしれないと、おにぎりも作った。出がけに、こどもが「私のおにぎりは自分で持つね~」と言って、自分の鞄に入れる。これが正解で、あとで宿で、荷物を開けてみたら、親はすっかり持って来るのを忘れてしまって来ていた。こども一人、喜々として食べていた。そして、ぽつんと家に残されたおにぎりは、日曜に帰ってすぐ捨てられてしまったのであった。

 さて、今回は、スタジアムのあるケルン郊外のJunkersdorfに宿を取った。体育専門学校のある街。学生街の雰囲気も、郊外のまだ小さいこどものいる家族の多い住宅街としての性格も持っていて、宿からスタジアムへ歩く道も楽しかった。広い緑地、舗装のきれいな歩道(ブリュッセルの舗装は、ほんとうにひどいので!)、歩道にチョークの落書き、→が書いてあったりして、うちのはそれを追って走っていた。ほんとうにチョークが好きだなあ、と私が笑うと、こどもは「こどもはみんな、チョークが好きさ」という。そんな言い回しをどこで覚えて来るんだろう。整備された自転車道を、家族連れや学生が自転車で通るし、家々の前庭には、こども用も含め、家族全員の自転車が並べられている――。ここに住みたい! と夫と二人で盛り上がる。もちろん、そんなことは無理なのだけれど。昔、小塩節氏のエッセイに出て来たカフェは、すっかりFCケルンファン御用達のスポーツカフェになっていた。外でソーセージを焼いて売っているので買って食べる。
 スタジアムについて、まずはショップ。こどもにユニフォームを喜々として買い与え、自分も、買うかどうするか悩む夫。家にあるユニフォームは弱い時代のものなのだそうだ。けっきょく彼はTシャツにしていた。私は応援用の?マフラー。黒にワンポイントのかなり地味なもの。普段でも使えるかもという趣旨で選んだのだが、この日も、そしてその後も、しばらく寒い日が続いて、実は重宝しているのであった。
 鉄骨とコンクリートむき出しの無骨な、神宮球場を思わせるスタジアムの外階段を上がって観客席に向かう。地元信金?のSparkasseがバンバン風船、というのだろうか、膨らまして打ち鳴らす風船を配っているし、夫の愛用しているホテル予約サイトがストラップを配っている。

 以前は、スタジアム内ではアルコール飲料を売っていなかったが、今回はビールが売られていた。時代に逆行している気もしないでもないけれど、ファンが紳士になったということかもしれない――と思ったが、この日の対戦相手はBochum。途中でファンが警備員を殴ったり、発煙筒を焚いたりしていた。スタジアム内では、ホームのファンとアウェーのファンは、出入り口も別にしてある。また、安い立ち見スタンド(野球での外野席の扱いか?)もアウェーのファンが入るところを柵で囲い、その柵をがっちりと大量の警備員や警察が固めている。ざっと見た感じ2%くらいかという狭いところに押し込められて、日本で言うと、甲子園のアウェーファンかという感じだが、まあ、そんなわけで、決しておとなしくはしていない。以前は、帰りは警備員が誘導して、帰る道も違う道を通って帰るようにしていたくらいだった。
 日本のチームもそうかもしれないけれど、ドイツのチームは、近いもの同士、ファンが仲が悪い。以前、エッセンのスタジアムで入場するときに、まわりに立ち見席とおぼしき柄の悪いファンがたくさんいたけれど、どこで売っているのか、「**(隣町のチーム)の奴らは豚の息子」をはじめとして、かなり放送禁止用語的なフレーズ及びイラストの書かれたワッペンを大量に貼付けたGジャンを着込んでいた。
 夫は、ボンから観戦に行くので、ケルンと、レバークーゼンの二つのチームのスタジアムによく行っていたが、この二チームがまた仲が悪い。夫は、応援用に? ユニフォームまで買って着込んでいて、玄関先のコート掛けに両方掛けていたのだが、あるとき、郵便屋さんに、「そのユニフォームが両方あるって変じゃない?」と聞かれたことがある。「うーん、夫のだから。私はよくわからない」と適当に返事をしたのだが、「いや、それ、絶対に変」と主張されてしまった。
 
 さて話戻って。
 試合開始前から、グラウンドでは、協賛会社の披露があったり、チアガールがパフォーマンスしたり。そして、スタメン選手のコール。よくある試合風景ですね。電光掲示板に顔写真と、名前や出身地などのデータが出て、ファーストネームをアナウンスすると、スタンドから、ファミリーネームをコールする。どんどん気分が盛り上がって来るところで、FCケルンの応援歌が流れる。観客は総立ちになって、応援用のマフラーを両手で高く掲げて左右に身体ごと揺すりながら歌う。当然夫も、私のマフラーを取り上げて歌っていた。この歌も入ったFCケルン応援CDというのがうちにある(ほか、流行歌の替え歌や、ケルンのご当地バンドHoenerも歌う、とにかく「ケルンケルン」騒いでいるCD)ので、こどもにも耳なじみがあって、一緒に歌っている。二番に入って、テンポが上がると、みんなマフラーを右手に持ち直してぐるぐると回して歌う。ふと見ると、アウェースタンドでは、まったく違う歌をがなっている。
 私は、サッカーはまったくルールも分からないし、野球だってたいしてよくわからないけれど、こどもの頃には熱狂的な阪神ファンの母親に、結婚してからはこれまた阪神ファンの夫に野球に連れて行かれていて、こういうスタジアムの雰囲気は大好き。日本でビールが一番美味しいのは、野球場のスタンドだと思っている。なので、すっかり気分が盛り上がってくる。こどもも、バンバン風船を膨らまして渡してやると、要領よく打ち鳴らしている。そう、こいつも1歳くらいのときから毎年、母親孝行と称して、年に一度は母も含めた4人で野球場に行っていたのだ。こどもが生まれる前には、残業後に待ち合わせて神宮に行ったり、東京で住んでいたのが東京ドームのそばだったので、当時はまだ本拠を置いていた日ハムの消化試合――なんていう空いた週末のデイゲームに、ふらっと行ったりもしていた。

 試合は前半にケルンが1点を入れる。後半に入って、あきらかにこどもが飽きて来ているので、夫は、適当なところで帰ろうと言うが、ケルンが押され気味でなかなか帰れない。終了10分前くらいに、でも見切って立ち上がった。スタジアムを出る前に、大きな歓声が上がって、壁のモニターを見ると、追加点が。これで負けることはあるまいと、気分よく帰ることにする。帰り道、また住宅街を通って帰る。家から明かりがもれていて、こどもが作ったらしいイースターの飾りが見えたりする。試合が終わったのか、背後から歓声が聞こえ、また応援歌も聞こえてくる。なんか、やっぱり日本で野球を見た帰りっぽい。

 翌日は、今年150周年を迎えるというケルン動物園へ。150年前というと、桜田門外の変だそうだが、マーラーの生まれた年でもあるそうだ。そうたくさん行っているわけではないが、ヨーロッパの動物園の中で、私はここが一番好き。ゆったりしているし、動物が近くに見られる。栄養状態? も良いような気がする。ここでで「レバークーゼンの奴らは地獄に堕ちろ」と書かれた死神イラスト付きのワッペンをつけたGジャンを着ている若者に出会う。ああ、今でもあるんだなあ。動物も楽しく見て回るこどもだけど、最後にある巨大な遊び場が一番好きで、そこへはまり込むともう出られなくなる。縄吊り橋を渡るアスレチック遊具があったり、長いステンレスチューブになった滑り台があったり。去年来た時は、上れなかった縄梯子が上れるようになったり、すべり棒で滑り降りられるようになっていたり、楽しめるところが増えている。だが、この滑り台を何度もやっているうちに、ふざけてうつぶせで頭から滑って、着地点の砂場につっこんでしまい、怖かったり痛かったりと、大泣きになってしまった。本当はもっと長くいて、ここで昼ご飯も済ませる予定だったのだが、アシカを見せたり、ショップに寄ったりして、機嫌を持ち直させて、ケルンの街中に戻ってランチ。この日は気温も上がって、人々は夏のような格好をして繰り出している。午後は買物。でも、人が多いせいか、やっぱりボンの方が慣れているせいか、リストを作って行ったのに、ちゃんと消化できなかった。でも、こどもはお風呂で遊ぶ浮き輪を持った女の子プレモが買えてご満悦。夫もついにプレモを買った。サッカー選手。私は、大型楽器楽譜店で、リコーダーの楽譜を買った。初心者向けの運指の練習曲集と、ドイツリート集。私も満足満足。
 この日は、また郊外に調べておいた韓国焼き肉屋で夜ご飯を食べて泊、翌朝、近所のパン屋さんが日曜日も朝だけ開けていたので、そこでパンを大量に買い込んで、一路ブリュッセルへ。午前中のうちに帰宅して、昼までのマルシェに買物に行く。ケルンまで片道2時間。ああ、毎週でも行きたいよう〜と口走る私。運転もしないから気楽なもの。金曜の夜に行っておいて、土曜に買物をして土曜のうちに帰ってくる、というのを今度はやろう、そうしたら、ボンの行きつけだった八百屋にも行きたいなあ。

2010年4月19日月曜日

さよならエコール

 この4月で、うちのこどもも、こっちの幼稚園としては年度の途中だけど、日本式には小学校一年生。現地の幼稚園からそのまま夏に小学校に進ませる手もあったのだけど、けっきょく、小学校からは日本人学校に入れてしまった。当初、幼稚園になじめないときに、小学校からは日本人学校に入れてあげる、と話していて、こどももずっとそれを覚えていた。仮申し込みの前に、こどもに確認したけれど、やっぱり日本人学校が良いと言う。親は、幼稚園に慣れている姿も見て来ているので、惜しい気がして来て、いろいろ、聞き方を変えて「**ちゃんと同じが良いんじゃないの?」とか、やってみたけど、「日本語の学校が良い、もうフランス語の学校は嫌」というので、まあ、これははっきりしてるのかなあ、と思うに至った。
 それに、日本の学校と、こっちの学校は学習的な面はともかく、習慣的なことも違うので、帰る前に親子ともどもリハビリをしたほうが良いとも思うし(日本人小学校に通わせ始めた現在、順応性が低いのは私の方だとわかりました)。
 4月の最初の週末から、こっちは2週間のイースター休暇に入るので、その前まで通うことにして、担任とも、事務の女性とも話す。転出手続きはとくになにもないとのことで、口頭で伝えたら終わってしまった。あっけない。

 最後の週、個人面談があった。先生にはTres bien! Perfait!と言ってもらった。数字に合わせて絵を書くとか、見本通りの配置で図形を書くとか、フランス語の文章「真ん中に木、そこにりんご、その下、右に親猫、左に子猫」とかそういうのに合わせて絵を書くという作業をした紙の綴りが作ってあって、完璧に出来てます。とこのとであった。フランス語も良くできるようになったんだから、日本人学校に行っても、フランス語の勉強は、続けさせてくださいね、そのために家でもフランス語で会話しなさいと言うので、いや〜、今、私よりこどもの方が出来るますから……と言ったが、今、あなたは私とフランス語で話していて、日本語で話しているわけじゃないんだから、それを家でやれば良いのだと言うことであった。いやいや、フランス語で話しているのはあなただけであって、私はあいづち打ってるだけですよ〜。でも、こういう会話をしていると、ますます、現地の学校に入れたい気持ちが親は盛り上がってくる。そういえば、日本で通わせていた保育園では、人間関係とか、生活態度ができているかどうかを話されたものだが、こっちはこういう勉強的なこと、語学の習得のようなものを言われるように思う。保育園と幼稚園の違いなのか、土地柄なのか……。

 こどもは3月の末が誕生日で、こっちは自分の誕生日にケーキを用意して振る舞う習慣があり、学校にも、ケーキを持ち込む。そこで、お別れ会もかねて、少しゴージャスにすることに。去年、「うちのパン屋」にケーキを頼んだところ、2週間前には申し込まないと、釜の段取りがあるからだめ、と断られたのだ。で、今年は、早々に申し込みに行った。日付と人数(20人)を話し、おばさんが「やっぱりチョコが良いかしら?」と言うのを、うちのはチョコが嫌いなので、イチゴと生クリームのケーキを指定して、今度は、焼く本人のおじさん(といっても童顔でかわいい人)が台はタルト台とビスキュイ・サボワとどちらにするか、と聞かれ、おばさんが、「学校で先生が切るわけだから、ぜったいビスキュイの方が良いと思う」と強く助言して来たので、私も同感だし、ではそれで、と頼んで、もうばっちり、とうきうき。
 と、直前になって、その日はスポーツセンターに一日遊びに行く、という行事のお知らせが入って来た(一週間切ってるのに!)。頭に血が上って、外国出張中の夫と電話協議したりして、翌日、担任に話をつけに行ったら、「Bonjour」と声をかけるなり、「29日のことね!」と言われてしまい、とても謝られたけど、やっぱり29日には出来ない30日でどうか、と言われ、「もうパン屋さんに頼んじゃったんですよ~」「おーーー」「えーっと、相談します」「パン屋さんとね! 結果を知らせてね」。今度は、パン屋に出かけて行って交渉。パン屋も、「29日がダメになって」と言ったら、一瞬顔が曇り、「火曜、つまり30日――」と言ったら、「火曜に、30人分!?」とパニックするが、人数変わらず、一日の延期で済むと知ったら「Pas problem」ということになった(問題ないということ)。
 また、誕生日には、ケーキを振る舞うのみならず、小さな袋に駄菓子(グミの小袋や、小さなチョコの箱等)を入れて人数分用意して配ったりする。これもやりたい、クッキーを焼け、とこどもが言う。もう最後だし、やりますよ〜! と大きなくまの顔の型で抜いてサブレーを作る。前日の午後作り始めて、途中で生地が足りないことに気づき、夫にSOSを出す。会社の帰りにバターを買って来てもらう。途中まで手伝っていたこどもも飽きて来たので、後半は夜に回し、こどもが寝たあと、一人で型を抜き、どんどん焼く。焼き終わったのを、シリコンペーパーでいったん包み、こういうときのために売られているディズニーキャラのビニール袋に入れて行く。
 誕生日当日、パン屋にケーキを受け取りに行くと、おばさんだけじゃなくて、おじさんも出て来て、大きな箱に入れた巨大なケーキを出してくれる。四角いケーキを生クリームでデコレーションしてあり、イチゴが飾られ、アラザンが散らしてある。真ん中にマジパンで作られたプレートがあり、こどものなまえと「Heureux Anniversaire 6ans」と書かれている。しかし、20人分――私が言ったことだけど、バカ正直に人数を申告していたので、巨大なケーキが出来上がっていた。余って持って帰って来てくれないかなあと思うが、まあ、そんなことはありませんでした。あとで聞いたら、他のクラスや、事務の女性にも振る舞われたそうです。クッキーも余計に持たせてあったので、ほかのクラスの仲良くしてもらった日本人の方達にも配ったり。

 そして、最後の日がやって来た。その日は、私は歯医者の予約があり、間に合わないかもしれないので、お迎えは夫に頼んでいたし、また、担任が午後を休みにしている(教えているのか、まだ学んでいるのか、大学に火曜と木曜の午後に戻っているのだ)日なので、朝のうちに、用意しておいたお別れのプレゼントの亀の風呂敷を渡す。前日作った「これは、ものを包んだり運んだりする日本の伝統的な布です。日本では、鶴は千年、亀は万年生きるとされ、長寿のシンボルです」というメモを付けて。こどもにも、こどもと担任、マスコットの亀の絵を描き、Merci!と書いた手紙を作らせたので、それも一緒に渡す。
 帰りは歯医者がぎりぎり間に合うタイミングで終わったので、タクシーを飛ばして駆けつけた。担任は、案の定午後休みを取っていたが、間に合ってほかの子たちと別れを惜しむことができた。

 担任からは、これまでクラスで作って来た作品が返却されていた。
 まず、大きなファイルにこれまで描いて来た絵がきちんとファイルされているもの。
 クリアファイルの左ページに歌が、その右側に、それをテーマに描かせた絵――画材も、色鉛筆、クレヨン、絵の具などいろいろ使っている――が入っているもの。この中には、クラスの子供たちの名前を織り込んだ歌が作られていて、それも入っていた。もうフランス語はどんどん落ちて行くだろうと思うので、そのファイルを見せて、こどもに歌わせて、歌も録音で採集することにした。いくつか録ったが、さあ、いつまで覚えているのだろうか。
 スケッチブックに、担任がお題を出し、こどもに絵を描かせ、その後、補足を担任が書き込んでいるものもあった。たとえば「アンドリューの妹が幼稚園に来ました」という題にこどもが描いた絵、そこにアンドリュー、そのお母さん、赤ちゃん、担任――といった補足のメモ書きがついている。
 時系列にそってファイルされていることもあって、いろいろ思い出されて親は感慨深い。

 ところで、タイトルに「エコール」と書いたけれど、こどもが幼稚園に慣れないでいるときに、「これは保育園でも幼稚園でも、小学校でもなくて『エコール』というもっとすごいものなんだよ」と教えたので、家ではずっとエコールと言って来ていたのだ。日本語でもドイツ語でも、幼稚園とそれ以上の学校とでは違う単語(Kindergarten=幼稚園とSchule=学校)を使っているが、フランス語では、幼稚園から「maternel(母親の/母性の)」は付くけれど、Ecole=学校と呼ばれているのがちょっと珍しくも感じていたので――。

 イースター休暇の最後の日曜日、家の近くの公園に遊びに行ったら、去年同じクラスだった二家族が遊びに来ていた。うちのもさっそく混ざって遊ぶ。いつもだったら、適当なところで切り上げて帰るところを、その日は、気が済むまで遊ばせてやり、他の家族が帰るのと合わせて帰ることにした。最後に、そちらの親が「じゃあ、明日また幼稚園でね」とこどもに言う。今年はクラスが違うのでこどもが幼稚園をやめたことを知らないのだ。と、私が口を開く前に、こどもがフランス語で「私は今、日本人学校に通っているの」と発言、相手をびっくりさせた。「学校を替わったってことか? なにがあったのか?」と聞く親に、「いやいや、日本では4月から学校が始まるので、もうこの4月からこの子はprimary schoolなのです」と説明する。「じゃあ、良いことなのね?」と確認された。この二家族は、片方が、東洋系の母親、もう片方はアフリカ系の養女とマイノリティなためか、私たち一家が幼稚園になじめているかどうか、いつも気にしてくれていたのだった。「そういうことなら、さようならは言わないわ、また会いましょう」と言われ、「A bien tot!」と何度も繰り返して別れた。子供たちは、眼を大きくして驚いた表情で話を聞いていたが、最後に三人でハグして別れた。
 帰り道は、なんとなく暗い顔をしているこどもに「みんなぎゅーってしてくれたね」と話しかけると、「Sは泣いてた」とつぶやく。これまで、日本人学校に行くことがとにかく楽しく嬉しくて、親が見ているとがっかりするくらいあっけなくエコール生活と別れを告げたのだった。悲しい面、というのは初めて気づいたのかもしれない。
 
 そして、日本人学校。初日からうきうき通っている。行き帰りがスクールバスになるので、ちょっと心配で、帰りは、お迎えに行くかと言ってみたけど、いや、バスに乗るんだ、と出かけて行って、初日も水泳教室で一緒の男の子を見つけて一緒に乗って来たとかで、楽しくやっている。
 大きく、違うなあと親が感じたのは、これまで、幼稚園では、読んでもらった本の話をしようとして、うまく説明できなくて、かんしゃく起こしてたりしていたのが、読んでもらった紙芝居を起承転結を付けて、ちゃんと再現できたりして、やっぱり、頭の中で、日仏が整理できてないと、自分で分かってストレスだったのかなあとちょっと思ったり。
 こうして、どんどん新しい知識を入れて行くいっぽうで、どんどん忘れて行くこともあるんだろうなあとも親は思う。

 でも、たった1年半だけど、フランス語の幼稚園に通わせたことは、後悔していないよ。