2010年8月16日月曜日

さよならB街

 日本に帰るまであと二週間たらず。もっと書きたいことはたくさんあるけれど、この機械も、あさってには船便に乗ってしまう。日本に帰って次に住む街はBではない。さよならB街。
 この間のドイツ生活では、また行きたい、と思うところがたくさんあって、実際、このブリュッセル生活の間に、なんどもなんども出かけて行った。夫はブリュッセルにはまた来たくなることなんてあるだろうか? などと冷たいことを言っている。二人とも、けっきょく最後までほんとうにはこの街を愛することは出来なかった。
 気ままだったドイツ暮らしと違って、今回のこの街の記憶は、生活に密接に結びついている。なつかしく思い出すのは、景色や物ではなくて、この時の私たちの生活なのだろうと思う。何度も通った現地の幼稚園やスポーツセンターへの道。きっと懐かしく思い出すけれど、それはまた時を経て訪れても体験できるものではない。40代最初の私たち、幼稚園から小学校入学にかけてのこどもがいた、このときだけのものだ。

2010年6月22日火曜日

W杯のこと

 W杯が始まった。
 ベルギーは出場していないせいもあり、あまり盛り上がっていないが、先日、隣のオランダに行ったときは、商店街がオレンジ(ナショナルカラーですね)の旗やボールの飾りで埋め尽くされているし、カフェはそれぞれ「きょうは中継見せるよ〜」を謳っているし、その日試合のあったイングランドのユニフォームの人々はいるし……で大盛り上がり。ドイツだって、この間行った時はまだ始まってもいなかったのに、国旗を部屋から提げるわ、車に付けて走ってるわ――という有様だった。

 我が家は、地上波のテレビは見られず(配線自体がおかしいから工事をした方が良い、と言われて放置してある)、衛星放送を入れていて、外国の放送局の国外放送用のものしか見ていない。オリンピックもそうなのだが、このW杯も放送権上の問題だそうで、国際放送では中継はもちろん、録画画像も見られなくなってしまう。
 この「放送権上の問題」はスポーツ関連だけではなく、たとえば、NHKが民放から借りて来た画像なんていうのも、借りる時の条件で、国内のみとでもなっているのであろう、見られないし、事務所との契約なのか、番組内で過去の映像なんかを見せるときに、いつも見られなくなってしまう芸能人もいる。まあ、音声は聞こえるわけだし、誰が隠されたのかっていうのはわかるので、法則性を推理するのもなかなか乙なものである。先日は、ハプスブルグ家関係の映像はまったく見られなくなっていたが、ハプスブルグ家? 管理している博物館かなにかの条件なのかな?

 閑話休題。
 というわけで、日本の海外向け放送では、ニュース内でもW杯関連の時は画像に「放送上の都合によりお見せできません」というお断りの文字がかぶってみられなくなってしまうし、ドイツの第二放送ZDFに至っては、海外放送用にW杯を完全にカットしたプログラムのZDF Neoというものを放送している。当初、夫はドイツ放送局のHPから、文字配信の(!)中継をチェックしていたのだが、ベルギー放送局で動画中継が見られるのがわかって、それを見ることにした。フランス語でも、サッカー中継なんて、数字と固有名詞ばかりなので、分かる気になるのもなんとなく嬉しい。

 月曜の昼、出先から帰る時、トラムでポルトガル人街を通ったら、いくつか並ぶポルトガル料理店の前に机を出して、国旗やユニフォーム、ブブゼラも売っている。テレビ中継もつけておくそうで、人々が集って来ている。なんか、外苑前駅から神宮球場への道のよう。窓からポルトガル国旗も提げてある部屋も多いし。そうか、今日はこれからポルトガル戦か、と思っていたら、トラムに国旗をマントみたいに首に巻いた青年も乗り込んできた。
 8年前、住んでいたボンもそうだったけど、外国人の多い街は、それぞれ、自国を応援して盛り上がる。気づくと、いろいろな国旗が、窓から提げられている。ポルトガルとブラジルの両方が提げられた窓なんかもあって、国際カップルかな? なんて想像したりする(最近、ベルギー国旗を提げている部屋も多いが、それは、先日の総選挙でベルギー分離派政党が躍進したことに対する反動)。アンチナショナリズム教育のせいか、いまひとつ、私は日本万歳という気持ちになりきれないところがあるのだが、自国愛――っていうのも悪いもんではないんだろうなあと思ったりはする。

 ところで、夫のヨーロッパ在住はこれで三度目になるのだが、ジンクスというか奇妙な符合がいくつかある。その一つが、W杯の年に帰国というもの。この符合には、ほか、日本にいないうちに、改革を訴えて、圧倒的な支持率を得た内閣が出来る(細川内閣/小泉内閣/鳩山内閣)。と、そのうちに大臣や官房長官の罷免/更迭をきっかけに人気が失墜するころに、帰国が決まる――なんていうのもあって、今年も、まさかね……と言っていたら、5月に入り、急な帰国が決まってしまった。このB街ともあと2ヶ月でお別れである。

2010年5月21日金曜日

ぐっぱーのこと

 小学校に入って、いろいろまた歌やら遊びやら、その場独自の文化を持って帰ってくるこども。先日は、「ぐっとっぱーでわっかれっましょー」と歌っている。これは「ぐっぱー」だな? 聞くとやはり、ぐーとぱーを出して二組に分けるときに使うという。おお、懐かしい。

 私の小学校では「ぐっぱーぐっつきやす」と言っていた。一回で決まらない時は「あいこでやす」と言って出す。しかし、文字にしてみると、「やす」ってなんだろう? なまり? 私はその後、もう一校の小学校出身者が大多数を占める中学に進んだのだが、そこでは「ぐっぱーよっ」だった。決まらなければ「よっ」「よっ」となんども言う。文字にすると伝わりにくいだろうけれど、「ぐっぱーぐっつきやす」はわりにゆったりおっとりした感じで、「ぐっぱーよっ」は「よっ」にかなり強いアクセントがあって、語気が荒い感じになる。最初は、なんだかきつい感じがしてなじめなかった記憶がある。
 その後、さらに高校へ進んだとき、この「ぐっぱー」はさらにバリエーションが豊富だと分かった。クラスで、統一ルールを作るべく?調査が行われたのである。もう詳しいことは覚えていないけれど、「ぐとぱあよ」とかなり平坦にテヌートがかかった感じで言うところと「ぐっとっぱっ」っと全体的にスタッカートな感じの掛け声のところもあったように覚えている。私の小学校出身者が進む中学校では、そのまま「ぐっぱーぐっつきやす」が使われていて再会できた。変わり種としては、隣の寒川町では「うらおもて」というのが使われていた。「うーらおーもて」というかけ声で、いっせいに手を出す、甲側を出しているか、てのひら側を出しているかで分けるそうだ。なんどかやってみたが、これは視認性が低いということで、統一ルールには採用されなかった。けっきょくなにか一つが採用されたような記憶があるけれど、あまり定かな記憶はない。

 ちなみに、今、これを書きながらWikipediaで調べてみたが、項目としては「グーパー」と立っており、その他の掛け声にも「ぐっぱーぐっつきやす」は登場しない。類似のものには「グッパーぐっつきよし」というものがあるが、やっぱり「やす」はなまり……? そして、「うらおもて」は別の項目が立っていて、神奈川県では小田原市で使われているという例が挙げられている。こちらのほうが「ぐっぱー」より歴史は古いらしい。

 さて、こどもはこれを使って「どろ」と「けい」に別れて鬼ごっこをする、と言っている。おお、それも懐かしの「どろけい」だな〜。これも、たしか、小学校時代と中学校時代では呼び名が違ってどちらかが「どろけい」、もう一方が「どろじゅん」だった記憶がある。こどもは「どろ」と「けい」がそれぞれなんだかは分かっていないらしいが、「泥棒と警察」「泥棒と巡査」だよ。
 と、こどもに教えてやってから数日、持ち帰って来た学級通信に「ケイドロ」と書かれているのを発見。えーーーー、そんな呼び方になるんだ。ちなみにこの日本人学校は生徒の大半は愛知県出身、先生は三重県出身である。

2010年5月4日火曜日

メイルのこと

 使っているMacのメーラー「Mail」+ベルギーのプロバイダ「Skynet」経由で、ある日突然(というか、その日の朝までできていたのだ。あるとき突然、というべきか)、受信は出来るものの送信が出来なくなってしまった。プロバイダのサイトを見に行ったり、問い合わせメイルを出したりしたけど、復旧できない。まあ、私の問い合わせメイルの英語が意味不明だったのかもしれないけれど……。顧客サービスと言う観点からは、そーゆーときでもとりあえず、「メイルの意味が分からないけど、こういう感じ?」とかメイルをくれても良いのでは? と思うが、「顧客サービス」という概念は日本にしかないからな。
 ネット接続はふつうにできているので、GMailでアカウントをとって、メイルはそっちで――になってしまい、不便はないけど、まあ、なんとなく釈然としないでいるうちに一ヶ月が経ってしまった。
 一念発起して、アカウントを入れ直す――という荒技に出てみたら、荒技過ぎて、これまで送受信したすべてのメイルを消してしまった。そして、そこまでやったのに、結局、受信しか出来ず、送信は出来ないという症状は変わらず。
 うーーーーん。
 からっぽになってしまったメイルボックスを見ていると、ああ、ベルギー生活、なにも残らなかったな……という気持ちになってしまう。『3月のライオン』の桐山零くんは、先生に「なにも成果が無かったなんて言うなよ/がんばってたよ/俺は見てたよ」と言ってもらえるが、そんなことを言ってくれる人もおらず。

 と、きょうも曇天のブリュッセルで暗いことを書いてみましたが、落ち込んでいるというより、むしろあっけなさを通り越して、すがすがしい気持ちになっていますので、ご心配なく。ただ、メイルが消えてしまった、悲しいなあは気分の問題だけど、そこでしか分からないメイルアドレスもいくつかあったのが困る。もし、ここを見ていて、「ああ、このところメイルしてないなあ」という人がいたら、直接メイルくださいませ(って、そう人数いないけど)。

2010年5月3日月曜日

ブリュッセルの週末のこと

4月の最後の週末はとても天候に恵まれて楽しい週末だった。気温も25℃超えで、人々は半袖やノースリーブで歩いているし、カフェやレストランは外に席を出して、みんなビールやらワインやらを飲んでいる。好きになれないだのなんだの書いているけれど、ブリュッセルも春が来ると、とたんに素敵な街になる。天気がよいのは七難隠すってところかな。

 土曜日、これまで購入を検討してはやめてきた牽引型のこども用自転車を買おうと決めた。こどもも、最近は重くなって来たし、飛び乗ったりふざけたりするので、日本で買って持って来た無印の自転車に、後部座席を付けたものはそろそろつらくなって来たのだ。こっちではときどき見かけるのだが、後輪だけのこども用自転車からにゅーっとバーが延びていて、大人の自転車のサドルの下に付けられる、というものがある。幼稚園にもドイツ人父子で、毎日それで通園している子がいて、家ではくっつき自転車、と呼んでいた。それを、私のこっちで買ったクロスシティの自転車にくっつけようというもの。
 朝、マルシェのついでに自転車店に行ってみると、新品と中古と1台ずつあって、中古だと半額くらいになるのでそっちを買うことにした。親の自転車にも金具を付けて、そこでつけはずしをするようにするので、取り付けをお店にお願いする。中古のなので、チェックしてから売りたいというので、合わせて午後の引き取りに。
 午後、夫は自分の自転車で、私とこどもはトラムで受け取りに行く。くっつけある自転車を見て、こどもは大喜び。さっそく、公園内の自転車と歩行者のみの道を走る。自分一人で漕ぐよりスピードが出るので、面白いらしい。自動車道と交差する陸橋をわたるところは大騒ぎになる。しばらく走って、どこに行こうか? よし、じゃあ、小学校まで行ってみよう。小学校は、家からは距離はたいしてないのだが(自転車20分というところなので、4-5kmか?)、交通の便が悪いため、公共交通機関を乗り継いで行くと大回りになってしまうのだ。このくっつき自転車で行く実験をしてみよう。公園内の遊歩道がかなり近くまで行っているので、楽に行くことができた。土曜日は、現地やインターナショナルの学校に通う日本人が、日本の教育を受ける「補習校」の日なので、校庭で遊んでいる親子連れがけっこうたくさんいる。こどもも入りたがるが、きょうはカードキーを持って来ていないので入れない。
 そのまま、今度はちょっと街中の方へ出て行って、アイスクリームを買って食べる。途中の温度計が27℃と示していたが、アイスの店も長蛇の列。人々も、外を出歩いて、一気に夏の風景になっている。
 帰り道、最後になだらかなのぼりがあるけれど、こどもが一緒に漕ぐので、少しはあとおしになって、楽しく上ることができた。トラムと、自動車道と、自転車道とがマロニエ並木を挟んで並走しているところで、気持ちのよい道。ロードレーサータイプの自転車も、家族連れもたくさん自転車を走らせていた。

 翌日の日曜日、ブリュッセルの郊外、一ヶ月だけ開放するチューリップ庭園があるというので予定していた。と、夫が直前になって、「この日はいろんなビール醸造所でオープンデイだそうだよ!」とネットで見つけて来た。ビール醸造所オープンデイと称して各地の醸造所が見学できるらしい。いかなくちゃ!
 夫が、これまで飲んで来たビールを中心に、回るところを決める。
 最初は、ピンクの象のマークが可愛い「Derilium Tremens」を作っているHuyghe。可愛い〜なんて言っているし、淡い黄金色の香り高いあっさりタイプのビールなのだが、アルコール度数が高くて8.5%。そもそも、このDerilium Tremensというのが、アルコール禁断症状による幻覚症状という意味で、ピンクの象は、その幻覚を表したものなのだそうだ。
 近くまで行くと、ピンクの象のロゴマークの入ったポロシャツを着た若者が、誘導してくれて、近くの小学校に車を置くことができた。そう、ビール醸造所オープンデイで、もちろんみんな飲むだろうに、へんぴなところも多く、自動車率は高い。このHuyghe社では、飲まない運転手を一人指名しておこう、というボブキャンペーンのポスターを貼り、啓蒙活動?に勤めていたが……。
 さて、アールデコ調のたてものを、あざやかな水色に塗って、ピンクの象を描いた建物に入ると、まずは、古い瓶や馬車、ジョッキ等の歴史的展示。その後、不織布のシャワーキャップを渡されて、かぶって銅の発酵釜を覗く。パンに似た酵母の匂い。その後、寝かせておくステンレスタンクの部屋。瓶詰めして、箱詰めして――を、昔懐かしい「工場見学」みたいに順路に従って見る。最後は、箱が山積みになった裏庭をぬけて倉庫へ。そこで1杯ずつ無料で試飲できるので、私はやっぱりDerilium Tremensを、夫はフランボワーズ入りのフルーツビールを。倉庫の外では、こども連れのために、ロゴの入った風船を配ったり、空気で膨らませたトランポリンのような遊具があったり、こどもをそこに放し飼いにして、大人はビールを飲んだり、酔いを醒ましたり。子連れは多いが、やはり近所の人が多いのか、フラマン語が多かった。そうそう、自転車で乗り付けている親子連れ――なんてのも多かったのだった。


 次は、ブリュッセル近郊でしかできないという酸っぱいビール「ランビック」を作る「Mort Subite」へ。この酸味を出すのは、ブリュッセル近郊の空気中に漂っている天然酵母のみなのだそうだ。このMort Subiteも、直訳すると「突然死」という意味。ブリュッセルの一番の観光地グランプラスそばにある直営のカフェで、銀行員(新聞記者という説もあり、私はそっちを支持したいところだが……)が夜、ビールを飲みながら賭けカードゲームをしていて、会社から急な呼び戻し(新聞記者という説だと、特ダネが入って社に呼び戻されるという。ね、こっちのほうが信憑性があるんだけどなあ)があると、その抜ける一人が「突然死」を宣言し、ゲームはそこでストップ、その人が負けになるという、そんな遊びからついた名前だというのだ。
 ここは窓も大きくとった、学校のような建物。ランビックは長く熟成させて酸味を出すので、樽ごとに、銘柄と仕込んだ日が書かれた小さい黒板が下がっていたりする。銅釜や、オークの樽もあるけれど、それは歴史的記念物としての展示で、今は、ステンレスタンクで熟成させるらしい。
 ここでは、白ビールにサクランボを加えたものと、ランビックに砂糖を入れて飲みやすくしたファロ。これまで飲んだファロは苦手だったけれど、ここのは甘みが控えめでとても美味しかった。ここにも空気トランポリンがあって、小学校高学年とおぼしきおねえさんが小さいこどもの面倒を見ていて、うちのも一緒に遊んでくれていた。感謝を捧げつつ、ビールを飲む。途中で、その子がやってきて「この子はフラマン語は出来ないの?」と聞く。夫が、片言のフラマン語で「残念だが、できない」と答えると、がっかりしていた。それでもその子は帰るまでずっとうちの子と遊んでくれた。途中で、その子と一緒にひきあげてきたので、ソーセージパンを買って来て食べさせる。ここのはランビック煮込みのソーセージだった。ジャズの楽隊がやってきて、演奏をする。戸外でビールを飲んで気持ちよくすごす季節がやって来たなあ。

 ここで、ビールツアーをいったん休憩。チューリップ庭園を挟むことにした。古城の庭でGroote-Bijgaardenという。チューリップで有名なのはオランダのキューケンホフだけど、人工的すぎるし、人も多い。ここのなんとなくきっちりしていない感じの庭園が私たち夫婦は気に入った。白鳥のいる池や芝生、自然な起伏もあり、雑木林のような木立があって雰囲気が良い。昔、大船のフラワーガーデンというところによくチューリップを見に親に連れて行かれたものだが、そこを思い出したりもした。

 さて、最後のビール工場はTimmermans。ここはフルーツビールに力を入れているところで、よくあるサクランボやフランボワーズ以外にも、桃やイチゴのを作っていて、それも飲ませてくれていた。ここは、一番、見学に力を入れていて、ガイドツアーが催されていた。私たち家族は、勝手に見て回っていたのだが、英語、フランス語、オランダ語のツアーとすれ違った。ここでも酵母を大きなステンレス槽で発酵させているところを見学できたが、Huygheと違い、どこか味噌とか、煮豆とか大豆の発酵する匂いを想像させる匂いだった。そのまま、熟成させる樽の部屋へ行くと、一気に酸味のある匂いになる。

 ドイツ語でも、一年で一番美しい季節は五月というし、これから、ヨーロッパは一番素敵な初夏になる。マロニエの並木も、緑が濃くなって、花も開き始めた。家の近くの公園は、去年まで水を抜いていた池に水をはってボートも営業を始めている。こっちの人でなくても、外に出なくちゃ! という気持ちになってくる。

 でも、今日、こんな文章を書くまとまった時間がとれたのは、昨日今日と、また一日中降ったりやんだりの薄暗いてんきだからなのであった。

2010年4月29日木曜日

ケルンの週末のこと

 夫は、ドイツ在住時代はサッカー観戦が好きで、よく行っていた。ブリュッセルにきてからはこどももいることもあって、行かずにいたのだが、この間、ついにまた行って来た。ケルンFC。金曜日の夜の試合なので、夫は少し早引けして来て、車で出かける。
 スタジアムだから、食いっぱぐれるかもしれないと、おにぎりも作った。出がけに、こどもが「私のおにぎりは自分で持つね~」と言って、自分の鞄に入れる。これが正解で、あとで宿で、荷物を開けてみたら、親はすっかり持って来るのを忘れてしまって来ていた。こども一人、喜々として食べていた。そして、ぽつんと家に残されたおにぎりは、日曜に帰ってすぐ捨てられてしまったのであった。

 さて、今回は、スタジアムのあるケルン郊外のJunkersdorfに宿を取った。体育専門学校のある街。学生街の雰囲気も、郊外のまだ小さいこどものいる家族の多い住宅街としての性格も持っていて、宿からスタジアムへ歩く道も楽しかった。広い緑地、舗装のきれいな歩道(ブリュッセルの舗装は、ほんとうにひどいので!)、歩道にチョークの落書き、→が書いてあったりして、うちのはそれを追って走っていた。ほんとうにチョークが好きだなあ、と私が笑うと、こどもは「こどもはみんな、チョークが好きさ」という。そんな言い回しをどこで覚えて来るんだろう。整備された自転車道を、家族連れや学生が自転車で通るし、家々の前庭には、こども用も含め、家族全員の自転車が並べられている――。ここに住みたい! と夫と二人で盛り上がる。もちろん、そんなことは無理なのだけれど。昔、小塩節氏のエッセイに出て来たカフェは、すっかりFCケルンファン御用達のスポーツカフェになっていた。外でソーセージを焼いて売っているので買って食べる。
 スタジアムについて、まずはショップ。こどもにユニフォームを喜々として買い与え、自分も、買うかどうするか悩む夫。家にあるユニフォームは弱い時代のものなのだそうだ。けっきょく彼はTシャツにしていた。私は応援用の?マフラー。黒にワンポイントのかなり地味なもの。普段でも使えるかもという趣旨で選んだのだが、この日も、そしてその後も、しばらく寒い日が続いて、実は重宝しているのであった。
 鉄骨とコンクリートむき出しの無骨な、神宮球場を思わせるスタジアムの外階段を上がって観客席に向かう。地元信金?のSparkasseがバンバン風船、というのだろうか、膨らまして打ち鳴らす風船を配っているし、夫の愛用しているホテル予約サイトがストラップを配っている。

 以前は、スタジアム内ではアルコール飲料を売っていなかったが、今回はビールが売られていた。時代に逆行している気もしないでもないけれど、ファンが紳士になったということかもしれない――と思ったが、この日の対戦相手はBochum。途中でファンが警備員を殴ったり、発煙筒を焚いたりしていた。スタジアム内では、ホームのファンとアウェーのファンは、出入り口も別にしてある。また、安い立ち見スタンド(野球での外野席の扱いか?)もアウェーのファンが入るところを柵で囲い、その柵をがっちりと大量の警備員や警察が固めている。ざっと見た感じ2%くらいかという狭いところに押し込められて、日本で言うと、甲子園のアウェーファンかという感じだが、まあ、そんなわけで、決しておとなしくはしていない。以前は、帰りは警備員が誘導して、帰る道も違う道を通って帰るようにしていたくらいだった。
 日本のチームもそうかもしれないけれど、ドイツのチームは、近いもの同士、ファンが仲が悪い。以前、エッセンのスタジアムで入場するときに、まわりに立ち見席とおぼしき柄の悪いファンがたくさんいたけれど、どこで売っているのか、「**(隣町のチーム)の奴らは豚の息子」をはじめとして、かなり放送禁止用語的なフレーズ及びイラストの書かれたワッペンを大量に貼付けたGジャンを着込んでいた。
 夫は、ボンから観戦に行くので、ケルンと、レバークーゼンの二つのチームのスタジアムによく行っていたが、この二チームがまた仲が悪い。夫は、応援用に? ユニフォームまで買って着込んでいて、玄関先のコート掛けに両方掛けていたのだが、あるとき、郵便屋さんに、「そのユニフォームが両方あるって変じゃない?」と聞かれたことがある。「うーん、夫のだから。私はよくわからない」と適当に返事をしたのだが、「いや、それ、絶対に変」と主張されてしまった。
 
 さて話戻って。
 試合開始前から、グラウンドでは、協賛会社の披露があったり、チアガールがパフォーマンスしたり。そして、スタメン選手のコール。よくある試合風景ですね。電光掲示板に顔写真と、名前や出身地などのデータが出て、ファーストネームをアナウンスすると、スタンドから、ファミリーネームをコールする。どんどん気分が盛り上がって来るところで、FCケルンの応援歌が流れる。観客は総立ちになって、応援用のマフラーを両手で高く掲げて左右に身体ごと揺すりながら歌う。当然夫も、私のマフラーを取り上げて歌っていた。この歌も入ったFCケルン応援CDというのがうちにある(ほか、流行歌の替え歌や、ケルンのご当地バンドHoenerも歌う、とにかく「ケルンケルン」騒いでいるCD)ので、こどもにも耳なじみがあって、一緒に歌っている。二番に入って、テンポが上がると、みんなマフラーを右手に持ち直してぐるぐると回して歌う。ふと見ると、アウェースタンドでは、まったく違う歌をがなっている。
 私は、サッカーはまったくルールも分からないし、野球だってたいしてよくわからないけれど、こどもの頃には熱狂的な阪神ファンの母親に、結婚してからはこれまた阪神ファンの夫に野球に連れて行かれていて、こういうスタジアムの雰囲気は大好き。日本でビールが一番美味しいのは、野球場のスタンドだと思っている。なので、すっかり気分が盛り上がってくる。こどもも、バンバン風船を膨らまして渡してやると、要領よく打ち鳴らしている。そう、こいつも1歳くらいのときから毎年、母親孝行と称して、年に一度は母も含めた4人で野球場に行っていたのだ。こどもが生まれる前には、残業後に待ち合わせて神宮に行ったり、東京で住んでいたのが東京ドームのそばだったので、当時はまだ本拠を置いていた日ハムの消化試合――なんていう空いた週末のデイゲームに、ふらっと行ったりもしていた。

 試合は前半にケルンが1点を入れる。後半に入って、あきらかにこどもが飽きて来ているので、夫は、適当なところで帰ろうと言うが、ケルンが押され気味でなかなか帰れない。終了10分前くらいに、でも見切って立ち上がった。スタジアムを出る前に、大きな歓声が上がって、壁のモニターを見ると、追加点が。これで負けることはあるまいと、気分よく帰ることにする。帰り道、また住宅街を通って帰る。家から明かりがもれていて、こどもが作ったらしいイースターの飾りが見えたりする。試合が終わったのか、背後から歓声が聞こえ、また応援歌も聞こえてくる。なんか、やっぱり日本で野球を見た帰りっぽい。

 翌日は、今年150周年を迎えるというケルン動物園へ。150年前というと、桜田門外の変だそうだが、マーラーの生まれた年でもあるそうだ。そうたくさん行っているわけではないが、ヨーロッパの動物園の中で、私はここが一番好き。ゆったりしているし、動物が近くに見られる。栄養状態? も良いような気がする。ここでで「レバークーゼンの奴らは地獄に堕ちろ」と書かれた死神イラスト付きのワッペンをつけたGジャンを着ている若者に出会う。ああ、今でもあるんだなあ。動物も楽しく見て回るこどもだけど、最後にある巨大な遊び場が一番好きで、そこへはまり込むともう出られなくなる。縄吊り橋を渡るアスレチック遊具があったり、長いステンレスチューブになった滑り台があったり。去年来た時は、上れなかった縄梯子が上れるようになったり、すべり棒で滑り降りられるようになっていたり、楽しめるところが増えている。だが、この滑り台を何度もやっているうちに、ふざけてうつぶせで頭から滑って、着地点の砂場につっこんでしまい、怖かったり痛かったりと、大泣きになってしまった。本当はもっと長くいて、ここで昼ご飯も済ませる予定だったのだが、アシカを見せたり、ショップに寄ったりして、機嫌を持ち直させて、ケルンの街中に戻ってランチ。この日は気温も上がって、人々は夏のような格好をして繰り出している。午後は買物。でも、人が多いせいか、やっぱりボンの方が慣れているせいか、リストを作って行ったのに、ちゃんと消化できなかった。でも、こどもはお風呂で遊ぶ浮き輪を持った女の子プレモが買えてご満悦。夫もついにプレモを買った。サッカー選手。私は、大型楽器楽譜店で、リコーダーの楽譜を買った。初心者向けの運指の練習曲集と、ドイツリート集。私も満足満足。
 この日は、また郊外に調べておいた韓国焼き肉屋で夜ご飯を食べて泊、翌朝、近所のパン屋さんが日曜日も朝だけ開けていたので、そこでパンを大量に買い込んで、一路ブリュッセルへ。午前中のうちに帰宅して、昼までのマルシェに買物に行く。ケルンまで片道2時間。ああ、毎週でも行きたいよう〜と口走る私。運転もしないから気楽なもの。金曜の夜に行っておいて、土曜に買物をして土曜のうちに帰ってくる、というのを今度はやろう、そうしたら、ボンの行きつけだった八百屋にも行きたいなあ。

2010年4月19日月曜日

さよならエコール

 この4月で、うちのこどもも、こっちの幼稚園としては年度の途中だけど、日本式には小学校一年生。現地の幼稚園からそのまま夏に小学校に進ませる手もあったのだけど、けっきょく、小学校からは日本人学校に入れてしまった。当初、幼稚園になじめないときに、小学校からは日本人学校に入れてあげる、と話していて、こどももずっとそれを覚えていた。仮申し込みの前に、こどもに確認したけれど、やっぱり日本人学校が良いと言う。親は、幼稚園に慣れている姿も見て来ているので、惜しい気がして来て、いろいろ、聞き方を変えて「**ちゃんと同じが良いんじゃないの?」とか、やってみたけど、「日本語の学校が良い、もうフランス語の学校は嫌」というので、まあ、これははっきりしてるのかなあ、と思うに至った。
 それに、日本の学校と、こっちの学校は学習的な面はともかく、習慣的なことも違うので、帰る前に親子ともどもリハビリをしたほうが良いとも思うし(日本人小学校に通わせ始めた現在、順応性が低いのは私の方だとわかりました)。
 4月の最初の週末から、こっちは2週間のイースター休暇に入るので、その前まで通うことにして、担任とも、事務の女性とも話す。転出手続きはとくになにもないとのことで、口頭で伝えたら終わってしまった。あっけない。

 最後の週、個人面談があった。先生にはTres bien! Perfait!と言ってもらった。数字に合わせて絵を書くとか、見本通りの配置で図形を書くとか、フランス語の文章「真ん中に木、そこにりんご、その下、右に親猫、左に子猫」とかそういうのに合わせて絵を書くという作業をした紙の綴りが作ってあって、完璧に出来てます。とこのとであった。フランス語も良くできるようになったんだから、日本人学校に行っても、フランス語の勉強は、続けさせてくださいね、そのために家でもフランス語で会話しなさいと言うので、いや〜、今、私よりこどもの方が出来るますから……と言ったが、今、あなたは私とフランス語で話していて、日本語で話しているわけじゃないんだから、それを家でやれば良いのだと言うことであった。いやいや、フランス語で話しているのはあなただけであって、私はあいづち打ってるだけですよ〜。でも、こういう会話をしていると、ますます、現地の学校に入れたい気持ちが親は盛り上がってくる。そういえば、日本で通わせていた保育園では、人間関係とか、生活態度ができているかどうかを話されたものだが、こっちはこういう勉強的なこと、語学の習得のようなものを言われるように思う。保育園と幼稚園の違いなのか、土地柄なのか……。

 こどもは3月の末が誕生日で、こっちは自分の誕生日にケーキを用意して振る舞う習慣があり、学校にも、ケーキを持ち込む。そこで、お別れ会もかねて、少しゴージャスにすることに。去年、「うちのパン屋」にケーキを頼んだところ、2週間前には申し込まないと、釜の段取りがあるからだめ、と断られたのだ。で、今年は、早々に申し込みに行った。日付と人数(20人)を話し、おばさんが「やっぱりチョコが良いかしら?」と言うのを、うちのはチョコが嫌いなので、イチゴと生クリームのケーキを指定して、今度は、焼く本人のおじさん(といっても童顔でかわいい人)が台はタルト台とビスキュイ・サボワとどちらにするか、と聞かれ、おばさんが、「学校で先生が切るわけだから、ぜったいビスキュイの方が良いと思う」と強く助言して来たので、私も同感だし、ではそれで、と頼んで、もうばっちり、とうきうき。
 と、直前になって、その日はスポーツセンターに一日遊びに行く、という行事のお知らせが入って来た(一週間切ってるのに!)。頭に血が上って、外国出張中の夫と電話協議したりして、翌日、担任に話をつけに行ったら、「Bonjour」と声をかけるなり、「29日のことね!」と言われてしまい、とても謝られたけど、やっぱり29日には出来ない30日でどうか、と言われ、「もうパン屋さんに頼んじゃったんですよ~」「おーーー」「えーっと、相談します」「パン屋さんとね! 結果を知らせてね」。今度は、パン屋に出かけて行って交渉。パン屋も、「29日がダメになって」と言ったら、一瞬顔が曇り、「火曜、つまり30日――」と言ったら、「火曜に、30人分!?」とパニックするが、人数変わらず、一日の延期で済むと知ったら「Pas problem」ということになった(問題ないということ)。
 また、誕生日には、ケーキを振る舞うのみならず、小さな袋に駄菓子(グミの小袋や、小さなチョコの箱等)を入れて人数分用意して配ったりする。これもやりたい、クッキーを焼け、とこどもが言う。もう最後だし、やりますよ〜! と大きなくまの顔の型で抜いてサブレーを作る。前日の午後作り始めて、途中で生地が足りないことに気づき、夫にSOSを出す。会社の帰りにバターを買って来てもらう。途中まで手伝っていたこどもも飽きて来たので、後半は夜に回し、こどもが寝たあと、一人で型を抜き、どんどん焼く。焼き終わったのを、シリコンペーパーでいったん包み、こういうときのために売られているディズニーキャラのビニール袋に入れて行く。
 誕生日当日、パン屋にケーキを受け取りに行くと、おばさんだけじゃなくて、おじさんも出て来て、大きな箱に入れた巨大なケーキを出してくれる。四角いケーキを生クリームでデコレーションしてあり、イチゴが飾られ、アラザンが散らしてある。真ん中にマジパンで作られたプレートがあり、こどものなまえと「Heureux Anniversaire 6ans」と書かれている。しかし、20人分――私が言ったことだけど、バカ正直に人数を申告していたので、巨大なケーキが出来上がっていた。余って持って帰って来てくれないかなあと思うが、まあ、そんなことはありませんでした。あとで聞いたら、他のクラスや、事務の女性にも振る舞われたそうです。クッキーも余計に持たせてあったので、ほかのクラスの仲良くしてもらった日本人の方達にも配ったり。

 そして、最後の日がやって来た。その日は、私は歯医者の予約があり、間に合わないかもしれないので、お迎えは夫に頼んでいたし、また、担任が午後を休みにしている(教えているのか、まだ学んでいるのか、大学に火曜と木曜の午後に戻っているのだ)日なので、朝のうちに、用意しておいたお別れのプレゼントの亀の風呂敷を渡す。前日作った「これは、ものを包んだり運んだりする日本の伝統的な布です。日本では、鶴は千年、亀は万年生きるとされ、長寿のシンボルです」というメモを付けて。こどもにも、こどもと担任、マスコットの亀の絵を描き、Merci!と書いた手紙を作らせたので、それも一緒に渡す。
 帰りは歯医者がぎりぎり間に合うタイミングで終わったので、タクシーを飛ばして駆けつけた。担任は、案の定午後休みを取っていたが、間に合ってほかの子たちと別れを惜しむことができた。

 担任からは、これまでクラスで作って来た作品が返却されていた。
 まず、大きなファイルにこれまで描いて来た絵がきちんとファイルされているもの。
 クリアファイルの左ページに歌が、その右側に、それをテーマに描かせた絵――画材も、色鉛筆、クレヨン、絵の具などいろいろ使っている――が入っているもの。この中には、クラスの子供たちの名前を織り込んだ歌が作られていて、それも入っていた。もうフランス語はどんどん落ちて行くだろうと思うので、そのファイルを見せて、こどもに歌わせて、歌も録音で採集することにした。いくつか録ったが、さあ、いつまで覚えているのだろうか。
 スケッチブックに、担任がお題を出し、こどもに絵を描かせ、その後、補足を担任が書き込んでいるものもあった。たとえば「アンドリューの妹が幼稚園に来ました」という題にこどもが描いた絵、そこにアンドリュー、そのお母さん、赤ちゃん、担任――といった補足のメモ書きがついている。
 時系列にそってファイルされていることもあって、いろいろ思い出されて親は感慨深い。

 ところで、タイトルに「エコール」と書いたけれど、こどもが幼稚園に慣れないでいるときに、「これは保育園でも幼稚園でも、小学校でもなくて『エコール』というもっとすごいものなんだよ」と教えたので、家ではずっとエコールと言って来ていたのだ。日本語でもドイツ語でも、幼稚園とそれ以上の学校とでは違う単語(Kindergarten=幼稚園とSchule=学校)を使っているが、フランス語では、幼稚園から「maternel(母親の/母性の)」は付くけれど、Ecole=学校と呼ばれているのがちょっと珍しくも感じていたので――。

 イースター休暇の最後の日曜日、家の近くの公園に遊びに行ったら、去年同じクラスだった二家族が遊びに来ていた。うちのもさっそく混ざって遊ぶ。いつもだったら、適当なところで切り上げて帰るところを、その日は、気が済むまで遊ばせてやり、他の家族が帰るのと合わせて帰ることにした。最後に、そちらの親が「じゃあ、明日また幼稚園でね」とこどもに言う。今年はクラスが違うのでこどもが幼稚園をやめたことを知らないのだ。と、私が口を開く前に、こどもがフランス語で「私は今、日本人学校に通っているの」と発言、相手をびっくりさせた。「学校を替わったってことか? なにがあったのか?」と聞く親に、「いやいや、日本では4月から学校が始まるので、もうこの4月からこの子はprimary schoolなのです」と説明する。「じゃあ、良いことなのね?」と確認された。この二家族は、片方が、東洋系の母親、もう片方はアフリカ系の養女とマイノリティなためか、私たち一家が幼稚園になじめているかどうか、いつも気にしてくれていたのだった。「そういうことなら、さようならは言わないわ、また会いましょう」と言われ、「A bien tot!」と何度も繰り返して別れた。子供たちは、眼を大きくして驚いた表情で話を聞いていたが、最後に三人でハグして別れた。
 帰り道は、なんとなく暗い顔をしているこどもに「みんなぎゅーってしてくれたね」と話しかけると、「Sは泣いてた」とつぶやく。これまで、日本人学校に行くことがとにかく楽しく嬉しくて、親が見ているとがっかりするくらいあっけなくエコール生活と別れを告げたのだった。悲しい面、というのは初めて気づいたのかもしれない。
 
 そして、日本人学校。初日からうきうき通っている。行き帰りがスクールバスになるので、ちょっと心配で、帰りは、お迎えに行くかと言ってみたけど、いや、バスに乗るんだ、と出かけて行って、初日も水泳教室で一緒の男の子を見つけて一緒に乗って来たとかで、楽しくやっている。
 大きく、違うなあと親が感じたのは、これまで、幼稚園では、読んでもらった本の話をしようとして、うまく説明できなくて、かんしゃく起こしてたりしていたのが、読んでもらった紙芝居を起承転結を付けて、ちゃんと再現できたりして、やっぱり、頭の中で、日仏が整理できてないと、自分で分かってストレスだったのかなあとちょっと思ったり。
 こうして、どんどん新しい知識を入れて行くいっぽうで、どんどん忘れて行くこともあるんだろうなあとも親は思う。

 でも、たった1年半だけど、フランス語の幼稚園に通わせたことは、後悔していないよ。

2010年3月23日火曜日

大家のこと

 先日、ボイラーが壊れて交換することになった。ボイラーがおかしいことがわかって、朝、大家に連絡、その日のうちに捕まる修理人を手配してくれたが、初日は夜、見に来て、交換が必要とだけ言って帰り、翌日は、もう一人を伴って現れ、そのもう一人が現場の様子を見て、さらに翌日、彼が新しいボイラーを持ってやって来て設置――と3日かかってしまった。
 ドイツ時代の大家だったら、本人が即日やってきて設置工事までやってしまっただろうな――と懐かしく思い出した。

 ドイツ時代の大家は、本業は左官業だったか、建物の修理が専門で、私たちが住んでいた家は、地下+平屋のかなり広い家だったのだが、彼が建てたというもの。暮らしている時も、ときどき、見に来て、留守中に合鍵で家に上がって、細かい修理をしてくれていた。最初は、旅行から帰って来て、人が入った気配があって、何かが直っていたり、モノが増えたり、ひどいときには、散らかしてあったところをちゃちゃっと片付けてあったり――したときは驚いたものだが、そのうち慣れてしまった。シャッターが上がらなくなっていたのが直っていたり、床材が貼り直されていたり、漆喰を塗り直してあったり。それこそ、ボイラーが新しくなっていたこともあった。
 二週間に一度くらいか、庭の芝刈りもしてくれていて、私が午前中、のんびり風呂に入っていると、外に来ていて、出にくくなってしまったりすることもあった。
 世代的に、私の親くらいの世代。風貌も見るからに職人風、ドイツ語のほとんど出来ない店子の私と、Gattin、Gattin(奥さまという意味らしい)と呼びかけ、いつも身振りと簡単なドイツ語で話しかけてくれた。夏には、庭でとれたというサクランボを持って来てくれて、一度、うちの親が来ているときにでくわして、果物好きの父親を喜ばせたりもした。
 あるとき、芝刈りに若い男の人が現れ、彼は大家の婿だといい、大家は病気で入院しているという。芝刈りみたいな作業でも、大家との腕の差は歴然だし、心配だし――と思っていると、しばらくして大家がまた現れ、実は手術をしていたのだという。シャツをめくりあげ「ほら、傷跡を見てみるか? 触ってみるか?」と言われ、けっこうですとお断りした(いや、目には入ってしまいましたが)。あまりに陽気なのでほっとしたが、夫人の話では、癌で、手術後、一時、かなり危険だったこともあったのだそうだ。
 それでも、未だに、クリスマスカードは連名でやってきて、毎年ほっとする。家のその後の店子の話も書いてきてくれる。私たちが出てからは、ドイツ人家族が暮らしていて、今は二代目になっているらしい。いくつのこどもがいるとか、犬がいるとか、そんなことも知らせてくれる。前にボンに行ったときに、近くまで行ってみたら、私が昔使っていた部屋が子供部屋になったらしく、窓にこどもらしい飾り付けをしてあるのが外から見えた。

 一方、今度の大家は、本業はコンサルタント業。市内にいくつか不動産を持っているらしい。50代くらいか、長身細身で、メガネをかけていて、人懐っこい笑顔のインテリな男性。私たち夫婦とはきれいな英語で話す。最初から、私たち家族のことはファーストネームで呼びかけてくる。契約後、私たちが入居してからも、室内のペンキの塗り替えがあって、職人が出入りしているとき、彼も監督したり、細かい作業をしたりしていた。
 あるとき、「これから、足りないペンキを買いに行くが、M(と私のファーストネームを呼んで)も行くか? 一緒にドライヴを楽しむって言うのはどうだろう?」と言う。ファーストネームで呼ばれてそんなことを聞かれるとどぎまぎしてしまうが、「いや、行かれません。今日午後、私は家にいなくてはなりません。なぜなら、ベッドを受け取るからです」とたどたどしく返事をすると、「君の言いたいことはこうだね? 私は行かれません。なぜなら、今日は、ベッドの配送の約束があって、午後は家で待ってなくてはならないからです。そうだろう? うん、分かったよ」。一事が万事、こういう会話。なんだか英語の添削をされている気持ちになったものだった。
 ペンキ塗りも終わり、細かい作業も終わって、合鍵を全部私たちに引き渡す――というときに、彼は、白い薔薇の花束を買って持って来てくれた。ちょっとついでにスーパーで買って来たんだよ、というラフな花束。それを「Welcome your home!」と笑顔で渡されたときには、ああ、ベルギー人ってラテンのほうの人だったなあと思ったものだ。「花瓶がないよね、でも大丈夫」と、ペンキ塗り職人たちの飲んでいた1リットルジュースの空き容器を良く洗い、さっとカッターで切って、ふわっと活けてくれたラフな感じがまた似合っていて格好よかった。こどもには、小さなぬいぐるみのキーホルダーを買って来て、「これは、君の部屋を決めてもらったら、そのドアにかけておきなさい。君の部屋っていうマークになるよ」と言ってくれた。こどもはたいそう気に入ったので、けっきょくそのキーホルダーは、幼稚園に通うかばんに付けられ、ずっと一緒に通っていた。
 なにごともなければ、彼も、やってこないし、会う機会もないのだが(夫とは、細かい維持費の精算等でメイルのやりとりがあるらしいが)、去年、管理人さんの還暦の(?)お祝いを住民たちでしたときに現れた。しばらく歓談して、「ところで今日は、Tは?」と聞かれ、「T???」という顔をしてしまい、「何を言ってるんだ、君の夫だよ!」と言われてしまった。いや~、日本人は、親戚や、よっぽど親しい友人でもなければ、その場にいない相手の配偶者のことをファーストネームで呼んだりしないものなんですよ!

2010年3月19日金曜日

パリ行きのこと


 パリに一人で行って来た。一人旅~といっても、日帰りだけど。放射線状で歩きにくいとか、興味ないとか言ってるけど、結婚前に留学中の友人を訪ねたり、ドイツに住んでいるときにも、一人で出かけたり、実は、ヨーロッパでホームタウン以外では、一人歩き時間が一番長い街はパリかもしれない。でも、ルーブルには行ったことがないというひねくれ者。

 それでいて、パリには慣れたという気持ちになることがない。いつも、観光客の気分。着いたときから、どきどきしながら歩くことになる。「おのぼり」という気分になる。


 夫と一緒だと、予習はすべて彼に任せて、ぼけーっとついて行くだけなのだが、一人なので、前もってガイドブックを読んだり、地図をコピーしてマーキングしたりの用意もする。夫は予習型人間なので、行く前に地図を読み込んで、目的地に行く道順をすべて頭に入れて地図は持たずに出かけるような人だが、私はそれはできないので、地図に行きたいところを多めにマーキングして、この辺に行かれたらラッキーくらいの気持ちで旅立つタイプ。

 今回は、まず、切れている味噌を買い、たまっている日本の本をブックオフに売るという目的があるので、日本人街のある1区にはまず行く。ほかは、家族がいると行きにくいところに行こう。手芸店か。ネットで検索してみると、1区のかなり日本人街のそばに1軒、そこから土地勘のあるレ・アルのほうに行く途中に一軒あることが分かる。そしてやっぱりパリと言えば私にとっては辻邦生氏なので、雑誌『考える人』の「堀江敏幸と歩くパリ」に出ていたゆかりの書店にも行ってみようと考える。レ・アルあたりでメトロに乗れば、旅行中の移動はすべて4番のメトロで行けるから迷わないだろう。

 調べて行くと、プランタンでティム・バートンの映画「不思議の国のアリス」関連のイベントをやってるとか、そこでラデュレが限定菓子を売っているとか、他にも魅力的なものが出てきて迷うけど、胸によく手を当てて考えてみろ、本当にお前が好きなのはそれか? 今回はやはり手芸店と辻邦生氏だ! と割り切ることにする。

 さらに、雑誌『旅』で食事関係を調べる。辻邦生氏ゆかり書店のそばにその名も「編集者」というカフェがあるので、ここで昼を食べよう! と思うが、調べると値段が高め――うーん、時間も限られているし、お茶でも良いんだよなあと思いつつ、一応地図にマーキング。あとは、翌朝のパンを買ったりしたいし、家族にお菓子も買いたい、そういえば、バターやマスタードも切らしているからいっそパリで普段は買えないようなよさげなものを買ってくるか? とそのあたりのお店もマーキング。


 いつものリモワのトロリーに詰め込めるだけ本を詰め込んで出発。前のパリ行きの急行が1時間近く遅れて、私の乗る予定のと発車時刻が同じになっている。ははは、またかよ~と思うが、意外にがんばって、3分遅れで発車。読みかけの『狼と香辛料14』を読み終え、『辻邦生全短篇1』も読んでパリ気分を盛り上げる。パリには15分遅れで到着。焦りながら、まずは重い荷物を手放しにブックオフへ。清算してもらっている間にパリのガイドブックを立ち読み。またまた魅力的なランチが食べられそうな店を発見。6区だから、書店と掛け持ちが出来るかもと思うが、持っている地図のコピーでその通りが発見できない。そうこうしているうちに清算が終わり、お金を受け取って外へ。

 いつも味噌を買っている店は、パリの日本食材店の中でも、高いこだわりのものを売っているところで、日本で使っていた調味料がいろいろある(味噌は違うけど)。日本で使っていたみりんも発見するがあまりに高くて腰が砕けそうになるので、いやいやこっちにいる間は、みりんはポルトワインで代用だ! と買うのをやめる。その他にもときどき買いたい気持ちが盛り上がってはやめているゆず胡椒もチェックするが、やはり簡単に買える値段ではない……。結局、気持ちが盛り上がったり盛り下がったりをくりかえして、味噌と酢だけにして外に出る。パリは快晴で暑いくらいなのに、夫からはブリュッセルは寒いと言うメイルが入る。

 手芸店に寄って、やっぱりいろいろ買いたくなるものの、そうは買えないので、これからやろうとしている刺繍に必要な糸を買う。かわいいボタンやチロリアンテープを見て一人興奮。

 歩いているうちに、パサージュを見つけたので入る。いかにもパリ! と私が思っているような空間。天気がよいので、天窓が明るくなっている。所々開けてある。古本屋や、おもちゃ屋をざっと流す。

 レ・アルまで出て、もう一軒の手芸店。ここでもビーズやボタンがたくさんあって見ているだけで堪能。意味もなく綿素材の毛糸を買う。調べておいたパン屋さんまで歩くが、閉まっていてがっかり。買うものもないけれどちょっと見てみようか? と調理用具店に寄ろうとすると「これから昼休みです」と言われる。ああもうそんな時間だ。

 メトロに乗って6区へ移動。めざす「編集者」カフェはすぐ見つかるが、外席も含め満席。ゴージャス空間で気圧されるし、ブランチメニューも中華風の炒め物WOKなので、あまり惹かれない。斜め向かいに繁盛店があり、そっちも一杯ではあるが、ぎちぎちに席を詰め込んでいて回転が速いのでそちらに移動。本日のお勧めからラムを選んで、『辻邦生全短篇1』を読みつつ赤ワイン。周りの人が頼んでいるパン粉乗せ焼きが気になる。これだけたくさん出ているってことはお勧めだろうけど、と店内の鏡に白い不透明ペンキで書かれたメニューを解読するが分からない。しばし凝視して、焼き物の断面が赤黒いことが判明。血を固めて焼いたものだ! メニュー選択が誤ってなかったことを認識して(血を焼いたのは苦手なので)また本に没頭。「西欧の光の下」気分に包まれる。デザートも頼みたくなるけれど、お腹具合というより、時間がもったいないので、コーヒーだけ頼んでさっと飲んで支払って出る。ああ、みんなが食べていたプリンがおいしそうだったな~。

 ゆかり書店まではすぐ。上品な老婦人が迎えてくれる。「マドモアゼル」と話しかけられて、おお、私も子連れじゃなきゃまだまだ「マドモアゼル」か、と錯覚しかけるが、いやいや、他の店ではずっと「マダム」でした。トロリーをレジ裏に預かってくれるという。いかにもな文芸書店。壁は全面天井まである高い書棚、平台の島。小川洋子氏がフランスでは人気があるらしく、ブリュッセルでもよく見かけるが、『海』の翻訳が平台の目立つところに置いてあった。地下の児童書売り場をわざわざ開けてもらってみせてもらう。これまた、フランスで人気の酒井駒子氏の絵本がたくさんある。古いと思うが安野光雅氏の『天動説の絵本』も目立つところに面陳してある。せっかく開けてもらったけど、なにも買わずに出る。最後に老婦人にまた挨拶をしてトロリーを受け取る。


 さて、目的地は網羅し終えた。いっそ、欲張って辻邦生氏旧居でも見に行こうか、そこからムフタール通りを流して食べ物を買うというのは? と思いつくが、メトロの4番線を離れてしまうので、帰りが不安。これまでパリで一人の時間があると、ストーカーのように必ず行っていた「聖地」なのだが、今回はあまり引力を感じていないことが分かる。亡くなられて、磁力を失っているのだろうか――と思うと、ほんとうに、聖地巡礼するファンというよりストーカーっぽいけど。

 せっかく観光地ど真ん中サンジェルマン・デ・プレにいるので、買物でもしつつぷらぷらすることにする。屋内市場を流して、無目的にぷらぷらと歩く。無印良品があるので、夫が部屋着として愛用しているジャージ(スウェットの上下というべきか)がぼろぼろになっているのを思い出し、お土産にちょうど良い、と寄ってみるけれど、さすがにジャージはなかった……。こっちの人は部屋着にそんなものは着ないのかな。けっこう探すけど見たことがない。パジャマっぽい薄いのはあるが、もっさりした厚手の裏パイルのが欲しいのだ。スポーツ用のは、もろスポーツ用になっちゃってくつろがないしね。

 ボンマルシェに行こうとして、また放射状の道にだまされて(いや私が悪いのですが)、リュクサンブール公園に出てしまう。地図で確認していて、上品な老婦人に「どこを探しているの?」と話しかけられ、地図を見せつつ「ここに行きたいんですが」と言うと「まあ! ここは遠いわよ、バスに乗らなきゃ、**番のバスが行くわよ」と親切に教えてくれる。礼を言って別れるが、いや~、バスに乗る気はないしなあ。あまり欲張らないことにして、ポワラーヌでパンを買い、ジェラール・ミュロでお土産にマカロンとシューケットを買う。なんか、「いかにも!」パリ土産で恥ずかしいですが。そして、16時にまた戻ってこられたので、編集者カフェに寄る。まだ中の席はいっぱい。暑いし外席でミント水を頼む。甘いミントシロップの水割り。これ、いつもガス無しだけど、ペリエとかガス入りの水で割った方が美味しいと思うんだけどな~。それは日本人のソーダ水のイメージでしょうか。


 一人でカフェの外席で通る車や人を眺めながら何を考えるでもなくぼーっとしていると、こういう一人の人生もあったかもなあという気持ちになってくる。

 若い頃は、非常に傲慢だったので、つねに人生の選択が最善で、これ以上の人生はないと思っていた。そのうちに、違う人生もあったかもと思うことがでてきて、しばらくは、それが敗北感のようでとても嫌だった。今は、それも肯定的に受け入れられるようになってきた。昔の私が知ったら、老化だと思うかもしれないけれど。いやいや、人生折り返し地点を過ぎたということです。


 早めに急行のターミナル駅に出る。ショッピングセンターになっているので、こどもに服を買ってお土産にする。入線自体は早かったのになかなか発車しない電車にイライラしつつ、自宅にメイルする。返事が返って来るので、だらだらとまた返す。ポワラーヌで買いすぎた、と思っていたパンを開けて、クロワッサンを食べる。けっきょく、30分以上遅れてブリュッセルに着いた。夜ご飯を食べずに待っていてくれたので、さっそく三人で食べる。私が留守中は、こどもが考案した馬鹿踊りを二人で踊ったり、リコーダーを吹いたり、こどもはシロフォン叩いたり、クレープ焼いたり、いろいろ楽しく過ごしていたらしく、それはそれでうらやましい気持ちにもなる。行きに読んでいた『狼と香辛料14』にあるように「一人がいいと思えるのは、本当に一人ではないときだけのこと」ということなのだろう(ちょっときれいにまとめてみました)。

2010年3月5日金曜日

リコーダーのこと

 先日のカーニヴァルの旅で、いろいろ買い物をして来た――と書いたが、その目玉はアルトリコーダー。
 こっちの日本人情報誌でお稽古ごと情報を見ていたときか、在住者のブログでクラリネットを買った! という記事を読んだあたりからか、むらむらとまたなにかやりたいという気持ちが盛り上がってきた。中学の時と大学のときと、吹奏楽部でクラリネットをやっていたし、幼稚園から就職直前までピアノは習っていたし、才能はないし、好き嫌いの意味でも仕事に出来るほどの執着はないが、なんとなく音楽に触れているのが好きなのだろう。
 人間関係が得意ではないので、習い事に通うつもりがなく、集合住宅なんだから大きな音の楽器は無理――と考えて、そうだ、簡単に出来そうで、そう高くなく買えそうだし、古楽が盛んというベルギーの思い出になりそうっていえばリコーダーじゃない? と思いついてしまったのだ。ネットで調べると、ドイツのMoeck社とMollenhauer社が最大手みたいなので、買うのはドイツで買おうと思うのもまた素敵な感じ。検索しているうちにせっかく「大人のリコーダー」なんだから木がいいとか、どんどんのめり込んで行くが、夫は値段を見て「えープラスティックじゃだめなの?」などという。まあ――おもちゃにしては高いけれどさ……。そのくせ、出張でウィーンやボンに出かけたときに「楽器屋でリコーダー発見、Moeck社」とか、値段情報とかをメイルで知らせて来たりする。そもそも、音楽好きという度合いでは、夫の方が上なくらいなのだ。
 よし、次のドイツ行きで買おう! 全部木でできてるうちで安いものを選んで買おう、と決心。ボンや、Bad Godesbergなら楽器店もイメージがある。ドイツ在住期には、先に帰った夫の同僚からピアノを買い受けていじっていたので、楽譜を買いに、と理由をつけてよく遊びに行っていたのだ。
 他の予定とのかねあわせから、ボンの中心にある楽器店に行く。夫が出張時に下見済みなので、一階のピアノ売り場や子供用楽器にひっかかるこどもを追い立てて地下の売り場へ行く。店員さんにアルトリコーダー(木の、安いの)を見たいと言う。まずはMoeck社で出してくれて、一番安いのと、もう一段階上の、吹き口が違うというのを見せてくれる。試していい、というので吹いてみるが、緊張して音も良く出ないし、正直よくわからない。もう一つ、Mollenhauer社のを出してもらって、それが最低音が一番安定していたし(店員さんの話からしても、それは押さえ方の問題だと思うが)、一番安い(貧乏性)ので、それにする。調べていたときにMollenhauerのほうが、会社が古いし場所もフランクフルト郊外でイメージがある街、ロゴもシュタイナー文字で格好よいと思っていた――理由もあるが、うーん、どれも本質とは違う。
 私が三本出してもらって迷っている間に、いきなり夫が「僕にはソプラノを見せてもらえませんか」と言い出し、試し吹きを始める。「いや、オレも買う。ソプラノなら子供に吹かせてやっても良いし」。彼の方が積極的だし、ドイツ語も出来るので、何本か吹いて、「あ、今の明るい音ですごく違う、それにしたら?」「いや、これは1本だけ高いの出してもらったの。買う気はない」なんじゃそりゃ。彼も「学校用」という木製の中ではやっぱり安いのを買った。ホテルでいきなり出して吹いてみたりして、気分が盛り上がる。

 さて、帰ったところでさっそくちゃんと吹くことにするが、木製のは樹脂製とは違って、最初は慣らしが必要だという。Mollenhauer社のサイトでは、「最初の4週間は毎日、20分以上にならないように」とあり、Moeck社に至っては、最初の4-6週間は毎日とした上で「最初の1週間は1日5分、次の1週間は15分、その次は……」と細かく指示がある。吹いているうちに音がかすれてくるから、そうなったら無理しないでやめるように、ともあって、ふーんと思って始めたが、本当に、最初は長く吹けない。すかすかっという音が混ざるようになり、苦しそうな音になってくる。夫に言って、夫のソプラノも慣らしを始めることにする。会社が違うせいか、ソプラノとアルトの違いか、音の慣れ方が違うような気がする。私のは高音もわりとすぐ出るようになったが、まだまだそう長くは吹けないが、夫のは、長く吹けるようになって来たけど、高音は全然出ない。ソプラノの高音が私にはちょっと嫌いな音域に入るので、吹き方に迷いというか、逃げがあるのかもしれないけれど……。
 こういう個性の違いや、慣らす、育てて行く感じが醍醐味なのだと思うが、私はやっぱりせっかちなので、いらいらしたり。学校用なんていうリコーダーなのに、ほんとうに学生もこれに耐えているのか? 夫に言わせると、義務教育で音楽はないから、好きで選択しないとできないので、忍耐できるのだろうというが。とはいえ私も、吹ける時間が延びて来たり、音が太く安定して来たりするとやっぱり嬉しい。
 ロングトーンや音階だけだとつまらないので、適当に曲も吹き始める。そらでふける曲ということで、やっぱり小学校で習っていたような曲から、季節感を考えて「朧月夜」とか、グリーンスリーヴスを吹いたり。さらにはアニメソングに走って「となりのトトロ」のエンディングや、格好付けてヴィヴァルディの「四季」から冬や、『ホフマン物語』の舟歌を吹いて悦に入ったりする。吹き始めてから、音が足りないことに気づいて転調したりするので、はたから聞いていたらさぞおかしいことだろうと思うが……。耳なじみのない日本のメロディが聞こえて来るのも、変だろうなあ、でも、40代にもなったおばさんが、「さいたーさいたーチューリップのはなが〜」などと妙にろうろうと吹いてうっとりしている姿を日本で見たら、そのほうが怖いか。

 たいていはこどもが幼稚園に行っている間にこっそり遊んでいるのだが、先日、こどもがいるときに吹いてみた。案の定、自分もやりたがるので、ソプラノの方を触らせてみるが、やっぱり指押さえが難しいのか、ちゃんと吹けない。二人羽織状態で私が押さえて吹かせるとちゃんとした音になるので、吹き込み自体は悪くないのだと思うが。悔しがって、古くからもっているシロフォンを出して来て一緒にやろうと言い出す。4歳になって音楽教室に通わせ始めたのが、3ヶ月でやめて引っ越して来てしまったのだ。楽譜読みもまだまだなのだが、リコーダーに合わせて、「どれみれど」と叩いてみろ、とこどもに指示すると、『ピタゴラスイッチ』の「こたつたこ」のメロディが出て来るので、こどもはびっくり、大喜び。そういう顔を見ていると、ああまた、音楽を習わせたいなあ――という気持ちもむらむらと湧いてくる。楽譜が読めるようになって、いじれる楽器が出来てくると、ほんとうに楽しいんだよ。

 どうせクラシックの正統な曲はこっちで楽譜も買えるんだから、と、栗コーダーカルテットの楽譜をネット書店で注文して、来週には届く見込み。それが届く頃には少し、演奏できる時間も延びているのだろうか。

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 話替わって、StingのライヴDVD『A Winter's night...』を買った。CDはすでに買っていて、とても好きなので、ついつい買ってしまったのだ。が、CDや、プロモーションヴィデオから想像するモノトーンの雰囲気と違って、派手なライティング、満面の笑みのStingさまと、どうも最初はひたれず、買ったことを後悔してしまったくらいなのだが、見ているうちにバックの楽器がとても面白い。CDで聞いたときに想像したのとまったく違う楽器だったりもするし、見たこともないような古楽器(おそらく)も出てくる。やっぱり引き込まれてしまう。このところ春っぽい日が続いて、このアルバムの雰囲気ではなくなっていたのだが、今朝はまた小雪が舞ってきた。

2010年3月3日水曜日

コロッケのこと

 母親から、メイルで「悲しいお知らせ」と称して実家近くの肉屋さんが閉店したことを聞かされた。驚いたけれど、考えてみれば、お子さんが私と同世代、ということはおかみさんも親と同世代、無理はないのだろう。
 このお店は、コロッケとメンチのお店として我が家では長く愛用していた店。休日の昼、うどんかそばに、おかずは買って済ませよう、というときによく買いに行っていた。日曜日の昼、図書館の帰りに父親が買ってくる――というパターンが一番多かったか。母親は、買って来た惣菜を食べるのは、手抜きと感じる性格だけど、この店のコロッケとメンチ、もう一軒、鶏肉屋さん(これももう今はなくなってしまった)の焼き鳥は、買ってくるから嬉しい献立、とされていた。
 コロッケとメンチは人気なので、お昼はどんどん揚げて揚げたてを売ってくれる。昔ながらの経木に包んでくれてはいるけれど、蒸れないように買って来たら包みから出してしまうので、いいにおいに耐えきれず、うどんがゆであがる前に食べてしまうこともしょっちゅうだった。ゆで上がりと買って来る時間を合わせようと、お湯を沸かし始めてから買いに行くことにしたり、混んでいて意外に時間がかかってやっぱりタイミングがずれたりで一喜一憂したり。すんでのところで買いのがして、ハムカツやしゅうまいを買ったり(この二つも美味しかったのです)。
 コロッケとメンチは、かならず人数分買って来るけど、祖母が「食べきれないからメンチはあげるよ」と言って、兄と私、兄が家を出てからは父と私で分け合ったりした。それでも、最初からメンチを減らして買ったりしなかったのはなぜだろう。金額の計算が面倒だからと言うのもあるだろうが、定食として、一回はお皿に両方盛る、というのが形式化していたからなのか。祖母だって、最初からいらないから盛るな、とは言わなかったのだ。
 結婚してからも、実家に帰ると、一度は食べたいと言って、買いに行ったりしていた。

 こうして書いていていもリアルに味が舌によみがえってくる。私もいろいろな店でコロッケやメンチを買うようになり、美味しいと思う店を開拓したりしていたけど、コロッケ、と聞いてまず味が浮かんで来る「コロッケ原風景」はこの店のものなのだ。最近読んだよしもとばなな氏の『ごはんのことばかり100話とちょっと』で、甲乙付けがたいコロッケとしてお姉様の作られるものと、こどもの頃の近所のお店を挙げられていたが、その一節を読んでいたときに、私の舌の上によみがえってきたのはこの店の味だった。『11ぴきのねことあほうどり』のコロッケもこの味で読んでいたんだよなあ。

2010年3月2日火曜日

Heimatのこと、あるいはカーニヴァル見物第一弾のこと





※この上二つの画像はBad Godesbergのカーニヴァル。
一枚目背景はよく行っていた書店。
二枚目大きく手を挙げているのは今年のプリンセス。
毎年プリンスとプリンセスが大人とこども二組選出される。



 カーニヴァル見物の旅に出かけて来た。カーニヴァルというのは、身もふたもなく言えば、キリストの受難のときに、ともに苦しみを感じよう――で、その前に、飲み食い納めをしておこう、ばか騒ぎしておこう、の日な訳で、基本は、パレードが菓子他をまきちらし、沿道の民が拾い集めるというものです。ちょっと日本の節分風でもありますね。
 リオやヴェネチアが有名だと思うけれど、ベルギーにも世界遺産にも指定されたような民族的な仮装の素敵パレードもある。

 さて、今年の第一弾は、勝手知ったるボン、その中でも住んでいたBad Godesberg地区のもの。もちろん、そこに行くからには前後に予定も入れて行く。夫はバーゲン時期の1月に出張帰りに買って丈つめに出しておいたスーツのピックアップも予定。ドイツに行くぞ! というとこどもも早起きが出来て、早めに旅立ち、11時すぎにはボンの中心地についていた。

 昼ご飯を食べて買い出しして、今回のもう一つの重要予定、昔の知人M夫人に会いに行く。以前ドイツに住んでいたときにお世話になった方で、ご本人もご主人のお仕事柄、日本に駐在したことがあり、その後、ドイツで独日協会を設立、日独親交のために尽力された方。私の父親と同じ歳。私がブリュッセルに引っ越したと知らせたら、一度会おうと言われていたのだが、向こうもお忙しく、なかなか都合が合わなかったのだ。
 以前にも招かれたことのあるご自宅に伺い、ご主人と二人、歓待してくれ、ケーキを振る舞われる。
 大人同士で話す間、こどもが飽きないようにと、そこの家の子供が遊んでいたというプレイモービルを探し出してくれた。こどもがプレイモービルが好きなんですよ、と言ってあったのを覚えていてくれたのだ。ずっとしまわれていたにおいもする感じでプレイモービルたちとしても久しぶりに日の目を見たのだろう。お子さんたちは38歳と36歳というから、1974年に出来たプレイモービルのほんとうに初期のものだと思う。作りもまだ、単純なものだった。西部劇セットや、道路工事セットなどなどたくさんあって、うちのが遊んでいるうちに、彼女もいろいろ思い出して、「これは間をつなぐ部品があったと思う」とか「それはマントにする」とか教えてくれて、すこし一緒に遊んでくれた。見ていると、うちの子はドイツ語が理解できてるのではないか? と思えるくらいだった(もしかすると、エコールでドイツ人がしゃべっているのを聞き慣れているのかもしれない)。またすっかりはまりこんでしまって、「そろそろ帰らなきゃ」と言う頃には「どうして?」とか言い出す始末だった。

 しかし、私もずいぶんドイツ語が出なくなってしまって、夫ががんばってしゃべってくれたが、つらい気持ちになって来た。「あなたはあんなにドイツ語が出来たのに」と言われてしまう。もちろん「私も日本語は忘れてしまったから」とフォローはしてもらったけれど。今でも、聞き取る分にはドイツ語が一番出来ると思う。だけど、たしかに当時の私にとってドイツ語は、一番「スイッチの軽い言語」だった。とりあえず、ボキャブラリーや文法が分からなくても「えーっとなんて言いましたっけ? こういう感じの……」と挟みながらでも、言葉をつなぐことができた。今はもうすっかりスイッチが重くなってしまっている。
 M夫人も病を得たこともあり、将来に悲観的なことも言う。日独両政府から表彰されたりして、楽しく意欲的に活動していた頃とはやはり違う。ボンがベルリンに首都を譲って没落していくのをまのあたりにしているのも、つらいのだと思う。ときどき買い出しに訪れる分には、学生街としての性格を強めて来ている今も、また、楽しいものではあるが、それでも見知った店がなくなっていくのは悲しい。中心にあった老舗ビアカフェ兼定食屋のうち、好きで通っていたほうはH&Mに、広場に面した有名店はスタバになってしまった。その入れ替わった二店のなんと象徴的なことよ。Bad Godesbergも昔ながらの住宅街が、移民街になってしまってきているのだという。
 なんとなく、お互い歳をとったなあ……と悲しい雰囲気もあって、私は別れてからどっと疲れて寝込んでしまった。

 さて。
 一晩泊まるうちに、また雪が積もっている。「そんなこともあろうかと」持って来たそりを持って、勝手知ったるボン、ここならぜったいそり遊びが出来る、と見当をつけて広大な緑地公園に向かう。夏には野外コンサートや巨大ビアガーデンができるようなところ。日曜の朝も早くからそり遊びなんてしているのはうちだけだったけれど、10時を過ぎた頃から、続々とそりを持った親子連れがやってくる。こんな雪、住んでいた三年間にも見たことないよね、とはしゃぐ。

 午前中をそり遊びで過ごし、Bad Godesberg地区に移動して、なじみのカフェでスープの昼ご飯。行列のスタート時間を待つ。
 国鉄の駅から延びる商店街に陣取って、パレードを見物。「かめれー」とかけ声をかけ(キャンディというような意味らしい)、駄菓子を撒いてもら
うのを拾う。さすがご当地、HARIBOのグミが多い(HARIBO社はBad Godesbergが本社)。しかも、カーニヴァル用のここでしか見ないようなものも。パレードは、各町内会、ダンススクールなどなどのチームから出ていて、マーチングバンドにトラクターが曳くはりぼての山車が続く。このライン流域はフランス統治時代があったことから、カーニヴァルでは、ナポレオン軍風の軍服を模したコスチュームを着る。昨日会ったM夫人など口性ない人には「プロイセンとバイエルンしかドイツといえない、ラインランドはフランス」ということになるのだが。女の子は短いプリーツスカートで、フィギュアスケート選手のような分厚いタイツをはき込んでいるとはいえ、とても寒そう。元住んでいた町内や、すぐ坂の下の街のチームが来たりするとなんとなくやっぱり嬉しい。
 そして、小さな町内会でもちゃんとしたマーチングバンドを組めていることにも驚く。音楽人口が日本とは違う。でも、ヨーロッパでは義務教育では芸術を教えないから、わざわざ放課後に芸術学校に通わないと音楽も学べない。日本の方が潜在的には多いはずなのに。こんなふうに毎年披露する場があって、各小学校や中学校のブラスバンド部のOBがそのまま続けていれば、このくらいの人数にはなるのだろうか?

 翌日にはケルンのカーニヴァルがあるので、そこも見に行く。このラインランド(つまりナポレオン軍服ふう)で一番大きなものだ。朝から移動して、場所取りをして待つ。ここではかけ声は「Allaf!」こどももさっそく覚えて言い換えている。気合いの入り方がやはり違って、カーニヴァルサークルみたいなのがいくつもあり、そこは特注したお菓子を撒く。ケルンはチョコレートの街なので、チョコレートが多い。グミもいきなりHARIBOが減って他社のになる。騎馬での行進が増える。音楽だって、Bad Godesbergは、普通の行進曲や、流行の曲をアレンジして演奏しているけど、ケルンのは伝統的な「ケルンのカーニヴァルの曲」というのが何曲もあるし、ケルンの人気バンドHoehnerの曲も多い。ちょうど去年出たばかりのヒット曲があって、それをずいぶん耳にした。

※こちらはケルンのカーニヴァル。衣装もお金がかかっている感あり。

 あまりに大規模なので、みているうちに疲れてしまい、もう帰ろうと思うが、列から出るにも出られない。なんとか抜け出て、こんな日は昼ご飯も、ドイツ系ビアホールなんかはお祭り関係者で貸し切られてしまっているので、中華のファストフードで簡単に済ませる。その後も、街の中心の駐車場に戻るにも一苦労、車を出すにも一苦労だった。なんとか逃げ出して来たドイツ滞在。でも、やっぱりまた来てしまうんだよなあ。

 M夫人との会話の中で、彼女にとって、「Heimat(故郷とか地元とかの意)」と言うべき場所は、教師として働いていて、ご主人とも出会い、結婚してしばらく住んでいたアーヘンなのだと聞いた。住んでいた長さとしては8年なのだそうで、住んでいる長さとしてはボンが一番だと思うし、生まれたのはバイエルン地方なのだが。ボンで買い物が足りない! となると、アーヘンまで出かけたりしていた、と言ったり。
 とっさに言葉のでない私に替わって夫が、「いや、私たちのヨーロッパでのHeimatはボンですよ。ブリュッセルで出来ない買い物をしにきたりするんですよ」と言ってくれた。
 もちろん、今のところ、ヨーロッパで一番長く暮らしたのがボンというのはあるけれど、このままブリュッセル暮らしがボンより長くなっても、きっとその気持ちは変わらないのだと思う。

2010年2月18日木曜日

洗濯のこと

 洗濯機を壊してしまった。
 エラーコードを頼りに、排水トラップから水を出してみたり、電源を切ったり、コードを抜いたりまた入れたり、いろいろしてみたのだが、エラーコードが消えない。マニュアルを見ると「排水トラップから水を抜いてもエラーコードが消えない場合はサービスセンターに連絡しよう」と書いてある。
 ははは……。
 エラーコードから判定するに排水フィルターのつまりということになるのだが、原因になったのは、古いセーターをフェルト化してみよう! で洗濯機をおもちゃに遊んでいたから――と、まあ、完全に私の責任なのであった。なので、日頃は「うーん、とりあえず夫に相談しよう。帰って来るまで放っておくか」なのが、悪事がばれる前に! と、火事場の馬鹿力であれこれやってしまった。メーカーの日本法人のサイトに行って発見できた日本語版のマニュアルをダウンロードしたり(これまで、独仏英のマニュアルを並べて、なんとか解読していた苦労はなんだったのか)、メーカーのサービスセンターを調べ、電話し、英語で会話し、修理の予約を取るところまで一気にやってしまった。
 修理の予約は一週間後。「もっと早くなりませんか?」とくいさがるが「これが一番早いタイミングです」。しかも来る時間は「当日、電話するから」。「えーっと、何時になりますか?」「8時から17時の間。そっちに行く人間が向かうときに直接電話するから」。いや〜、ベルギー標準。もう慣れましたけどね〜。
 しかし、ベルギーのサービスセンターなので当然なのかもしれないが、オペレーター氏はまず「Bonjour!」と出るが、こっちが「Hallo!」と英語で話す気満々で返事すると「Ja!」とフラマン語で返答。続けて英語で「そちらの洗濯機××(型名)を使っているものですが」と話すと、さっと英語に切り替えてくれた。これは正直にすごいなあと思う。

 その一週間は、コインランドリーで乗り切った。
 思えば、引っ越して来てすぐはホテル住まいだったし、その後もしばらくは洗濯機がなかったから、1ヶ月以上ずっとコインランドリーだったのだ。その頃は自転車もなくて、週末はともかく、平日は段ボールにおもいっきり汚れ物を詰めて抱えながら、子供の手を引いてトラムで出陣していた。
 大規模なコインランドリーが多く、洗濯機も乾燥機も20台近く並んでいる。そして、いつも意外に繁盛している。
 普通の裕福な家庭の主婦っぽい、つまり、家に洗濯機くらいあるでしょう? と思うような人も来ていて、そういう人は、シーツやテーブルクロスといった大物を洗っていたりする。店内に上におおきなクリップ?のついたポールのようなものが立っているのだが、そこにシーツの片端を挟んで、離れて広げ、折って行くときれいにたためるのだ。また、おおきなローラーのついた印刷機か版画のプレス機かというような機械があり、スイッチを入れると熱くなって、洗濯物をそこでのすことができる。
 きれいに乾燥からプレスまでして、たたんで帰るものらしく、整理用のおおきなテーブルがある。男性が一人、一枚一枚きちんとたたんでいるのに驚愕しつつ、自分は段ボールに放り込んで帰って来てしまったこともある。最初は、自分が大雑把だからかと思ったのだが、家に帰ってたたみながら、そうだ、日本人は、人目のあるところで自分の洗濯物をいじるということに慣れていないのかも、と気づく。
 また、日本と違うといえば、規模が大きくていつも飽和状態にはなっていないせいか、みんな乾燥機は何台かにわけて同時に使っている。東京では、私もコインランドリーは乾燥機だけ利用していたし、常に乾燥機は競争状態だったので、最初は抵抗があったけれど、もちろん、時間は一気に短縮できるわけなので、すぐうちもそうすることにしてしまった。
 最近は、旅先で使うときが何度かあったけど、すっかりご無沙汰していたコインランドリー。ちょうど昼時に行ってみたら、やはり暖かいからか、若者たちがたむろしている場となっていた。近くのパン屋さんからサンドイッチを持ち込んでしゃべっている男子、けっこうべたべたなカップルもいた。外は氷点下だし、簡単な飲み物の自販機や、駄菓子のUFOキャッチャーもあるし、椅子もたくさんあるし、ちょうど時間をつぶすのに良いのかもしれないが、不思議な感じ。洗濯物をぶち込んだら、カフェに移動しようかと思っていたけど、編みかけの靴下を持ち込んで、それで私もずっと時間をつぶしていた。

 さて、修理当日。家にいなかったら「だって留守だったから」と平気で工事の人は帰ってしまう可能性大なので(以前、衛星テレビのセッティングでやられた経験あり)、子供の送りも夫に頼んで家に蟄居。「そもそも私の英語力で予約は本当に取れているのか?」「ひにちは本当に今日なのか?」「17時くらいに電話がかかってきて、『前の家で今までかかってしまった、よって今日は回れないから予約とりなおして』と言われたりして」「修理を始めたは良いが、『部品忘れてきたから、また予約取り直して』と言われたりして」(以前、ベッドの配達でやられた経験あり)と悪い想像を夫と口に出して本当にそうなってもショックを受けないようにする。
 でも、幸いなことに、12時頃連絡があり、13時には来てくれ、修理自体は簡単なものだったらしく(まあ、日本の洗濯機だったらセルフメンテの域だよね……、こっちのは排水パイプを外したりしてたけど)、すぐ終わって、これからは乾燥機を使うたびに、掃除用の排水ホース(主パイプと別にあるのです)を掃除しろとか、それをやったら、エラーコードを消すには、洗濯機自体を前傾させると消えるからそうしろとか、指導を受ける。

 日本語のマニュアルを見て、今まで気づかなかった洗濯コースやオプションをいろいろ試し、使い勝手がとても良くなって、これにて一件落着。

2010年2月5日金曜日

節分のこと

  2月2日はベルギーではクレープを食べる日だという。在住日本人向けの情報誌に書いてあったので、面白いから、家でやってみようかな、と思っていたところ、当日、幼稚園の帰りに子供が「今日はクレープを焼いたんだよ!」と興奮して言う。そういえば、去年のクラスでもクレープを焼いたことがあったな……と思い出し、メイルボックスをあさって見ると、母親宛に幼稚園で自分たちでクレープを作ったんだって、と書いたメイルがあり、やはり2月2日だった。去年はまったく意識しなかった(むしろ食育的なものだと思っていた)けれど、これは行事食だったのか。
 情報誌に、この日のChandeleur(聖燭節)という名前が出ていたので、さっそくWikipediaに行って、さらに調べてみると、クレープを食べるという習慣がやはり出ている。丸く焼いて太陽に模して食べることで、冬の終わりを祝うもので、それはフランス、ベルギー、スイスの習慣だという。面白いので、そのままそれをドイツ語ページに跳んでみると、ドイツの記述にはクレープを食べる習慣が出てこない。キリストが誕生日の40日後、神殿を訪れた日(初めて清められた日)を記念しているのだと言うが、こういう土地限定なのは、ゲルマン民族が冬、もみの枝を室内に飾る習慣を取り入れたのと同じで、キリスト教以前の土着の習慣を布教の際に取り入れたのではないだろうか。

 さて、翌3日は日本の節分。豆まきは、日本食材店に行けば炒り豆は手に入るだろうけど、掃除とか面倒だし……とやめることに。恵方巻きもそもそもあまり身近な習慣ではないし、子供が酢飯を嫌うので、やめよう。だが、ちょうど水曜日だったこともあって、子供が家にいるとなにもしないのもなあ、という気持ちになって来た。
 よし、鬼のお面だけでも作るか! まず、二人で下書きをしてみる。子供も、イメージがあるのか「目が怖い! きばがすごいよ〜」などと言いながら描いている。その後、束で与えてある色上質紙に描く。子供は、いつものぬいぐるみのレギュラー陣にもあげたいと言い出し、机に連れてくる。「みんなの分ありますから、順番に並んで待っていてください!」などと指示して並ばせている。子供が描いて、私が切り抜く。赤鬼、ピンク鬼、オレンジ鬼、水色鬼……、パステル調の鬼が出来てくる。子供が「青鬼は角が1本だったよね」と言って、「つーのー1本青鬼どん、つのつの2本赤鬼どん」と歌いだす。あれ? それって保育園で習った歌? と聞くと、嬉しそうにうん、と言っている。そんな記憶が残っていることにちょっと驚く。それでいて、ぬいぐるみたちには、「これは鬼のmasqueです」と説明。フランス語が混じっている。
 最後に、お面の裏側に毛糸をテープで貼って子供やぬいぐるみにかぶせてやる。興が乗って来たので、極小のも作って、プレイモービルの親子の顔にテープで貼ったり。
 パパを驚かせるんだ! と言って、ぬいぐるみたちをソファーに一列に並べていたけれど、帰って来た夫は、大笑い。驚きも恐がりもしなかった、と子供は怒っていたが、いやいや、これだけ受ければ充分ですよ。

 ふと、キリスト教が本当に日本に根付いていたら、節分の習慣も、聖燭節のイベントとして型襟継がれるようになっていたかもしれない――などと思う。恵方巻きはエルサレムの方を向いて食べることになっていたりして、などと妄想する。

 今月の中旬には、大々的なお祭り「Carnaval」がやってくる。身もふたもないまとめ方をすると、キリストの受難の日を前に、ばか騒ぎをしてごちそうを食べ納めしておく――というものだが、ドイツではRosenmontagと呼ばれる中心となる月曜日(今年は15日)からの一週間は、学校も休みになる。仮装や行列がイベントの中心になり、ベルギーでは、世界遺産の無形文化財に指定されている土地もあって、土地ごとに独特な仮面をかぶる。幼稚園では年中クラスで、この時期には仮面博物館に行って、それらを学ばされるし、今のクラスでも、ベルギーCarnaval地図を先生が作って貼り出していた。そして、紙皿を使ってお面を作ったり、作りたいお面の絵を描かされたりもしている。子供は牛のお面を描いていた。やつの頭の中では、これらの習慣がどのように記憶/整理されているのだろうか。

2010年2月3日水曜日

歯のこと

 子供の歯が抜けた。第一号。下の前歯である。ずいぶん前からぐらぐらしていたのだが、子供にとっては、とても嬉しかったらしく、毎日、気にして触ってみたり、幼稚園の同級生に触らせてみたり。いつもの日本人グループの子たちはもちろん、普段、そう仲が良いと思えないような男の子の名前を挙げて、その子の歯は、もう上が抜けていたとか言っていた。
 もう、大人の歯なんだから、虫歯になったら大変だよ! と脅かしても、本人にはあまり実感が湧かないようだ。かこさとし氏の『はははのはなし』をまた読ませる。そんなことは大人の考えることで、子供にとっては、歯が大人の歯になる、ということはとても嬉しいことらしい。抜け替わった歯をさっそく見せびらかせいて回って、また、自分より早く永久歯が大きくなっている子がいるとか、興奮して語っている。歯の抜け替わりの早さは個人差が大きいというが、同じクラスで一番小さい11月生まれ(といっても、ドイツ人で身体は大きい)女の子も、もう1本目の永久歯が完全に大きくなっていたり、同じ3月生まれの男の子で、身体も小さいし、おっとりしている子が、もう上の歯が抜けていたりと確かにまちまち。
 よほど嬉しかったのか、「もうお姉さんになったから、今日は一人で寝ます!」と宣言、いつもだったら、それでも結局寝る段になったら、父親を呼びに来たりするのだが、その日はちゃんと朝まで一人で寝ていられた。翌日には、また一人で寝られない子供に戻っていたけれど。

 夫も私も、乳歯のときから虫歯があったし、歯科医にはずいぶんと通った。誰でもそうかもしれないが、私は本当に歯科医が嫌い。自分で行くのも嫌いだが、子供を連れて行くことにはなりたくない。これまで行かずに済んでいるのは幸いである。もちろん、歯科医もどんどん進化しているとは思うが……。
 最後に通っていたのは会社のそばの歯科医。マニアックなまでに歯を好きな院長を気にいった同じ部署の先輩が布教して回って、何人もの部員が通っていた。歯についての哲学があって、いくらでも語ってくれる。ある時、朝一番の予約のキャンセルをしなくてはならないことがあり、夜のうちに留守電に入れておいた方がお互い好都合かと思い、22時すぎに電話をしたら、院長が出たことがある。診療時間のあとは、自分の勉強時間にしているのだとか。翌日の治療について、計画を立てたりしているらしい。自分の治療例の記録を取るのも好きで、ずいぶん、私も口の中の写真を撮られたものだが、それを見て復習をしたりもするらしい。そんな話をまた熱く語られてしまった。
 人間的には非常に気に入っていたのだが、最後に下だけ残っている親知らずを抜くことになり、片方抜いたときにとても痛くて、また、性格がへたれなので、そのものの痛さもさることながら「嫌だなあ」という気持ちが強く身体がこわばってして、全身が凝ってしまい、一週間、本調子に戻らなくなってしまった。次は、もう片方を抜きましょう……と言われて、のらりくらりと逃げているうちに、引っ越してしまったのだ。

 さて、日本では、抜けた歯を下の歯なら屋根の上に、上の歯は縁の下に投げる習慣があったと思うが、ヨーロッパでは、最初に抜けた歯は寝るときに枕元においておくと、ネズミや妖精がやってきて、歯をもらって帰って、代わりにコインやお菓子をくれる――という言い伝えがあるらしい。また、抜けた乳歯をとっておく入れ物もある。ドイツだと、雑貨屋やおもちゃ屋に木製のかわいいものがあるし、ブリュッセルでは、薬局の子供用歯磨きのところにプラスチックの歯の形のものを見たことがある。調べたら、日本でも記念にととっておくケースがいろいろ出ているようだが。ものとして可愛いいものもあるし、欲しい気持ちもあるのだが、抜け落ちた歯というのは、私は少々気持ち悪さを感じてしまう。最初の一本だけならまだしも、どんどん貯めていくのだろうか?
 うちの子供の歯は、夫がとりあえず……といって小さなジップロックに入れてしまっていた。

2010年1月26日火曜日

亀のCarolineのこと

 娘の今年の担任は、亀が好きで、自画像的に亀のイラストを教室に貼ったり、身につけるアクセサリーやキーホルダーもみんな亀。そして、15センチくらいの小さなぬいぐるみの亀を一匹教室で飼っている。
 Carolineと名付けられたそのぬいぐるみは、普段、教室で遊んでいるのだが、週末には、子供たちの家にお泊まりにくる。金曜日、担任から、Carolineと、ノートの入った鞄を渡された子供がその週末の担当。週末、子供と一緒に過ごすさまをノートに書いて(それはもちろん親が)、出来れば写真等も貼って返して欲しい――と、この年度の始めに、保護者宛のお知らせもあった。

 先日、ついに子供が連れて帰って来た。さっそく、自分のぬいぐるみに紹介したり、話しかけたりして遊んでいる。
 ノートを見ると、多国籍クラスなのに、みんなびっちり長々とフランス語で書いている。写真を取込んで、新聞風? に紙面を作成、プリントした物を貼っている親もいる。じっくり読むと、楽しく家に迎え、他の家族や自分のおもちゃと一緒に遊んだり、外へ出かける時(映画を見るとか、クリスマス市に出かけるとか)にも連れ出している――このぬいぐるみはツールであって、本当は、週末の子供たちの暮らしをかいま見るところに目的があるのだなあと思われてくる。シリアルを食べている食事の様子や、レゴで遊ぶ部屋の様子、習っているバイオリンの発表会、親戚同士で集まるテーブル、花火で祝う年越しなどなど、写真もあるのでよくわかる。そのノートを返すと、先生がみんなの前で読み上げて、追加的な説明を子供がするのだそう。単純に面白そう! とばかり言っていられないようなプレッシャーをいまさら感じてくる。
 その週末は、ちょうど大雪の週末だった。そり遊びをメインに据えることにして、他のおもちゃに紹介していっしょに遊ばせるところ/そり遊び/お昼にうどんを食べているところの3段落で構成することにする。プレイモービルの一家の暮らすドールハウスを訪ねさせたり、雪の積もった公園に連れ出して、写真をたくさん撮る。並行して、フランス語で作文。これまでの人のを参考にしたり、例文集を参照したり。子供とも相談する。現像した写真が意外に大きいので、背景は切り取って、ノートの見開きにコラージュして、あまりに短い私の仏作文を、ぽつぽつと配置しつつ、にぎやかしに写真に吹出しを貼って台詞を入れてみたり。日本名物MANGAってことで! と酒の勢いを借りて、ハイになりつつ子供も寝たあとの夜中に作業する。なんとか完成させて担任に渡した。金曜日に、発表会?があって、子供も話したとのこと。いつものことだが、ちゃんと話せているのだろうか? みんなの反応はどうだったか聞いてみるけれど、もちろん、まあふつう……的な返事。

 その後も、お迎えに行くときに、子供たちが、Carolineと遊んでいたり、うちの次にお泊まりに行った家で、作ってくれたという空き箱を利用したおうちができているのを見たり。もちろん、自分だけの大事なぬいぐるみたちとはまた別だけど、子供たちにとってクラスで共有する大事なキャラクターに育っているのだなあと思わされたのだった。

2010年1月20日水曜日

アムステルダムの旅のこと


 週末にアムステルダムへ行って来た。
 金曜日、夫の仕事のあと夜出発なので、お弁当を作る。おにぎりと、骨なし鶏肉が買える金曜なので唐揚げとブロッコリー。ミニトマトやみかんも持って行く。車中で食べて、旅情ですな〜。でも、たどり着いてからおなかが空いたとか子供が言い出したり、閉め切った家に帰って来たら、油の臭いが残っていたり、いろいろ改善の余地はあろう。
 さて、今回の目的は現代建築巡り。東部湾岸地区のJAVA島とKNSM島に新しく開発された住宅地があり、斬新なデザインで面白いと、旅ブログで読んだので、行ってみようということになったのだ。そういえば、今回ブリュッセル滞在中の旅の参考書は圧倒的に雑誌『旅』だが、ドイツ時代は『Casa Brutus』だったのだ。当時は、現代建築とかよく見て回ったなあ。この間ユトレヒトに行ったときは『Casa Brutus』参考だったので、建築見学ツアーに参加したりした。でも、それは幸運な例外であって、2-3を残してバックナンバーは日本に置いて来てしまったので、参考にできないのだ。ああ、今あれが手元にあれば……と身もだえるがしょうがない。
 運河沿いに立ち並ぶ、新しい集合住宅。伝統的な運河沿いの家のスタイルを継いで、つながったファサードに、細く、縦に区切られた家。でも、大きく違うのは、どこも窓が大きく(1階部分は、全面ガラスのところも多い)。窓枠が華奢。軽快で新しい感じ。そして、どの家も、見られることを意識しているのか、まるで商店のようにディスプレイされている。カーテンも引いていないところが多い。窓の対面の壁全面が本棚になった家、子供服を収納しないで、壁に平たくコーディネイトした形でぶらさげてある家、観葉植物や、置物がスタイリッシュに置かれている家、階段を犬が上り下りしているのが見える家――あまりじろじろ見られない雰囲気はあったし、写真も撮らなかったが、ファッション誌やそれこそ『Casa Brutus』あたりに、このまま写したものが載っていても不思議がないような雰囲気だった。運河をまたぐ大橋も、支流の小さな橋も、それぞれデザインフル。

 ――だがしかし、写真で見るのよりもきれいに見えない? と思うのは、天気の悪く暗く、空も白いからだろう。実際、撮って来た写真とネット上の画像をくらべてみたが、圧倒的に色彩感が悪かった。残念。
 寒さは底を打ったとはいえ、まだ雪も、運河には氷も残る厳寒のアムステルダム。運河を通ってくる寒風に、なぜ、今、ここにいるのかと、あきれるを通り越して笑いがこみ上げてくる。雪の積もった遊び場で一人、スタイリッシュ遊具で遊ぶ子供。ここの写真も撮ってあるのだが、完全にモノクロームの世界になっていた。
 
 ここまでは、大人企画だったので、子供用企画で科学博物館に行った。どこに行ってもあるおおきなシャボン玉を作れる場所、光の三原色が学べる投光器(テレビの原理を説明してやったのに子供が途中で逃げたと夫は怒っていた)、雨水を浄化して飲み水にするプロセスを体験できるところ、太陽電池を利用した飛行機模型に、下から光を当てて動かせるところなどなど子供は楽しんでいた。
 もちろん、面白いのだが、夫や私にとっては、やっぱり、こういうのはドイツや日本には負けると思えた。なぜかをまじめに夫と議論?したのだが、やはり、過去からの蓄積を体系立てて、本物で見せる――という展示が少ないからだ、という結論に。つまり、ドイツや日本だと、かならずこれまで作られて来たものの展示、歴史的展示に多くを割かれているし、そこには、現物が展示されているが、ベルギーやオランダのは、模型にして体験することに重点が置かれている――という違いか。情緒的にいえば、過去の技術に対する敬意がない、ということ。蓄積/保管しようというのは、気持ちはもちろん、歴史的に科学技術が強い国ではないということでもあるかも。まあ、勝手な感想ですが。
 また、これはオランダならではだ! と思ったのは、人体のところで「Talk about sex」コーナーが設けられていたこと。まあもちろんそれは重要なことですが、デッサン用の人体模型を使って、体位の展示までしなくても良いのでは、舌の模型に手を入れて、握手でフレンチキスができるようにしてなくても良いのでは、まるで、熱海の秘宝館のようだ、と日本人は思ってしまったのであった。これは、街を歩いていても、普通にSex Shopが商店街にあるのと同じで、タブー視しないという国民性の現れであろうか……。

 さて、この建物は、海上にせり出していて、緑色のくじらみたいな形をしている。屋上がスロープになって、そこに、桟橋からダイレクトに上がれるようになっているのだが、天気が悪くて、この日は上れなかった。あとで、夫にこれはレンゾ・ピアノの設計なんだよ、と言われ、帰りのバスから真剣に見たが、どうもあまり冴えないように見えた。
が、戻って来て、ネットで画像を見ると、素敵な写真がたくさんあるので、天気がよければ、素敵に見えるのだと思う。私も写真撮れば良かったな。

 子供対策で、調べておいたミッフィーショップに出かけたが、住所のところにない。帰ってから調べて、移転していたことを知る。いや〜、確実に行きたいと思うところは、ガイドブックで見るだけでなくて、ちゃんとネットで最新情報を調べてから出かけないといけないなあ、とまた学ぶ。
 近くに明治屋があったので寄った。日本で働いていた会社のそばにあって毎日のように寄っていた店。赤い三つうろこのマークが遠くから見えただけで懐かしい気持ちになる。もちろん、ビールはキリン一番搾りだった(買わなかったけど)。海苔と、子供がなぜか欲しがったラムネを買う。ゆずの生しぼりがあって心惹かれたのだが、あまりに高くて買えなかった。夫は酸味に愛情がないし。寿司を中心に惣菜もある。日本の明治屋で買ってたような物はないね、と夫は言うが、私が明治屋で買っていたといえば、ベルギーのCote d'orのチョコ。それがここにあっても、まあ、嬉しくもなつかしくもないだろうなあ。明治屋製のジュースはなかったような気がする。かき氷シロップはありました。
 オランダに来たからには、のパンケーキを食べて、夫と子供はホテルに帰り、私は一人で散策。画廊風のショップや、手芸店、雑貨店などを流す。奈良美智さんの画集があったり、かもいのマスキングテープがあったり。

 夜ご飯のあと、雪が降って来ていてびっくりしつつ、アールデコ建築のホテル・アメリカンのカフェに寄る。高い天井に暗めの照明、図書館の閲覧机のような席もあり、とても雰囲気が良い。素敵空間なのだが、子供はとうぜん見向きもせずにプレイモービルで遊んでいた。
 夜のうちに雪は雨になったらしく、日曜の朝には、全部溶けてしまっていた。

 さて、オランダと言えば、独自の進化をしている自転車。自転車道がきちんと整備されていて、大量に走っている。書見台のような独特の前荷台のある無骨な自転車、その荷台にビールケースのようなプラスチックのかごを付けていたり、袋を乗せていたり。子供も乗せられるおおきな手押し車のような自転車、鮮やかな柄のバッグを後部荷台に付けていたり、サドルカバーにも鮮やかなものがある。なぜか、安っぽい造花をハンドルに巻き付けている人も多い。
 というわけで、日曜日。自転車を借りました。
 私は普通の自転車だけど、夫+娘チームは前に荷台の付いている手押し車的タイプ。朝はまだ小雨が降っていたのに、レンタルサイクル屋がガイドブックの地図の場所にはないのを、住所を頼りに探し出してしまい、なぜ、こんな天気に……と思いつつ、ひっこみがつかなくなってしまったのだった。この日は、古い市街地、伝統的な景色を見ながら自転車で走る。そして、エルミタージュ美術館の分館へ。
 3月から、マティス以降展が始まるのだが、今回は、ロシア皇室の財宝展みたいな感じで、うーん、失敗したか? と思っていたのだが、子供はお姫様の格好がたくさんあるので、興奮していた。私はこれが着たい、ピンクが絶対良い、などなど大騒ぎ。でも、よそのお子様も、そんな感じだったし、けっこう年配のカップルで「君にはこれがいいんじゃない」とか語っている人々もいた(これは英語だった)。

 美術館を出たら雨も上がり、アムステルダムを出る頃には快晴になっていた。最近、旅先の天気に恵まれないことが多いが、誰かこころがけが悪いのだろうか。

 自転車を借りたレンタサイクル屋
http://www.macbike.nl/html/index.html
 夫+娘チームが借りたのはこのBicycle typeのDです。

2010年1月14日木曜日

雪のこと




 去年、11月にいきなり雪が降ったり、年明けは-10℃以下なんて日が続いたりして驚いたけど、現地の人の「この冬は10年ぶりの寒さ、雪が積もることなんて滅多にないよ」という言葉を信じていたら、今年は、去年よりもよく雪が降る。聞けば、30年ぶりの寒波だというが……。
 さて、よそでもそうかもしれないが、うちの子供はとっても雪が好き。12月に降った雪のときは、まだ、そりを買う勇気がなくて、段ボールを持って近くの公園に行き、滑って遊んだ。周りにも、本格的なそりを持っている親子連れも多かったけど、市指定のゴミ袋で滑っている人たちもいる。
 かくいう私も、雪は好き。暑いのは嫌いだが、天気の悪いのはもっと嫌いなので、ヨーロッパの冬はあまり好きではないのだが、雪が降ると、ほんとうにブリューゲルの世界そのものになるので、見ても楽しいし、気持ちが嬉しくなってくる。家も共同住宅で雪かき等の義務もなく、出かけなければ行けない仕事もないし、やっぱり、この街では、私は長めの観光客気分なのかもしれない。

 年末年始は、そんなわけで、夫は子供のために雪遊びプランを設定したのだが、前にも書いたけど、見事に雪がない。なけなしの雪で遊びつつ、ずっと欲しかったそりまで買ってしまった。年が明けたところで、急激な寒波と低気圧(デイジーという名前だという。名前はかわいいのに)がやってきて、ブリュッセルも雪。溶けないでいるうちに、どんどんまた雪が降って積もって来た。
 ブリュッセルの人々は、自分の家の出入りするところくらいしか雪をかかないので、歩道にも、自転車道にも雪が残っている。そんなわけで、幼稚園のお迎えにもそりを使っていた。もちろん、下り斜面ばかりじゃないから、滑るわけではないけれど、ただ歩け、というと、面白くなくていやがったり、時間がかかったりするのも、そりがあると、疲れたら乗せて引けば良いし(まあ、こっちは疲れるんですけどね)。でも、そりの着雪面の金属が傷だらけになってしまって、夫には怒られました。

 先週末、まとまって雪が降ったので、日曜日の午前中に公園でさんざんそり遊びをした。天気予報は、ここから気温が上がるので、もう今年も最後だろうと思い……。が、水曜日、朝からけっこうな量の雪が降っている。子供は半日で帰ってきたし、夫も、こんなときに限って故障する車の修理がやっとあがるので、ピックをかねて早めに帰って来た。というわけで、夕方、また公園に。気温が上がってからの雪だからか、こっちにきて初めて見る「固まりやすい雪」。子供は雪だるまを作って遊ぶという。そして、やはり子供はヨーロッパ育ち。雪だるまは三段重ねなのだという。軽く驚く。そりだと、滑るのは楽しいが、斜面を登るのが面倒だから、もあるのかもしれない。
 しょうがない?ので、親が代わり番にそりで遊ぶ。林の中の道を滑るコースを発見して、カーブがきつくて、難しいのだが、私はそこが気に入った。夫は広く長いコースを何本も滑った。
 雪だるまが出来上がってから、子供もそりで遊んでいたのだが、見張ってろと言われていたのに、目を離した隙によその子に壊されて(途中で、気づいて止めたので、復元可能な程度ではあったが)、子供は大泣きになってしまい、大変だった。
 よその親子連れを見ても、マナーなのか、雪だるまは壊してから帰るところが多かったのだが……。感情移入しすぎて、雪だるまを置いて帰るのもいやとか言い出す始末。
 最後はとぼとぼとみんなでひきあげてきた。夫はせっかく楽しんでいたのに、尻すぼみでちょっとがっかりしていた。
 まあ、そういうの、なにも感じない子でも困るしね! 思えば、まだ赤ちゃんの頃に、『スノーマン』のDVDがいやで、どうしても見られなかったのだった。

 夜中に雨に変わっていたらしく、翌朝には雪はもうすっかりぐずぐずになってしまった。日中には久しぶりに青空が広がり、気温も上がって来た。都心に出て、戻ってくるときに、トラムから公園が見える。きのう遊んだ斜面もすっかりまだら模様になっている。これで今年の雪も終わりだろう。

2010年1月12日火曜日

お誕生会のことふたたび。

 娘が同級生のお誕生会の招待状をもらって来て、行きたいという。えー、この子、去年から同じクラスだけど、ちょっと大人っぽい男の子集団の一人。別に仲の良い子でもないじゃない? と思うが、本人は絶対行くという。

 最初は、親としては乗り気ではなかったのだが、案内を見ると、会場はサーカス学校のようなところらしい。ヨーロッパは、各国、サーカス学校という名称で、大道芸の教室がけっこうある。長期休みのスタージュや、水曜の午後等にコースがある。「なんか面白そう」と思ってしまい、現金に参加を決める。
 こういった「お誕生会ビジネス」はかなり盛ん。ちょっとしたおけいこ教室、公園のカフェなどでプランが企画されている。たとえば、遊戯場で、2時間とか3時間とか勝手に遊ばせてくれて、席を用意してもらってケーキカットができる、なんていうのがもっともポピュラーらしいけれど、これまで私が気づいたところだと――
「手芸店併設の教室でビーズアクセサリー作り」→小学校中学年とおぼしき女子8-10人くらいの集団が、そこで作ったネックレスを全員で身に付けて、近くのカフェに移動、ケーキを出してもらって歌って祝っているのを目撃。
「ミニSLの走っている公園でのプラン」→愛好家が走らせていて、週末、ちょっとしたお金を払って乗ることができる公園があるのだが、屋外にテーブルを出してもらってケーキカット→何度でも乗れる無料パスを首にかけてもらって(色紙の手作りっぽいものだけど、**ちゃんの誕生日パーティという文字や日付が入っている)みんなで並んで乗っているのを目撃。
「お誕生日ケーキをみんなで作るコース」→これは実際のシーンは目撃したことはないが、近くの製菓材料店でちょっとした教室のあるところも、年齢に応じて、飾り付けだけのコース(3歳から未就学だったか)、生地から造るコースなどなどのプランがオファーされていた。
 子供が水泳教室に通っているスポーツセンターだって、インストラクターがついて、プールで遊べるコースや、体育館でボール遊びが出来るコースなどなど、宣伝しているのを見る。
 もちろん、こんなきっかりスタッフが付くものばかりではなく、公園にあるカフェを借りて、ケーキカット等はそこでやって、あとは自由勝手に遊べるようにするのもあるし、そのケーキも、用意してもらうことも、持ち込むこともできる。
 
 ヨーロッパでは、お誕生日にはプレゼントをもらうのもさることながら、お誕生日の本人が人を招いてもてなすのが重要視されているらしく、夫の職場でも、現地職員さんは自分の誕生日にお母様のお手製だと言うケーキを持って来てふるまったりしている。そして、子供の誕生会では、自宅でのパーティも趣向を凝らして、その2時間や3時間をいかに楽しく過ごさせるかとても熱心にやってくれる。家の飾り付け(外側にも、風船等を飾り付けてあったり)にもここぞとばかりに力を入れる。基本的には、親は子供を置いて帰ってしまい、あとで迎えに行くのだが(招待状に、開始時刻のみならず、終了時刻も書いてある)、もちろん、関係性によって、一緒に参加するときもあるし、送迎のときに、大人にも、ちょっとしたお菓子や、シャンパンがふるまわれたりもする。

 さて、行くとなったからには、プレゼントを持って行かないと。五歳の男の子なんて何欲しがるかわからないよ~と言うと、娘はあっさり「ミニカーでいいんじゃない」それ、あなた、この前別の男の子の誕生会に招かれたときも同じこと言って買ったじゃん! そのときの子は、仲の良い子で、幼稚園に持って来た自分のミニカーを私にも見せびらかしてきたこともあるので、その時はそんなもんかと思ったけど、そんな毎回同じことで良いわけ? そして、実際買いに行くと、「やっぱり、レゴだった」という。ああ……そういえば、教室でレゴで遊んでる集団がいるね。レゴにするか。「うーん、でもやっぱり人間が付いていて遊べるのが良いんだよね」と紆余曲折を経つつ、結局、プレイモービルの道路工事セット。

 当日向かうと、小さめの体育館みたいな建物だった。二階にテーブルが出してあって、お誕生日の本人とご両親が迎えてくれる。名前を書いた表に、電話番号を教えてほしいと言われ、書き込む。子供の名前を書いたシールを服に貼ってくれて、こちらも、お誕生日プレゼントを渡して受付終了。去年のクラスの子も招待されていて、とくに仲が良いとか良くないとかそういう派閥は関係ないようだ。かなり大規模。うちの子供にとっては、知っている子ばかりなのでテンションが上がってくるし、親としても安心して、そのまま置いてくる。久しぶりに、子供のいない週末なので、夫と二人でお茶をしに行ったり(そして、子供がいるととれないチョコがけクレープを注文したりして)ゆっくり過ごす。
 そして、お迎えの時間。建物につくなり、子供たちの大声が聞こえてくる。外から、走り回っているうちのガキの姿が見える。受付をしていたテーブルには、袋菓子とみかん、瓶のりんごジュースが並んでいて、各自が自由にとれるようになっている。音楽がかかっていて、それにあわせて踊っている子供たちもいる。そこでうちのを捕獲して、ご両親に挨拶、作ったというお面や、プラスチックの赤いつけ鼻(ピエロみたいなものです)をもらって帰る。楽しく過ごしていたのだろう、しゃべる声が大きくなっている。
 いろいろやったことを聞き出す。紙に輪郭だけ印刷されたお面を色を塗って切って完成させた。3階に上がったら先生がいて、皿を回す、とか、台に上って、高いところにあるブランコに乗る、とかをやらせてくれた。ケーキはチョコレートだったので残した(ははは……)などなど。皿回しは全然出来るようにならなかったとのこと。そりゃまあ、そうだ。ブランコは出来たとか言っている。本当かな。

 ところで、こっちの学校は9月始まり6月終わりなのだが、なぜか、生徒は、1月生まれからで構成する。つまり、この男の子がクラスでは一番早い生まれ。不思議な気がするが、クラスは全員2004年生まれになるので、それはそれで合理的なのかも。

2010年1月8日金曜日

ドイツ年越しの旅のこと



 年末年始は、雪遊び目的でまた南ドイツに行って来た。バイエルンのRuhpoldingという街に長逗留したのだが、直前のブリュッセルは雪だったのに、急激な暖波が入って、連日10℃超えだという。宿の目の前に子供用の簡単なスキー場やそりで遊べる斜面があったのだが、草原と化していた。真ん中のスキーゾーンにだけ、意地で毎日人工降雪機で降らせていたが……。夫はがっかりしていたが、私も子供も、宿やカフェ等、気に入った場所ができて楽しい街だった。

 宿は3階建て+地下で階段にあった記念彫り?を見ると1968年にできたらしい。私たち夫婦と同じ歳と思うとまた親近感が。おばあさん(宿のできた年から推測すると、うちの親と同じ70代後半くらいというところか)が基本的に一人できりもりしていて、休みの日や夜は、息子なのか、50代くらいの男性がいる。泊まったのが最上階の屋根裏部屋のような天窓のある部屋。私はとても気に入ってしまい、将来はぜったい天窓のある家に住みたい! という気持ちがまた盛り上がる。ブリュッセルで見た物件で素敵な屋根裏部屋のある物件があったのだが、お風呂が浴槽がなくて断念したのだった――その後生活してみると、立地的にも今の家で大正解だったとは思うが。

 さて、宿にたどり着いた翌日は、私が頭痛、娘が喉+微熱と移動疲れが出てしまっていたので、部屋の掃除も断り、部屋でだらだらしたり、必要な子供のスキーズボンほか、買い物をしてゆっくり過ごすことにする。朝食時、主人のおばあさんが、私に3度も「良く寝られたか? 大丈夫か?」と聞くので、失礼ながら少々ぼけているんじゃないか? と思ったが、それだけひどい顔をしていたということかもしれない。いつもならコーヒーを飲むところを2日はミントティにして、3日目に「今日はコーヒーを」と頼んだら「あら! 元気になったのね!」と喜んでもらえた。でも、その日はそのままミントティが出て来たので、やっぱり……? 朝食には毎日おばあさんと同じ世代のおじいさんがやってきて、朝ご飯を食べて、おばあさんと、長々しゃべっている。年越しのときに、夜はどうしてたかとか話していたので、宿泊客なんだろうと思うが、常連っぽい。きっと、若い頃から毎年この宿で年越しをしていて、「お互い連れ合いも亡くしたけどねえ」なんて言いながら、今も来ているのではないか、と勝手に想像する。

 次の日、朝食で少し部屋を空けた間隙を縫って、お掃除が入っていた。とてもきっちり整頓されていて、びっくりする。こういうものはここに置く、というルールがあるらしく、枕元に置いた本はサイドテーブルに、パジャマは枕のしたに隠す、薬や食べ物がいろいろなところに置いてあるのは、一カ所にまとめる、床に置いておいたスーツケースはローテーブルの上、各人がそれぞれのベッドのそばで脱いだ靴は、まとめてそのローテーブルのしたの段、靴とか運んで来て空になっていた段ボールは衣装棚の上、マフラーや帽子、手袋等の小物は飾り棚の上――等等、神業のように片付けられてしまっていた。決して、私たちがもともと置いておいたところが尊重されたりはしない。感動して、翌日からは、そのお掃除おばさんルールに従ってきっちり整頓してみたのだが、やはり私がやることなので甘いらしく、朝食から戻ると、いろいろ「あ、これはこっちに移動してる!」があった。洗面台で干しておいたスプーンは水気をとって薬や食べ物の置かれた棚へ、同じく干しておいた湯たんぽはシャワースタンドへ。
 そのお掃除の神様は60代くらい、朝食のところのおばあさんより一回りくらい若い感じ。おばあさんはおっとりした上品なタイプだが、彼女は、テキパキしてエネルギッシュ、快活なタイプ。朝食時、台所でおばあさんとおしゃべりしている姿も良く見かけているので、私たちの姿を見ると、部屋に行って掃除してまた戻る――をやっているのだろうけれど、ほんとうに短時間でよくもここまで手が入れられるものだ、と思う。

 日中は、雪を求めて夫が車を出し、子供用斜面で、スノーチューブ(浮き輪状のものに乗って、リフトにつないで斜面を登り、カタパルト式に斜面を降りてくるそり)で遊んだり、1回は、ゴンドラに乗って山を超え、標高の高いところまで行ったりした。去年から、買うか買うまいか迷って、結局買わなかったそりを、ここまで来てついに購入してしまった。ドイツに住んでいた頃から憧れていた木製ので、折りたたみ式。
 午後の早い時間に引き上げて来て、気に入ったカフェに入るのが日課になってしまった。5泊だったのに、4回も行ってしまった。子供がそこのSandkuchen(フランスで言うカトルカールに近いものか? ちょっともそもそしたバターケーキ)がえらく気に入ってしまったのだ。あと、牛乳も。
 一日は、宿で無料券をもらった遊園地に行ってみたけれど、天気が悪くてわびしい感じが増していたこともあろうが、アスレチック公園と、ゴーカートや、ミニSLといった動くおもちゃ、ヤギを飼っていて餌を売っていたり、あと、園内に点々とある小さなコンクリート作りのきのこ型の小屋を覗くと、それぞれ、機械仕掛けの人形たちが「ヘンゼルとグレーテル」「白雪姫」などの寸劇をやる――という小田原城公園というか(どっちに対しても失礼な言い方だが)、子供だましっぽいところだった。もちろん娘は子供なのですっかりだまされて楽しんでいた。あまりに雪がなくてやることがなくて、ついうっかり来てしまったのか、同じ宿の若いカップルとばったり会ってしまったのだが、若い男女が来るところではない……。レストランの建物は新しいのかとてもきれいで、トイレがすごくゆったりしていてきれいなのが良かった。大晦日のイベントとして子供にクッキーを作らせたり、アイシングで飾らせたりしてくれていて、うちのも誘ってもらったが、けっきょくできなかった。最初に教えてくれる女性が誘ってくれたときは、まったく興味がなく、その後、面白そうなことに気づいて、近寄って行ったのだが、うちのよりは小さいと思われる(3-4歳か?)、女の子に、「あんたも一緒にやる? ここに入る?」みたいに大声で言われて、すごくびっくりして逃げ帰って来てしまった。ドイツ人は、ちいさくてもおせっかいおばちゃんの雰囲気がある。
 夕方から夜は、宿で、本(直前に届いた安野モヨコ氏の『くいいじ』を読んでいた。私も食い意地がはっているので共感できること多々。そういう目で、やはり持って行った堀江敏幸氏『河岸忘日抄』を読むと、意外と食べ物の話が多くて、それも面白かった)を読んだり、子供は、DVDプレイヤーを持って行っていたので、ビデオを見たり、テレビでやっているハイジを見たり、夫は数独やったり、『くいいじ』読んだり。数独、日本生まれだというけど、ヨーロッパの方が人気ある感じがする。新聞には必ず数独欄があるし、カフェや電車でやっている人をよく見る。私も挑戦してみたが、初級レベルしかできず残念。でも、はまる気持ちはわかりました。

 食事も宿に頼めば準備してもらえるので、街中が混雑しそうな大晦日だけお願いしておいたら、客は私たちだけで、そのおばあさんと息子、あとその時だけ見た、嫁さん?みたいな三人も別のテーブルにいて、自分たちも同じメニューを食べていた。あかりはろうそくと、クリスマスツリーの明かりだけで、暗めの食卓。クリスマスの飾りはそのままだけど、それに加えて子豚がクローバーをくわえたものや、煙突掃除夫の置物など、年越しのときの「幸運のシンボル」が置かれている。自分たちが食べるペースにあわせて、こっちにも料理を運んでくれたり、料理は、付け合わせのじゃがいものレシティなどは冷凍食品だろうし、贅沢な物ではなかったが、いかにも家庭的で美味しく楽しかった。デザートの「フルーツサラダにアイス添え」は、キウイとみかん、バナナを刻んだ物がパイナップルの缶詰であえてあって、ハート形のレープクーヘン(クリスマス時期に食べるスパイスの強いクッキーをチョコでコーティングしたもの)が乗せてある物だった。こんなのも、なんとなく、子供のときの家のごちそうを思い出させる。何を話しているか、盗み聞きで分かるほど私もドイツ語はできないけれど、楽しそうな会話が宿の家族からも聞こえてくる。

 大晦日の夜は、12時になるといっせいに花火をあげるので、宿のおばあさんも「きれいよ。部屋のバルコニーから見えると思うわよ」などと言っていたので、いわゆる大晦日特番(歌番組が多いですね、さすがに)を見ながら待っていた。子供も起きているというので、じゃあ、起きられるところまでがんばってみろ、と言ってみたが、22時半過ぎにあえなく撃沈。大人二人で寒いバルコニーに出てスキーもできる斜面に向けて打ち上げられる花火を見る。近所の教会も鐘を鳴らし始める。
 私も旅行も含め、ヨーロッパで年越しをしたのは、もう7-8回めになってしまったと思うけれど、これまで見たなかでいちばん派手な花火だった。

 元日に、この宿をあとにした。最後の日は、お掃除おばさんも朝食の手伝いをしていて、コーヒーを頼むと「もう胃の調子は良いの?」などとやっぱり聞かれたり。体調の悪いのを「胃」と言って来るのは、毎日、胃薬の瓶を見ているからなのだろうな、と思う。

 帰りは、シュタイフの博物館やローテンブルク、最後にまたボンと、回りながら帰って来た。この街を出るなり、大雪が降り、日頃の行いの悪さを思い知らされた上、夫は運転大変、ミュンヘンからそっちへ向かう道は大渋滞。ブリュッセルにも雪が積もっていて、暖房を切っていた家の寒かったこと。そして、さっそく幼稚園のお迎えにそりが活躍できました。