2010年3月23日火曜日

大家のこと

 先日、ボイラーが壊れて交換することになった。ボイラーがおかしいことがわかって、朝、大家に連絡、その日のうちに捕まる修理人を手配してくれたが、初日は夜、見に来て、交換が必要とだけ言って帰り、翌日は、もう一人を伴って現れ、そのもう一人が現場の様子を見て、さらに翌日、彼が新しいボイラーを持ってやって来て設置――と3日かかってしまった。
 ドイツ時代の大家だったら、本人が即日やってきて設置工事までやってしまっただろうな――と懐かしく思い出した。

 ドイツ時代の大家は、本業は左官業だったか、建物の修理が専門で、私たちが住んでいた家は、地下+平屋のかなり広い家だったのだが、彼が建てたというもの。暮らしている時も、ときどき、見に来て、留守中に合鍵で家に上がって、細かい修理をしてくれていた。最初は、旅行から帰って来て、人が入った気配があって、何かが直っていたり、モノが増えたり、ひどいときには、散らかしてあったところをちゃちゃっと片付けてあったり――したときは驚いたものだが、そのうち慣れてしまった。シャッターが上がらなくなっていたのが直っていたり、床材が貼り直されていたり、漆喰を塗り直してあったり。それこそ、ボイラーが新しくなっていたこともあった。
 二週間に一度くらいか、庭の芝刈りもしてくれていて、私が午前中、のんびり風呂に入っていると、外に来ていて、出にくくなってしまったりすることもあった。
 世代的に、私の親くらいの世代。風貌も見るからに職人風、ドイツ語のほとんど出来ない店子の私と、Gattin、Gattin(奥さまという意味らしい)と呼びかけ、いつも身振りと簡単なドイツ語で話しかけてくれた。夏には、庭でとれたというサクランボを持って来てくれて、一度、うちの親が来ているときにでくわして、果物好きの父親を喜ばせたりもした。
 あるとき、芝刈りに若い男の人が現れ、彼は大家の婿だといい、大家は病気で入院しているという。芝刈りみたいな作業でも、大家との腕の差は歴然だし、心配だし――と思っていると、しばらくして大家がまた現れ、実は手術をしていたのだという。シャツをめくりあげ「ほら、傷跡を見てみるか? 触ってみるか?」と言われ、けっこうですとお断りした(いや、目には入ってしまいましたが)。あまりに陽気なのでほっとしたが、夫人の話では、癌で、手術後、一時、かなり危険だったこともあったのだそうだ。
 それでも、未だに、クリスマスカードは連名でやってきて、毎年ほっとする。家のその後の店子の話も書いてきてくれる。私たちが出てからは、ドイツ人家族が暮らしていて、今は二代目になっているらしい。いくつのこどもがいるとか、犬がいるとか、そんなことも知らせてくれる。前にボンに行ったときに、近くまで行ってみたら、私が昔使っていた部屋が子供部屋になったらしく、窓にこどもらしい飾り付けをしてあるのが外から見えた。

 一方、今度の大家は、本業はコンサルタント業。市内にいくつか不動産を持っているらしい。50代くらいか、長身細身で、メガネをかけていて、人懐っこい笑顔のインテリな男性。私たち夫婦とはきれいな英語で話す。最初から、私たち家族のことはファーストネームで呼びかけてくる。契約後、私たちが入居してからも、室内のペンキの塗り替えがあって、職人が出入りしているとき、彼も監督したり、細かい作業をしたりしていた。
 あるとき、「これから、足りないペンキを買いに行くが、M(と私のファーストネームを呼んで)も行くか? 一緒にドライヴを楽しむって言うのはどうだろう?」と言う。ファーストネームで呼ばれてそんなことを聞かれるとどぎまぎしてしまうが、「いや、行かれません。今日午後、私は家にいなくてはなりません。なぜなら、ベッドを受け取るからです」とたどたどしく返事をすると、「君の言いたいことはこうだね? 私は行かれません。なぜなら、今日は、ベッドの配送の約束があって、午後は家で待ってなくてはならないからです。そうだろう? うん、分かったよ」。一事が万事、こういう会話。なんだか英語の添削をされている気持ちになったものだった。
 ペンキ塗りも終わり、細かい作業も終わって、合鍵を全部私たちに引き渡す――というときに、彼は、白い薔薇の花束を買って持って来てくれた。ちょっとついでにスーパーで買って来たんだよ、というラフな花束。それを「Welcome your home!」と笑顔で渡されたときには、ああ、ベルギー人ってラテンのほうの人だったなあと思ったものだ。「花瓶がないよね、でも大丈夫」と、ペンキ塗り職人たちの飲んでいた1リットルジュースの空き容器を良く洗い、さっとカッターで切って、ふわっと活けてくれたラフな感じがまた似合っていて格好よかった。こどもには、小さなぬいぐるみのキーホルダーを買って来て、「これは、君の部屋を決めてもらったら、そのドアにかけておきなさい。君の部屋っていうマークになるよ」と言ってくれた。こどもはたいそう気に入ったので、けっきょくそのキーホルダーは、幼稚園に通うかばんに付けられ、ずっと一緒に通っていた。
 なにごともなければ、彼も、やってこないし、会う機会もないのだが(夫とは、細かい維持費の精算等でメイルのやりとりがあるらしいが)、去年、管理人さんの還暦の(?)お祝いを住民たちでしたときに現れた。しばらく歓談して、「ところで今日は、Tは?」と聞かれ、「T???」という顔をしてしまい、「何を言ってるんだ、君の夫だよ!」と言われてしまった。いや~、日本人は、親戚や、よっぽど親しい友人でもなければ、その場にいない相手の配偶者のことをファーストネームで呼んだりしないものなんですよ!

2010年3月19日金曜日

パリ行きのこと


 パリに一人で行って来た。一人旅~といっても、日帰りだけど。放射線状で歩きにくいとか、興味ないとか言ってるけど、結婚前に留学中の友人を訪ねたり、ドイツに住んでいるときにも、一人で出かけたり、実は、ヨーロッパでホームタウン以外では、一人歩き時間が一番長い街はパリかもしれない。でも、ルーブルには行ったことがないというひねくれ者。

 それでいて、パリには慣れたという気持ちになることがない。いつも、観光客の気分。着いたときから、どきどきしながら歩くことになる。「おのぼり」という気分になる。


 夫と一緒だと、予習はすべて彼に任せて、ぼけーっとついて行くだけなのだが、一人なので、前もってガイドブックを読んだり、地図をコピーしてマーキングしたりの用意もする。夫は予習型人間なので、行く前に地図を読み込んで、目的地に行く道順をすべて頭に入れて地図は持たずに出かけるような人だが、私はそれはできないので、地図に行きたいところを多めにマーキングして、この辺に行かれたらラッキーくらいの気持ちで旅立つタイプ。

 今回は、まず、切れている味噌を買い、たまっている日本の本をブックオフに売るという目的があるので、日本人街のある1区にはまず行く。ほかは、家族がいると行きにくいところに行こう。手芸店か。ネットで検索してみると、1区のかなり日本人街のそばに1軒、そこから土地勘のあるレ・アルのほうに行く途中に一軒あることが分かる。そしてやっぱりパリと言えば私にとっては辻邦生氏なので、雑誌『考える人』の「堀江敏幸と歩くパリ」に出ていたゆかりの書店にも行ってみようと考える。レ・アルあたりでメトロに乗れば、旅行中の移動はすべて4番のメトロで行けるから迷わないだろう。

 調べて行くと、プランタンでティム・バートンの映画「不思議の国のアリス」関連のイベントをやってるとか、そこでラデュレが限定菓子を売っているとか、他にも魅力的なものが出てきて迷うけど、胸によく手を当てて考えてみろ、本当にお前が好きなのはそれか? 今回はやはり手芸店と辻邦生氏だ! と割り切ることにする。

 さらに、雑誌『旅』で食事関係を調べる。辻邦生氏ゆかり書店のそばにその名も「編集者」というカフェがあるので、ここで昼を食べよう! と思うが、調べると値段が高め――うーん、時間も限られているし、お茶でも良いんだよなあと思いつつ、一応地図にマーキング。あとは、翌朝のパンを買ったりしたいし、家族にお菓子も買いたい、そういえば、バターやマスタードも切らしているからいっそパリで普段は買えないようなよさげなものを買ってくるか? とそのあたりのお店もマーキング。


 いつものリモワのトロリーに詰め込めるだけ本を詰め込んで出発。前のパリ行きの急行が1時間近く遅れて、私の乗る予定のと発車時刻が同じになっている。ははは、またかよ~と思うが、意外にがんばって、3分遅れで発車。読みかけの『狼と香辛料14』を読み終え、『辻邦生全短篇1』も読んでパリ気分を盛り上げる。パリには15分遅れで到着。焦りながら、まずは重い荷物を手放しにブックオフへ。清算してもらっている間にパリのガイドブックを立ち読み。またまた魅力的なランチが食べられそうな店を発見。6区だから、書店と掛け持ちが出来るかもと思うが、持っている地図のコピーでその通りが発見できない。そうこうしているうちに清算が終わり、お金を受け取って外へ。

 いつも味噌を買っている店は、パリの日本食材店の中でも、高いこだわりのものを売っているところで、日本で使っていた調味料がいろいろある(味噌は違うけど)。日本で使っていたみりんも発見するがあまりに高くて腰が砕けそうになるので、いやいやこっちにいる間は、みりんはポルトワインで代用だ! と買うのをやめる。その他にもときどき買いたい気持ちが盛り上がってはやめているゆず胡椒もチェックするが、やはり簡単に買える値段ではない……。結局、気持ちが盛り上がったり盛り下がったりをくりかえして、味噌と酢だけにして外に出る。パリは快晴で暑いくらいなのに、夫からはブリュッセルは寒いと言うメイルが入る。

 手芸店に寄って、やっぱりいろいろ買いたくなるものの、そうは買えないので、これからやろうとしている刺繍に必要な糸を買う。かわいいボタンやチロリアンテープを見て一人興奮。

 歩いているうちに、パサージュを見つけたので入る。いかにもパリ! と私が思っているような空間。天気がよいので、天窓が明るくなっている。所々開けてある。古本屋や、おもちゃ屋をざっと流す。

 レ・アルまで出て、もう一軒の手芸店。ここでもビーズやボタンがたくさんあって見ているだけで堪能。意味もなく綿素材の毛糸を買う。調べておいたパン屋さんまで歩くが、閉まっていてがっかり。買うものもないけれどちょっと見てみようか? と調理用具店に寄ろうとすると「これから昼休みです」と言われる。ああもうそんな時間だ。

 メトロに乗って6区へ移動。めざす「編集者」カフェはすぐ見つかるが、外席も含め満席。ゴージャス空間で気圧されるし、ブランチメニューも中華風の炒め物WOKなので、あまり惹かれない。斜め向かいに繁盛店があり、そっちも一杯ではあるが、ぎちぎちに席を詰め込んでいて回転が速いのでそちらに移動。本日のお勧めからラムを選んで、『辻邦生全短篇1』を読みつつ赤ワイン。周りの人が頼んでいるパン粉乗せ焼きが気になる。これだけたくさん出ているってことはお勧めだろうけど、と店内の鏡に白い不透明ペンキで書かれたメニューを解読するが分からない。しばし凝視して、焼き物の断面が赤黒いことが判明。血を固めて焼いたものだ! メニュー選択が誤ってなかったことを認識して(血を焼いたのは苦手なので)また本に没頭。「西欧の光の下」気分に包まれる。デザートも頼みたくなるけれど、お腹具合というより、時間がもったいないので、コーヒーだけ頼んでさっと飲んで支払って出る。ああ、みんなが食べていたプリンがおいしそうだったな~。

 ゆかり書店まではすぐ。上品な老婦人が迎えてくれる。「マドモアゼル」と話しかけられて、おお、私も子連れじゃなきゃまだまだ「マドモアゼル」か、と錯覚しかけるが、いやいや、他の店ではずっと「マダム」でした。トロリーをレジ裏に預かってくれるという。いかにもな文芸書店。壁は全面天井まである高い書棚、平台の島。小川洋子氏がフランスでは人気があるらしく、ブリュッセルでもよく見かけるが、『海』の翻訳が平台の目立つところに置いてあった。地下の児童書売り場をわざわざ開けてもらってみせてもらう。これまた、フランスで人気の酒井駒子氏の絵本がたくさんある。古いと思うが安野光雅氏の『天動説の絵本』も目立つところに面陳してある。せっかく開けてもらったけど、なにも買わずに出る。最後に老婦人にまた挨拶をしてトロリーを受け取る。


 さて、目的地は網羅し終えた。いっそ、欲張って辻邦生氏旧居でも見に行こうか、そこからムフタール通りを流して食べ物を買うというのは? と思いつくが、メトロの4番線を離れてしまうので、帰りが不安。これまでパリで一人の時間があると、ストーカーのように必ず行っていた「聖地」なのだが、今回はあまり引力を感じていないことが分かる。亡くなられて、磁力を失っているのだろうか――と思うと、ほんとうに、聖地巡礼するファンというよりストーカーっぽいけど。

 せっかく観光地ど真ん中サンジェルマン・デ・プレにいるので、買物でもしつつぷらぷらすることにする。屋内市場を流して、無目的にぷらぷらと歩く。無印良品があるので、夫が部屋着として愛用しているジャージ(スウェットの上下というべきか)がぼろぼろになっているのを思い出し、お土産にちょうど良い、と寄ってみるけれど、さすがにジャージはなかった……。こっちの人は部屋着にそんなものは着ないのかな。けっこう探すけど見たことがない。パジャマっぽい薄いのはあるが、もっさりした厚手の裏パイルのが欲しいのだ。スポーツ用のは、もろスポーツ用になっちゃってくつろがないしね。

 ボンマルシェに行こうとして、また放射状の道にだまされて(いや私が悪いのですが)、リュクサンブール公園に出てしまう。地図で確認していて、上品な老婦人に「どこを探しているの?」と話しかけられ、地図を見せつつ「ここに行きたいんですが」と言うと「まあ! ここは遠いわよ、バスに乗らなきゃ、**番のバスが行くわよ」と親切に教えてくれる。礼を言って別れるが、いや~、バスに乗る気はないしなあ。あまり欲張らないことにして、ポワラーヌでパンを買い、ジェラール・ミュロでお土産にマカロンとシューケットを買う。なんか、「いかにも!」パリ土産で恥ずかしいですが。そして、16時にまた戻ってこられたので、編集者カフェに寄る。まだ中の席はいっぱい。暑いし外席でミント水を頼む。甘いミントシロップの水割り。これ、いつもガス無しだけど、ペリエとかガス入りの水で割った方が美味しいと思うんだけどな~。それは日本人のソーダ水のイメージでしょうか。


 一人でカフェの外席で通る車や人を眺めながら何を考えるでもなくぼーっとしていると、こういう一人の人生もあったかもなあという気持ちになってくる。

 若い頃は、非常に傲慢だったので、つねに人生の選択が最善で、これ以上の人生はないと思っていた。そのうちに、違う人生もあったかもと思うことがでてきて、しばらくは、それが敗北感のようでとても嫌だった。今は、それも肯定的に受け入れられるようになってきた。昔の私が知ったら、老化だと思うかもしれないけれど。いやいや、人生折り返し地点を過ぎたということです。


 早めに急行のターミナル駅に出る。ショッピングセンターになっているので、こどもに服を買ってお土産にする。入線自体は早かったのになかなか発車しない電車にイライラしつつ、自宅にメイルする。返事が返って来るので、だらだらとまた返す。ポワラーヌで買いすぎた、と思っていたパンを開けて、クロワッサンを食べる。けっきょく、30分以上遅れてブリュッセルに着いた。夜ご飯を食べずに待っていてくれたので、さっそく三人で食べる。私が留守中は、こどもが考案した馬鹿踊りを二人で踊ったり、リコーダーを吹いたり、こどもはシロフォン叩いたり、クレープ焼いたり、いろいろ楽しく過ごしていたらしく、それはそれでうらやましい気持ちにもなる。行きに読んでいた『狼と香辛料14』にあるように「一人がいいと思えるのは、本当に一人ではないときだけのこと」ということなのだろう(ちょっときれいにまとめてみました)。

2010年3月5日金曜日

リコーダーのこと

 先日のカーニヴァルの旅で、いろいろ買い物をして来た――と書いたが、その目玉はアルトリコーダー。
 こっちの日本人情報誌でお稽古ごと情報を見ていたときか、在住者のブログでクラリネットを買った! という記事を読んだあたりからか、むらむらとまたなにかやりたいという気持ちが盛り上がってきた。中学の時と大学のときと、吹奏楽部でクラリネットをやっていたし、幼稚園から就職直前までピアノは習っていたし、才能はないし、好き嫌いの意味でも仕事に出来るほどの執着はないが、なんとなく音楽に触れているのが好きなのだろう。
 人間関係が得意ではないので、習い事に通うつもりがなく、集合住宅なんだから大きな音の楽器は無理――と考えて、そうだ、簡単に出来そうで、そう高くなく買えそうだし、古楽が盛んというベルギーの思い出になりそうっていえばリコーダーじゃない? と思いついてしまったのだ。ネットで調べると、ドイツのMoeck社とMollenhauer社が最大手みたいなので、買うのはドイツで買おうと思うのもまた素敵な感じ。検索しているうちにせっかく「大人のリコーダー」なんだから木がいいとか、どんどんのめり込んで行くが、夫は値段を見て「えープラスティックじゃだめなの?」などという。まあ――おもちゃにしては高いけれどさ……。そのくせ、出張でウィーンやボンに出かけたときに「楽器屋でリコーダー発見、Moeck社」とか、値段情報とかをメイルで知らせて来たりする。そもそも、音楽好きという度合いでは、夫の方が上なくらいなのだ。
 よし、次のドイツ行きで買おう! 全部木でできてるうちで安いものを選んで買おう、と決心。ボンや、Bad Godesbergなら楽器店もイメージがある。ドイツ在住期には、先に帰った夫の同僚からピアノを買い受けていじっていたので、楽譜を買いに、と理由をつけてよく遊びに行っていたのだ。
 他の予定とのかねあわせから、ボンの中心にある楽器店に行く。夫が出張時に下見済みなので、一階のピアノ売り場や子供用楽器にひっかかるこどもを追い立てて地下の売り場へ行く。店員さんにアルトリコーダー(木の、安いの)を見たいと言う。まずはMoeck社で出してくれて、一番安いのと、もう一段階上の、吹き口が違うというのを見せてくれる。試していい、というので吹いてみるが、緊張して音も良く出ないし、正直よくわからない。もう一つ、Mollenhauer社のを出してもらって、それが最低音が一番安定していたし(店員さんの話からしても、それは押さえ方の問題だと思うが)、一番安い(貧乏性)ので、それにする。調べていたときにMollenhauerのほうが、会社が古いし場所もフランクフルト郊外でイメージがある街、ロゴもシュタイナー文字で格好よいと思っていた――理由もあるが、うーん、どれも本質とは違う。
 私が三本出してもらって迷っている間に、いきなり夫が「僕にはソプラノを見せてもらえませんか」と言い出し、試し吹きを始める。「いや、オレも買う。ソプラノなら子供に吹かせてやっても良いし」。彼の方が積極的だし、ドイツ語も出来るので、何本か吹いて、「あ、今の明るい音ですごく違う、それにしたら?」「いや、これは1本だけ高いの出してもらったの。買う気はない」なんじゃそりゃ。彼も「学校用」という木製の中ではやっぱり安いのを買った。ホテルでいきなり出して吹いてみたりして、気分が盛り上がる。

 さて、帰ったところでさっそくちゃんと吹くことにするが、木製のは樹脂製とは違って、最初は慣らしが必要だという。Mollenhauer社のサイトでは、「最初の4週間は毎日、20分以上にならないように」とあり、Moeck社に至っては、最初の4-6週間は毎日とした上で「最初の1週間は1日5分、次の1週間は15分、その次は……」と細かく指示がある。吹いているうちに音がかすれてくるから、そうなったら無理しないでやめるように、ともあって、ふーんと思って始めたが、本当に、最初は長く吹けない。すかすかっという音が混ざるようになり、苦しそうな音になってくる。夫に言って、夫のソプラノも慣らしを始めることにする。会社が違うせいか、ソプラノとアルトの違いか、音の慣れ方が違うような気がする。私のは高音もわりとすぐ出るようになったが、まだまだそう長くは吹けないが、夫のは、長く吹けるようになって来たけど、高音は全然出ない。ソプラノの高音が私にはちょっと嫌いな音域に入るので、吹き方に迷いというか、逃げがあるのかもしれないけれど……。
 こういう個性の違いや、慣らす、育てて行く感じが醍醐味なのだと思うが、私はやっぱりせっかちなので、いらいらしたり。学校用なんていうリコーダーなのに、ほんとうに学生もこれに耐えているのか? 夫に言わせると、義務教育で音楽はないから、好きで選択しないとできないので、忍耐できるのだろうというが。とはいえ私も、吹ける時間が延びて来たり、音が太く安定して来たりするとやっぱり嬉しい。
 ロングトーンや音階だけだとつまらないので、適当に曲も吹き始める。そらでふける曲ということで、やっぱり小学校で習っていたような曲から、季節感を考えて「朧月夜」とか、グリーンスリーヴスを吹いたり。さらにはアニメソングに走って「となりのトトロ」のエンディングや、格好付けてヴィヴァルディの「四季」から冬や、『ホフマン物語』の舟歌を吹いて悦に入ったりする。吹き始めてから、音が足りないことに気づいて転調したりするので、はたから聞いていたらさぞおかしいことだろうと思うが……。耳なじみのない日本のメロディが聞こえて来るのも、変だろうなあ、でも、40代にもなったおばさんが、「さいたーさいたーチューリップのはなが〜」などと妙にろうろうと吹いてうっとりしている姿を日本で見たら、そのほうが怖いか。

 たいていはこどもが幼稚園に行っている間にこっそり遊んでいるのだが、先日、こどもがいるときに吹いてみた。案の定、自分もやりたがるので、ソプラノの方を触らせてみるが、やっぱり指押さえが難しいのか、ちゃんと吹けない。二人羽織状態で私が押さえて吹かせるとちゃんとした音になるので、吹き込み自体は悪くないのだと思うが。悔しがって、古くからもっているシロフォンを出して来て一緒にやろうと言い出す。4歳になって音楽教室に通わせ始めたのが、3ヶ月でやめて引っ越して来てしまったのだ。楽譜読みもまだまだなのだが、リコーダーに合わせて、「どれみれど」と叩いてみろ、とこどもに指示すると、『ピタゴラスイッチ』の「こたつたこ」のメロディが出て来るので、こどもはびっくり、大喜び。そういう顔を見ていると、ああまた、音楽を習わせたいなあ――という気持ちもむらむらと湧いてくる。楽譜が読めるようになって、いじれる楽器が出来てくると、ほんとうに楽しいんだよ。

 どうせクラシックの正統な曲はこっちで楽譜も買えるんだから、と、栗コーダーカルテットの楽譜をネット書店で注文して、来週には届く見込み。それが届く頃には少し、演奏できる時間も延びているのだろうか。

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 話替わって、StingのライヴDVD『A Winter's night...』を買った。CDはすでに買っていて、とても好きなので、ついつい買ってしまったのだ。が、CDや、プロモーションヴィデオから想像するモノトーンの雰囲気と違って、派手なライティング、満面の笑みのStingさまと、どうも最初はひたれず、買ったことを後悔してしまったくらいなのだが、見ているうちにバックの楽器がとても面白い。CDで聞いたときに想像したのとまったく違う楽器だったりもするし、見たこともないような古楽器(おそらく)も出てくる。やっぱり引き込まれてしまう。このところ春っぽい日が続いて、このアルバムの雰囲気ではなくなっていたのだが、今朝はまた小雪が舞ってきた。

2010年3月3日水曜日

コロッケのこと

 母親から、メイルで「悲しいお知らせ」と称して実家近くの肉屋さんが閉店したことを聞かされた。驚いたけれど、考えてみれば、お子さんが私と同世代、ということはおかみさんも親と同世代、無理はないのだろう。
 このお店は、コロッケとメンチのお店として我が家では長く愛用していた店。休日の昼、うどんかそばに、おかずは買って済ませよう、というときによく買いに行っていた。日曜日の昼、図書館の帰りに父親が買ってくる――というパターンが一番多かったか。母親は、買って来た惣菜を食べるのは、手抜きと感じる性格だけど、この店のコロッケとメンチ、もう一軒、鶏肉屋さん(これももう今はなくなってしまった)の焼き鳥は、買ってくるから嬉しい献立、とされていた。
 コロッケとメンチは人気なので、お昼はどんどん揚げて揚げたてを売ってくれる。昔ながらの経木に包んでくれてはいるけれど、蒸れないように買って来たら包みから出してしまうので、いいにおいに耐えきれず、うどんがゆであがる前に食べてしまうこともしょっちゅうだった。ゆで上がりと買って来る時間を合わせようと、お湯を沸かし始めてから買いに行くことにしたり、混んでいて意外に時間がかかってやっぱりタイミングがずれたりで一喜一憂したり。すんでのところで買いのがして、ハムカツやしゅうまいを買ったり(この二つも美味しかったのです)。
 コロッケとメンチは、かならず人数分買って来るけど、祖母が「食べきれないからメンチはあげるよ」と言って、兄と私、兄が家を出てからは父と私で分け合ったりした。それでも、最初からメンチを減らして買ったりしなかったのはなぜだろう。金額の計算が面倒だからと言うのもあるだろうが、定食として、一回はお皿に両方盛る、というのが形式化していたからなのか。祖母だって、最初からいらないから盛るな、とは言わなかったのだ。
 結婚してからも、実家に帰ると、一度は食べたいと言って、買いに行ったりしていた。

 こうして書いていていもリアルに味が舌によみがえってくる。私もいろいろな店でコロッケやメンチを買うようになり、美味しいと思う店を開拓したりしていたけど、コロッケ、と聞いてまず味が浮かんで来る「コロッケ原風景」はこの店のものなのだ。最近読んだよしもとばなな氏の『ごはんのことばかり100話とちょっと』で、甲乙付けがたいコロッケとしてお姉様の作られるものと、こどもの頃の近所のお店を挙げられていたが、その一節を読んでいたときに、私の舌の上によみがえってきたのはこの店の味だった。『11ぴきのねことあほうどり』のコロッケもこの味で読んでいたんだよなあ。

2010年3月2日火曜日

Heimatのこと、あるいはカーニヴァル見物第一弾のこと





※この上二つの画像はBad Godesbergのカーニヴァル。
一枚目背景はよく行っていた書店。
二枚目大きく手を挙げているのは今年のプリンセス。
毎年プリンスとプリンセスが大人とこども二組選出される。



 カーニヴァル見物の旅に出かけて来た。カーニヴァルというのは、身もふたもなく言えば、キリストの受難のときに、ともに苦しみを感じよう――で、その前に、飲み食い納めをしておこう、ばか騒ぎしておこう、の日な訳で、基本は、パレードが菓子他をまきちらし、沿道の民が拾い集めるというものです。ちょっと日本の節分風でもありますね。
 リオやヴェネチアが有名だと思うけれど、ベルギーにも世界遺産にも指定されたような民族的な仮装の素敵パレードもある。

 さて、今年の第一弾は、勝手知ったるボン、その中でも住んでいたBad Godesberg地区のもの。もちろん、そこに行くからには前後に予定も入れて行く。夫はバーゲン時期の1月に出張帰りに買って丈つめに出しておいたスーツのピックアップも予定。ドイツに行くぞ! というとこどもも早起きが出来て、早めに旅立ち、11時すぎにはボンの中心地についていた。

 昼ご飯を食べて買い出しして、今回のもう一つの重要予定、昔の知人M夫人に会いに行く。以前ドイツに住んでいたときにお世話になった方で、ご本人もご主人のお仕事柄、日本に駐在したことがあり、その後、ドイツで独日協会を設立、日独親交のために尽力された方。私の父親と同じ歳。私がブリュッセルに引っ越したと知らせたら、一度会おうと言われていたのだが、向こうもお忙しく、なかなか都合が合わなかったのだ。
 以前にも招かれたことのあるご自宅に伺い、ご主人と二人、歓待してくれ、ケーキを振る舞われる。
 大人同士で話す間、こどもが飽きないようにと、そこの家の子供が遊んでいたというプレイモービルを探し出してくれた。こどもがプレイモービルが好きなんですよ、と言ってあったのを覚えていてくれたのだ。ずっとしまわれていたにおいもする感じでプレイモービルたちとしても久しぶりに日の目を見たのだろう。お子さんたちは38歳と36歳というから、1974年に出来たプレイモービルのほんとうに初期のものだと思う。作りもまだ、単純なものだった。西部劇セットや、道路工事セットなどなどたくさんあって、うちのが遊んでいるうちに、彼女もいろいろ思い出して、「これは間をつなぐ部品があったと思う」とか「それはマントにする」とか教えてくれて、すこし一緒に遊んでくれた。見ていると、うちの子はドイツ語が理解できてるのではないか? と思えるくらいだった(もしかすると、エコールでドイツ人がしゃべっているのを聞き慣れているのかもしれない)。またすっかりはまりこんでしまって、「そろそろ帰らなきゃ」と言う頃には「どうして?」とか言い出す始末だった。

 しかし、私もずいぶんドイツ語が出なくなってしまって、夫ががんばってしゃべってくれたが、つらい気持ちになって来た。「あなたはあんなにドイツ語が出来たのに」と言われてしまう。もちろん「私も日本語は忘れてしまったから」とフォローはしてもらったけれど。今でも、聞き取る分にはドイツ語が一番出来ると思う。だけど、たしかに当時の私にとってドイツ語は、一番「スイッチの軽い言語」だった。とりあえず、ボキャブラリーや文法が分からなくても「えーっとなんて言いましたっけ? こういう感じの……」と挟みながらでも、言葉をつなぐことができた。今はもうすっかりスイッチが重くなってしまっている。
 M夫人も病を得たこともあり、将来に悲観的なことも言う。日独両政府から表彰されたりして、楽しく意欲的に活動していた頃とはやはり違う。ボンがベルリンに首都を譲って没落していくのをまのあたりにしているのも、つらいのだと思う。ときどき買い出しに訪れる分には、学生街としての性格を強めて来ている今も、また、楽しいものではあるが、それでも見知った店がなくなっていくのは悲しい。中心にあった老舗ビアカフェ兼定食屋のうち、好きで通っていたほうはH&Mに、広場に面した有名店はスタバになってしまった。その入れ替わった二店のなんと象徴的なことよ。Bad Godesbergも昔ながらの住宅街が、移民街になってしまってきているのだという。
 なんとなく、お互い歳をとったなあ……と悲しい雰囲気もあって、私は別れてからどっと疲れて寝込んでしまった。

 さて。
 一晩泊まるうちに、また雪が積もっている。「そんなこともあろうかと」持って来たそりを持って、勝手知ったるボン、ここならぜったいそり遊びが出来る、と見当をつけて広大な緑地公園に向かう。夏には野外コンサートや巨大ビアガーデンができるようなところ。日曜の朝も早くからそり遊びなんてしているのはうちだけだったけれど、10時を過ぎた頃から、続々とそりを持った親子連れがやってくる。こんな雪、住んでいた三年間にも見たことないよね、とはしゃぐ。

 午前中をそり遊びで過ごし、Bad Godesberg地区に移動して、なじみのカフェでスープの昼ご飯。行列のスタート時間を待つ。
 国鉄の駅から延びる商店街に陣取って、パレードを見物。「かめれー」とかけ声をかけ(キャンディというような意味らしい)、駄菓子を撒いてもら
うのを拾う。さすがご当地、HARIBOのグミが多い(HARIBO社はBad Godesbergが本社)。しかも、カーニヴァル用のここでしか見ないようなものも。パレードは、各町内会、ダンススクールなどなどのチームから出ていて、マーチングバンドにトラクターが曳くはりぼての山車が続く。このライン流域はフランス統治時代があったことから、カーニヴァルでは、ナポレオン軍風の軍服を模したコスチュームを着る。昨日会ったM夫人など口性ない人には「プロイセンとバイエルンしかドイツといえない、ラインランドはフランス」ということになるのだが。女の子は短いプリーツスカートで、フィギュアスケート選手のような分厚いタイツをはき込んでいるとはいえ、とても寒そう。元住んでいた町内や、すぐ坂の下の街のチームが来たりするとなんとなくやっぱり嬉しい。
 そして、小さな町内会でもちゃんとしたマーチングバンドを組めていることにも驚く。音楽人口が日本とは違う。でも、ヨーロッパでは義務教育では芸術を教えないから、わざわざ放課後に芸術学校に通わないと音楽も学べない。日本の方が潜在的には多いはずなのに。こんなふうに毎年披露する場があって、各小学校や中学校のブラスバンド部のOBがそのまま続けていれば、このくらいの人数にはなるのだろうか?

 翌日にはケルンのカーニヴァルがあるので、そこも見に行く。このラインランド(つまりナポレオン軍服ふう)で一番大きなものだ。朝から移動して、場所取りをして待つ。ここではかけ声は「Allaf!」こどももさっそく覚えて言い換えている。気合いの入り方がやはり違って、カーニヴァルサークルみたいなのがいくつもあり、そこは特注したお菓子を撒く。ケルンはチョコレートの街なので、チョコレートが多い。グミもいきなりHARIBOが減って他社のになる。騎馬での行進が増える。音楽だって、Bad Godesbergは、普通の行進曲や、流行の曲をアレンジして演奏しているけど、ケルンのは伝統的な「ケルンのカーニヴァルの曲」というのが何曲もあるし、ケルンの人気バンドHoehnerの曲も多い。ちょうど去年出たばかりのヒット曲があって、それをずいぶん耳にした。

※こちらはケルンのカーニヴァル。衣装もお金がかかっている感あり。

 あまりに大規模なので、みているうちに疲れてしまい、もう帰ろうと思うが、列から出るにも出られない。なんとか抜け出て、こんな日は昼ご飯も、ドイツ系ビアホールなんかはお祭り関係者で貸し切られてしまっているので、中華のファストフードで簡単に済ませる。その後も、街の中心の駐車場に戻るにも一苦労、車を出すにも一苦労だった。なんとか逃げ出して来たドイツ滞在。でも、やっぱりまた来てしまうんだよなあ。

 M夫人との会話の中で、彼女にとって、「Heimat(故郷とか地元とかの意)」と言うべき場所は、教師として働いていて、ご主人とも出会い、結婚してしばらく住んでいたアーヘンなのだと聞いた。住んでいた長さとしては8年なのだそうで、住んでいる長さとしてはボンが一番だと思うし、生まれたのはバイエルン地方なのだが。ボンで買い物が足りない! となると、アーヘンまで出かけたりしていた、と言ったり。
 とっさに言葉のでない私に替わって夫が、「いや、私たちのヨーロッパでのHeimatはボンですよ。ブリュッセルで出来ない買い物をしにきたりするんですよ」と言ってくれた。
 もちろん、今のところ、ヨーロッパで一番長く暮らしたのがボンというのはあるけれど、このままブリュッセル暮らしがボンより長くなっても、きっとその気持ちは変わらないのだと思う。