2010年3月2日火曜日

Heimatのこと、あるいはカーニヴァル見物第一弾のこと





※この上二つの画像はBad Godesbergのカーニヴァル。
一枚目背景はよく行っていた書店。
二枚目大きく手を挙げているのは今年のプリンセス。
毎年プリンスとプリンセスが大人とこども二組選出される。



 カーニヴァル見物の旅に出かけて来た。カーニヴァルというのは、身もふたもなく言えば、キリストの受難のときに、ともに苦しみを感じよう――で、その前に、飲み食い納めをしておこう、ばか騒ぎしておこう、の日な訳で、基本は、パレードが菓子他をまきちらし、沿道の民が拾い集めるというものです。ちょっと日本の節分風でもありますね。
 リオやヴェネチアが有名だと思うけれど、ベルギーにも世界遺産にも指定されたような民族的な仮装の素敵パレードもある。

 さて、今年の第一弾は、勝手知ったるボン、その中でも住んでいたBad Godesberg地区のもの。もちろん、そこに行くからには前後に予定も入れて行く。夫はバーゲン時期の1月に出張帰りに買って丈つめに出しておいたスーツのピックアップも予定。ドイツに行くぞ! というとこどもも早起きが出来て、早めに旅立ち、11時すぎにはボンの中心地についていた。

 昼ご飯を食べて買い出しして、今回のもう一つの重要予定、昔の知人M夫人に会いに行く。以前ドイツに住んでいたときにお世話になった方で、ご本人もご主人のお仕事柄、日本に駐在したことがあり、その後、ドイツで独日協会を設立、日独親交のために尽力された方。私の父親と同じ歳。私がブリュッセルに引っ越したと知らせたら、一度会おうと言われていたのだが、向こうもお忙しく、なかなか都合が合わなかったのだ。
 以前にも招かれたことのあるご自宅に伺い、ご主人と二人、歓待してくれ、ケーキを振る舞われる。
 大人同士で話す間、こどもが飽きないようにと、そこの家の子供が遊んでいたというプレイモービルを探し出してくれた。こどもがプレイモービルが好きなんですよ、と言ってあったのを覚えていてくれたのだ。ずっとしまわれていたにおいもする感じでプレイモービルたちとしても久しぶりに日の目を見たのだろう。お子さんたちは38歳と36歳というから、1974年に出来たプレイモービルのほんとうに初期のものだと思う。作りもまだ、単純なものだった。西部劇セットや、道路工事セットなどなどたくさんあって、うちのが遊んでいるうちに、彼女もいろいろ思い出して、「これは間をつなぐ部品があったと思う」とか「それはマントにする」とか教えてくれて、すこし一緒に遊んでくれた。見ていると、うちの子はドイツ語が理解できてるのではないか? と思えるくらいだった(もしかすると、エコールでドイツ人がしゃべっているのを聞き慣れているのかもしれない)。またすっかりはまりこんでしまって、「そろそろ帰らなきゃ」と言う頃には「どうして?」とか言い出す始末だった。

 しかし、私もずいぶんドイツ語が出なくなってしまって、夫ががんばってしゃべってくれたが、つらい気持ちになって来た。「あなたはあんなにドイツ語が出来たのに」と言われてしまう。もちろん「私も日本語は忘れてしまったから」とフォローはしてもらったけれど。今でも、聞き取る分にはドイツ語が一番出来ると思う。だけど、たしかに当時の私にとってドイツ語は、一番「スイッチの軽い言語」だった。とりあえず、ボキャブラリーや文法が分からなくても「えーっとなんて言いましたっけ? こういう感じの……」と挟みながらでも、言葉をつなぐことができた。今はもうすっかりスイッチが重くなってしまっている。
 M夫人も病を得たこともあり、将来に悲観的なことも言う。日独両政府から表彰されたりして、楽しく意欲的に活動していた頃とはやはり違う。ボンがベルリンに首都を譲って没落していくのをまのあたりにしているのも、つらいのだと思う。ときどき買い出しに訪れる分には、学生街としての性格を強めて来ている今も、また、楽しいものではあるが、それでも見知った店がなくなっていくのは悲しい。中心にあった老舗ビアカフェ兼定食屋のうち、好きで通っていたほうはH&Mに、広場に面した有名店はスタバになってしまった。その入れ替わった二店のなんと象徴的なことよ。Bad Godesbergも昔ながらの住宅街が、移民街になってしまってきているのだという。
 なんとなく、お互い歳をとったなあ……と悲しい雰囲気もあって、私は別れてからどっと疲れて寝込んでしまった。

 さて。
 一晩泊まるうちに、また雪が積もっている。「そんなこともあろうかと」持って来たそりを持って、勝手知ったるボン、ここならぜったいそり遊びが出来る、と見当をつけて広大な緑地公園に向かう。夏には野外コンサートや巨大ビアガーデンができるようなところ。日曜の朝も早くからそり遊びなんてしているのはうちだけだったけれど、10時を過ぎた頃から、続々とそりを持った親子連れがやってくる。こんな雪、住んでいた三年間にも見たことないよね、とはしゃぐ。

 午前中をそり遊びで過ごし、Bad Godesberg地区に移動して、なじみのカフェでスープの昼ご飯。行列のスタート時間を待つ。
 国鉄の駅から延びる商店街に陣取って、パレードを見物。「かめれー」とかけ声をかけ(キャンディというような意味らしい)、駄菓子を撒いてもら
うのを拾う。さすがご当地、HARIBOのグミが多い(HARIBO社はBad Godesbergが本社)。しかも、カーニヴァル用のここでしか見ないようなものも。パレードは、各町内会、ダンススクールなどなどのチームから出ていて、マーチングバンドにトラクターが曳くはりぼての山車が続く。このライン流域はフランス統治時代があったことから、カーニヴァルでは、ナポレオン軍風の軍服を模したコスチュームを着る。昨日会ったM夫人など口性ない人には「プロイセンとバイエルンしかドイツといえない、ラインランドはフランス」ということになるのだが。女の子は短いプリーツスカートで、フィギュアスケート選手のような分厚いタイツをはき込んでいるとはいえ、とても寒そう。元住んでいた町内や、すぐ坂の下の街のチームが来たりするとなんとなくやっぱり嬉しい。
 そして、小さな町内会でもちゃんとしたマーチングバンドを組めていることにも驚く。音楽人口が日本とは違う。でも、ヨーロッパでは義務教育では芸術を教えないから、わざわざ放課後に芸術学校に通わないと音楽も学べない。日本の方が潜在的には多いはずなのに。こんなふうに毎年披露する場があって、各小学校や中学校のブラスバンド部のOBがそのまま続けていれば、このくらいの人数にはなるのだろうか?

 翌日にはケルンのカーニヴァルがあるので、そこも見に行く。このラインランド(つまりナポレオン軍服ふう)で一番大きなものだ。朝から移動して、場所取りをして待つ。ここではかけ声は「Allaf!」こどももさっそく覚えて言い換えている。気合いの入り方がやはり違って、カーニヴァルサークルみたいなのがいくつもあり、そこは特注したお菓子を撒く。ケルンはチョコレートの街なので、チョコレートが多い。グミもいきなりHARIBOが減って他社のになる。騎馬での行進が増える。音楽だって、Bad Godesbergは、普通の行進曲や、流行の曲をアレンジして演奏しているけど、ケルンのは伝統的な「ケルンのカーニヴァルの曲」というのが何曲もあるし、ケルンの人気バンドHoehnerの曲も多い。ちょうど去年出たばかりのヒット曲があって、それをずいぶん耳にした。

※こちらはケルンのカーニヴァル。衣装もお金がかかっている感あり。

 あまりに大規模なので、みているうちに疲れてしまい、もう帰ろうと思うが、列から出るにも出られない。なんとか抜け出て、こんな日は昼ご飯も、ドイツ系ビアホールなんかはお祭り関係者で貸し切られてしまっているので、中華のファストフードで簡単に済ませる。その後も、街の中心の駐車場に戻るにも一苦労、車を出すにも一苦労だった。なんとか逃げ出して来たドイツ滞在。でも、やっぱりまた来てしまうんだよなあ。

 M夫人との会話の中で、彼女にとって、「Heimat(故郷とか地元とかの意)」と言うべき場所は、教師として働いていて、ご主人とも出会い、結婚してしばらく住んでいたアーヘンなのだと聞いた。住んでいた長さとしては8年なのだそうで、住んでいる長さとしてはボンが一番だと思うし、生まれたのはバイエルン地方なのだが。ボンで買い物が足りない! となると、アーヘンまで出かけたりしていた、と言ったり。
 とっさに言葉のでない私に替わって夫が、「いや、私たちのヨーロッパでのHeimatはボンですよ。ブリュッセルで出来ない買い物をしにきたりするんですよ」と言ってくれた。
 もちろん、今のところ、ヨーロッパで一番長く暮らしたのがボンというのはあるけれど、このままブリュッセル暮らしがボンより長くなっても、きっとその気持ちは変わらないのだと思う。

2 件のコメント:

Asako さんのコメント...

夫君って粋なことを言いますね。

冬季オリンピックが終わったばかり。
オリンピックになると特定の個人のファンがいない限りは国を応援するんだけど、やっぱり思い入れがある国はオーストラリアとフランスなのでした。(なぜかアメリカは入らないのだ。)

Amsel さんのコメント...

やっぱりそれは暮らした長さですか? この間、パリに一人で行ってきましたが、私にはパリはいつまでも「観光地」気分です。一人歩きしている時間では、ヨーロッパ都市の中でも長い方だと思うのだけど。地図を見ながら、ぽかんと口を開けて斜め上を見ながら歩いてしまう。ハレの街って感じ? そこが良いのではありますが。