2009年7月31日金曜日

定期券のこと

 水曜日、買い物に出かけようと、トラムに乗り込んだら、回数券を入れた定期入れがない。その日は、紙の回数券を買って出かけたが、帰ってきてゆっくり探してみても見つからない。
 最後に使った日は――と記憶を辿ると、月曜日、遠くのマルシェまで行って、体調が悪くなって、中間点の夫の職場で休んだりしつつ、帰ってきた日だと思い出す。あの日、最後にトラムに乗ったときには確かにあった。だが、なにせ体調が悪かったので、記憶が曖昧、もうろうとしている。
 今、私は、suicaやpasmoと同じような非接触型 icカードの回数券を使っている。回数券とはいえ、記名式なので、ちょっと不安になって、市の交通局のサイトを見てみると、やはり、手続きをして古いやつの方を止めた方が良いらしい。そうしておけば、再発行しても、残高が引き継げるし(といっても、回数券だしたいした金額ではないのだが)。サイトからいけるはずなのだが、どうにもうまくいかない。そこでまだ数少ない、その、電気式の回数券を扱っている駅を検索し、ちょうど買い物に便利なポイント駅にあることが判ったので、バーゲン最終駆け込みをかねて翌木曜日に出かけて行った。
 すごくすごく窓口で待たされたのに、いざ、私の番になって、住民IDで検索してもらうと、買った駅に行け、と言われる。「Port de Namurで買ったんでしょう」。それが判るくらいなら、ここでも手続きできるようにしてくれれば良いのにな……、と思うがしょうがない。こまごまとした必要な買い物を済ませ(服のバーゲンと、目星をつけていた昼飯はあきらめて)、そっちへ移動する。また、IDで検索して、なにか、私の名前や番号を書き取ったメモを作ってくれる。それと、IDを持って、次はなんとかかんとかに行け、と言われるが、「trouvée」しか聞き取れない。それは、発見した、という意味だと思うが、まるで判らないでいたら、別の人を呼んでくれ、案内してくれた。そこは、「obejet trouvée」。遺失物取り扱い室だった。つまり、Lost&foundだったわけですね。私の定期入れが、拾われて戻ってきていたのだった。めでたしめでたし――そうだ、日本でも届けられた定期は発売駅に戻るんだっけ。これで、ブリュッセルの車内忘れ物の行き先は判ったので安心だ!(安心しないで予防しろ!)。

 私は、すぐ物をなくすが、けっこう戻ってくることが多い。一番よくなくしていた大学生の頃、どこで何をなくしたら、どこに連絡すれば良い、というのを熟知していて、人にも教えたりしたものだったが、もうさすがにだいぶ忘れてしまった。
 一番なくすのは、やはり定期。勤め始めてからしばらくは、会社で一括購入して配布してもらっていたので、私が「なくした? でも会社の席と自宅と、あと、服とか鞄とか、もう一度チェックしよう」などとだらだらと考えていると、総務から電話が鳴って「定期なくしたでしょう、今、駅から連絡があったよ」と言われたこともなんどかあった。
 そうそう、結婚前、実家から通っていたときは、半年定期が13万円もして、それを一度なくして、自費で買いなおしたことがあった。このときは、その後、コートをクリーニングに出そうとしてよくよく見たら、ポケットが壊れていて、表地と裏地の間のところに、入り込んでいる定期入れが発掘された――というオチがついたんだった。その後結婚して、都心に住み、半年定期が3万円強になって安心したものだ(安心しないで予防しろ!)。

 ところで、こっちの遺失物室は、手数料を取るのだった。3ユーロ。回数券の残高を考えたら、むしろ引き取らない方が、ましかと思ったくらいだけど、この定期入れには勤め時代最後の定期も入っている。当時の自宅と勤務先の最寄り駅が印字された定期を見ると、いろいろなことが忍ばれて懐かしい気持ちになる。会社を辞めたのは、ちょうど去年の7月末日。あれから一年、長かったような短かったような。

2009年7月29日水曜日

母親とブリュッセル観光のこと

 母親の三週間の滞在も、気づけばあっという間に終わっていた。子供の不調で、丸一週間(正確には月~金の5日間だが)家に足止めをくらったせいもあるとは思うが。グリンデルヴァルト観光も、もちろん、目玉だったのだが、普段、娘一家が住んでいる街を見たい、というのもあるだろうと、いろいろ連れて行きたいところを考えていた。

 まず、来て翌日は、子供がスタージュに入っているので、都心に出て、いかにも観光ツアー。王立美術館とその付近、そして母親のリクエストでオルタ美術館。オルタは午後からしか開かないし、立地からしたら、楽器博物館も回れるのだが、ここは子供も好きだし、水曜日にいろいろ体験できるアクティビティも用意しているというので、次の週に回すことにした。これが失敗だったとは神ならぬ身の知るよしもないことであった。
 王立美術館では、ちょうど、修復したばかりのレンブラントの絵の展示があり、修復作業の工程の展示もあって、なかなか面白かった。その他は――「私、こういうなんでもあり美術館って好きじゃないのよね~」と生意気をいう母親と、「うーん、でも、この機会に、ブリューゲルくらい見ておこうかな~とか思って」とさらに傲慢な私。「やっぱ、クラナッハのこの性格悪そうな女って良いよね!」「胸小さいしね!」と意見が一致しつつ、ほんとうにさらっと流しました。

 本当は、開館したばかりで話題のマグリット美術館も行けばよいのだろうとは思うのだが……。
 私の学生時代は、バブル時代というか、セゾン文化華やかかりし頃というか、ちょうど「美術展にいくのがちょっとおしゃれ?」な流行がある頃だった。その頃、上野の近代美術館で大規模なマグリット展が開かれた。記憶しているだけで、四人の人から「美術鑑賞とか好きなんだって~? じゃあ、マグリット展とかどう?」と誘われて、「興味のある物しか行きたくありません。マグリットは嫌いです」と断った。美術鑑賞が好きなら、なんでも良いと思うな! 「とか」ってなんだ! という気分であった。まあ、この甲斐あって、その後、あまり不毛な誘いは(あるいは、有意義な誘いも?)受けなくなったけど。若気の至りエピソードですな。ちょっと弁護しておくと、やはり貧乏学生、お金も限られていたので、好きな物に厳選して使いたかったのですよ……。
 その後、やっぱり付き合いで行った嫌いだったはずのカンディンスキーとか、時間つぶしに興味ないけどな……くらいで行ったモランディが好きになったりしたので、あまり食わず嫌いはいけないなあと思うし、このエピソードも一時期は封印したいくらい恥ずかしかった。でも、年を経て、今は、その時の私に敬意を払って?マグリット美術館はパスしよう、という気持ちに傾いている。

 さて、その後、サブロン広場のあたりを歩いて、子供が一緒だと入りにくい教会に入って、ステンドグラスを眺めたり、ウィッタメールのカフェでお昼ご飯を食べたり、母子デートを楽しみ、トラムに乗って、オルタ美術館近くのアールヌーヴォー建築を眺めて歩いて時間をつぶし、オルタ美術館へ。前に一度、夫と来たことがあるはず(10年近く前だと思うが)だが、だいぶ忘れてしまっている。意外に小さなスペースに、もちろん、事務所も兼ねているから、ショールーム的な意味合いもあったのだろうけれど、これでもかこれでもかと意匠を詰め込んである。
 美術館にいる間に、一転にわかにかき曇って、ブリュッセル名物、いきなりの大雨、そしていきなり上がる、も母親に体験してもらえて、なかなか良い一日だったと思う。
 出だしは、ほんと、良かったんだけどな〜。

 その後、子供不調の一週間、旅に出た一週間を経て、帰ってきたら、もう実質2日しか観光できる日は残っていない。焦りつつ、疲れた母親をいろいろ連れ回す。

 一日目は、平日だったので、子供を連れて、三人で楽器博物館へ。ここは、入館時にヘッドホンが借りられ、展示の楽器の音が聞けるようになっている。いろいろな楽器の前で立ち止まり、聞きながら、踊る子供。ヨーロッパの民族系古楽器、アコーディオンに強く反応している。恥ずかしい気もするが、なに、大の大人もけっこうやっている。楽しい博物館。
 地下の体験コーナーで、ピアノが弾けるところがある。今回は、30代くらい?のこなれた感じのカップルの男性が「ねこふんじゃった」を、小学校低学年の姉弟を連れた若いお父さんが「グリーンスリーブス」を、若いカップルの女性が「エリーゼのために」を弾いていた。以前は、ティーンエイジャー男女4人組の、片方の男の子が「スモーク・イン・ザ・ウォーター」を弾いて、女子たちの気を引いていたのも目撃したこともあり、やはり、個性が出るのう。
 その後、子供の好きなアイスクリームを売るカフェに出て、子供は子供用アイス、大人はこれまたブリュッセル名物の「Dame blanche」を食べる。これはバニラアイスにチョコレートソース(ソースは熱くしておく)をかけたもの。母親も気に入ってくれた。近くの子供靴アウトレットの店に行き、あーでもない、こーでもないと騒ぎつつ、靴を選ぶ。けっきょく、子供の気に入ったのを買わされました。

 翌土曜日は、子供を夫に預けて、母親の義理土産つぶしに。見ていないというギャラリ・サンテュベールを流し、グラン・プラを一応見せて、やはりサブロン広場に出る。ちょうど週末でアンティーク市が立っていて、お菓子型や、レース等ちまちましたものを見て楽しむ。リネンハウスでフランドルリネンを見て、そして、お菓子を買うべくウィタメールとマルコリーニを行ったり来たり。母親の煮え切らない態度にいらいらしたり、いや、このぐちゃぐちゃ考えるのが、買い物の醍醐味のはず、余裕のない状態で買い物をしているのがいけないんだと自己嫌悪したり……。

 日曜日に、みんなでシャルルドゴール空港まで見送り、母親は帰って行った。

 本当は、こんなに忙しく詰め込まないで、いつも、子供と遊びに行っている公園(大きな緑地公園も、小さな遊び場的公園も)や、隣町のちいさな店とかを回って過ごしたかったなあ。そう言ってみるけれど、母親も「また来れば良いんだよ」とは言わなかった。私も「だからまた来い」とは言わなかったし。今回が、母親の最後の海外旅行になるだろうと、途中から、ちょっとした言葉の端々にも感じられて、私はかなり感傷的な気持ちになってしまっていた。ぼけてくるとか耳が遠くなるとか、なだらかな変化もつらいけど、こういった一つ階段がある感じはちょっとこたえる。もちろん、私だってもう、人生折り返し地点を過ぎていて、前だったら出来たことができなかったり、あきらめたりすることが増えてきている訳だけれど。
 母親からは、時差ぼけもなく元気だとか、帰ったら矢野君が復活していて、阪神が勝ってるとか、もちろん、感謝の言葉も連なったメイルが来て、まあ、感傷してるのは私だけかな?

2009年7月28日火曜日

グリンデルヴァルト旅行のこと

 6泊7日グリンデルヴァルトトレッキングツアーに行ってきた。といっても、運転できる人間が夫一人、一気にグリンデルヴァルトまで行かれず、行き帰りに経由地一泊を付けているので、グリンデルヴァルト自体は4泊、まる3日である。
 もともと、母親が、海外旅行で行き残しているのは、グリンデルヴァルトとアルザス、アルザスはツアーで行っても良いけど、グリンデルヴァルトは連れて行って、と言われていたので企画したもの。遊びに行く遊びに行く言う割に、父親がいなくて腰が重くなってきていて、なかなか具体化しなかったのを、日系航空会社なら、空港でもシニアサポートが付くし、とひっぱり出したのだった。それを直前の子供の不調で、あやうくあきらめるところだった。

 我が家の旅行は、企画担当は夫で、いつも地図やガイドブックを見てどこに行くか考えて、実現してくれる。今回も「グリンデルヴァルトだって~」と言っておいたら、日程+トレッキングルートがばっちりくまれていた。それをつまらないと思う人も多いだろうけれど、さいわい私は、けっこうそれが楽しめる方。

 さて、初日は夫が半休をとって夕方旅立ち。20時すぎにフランス、ロレーヌ地方のメッスにたどりつく。ホテルのそばのレストランの外席で夕食。大聖堂が有名な街で、面したホテルに泊まったけれど、改装中とかで中は見られなかった。ホテルにチェックインするなり、外のレストランに食事に出る。面した広場で、ペタンクをやっている。私以外の三人は、近づいて行って見物していて、「やってみるか」とか言われたらしい。堀江敏幸氏『熊の敷石』を読むまで知らなかった競技だけど、こっちはけっこう盛んなのか、ブリュッセルにもペタンク場がいくつかある。料理もとても美味くて感動。ジロール茸が特筆ものでした。
 翌朝、外から大聖堂を眺めて、朝市を流す。ジロールもたくさんあるし、となりの芝生状態なのか、どれもどれもおいしそう。帰りじゃないから買えないのが残念だった。二階建ての屋内市場もあって、なんだかイタリアとかスペインみたい。
 途中、アルザスのリボーヴィルでお昼ご飯。フラムクーヘンも、じゃがいものグラタンも美味。ああ、私はどうしてこういう肉+じゃがいも+乳製品のみ――な食事が好きなのか。

 そして、グリンデルヴァルト。夫がとった宿は、街から離れていて車がないとまるで不便なところ。まわりは牧草地。アイガーを臨むすてきなロケーション。さすがに在住でないと行きにくいのか、ほかに三家族いた日本人家族もブリュッセル在住とかだった。食堂の脇に小さなプレイルームがあって、プレモやレゴ、カードゲームが置いてあって、子供はすっかりはまり込んでしまった。
 夫企画の三日間のトレッキングルートは、それぞれ、「ユングフラウ、アイガー、メンヒ三山そろい踏みを眺めながら(14000歩強=母親の万歩計による)」「牛たくさん+夏の牛小屋+流水(11000歩強)」「お花畑のわきをゆっくり歩く(9000歩弱)」と性格がはっきりしていて、楽しかった。基本は、乗り物で高いところへ上がる→だらだらと下ってお昼ご飯→また乗り物で下山。乗り物も、6人乗りのゴンドラ(冬はスキーを外に刺して乗るやつですね)、登山列車、車体自体が斜めになっている登山列車(ヴィクトリアンピークとかにあるやつです)、大型ゴンドラと、ヴァリエーション豊かで堪能。しかも、滞在している三日間、ずっと天気がよくて、日頃の行いの良さ(誰の?)を感じたのだった。

 が、そんなすてきな道なのに、子供がまったく歩かない。もちろん、体調も万全ではないし、もともと初めての場所には物怖じしてしまって慣れるまでに時間がかかる、風光明媚なんて興味ないし、平地だって夫が一緒のときは甘えてしまってあまり歩かない、乗り物に弱いこともあるし、いきなり高度を上げる乗り物に参ってしまっていたりもするのだろう――と、ずっと夫が肩車で歩いていた。2日目に夫がおなかを壊してダウンしてしまい、3日目はついに、私が肩車するはめに。一度、楽しい気分を盛り上げて、歩かせることに成功したものの、いきなり道のない草むらを走って尻餅をつき大泣きになって、また肩車に。
 そういった風光明媚に目覚める前の子供対策なのか、乗り物の駅や、昼ご飯のレストランには必ず遊び場(ブランコや滑り台等、けっこう立派な物が多い)が設置されていたのだが、それはもれなく遊びたがるのだった。そこまで肩車で来ておいて、遊び場が眼に入るなり、降りて走りよる子供。うーむ、歩けないなんて嘘じゃん! 釈然としない気持ちはともかく、高度2000メートルでブランコやくねくね曲がった滑り台、回転遊木、高度1600メートルでトランポリンは果たして気持ち悪くないのか? 

 2日目、夫がおなかの調子が悪いと言い出した。全身だるいというし、直前の子供と症状が似ている。昼は子供のために持ってきた薬を飲んで、様子見。やっぱり寝ていた方が良さそうなので、山から戻って、彼は一人で寝、子供はプレイルームに、母と私は、アイガーを眺めながら、外席でお茶。夜ご飯も宿で食べた。
 ご飯後は、プレイルームにあったカードゲームを部屋に持ち込んで遊ぶ。ドイツの人気ウサギキャラクターFELIXのドミノ、ファインディング・ニモのメモリー(神経衰弱みたいなやつ)、UNO。
 このニモのメモリーが、36枚の1ペアずつの72枚で、すごく大変だった! 同じキャラなら良いとするのかな? と思ったりもしたが、3キャラ4キャラ書き込まれたのもあるし、それも無理があるだろう。一番若い子供は嬉々としてとっていたが、記憶力に衰えを感じる40代+70代にはつらかった。
 母親は、UNOは初めてだというけれど、私は、学生時代の合宿やスキーを思い出して懐かしかった。酒飲み学生が徹夜でやる物だよな……。当時はなかなか終わらない物だった記憶があるけれど、初心者のために、ワイルドカードを外しているせいか、3人だからか、はたまたしらふだからか、けっこう簡単にゲームオーバーになるのだった。
 夫は、一人で絲山秋子氏『海の仙人』を読み、「悲しすぎる、こんな悲しい話はダメ!」と怒っていた。しかし、この本は読むたびにラストの印象が変わる。
 この他、私は『寺田寅彦随筆集 二』を、母親が中公新書『ヨハン・シュトラウス』、『米原万里対談集 言葉を育てる』(もともとは私の本棚にあったもの)、図書館で借りて持ってきたという(だめじゃん!)『グリンデルヴァルト通信』(検索してみたが、うまく検索できず、正しいタイトルでないかも)、子供用に『長くつ下のピッピ』『いやいやえん』があり、旅行中に回し読みをしていた。私は、子供には強く「自分で読めるようになった本は読んでやらん!」と言っているので、よほど夫が体調が悪い等のときでないと被害に遭わないのだが、母親は、「読んで読んで」攻撃を受けてぐったりしていた。

 とまあ、こんな感じで、グリンデルヴァルトは終わり、帰りは、コルマール、ストラスブールをざっと観光しつつだらだらと帰ってきた。最後の宿(ドイツのフライブルク近郊)の夜ご飯――豚肉の焼いたのにジロール茸ソースがかけてある。シュペッツレ(このあたりのパスタ)添え――がとても美味しくて、やはり私はドイツ味覚。母親のニジマスのソテーのジロール茸ソース、夫の魚のすり身のゆでたののほうれん草ソテー添えも美味しかったし、デザートにクレムブリュレにミントチョコアイス添え(私)や、ヴァニラアイスクリーム(子供)、ヴァニラアイスに熱いベリーソースかけ(母親)をとったのも美味しかったな〜。

 さてさて、ところで、ベルギーはヴァカンスが長いと書いてきたし、今年はもう一度8月にも1週間の旅行を考えていて、酷暑の日本で働いている皆さん申し訳ないですな! はっはっは~――なのですが、夫は日本企業の人なので、普通に日本で定められた有休(年20日)を消化しているだけなのです。それでも、こんなに休めるなんて、いかに日本にいるときは、休めていなかったのか……。

2009年7月23日木曜日

腹痛のこと

 最初におかしかったのは、日曜日の夜だった。私は、
*母親の市内観光
*子供の服ほかバーゲンを効率よく回り、遺漏なく買う
*日用の買い物――肉屋等、夏休みが始まるので要注意
*子供を飽きさせないために公園を適宜入れる
 を、いかに効率よく回るか、頭がいっぱいになり、表までつくって整理していたところだった。
 子供を寝かしに行った母が戻ってきて、子供が「やっぱりパパじゃないと眠れない」と言って泣いていると言う。行ってみると、ほんとうに涙を流してしくしく泣いている。しょうがないので、夫がバトンタッチして寝かしつける。

 翌朝、子供がおなかが痛いと言う。様子も変だし――と、母親と二人を残して、出勤の夫の車に同乗してスーパーとパン屋に買い物に行く。来た当初、失敗したので、二度と買わないと思っていたスーパーの肉を買う(結局、たいしてまずくなかったでした。偏見ですみませんでした)。

 さて、で、買い物を終えて戻ってみると、子供は元気になっていた。昼ご飯のときも食欲旺盛で「さっきのおなか痛いはうそのおなか痛いだったの」とかのたまう。へーそーですか。ちょっと予定が後ろにずれたけど、午後から都心へバーゲンへ。でも、街に慣れていない年寄りと、子供と二人連れて行くのは意外に疲れる。がんばって、トラムとメトロと乗り継いで遠出してしまったし。ショッピングアーケードで、空気が悪かったのか、二人が「疲れた」「なんだか息が苦しい」などと口々に言うので、必須のこどもパジャマ2枚だけ押さえて、お茶を飲んですぐ帰る。
 そして、夜ご飯はあまり食欲がない。お茶のときに、一人で大量にクレープ食べたからかな、とか、豚肉嫌いだからなとか思っていたが、やはり寝る頃には「おなか痛いおなか痛い」という騒ぎになる。また、夫にべったりくっつかないと寝られなくなり、夜、一度また起きて泣いたりした。
 訴えるのは腹痛だけで、吐きも下しもしない、熱も出ない。たいしたことはないのではと思いつつも、私も夫もあまりそういうことはない(私も夫も劇症が出て、けろっと治るタイプ)ので、不安になって二人でネット検索してますます不安になる。
 朝もまた、おなか痛いおなか痛いと騒ぐので、日本語の分かる女医さんのところに電話をして予約する。昼の予約が取れたので、私はマルシェへ、夫はいったん職場へ。子供は、起きたものの「おなか痛い」と泣きながら、またぐったりと寝てしまう。熱だって、39℃を超えないとこんなにぐったりはしないのに、といやーな感じになってくる。母親が、「それは今を去ること半世紀ほど昔のこと――」と私の叔母や、その息子が盲腸になったときの話を講談調におもしろおかしく話し始める。昔は、入院するには患者が布団を担いで行ったとか、従弟は腸が長過ぎて、手術にえらく時間がかかったとか(『動物のお医者さん』の菱沼聖子みたい?)。

 自動車で医者に行くために夫が中抜けしてくれたが、子供は薄く眼を開けるだけで、もうろうとした感じ。抱き上げようと、車に乗せようと反応がない。
 が、医者について日本式に靴をスリッパに履き替えようとしていたら「私も履く、そのミッフィーのがいい」といきなりはっきり言う。急に立って歩き始める。医者が、喉やリンパ腺もなにもないと確認して、おなかを触診する。「腸は炎症を起こしていますね。まあ、風邪でしょうか。整腸剤と抗生物質を出しておきます」
「あの、盲腸とか、そういうことはないのでしょうか」と聞いてみると、一瞬眼が冷たくなり(と私には思えた)、
「それは100%――いえ、もちろん、かなり初期で、これから悪化してくるということもあるわけですから、100%とは言い切れませんけど、でも、もう99.9%ありません!」と断言される。

 帰ってから、夫も含め、大人三人で昼ご飯を食べる。診察の話をすると、母親にも「盲腸なんて! あり得ない! よくそんなの恥ずかしいと思わず聞けたね!」とバカにされる。いやでも、疑問は、その場ですべて解決しないと! 子供はバナナを食べさせるが、3分の1くらいしか食べられない。昼休みが終わるのを待って、薬局で薬を買ってくる。14時半に飲んで、母親が「この時計が15時になったら、おなかいたくなくなるよ」とまた根拠のないことを言う。が、暗示が効いたのか、15時には、いきなりけろっとして楽しく遊び始めたのだった。恐るべし、暗示。いや、整腸剤が良いのか?

 買ってあった絵の具を出してやり、ベランダ用のテーブルを買ったときの段ボールがまだあったので、それも解体して、思いっきり描くが良いよ! と言ってみたが、意外に物怖じするたちなのか、あまり思い切ったことをしないので、私が大きくワニを描き、色を塗らせることに。巨大ワニなのに、飽きもせずぺたぺたと塗り上げて行く子供を見て、この集中力は、むしろ体力が落ちているせいなのかも、と思う。スポンジをハート形や、三角に切って、それを絵の具に付けてスタンプにして模様を付けさせて完成した。

 その後も、一進一退を繰り返しつつ、金曜日まで、必須の買い物以外、外に出られない日々が続いた。遊びにきた母親も、ずっとべったり家にいてかわいそうだが、海外慣れしていた父親と違い、母親は一人で外に出すこともできない。
 金曜の昼からは、ちゃんと子供の食欲も復活したので、母親リクエストで企画していた「グリンデルヴァルトでトレッキング、前後にアルザス、計6泊7日ツアー」を敢行することに。それは改めて、別の話とするが、旅行中、うつったのか、今度は夫がおなかを壊し、つらい日々を送ったのだった。
 夫婦二人だった頃は、風邪はうつし合わなかったのに、子供が出来たら、てきめん、一人が体調を崩すと、全員がうつる。親になったら、体調崩してられないから、体も強くなると聞いていたのになあ……。

2009年7月15日水曜日

夏休みのこと

 長い長い夏休み――としつこく書いているが、休みが長いのは、学校だけではない。仕事も休む。個人商店もかなりきっちり休む。

 最初に気づいたのは、ふだんは行かない惣菜屋の前を通ったときだった。7月頭から8月頭まで、1ヶ月超の予定が貼り出されていた。へー……と思いつつ、通り過ぎて、なじみの肉屋ナンバー2(私にとっての偏愛肉屋。1と2があります)に行ってみたら、そこにも、予定が貼り出されていて「7月12日から8月6日」とある。これは厳しい! 次に肉屋ナンバー1で見てみたら「7月16日から8月12日」。こっちのほうが長いじゃん! さらに、そのナンバー1は、最終日の15日、朝行ってみたらもう休みに入っていた。確かに、前日、すでにこの世の終わり的にものが少なかったけど……。前倒し、ありなんですか??? 呆然と立ちすくむ私に、通りすがりの老婦人が「今日からそこ、お休みよ」と優しく声をかけてくれる。未練がましく見ていたら、ついに、ドアが開いて大掃除が始まり、やっとあきらめがつきました。
 パン屋は、いつまでも貼り出さないので、聞いてみると、「8月中旬から9月中旬の予定なんだけど、まだちゃんと決めてなくて、というのも、だらだらだらだら」と丁寧に話してくれるが、後半はまったく意味分からず。どうも、9月の途中で予定があるけど、それがまだ決まらないとか、曜日の都合があるとかそんなことを言っていたらしい。はー……、ここもまるまる一ヶ月休むですか! あまりのことに、カレンダーに書き込んでいるけど、7月中旬から8月中旬にかけてが多く、私たちも来週は旅行に行くけど、戻ってきてからはどうしたらよいのか。スーパーはちゃんとやっているのだろうか。マルシェの八百屋や肉屋で、聞くと「休みはない」「8月15日だけ」というのがあるけど、けっこうみなさんしっかりお休み。じゃあ、外食? レストランも、ちゃんと休むところは休む。
 
 ドイツ時代もこうだったっけ? イタリアから来た移民の人たちが大きく休んだり、一軒、マルシェにくる肉屋が「今年はノルウェー行くんだ~!」と4週間休んだ、という明確な記憶があるけど、こんなに食料危機感を覚えた記憶はない。

 民族ジョークの一つで「ヨーロッパ一働かない」と揶揄されるベルギー人だけど、今年の4月だったかのOECDの調査でも、一週間単位の自由時間は先進国内一番長かった。でも、睡眠時間と食事時間を足すと、フランスが上回るので、まあ、日本人の感覚からしたら「一番働かない」のはフランス人かな? とか思っていたのだった。バカンスの長さはどっちが上なんだろう? 前に、ドイツでは、6週間の権利があると聞いたことがある。珍しく働き者で、あまり休まないと言われる知人でさえ、「医学的な報告で、2週間以下の休みはかえって疲れを助長する。まとまった休みは4週間以上とらなくてはならないとされている」とか言っていて、4週間とか休んでいたものなあ。「若者は最近、スキーが好きで6週間の権利を夏と冬と分けてとる」とかも聞いたけど……。
 ちょっと話がずれるが、さらに言うと、たとえ風邪でも医者の診断書が出れば、有給外のお休みになるから、有給は本当にプライベートの時間のためにとるものなのだそう。うーん、変だと思ってしまう私の方が異常なのか?

追記;その後、夫に確認しましたが、ベルギーもドイツと同じ、6週間(30営業日)が法定バカンスだそうです。

2009年7月14日火曜日

スタージュのこと その2

 一週間続いたスタージュ。過ぎてしまえばあっという間で、もったいない、惜しい、もっと続けば良いのにと思ってしまうほどだった。最終日に、発表会というか、おさらい会があるという。こっちでは幼稚園でそういう「こっちで仕込んだ芸を披露しますよ」会がないので、楽しみにしていた。 

 先生は、音楽担当の男の先生が二人。
 背が高くいわゆる金髪碧眼の先生は、二日目から簡単な日本語を覚えて、「こんにちは」「さようなら」くらいは送迎の私にも言ってくれるようになった。子供の話では、bienは「すごい!」「じょうず!」と教えたので、そう言ってくれるようになったとのこと。迎えに行くと、帰ろうとする子供を捕まえてフランス語で話しかけて、子供が「それは『じょ-お-ず』だよ!」などと返事しているのも目撃。真面目な顔で、言ってみせるのを、偉そうに子供が指導している。ちょっと甘いタイプの顔立ちで、私の母親も、すっかりファンになってしまった。
 もうひとりのくまっぽい雰囲気の黒い眼黒い髪のメガネの先生は、ギターを弾いたりいろいろしてくれるそうだ。私はこっちの先生の方が好みなんだけどなあ……。途中から脚をけがしたとかで、松葉杖で登場した。

 二人とも、そして運動担当の女性二人も、若いせいか、幼稚園の先生とは感じが違って、ずいぶん子供に近い感じがする。日本の保育園の先生が家族の延長だとすると、こっちの幼稚園の先生は、学校の先生の延長、そして、このスタージュの先生は、年長の友達の延長といったところだろうか。送迎のときなど、何人もに押し倒して馬乗りされたりしている。四人ともおっとりしている感じで、見ていて好感が持てる。しかし、うちの子供はすっかり金髪男子先生になついていて、女性の先生は名前も覚えていないくらい。なんてはっきりしているのか。

 さて、発表会。ちょうど家に滞在していた母親と、仕事が家の近くで早く終わって直帰した夫と総出。恥ずかしい一家なり。
 ちいさな会議室のような教室に、椅子を並べて観客席を作り、子供たちは小さい子は床に、うちの子たちは会議机を並べた台に座っている。手に手に、小さなたいこやマラカスといった子供用の楽器を持っている。うちのはトライアングルを持っていた。くま先生がいろいろ保護者に向けて「月曜の朝から練習をしてきました」とか、「午後からはこの部屋で……」などと説明するのだけど、自分の親の姿を見て興奮する子供たちが収拾がつかなくなって焦ったり、ちょっと大声を出して怒ってみたり。その姿に、また子供たちが興奮してしまったり。やっぱり子供たちは、日本の子供たちのように、こういう場に慣れていない。でも、金髪男子先生が、観客席の後ろに回って、注意を喚起し、くま先生の合図で「Un, deux,un,deux,trois!」と楽器を叩いて歌い始めると、とても楽しげ。本人たちが楽しい雰囲気は、こっちの勝ち(勝ち負けじゃないけど)。うちの子供も、珍しく自信ありげに大きく口を開けて歌っている。保護者もみんな写真を撮ったりビデオを撮ったり、そこは日本とかわらない。
 三曲の歌を、打楽器のリズム付きで歌い、会は終わりになった。この一週間の途中に作ったというギターを返却してもらう。靴箱にゴムを張って、クレープペーパーで飾りを作って貼っている。そして、金髪男子先生がまた子供のところにやってきて、日本語を教わっている「それは、と-り!」とまた偉そうに教えている。そして最後に、ハグとほおにキスで別れていた。
 ああ、本当に短かい一週間だったなあ。今度の水泳のスタージュも楽しめると良いなあ。

2009年7月8日水曜日

スタージュのこと

 長い長い夏休み――とつらそうに書いてみたけれど、そんな母親に、強い味方「スタージュ」がある。夏休みや、イースター休暇などの長い休みにだいたい午前9時から夕方16時くらいまで、公立の学校や文化施設、民間のスポーツクラブや遊戯施設、料理教室などで預かってくれるシステム。週単位で申し込みが出来て、音楽、美術、体育、語学と、いろいろ学ばせたり、普段の学校と違う人間関係ができる。昔読んだピーナッツコミックスでチャーリー・ブラウンやルーシーたちが長い夏休みの大半をサマーキャンプに入れられていて、その時、アメリカでは夏休みが長いから、こういうところに預けられると聞いたことがある――なんていうことまで思い出したりした。
 やっぱり家ではできないものが良いから、運動か音楽と考えてネットで探していて、最初は楽器博物館のいろいろな楽器に触れたりするコース(8歳くらいからはちゃんと習うコースもある)が良いかと思っていたが、毎日朝早く都心まで送って行くことを考えると、難しいので断念。幼稚園の水泳のときにも通う、子供の好きなプールのあるスポーツセンターのものを探す。大手スポーツクラブが主催するコースがネットで情報が見やすく、分かりやすいのでそこにすることに。子供は水泳が好きだから、水泳中心の初心者向けコースにしようと考えた。
 一度狙いが定まると盛り上がりが冷めてしまって、しばらく放置してしまい、1ヶ月前になってさあ申し込もうとまたそのサイトを見てみると、なんと一番いれたかった、夫の出張のある7月6日からの週の水泳初心者コースが埋まってしまっている! しかも、簡単にネットで申し込めるつもりだったのが、ネットからは申し込めない! というわけで、家のそばにあるそのスポーツクラブの事務所に行ってみた。
 行ってみたら、同じ幼稚園の日本人保護者が連れ立ってやってきていて、自分のコミュニケーション能力の低さにまたがっかりする。そこで聞いても6日からの週の水泳は埋まってしまっていた。係の人は、親切に「6歳からのコースはまだ空きがあるから、そっちにする?」と聞いてくれたが、初心者なので……と言ってみると、じゃあやっぱり無理だという感じ。結局、音楽コースにした。スポーツクラブなのに、音楽コースがある。内容を読むと、リズムに合わせて体を動かしたり、簡単に楽器も触らせてくれるらしい。一日の間に、ほかのスポーツ的な遊びもやってくれるという。合っているかも、と納得。最初の申し込みだけ済めば、あとはネットの申し込みが出来るようになったので、もう一つ、7月の終わりに水泳コースを申し込んでおいた。

 さてさて、そんなわけで7月6日の朝。ついうっかり「エコールとは違うんだよ」と言ってしまった。「**はいないの?」「いないと思う」「じゃあ△△は? ▲▲は?」うーん、幼稚園のそばだからメンバーがかぶっているかもしれないと思うけれど、でも、どうしてそこで挙がる名前が、クラスでも悪ガキな男子なのか。どんどん、子供の顔がこわばって行くが、ふたを開けてみたら、なんのことはない、同じ幼稚園の一つ上のクラスの日本人女子二人が同じコースにいたので、子供は大喜び。その他にも、コースは違うけれど、やはり同じ幼稚園の日本人も見える。3-18歳までの各種のコースがあるとはいえ、大きな体育館が、子供たちに加え、送迎の保護者でごった返している。
 先生は学生バイト?な雰囲気の男性二人女性二人。あとで担任表を見たら、男性二人が音楽系、女性二人が体育系らしい。まだまだ若者なので、子供たちがよくなついている。20人くらいに大人4人がつくのはけっこう贅沢? フランス語で先生が「名前は何ですか」と聞くのに、子供がちゃんと応えられて一安心。いい雰囲気なのでそれにも安心して家に帰る。

 迎えに行くと、興奮して走って出てくる。延々とやったことを報告してくれる。トランポリンみたいなのをやったり、ボール遊び、手遊び付きの歌、ギターを弾いて歌わせてくれたり、タンバリンを叩いたりできたらしい。たくさん話が出てくるのは、楽しかった証拠なので、こっちも嬉しくなる。
 火曜日は、短い時間ながら水泳も出来、幼稚園で行くのとは違い、ちゃんと一人水に入って指導してくれたらしい。おふろに入ったときに、実演付きで説明してくれた(それはちょっと……)。私相手だと、ちゃんと疲れるまで遊んでやれず、家で大騒ぎするからと思ったのも入れた理由の一つなのに、テンション上げて帰ってくるので、どっちが大変かは疑問だけど。

 迎えに行ってもハイテンションな子供たちを敷地内の小さな公園で遊ばせながら、珍しく私も母親トーク。スタージュ情報をいまさらいろいろ仕入れて、出遅れた感を覚えるが、なに、まだブリュッセル暮らしは続く。

 一方、私の方は、暑さ負けなのか、夫が出張なためのプレッシャーなのか、頭痛と胃痛がひどく、月曜火曜とほぼ寝て過ごしてしまった。自由時間ができたらバーゲンに行こう! と思っていたのに……。あまりに残念なので、水曜日にがんばって都心に出て、一軒だけ流してきた。スカート購入。まだちょっと芯に頭痛が残っている感じで本調子ではないが、今日、水曜の夜には母が来る。明日の夜には夫が帰ってくる!

2009年7月7日火曜日

おもちゃ博物館のこと

 7月1日から2ヶ月にわたってながいながい学校の夏休み。火事というアクシデントに見舞われ、一日前倒しで始まってしまった。おりしも、30℃超えの日々が続き、暑さが苦手の私はばてばてである。子供は暑さにも負けず、公園に連れて行けば、遊び回るし、日頃より汗をかくせいか、水分を良くとるようになるくらいで、元気いっぱい。ここはなにか目先を変えた企画を入れようとしていて、ニュースサイトで「プレモ35周年を記念しておもちゃ博物館で展覧会」を見つけた。

 いつも、ベルギーのニュースは、フランドル地方系のテレビ局のサイトのフランス語のページのニュース動画(文字原稿もついているのでわかりやすい)を見ているのだが、社会経済ネタはまったくわからず、これまで見たものといえば、「マグリット美術館開館」「自然科学博物館でダーウィン展」といった文化系、「大手スーパーのデレーズ、仕入れ価格の折り合いがつかず、以下の商品の取り扱いをやめる」「ヴェリタ(大手手芸用品店チェーン)が今度の新規開店で、**店舗に」――といったお店情報、「保育園で殺人事件が」――の三面記事的なもの(あまりない)、「未明に嵐、3万発以上の雷」――の気象系、「フランドル地方の学生は恋愛に保守的」「フランドル地方の学生の外国旅行経験数は、ヨーロッパ最下位」――自虐系?くらいしかなかった。

 そんなニュースサイトも見ていて良かった! やっと有効な情報が! この博物館は、隣町のメッヘレンにあり、電車に乗れば20分、確か、電車に乗っていて、建物を見たこともあるくらいで駅に面しているはず、とサイトを検索、ドイツ語のページもあって便利便利。地図も見て、駅に隣接していることを確認。
 金曜日、お弁当を作り、出勤の夫に、地下鉄の駅で落としてもらって出発! 中央駅でチケットを買って、巨大時刻表(ヨーロッパのはどこもそうだとおもうが、出発時刻と電車番号の入った枠が左側に、右側にその電車のその後の停車駅とその時刻を全ていれた表が貼り出されている)を見ると、すぐメッヘレンに止まる電車がくることが分かったので、走って行って飛び乗った。20分くらいの電車旅は快適で、子供も機嫌良く、さあ、メッヘレンについた、と降りてみると――
 おもちゃ博物館が発見できない。

 当たり前なのだが、オランダ語圏の街なので、表示が全てオランダ語になっている。はっと気づくと、昨日は、ドイツ語のサイトがあるので嬉しくてそっちを見ていて、オランダ語で「おもちゃ博物館」をなんと言うのかすら知らない。愕然としつつ、とりあえず開けた方に出てみる。そして、地図に出ていたあたりを見てみるが、よく分からない。バスロータリーにあった近辺地図を見てみるが、全部オランダ語でまったく分からない。パニックしてくると、英語でおもちゃをなんていうかすら分からなくなってきた。ドイツ語がSpielzeugだから、直訳するとPlaying tool?いや、そんなこと言わないよ!(ずいぶんあとになって、家に帰ってから思い出しました。Toyですね?)
 おなかが空いて機嫌が悪くなり始めた子供の手を引いて、駅に戻って、売店のおばちゃんに「Where is Spielzeugmuseum」と強引にドイツ語まじり英語で話しかけてみる。すると、「Spielzeugmuseum!」と反応してくれるが、「知らない」という身振りで、オランダ語で返事が返ってくる。そばにいた、となりの店のおじさんにも、聞いてくれるが、そのおじさんも「知らない」とのこと。
 また、駅の外に出てバスロータリーまで戻ると、バス会社の人らしき女性がいたので、また聞いてみる。と彼女は、かなりイントネーションはなまった感じながら、英語で返事をしてくれる。
「それは、まず、駅に戻ってねくすぽーに止まる電車を探し、乗ります」
 ねくすぽーだけ分からない。見当をつけて「ねくすぽー? Next station?」
「そうそう。Next station。そこからは、すぐだし、大きい建物なので、すぐ見つかるはず。駅の反対側になりますよ」「電車に乗らないと、行かれませんか?」「行かれるけど、その場合には、この道をまっすぐ行って川を渡っていきます」「どのくらいかかりますか」「15分かかります。電車なら2分ですよ」「分かりました、電車にします。で、そのNext stationの名前は何ですか?」「だからねくすぽーです」
 恥ずかしいことに、そのねくすぽーは固有名詞だったのだった。何度も発音してもらって、駅に戻る。こういうときにはとてもありがたい全停車駅網羅の巨大時刻表を見る(しかし、日本だと、こういうときどうやってその駅に止まる電車を探すのだろう? 日本は、**線という呼称を徹底することで便宜としているのだろうか)。その駅の名前は「Nekkerspoel」だった……。10分空きができたので、ホームでお弁当の前半を食べる。そして、ほんとうに2分ほどの旅で、また降りる。言われた通り、駅の反対側に出る。が、めちゃくちゃさびれていて、そんな大きな建物なんてない。うーん、これは私の英語力の問題かな? と開けている方に戻る。が、そこにも見つからない。
 そこに至って、しょうがないので夫に電話、おもちゃ博物館のサイトを見てもらい、最寄り駅が、このNekkerspoelであることを確認、住所を読み上げてもらう。果たして、それは駅のさびれた側だった。一度でも疑ったことを先ほどの親切な女性に心で詫びつつ、言ってみると、入り口が地味なので、駅から見て分かりにくいが、線路に面したところにあった!

 まず、1階の常設をさらっと流してから、同じ1階のカフェでお弁当を食べて良いか聞くと「もちろん! 飲み物が欲しかったら買いにきてね」と力強く言ってくれるので、プレイモービルで作ったパノラマの飾られた窓際の席で食べる。そのカフェに隣接して乗り物などの遊具ゾーンがあるので、子供は食べ終わるや否や、走って行ってしまう。私もコーヒーを買って飲みながらぼーっと眺めていた。
 そのカフェも遊び場も、天井が低く、照明も、暗めのしかも古いタイプの灰色っぽい光の蛍光灯で、なんだか、うらさびしい気持ちになってくる。昔、子供の頃に行った、ディスカウントストアの屋上の室内遊戯場のような雰囲気である。気づけば机も会議机の用な、木目プリントの合板だし、濃い青のカーペットもなんとなくそんな雰囲気を助長している。
 展示室も物悲しい雰囲気があったけど、でも、それはおもちゃは遊ばれなくなって展示されてしまうと、もう命を失うものだからかもしれない。

 少し遊んだところで、呼び戻して、プレイモービル展に行く。等身大プレイモービルが迎えてくれる展示会場で、子供は興奮して走って行ってしまう。
 鉄道/市民生活/西部劇……と各テーマに分けられた展示スペースに、新旧のプレイモービルを混ぜて展示してある。足下に置かれた製作年度を見ると、微妙に形の滑らかさ、色の鮮やかさに変遷があるのが感じられる。私は80年代くらいの形や色が好きみたいだ。子供はいくつか置かれた遊べるスペースではまり込んでしまった。大人の目で見ると、初期の設計図(手のRの径をどのくらいにするかなど事細かに書かれている)や、竜のフィギュアが完成するまでのイメージ図→設計図→粘土で作ったモデル→実際の材料でのプロトタイプ→実際の商品が分かりやすく並べてある――などの資料的な展示が面白かったが、子供にとっては、やはり遊べることに価値があるのだろう。
 最後に売店で、子供は妖精の格好をした女性のを買いたいというので、私も、自分に35周年記念パッケージに入った騎士のを買った。

 駅に戻ってホームで電車を待ちながらふと見ると、ホームからおもちゃ博物館の背中がわが見え、大きくSpeelgoedmuseumという文字と、サイトでも何度も見ていた輪回しをして遊ぶ女の子のロゴが書かれているのを発見! そうだ、電車に乗っていて見たことあるって思ってたんだった。さきほど、駅から見えるなんて嘘じゃん! と思ってしまったことを、またまた先刻の親切な女性に心で詫びたのだった。

2009年7月1日水曜日

年度末のこと

 6月で幼稚園の一年は終わり。最後の週は月火二日だけなのに、月曜日をボンで過ごすことにして、あと一日行ったら、お休みだよ、と子供には言っていた。
 さて、金曜日に、休みの予告をしてこなかったので、月曜朝、幼稚園に電話を入れる。留守電になっているが、朝の幼稚園は忙しくて、なかなか人が出てくれないのはいつものこと。いつもは、誰か出るまでならし続けるが、今回は、留守電に休む連絡をいれて切る。
 その後、見慣れない電話番号から、携帯に連絡が入るが、この番号を知らせているのは夫と大家だけ(寂しい人間関係である)。怪しいので、放置しておいたら、また同じ番号から電話がかかってきた。番号から、ベルギーの携帯と分かるので、出てみると、同じクラスの日本人の母親だった。そういえば、前に、このお家でお誕生会に招かれたときに、私からかけたから、番号はばれていたんだった。
 今、担任から電話があって~と切り出す彼女に、ああ、休みのことかと、早合点してそう話すと、「いえいえ、火事のことは知ってますよね?」。いえ、知りません、なんですか? それ。

 金曜日の夜、幼稚園が火事になり、といっても、全焼とかではないのだが、保育が出来る状態ではないので、月火と休みにする。絵とか、今年度のクラスでの作品を返すので、とりにこられたし、ちなみに担任は明日の午後、いる予定である――とのことだった。最後の二日間がこんなことでなくなってしまうなんて! とにわかに惜しい気持ちになるが、こっちはとくに終業式や卒業式のたぐいもなく、淡々とした普通の一日のはず。

 30日、担任がいるという時間帯に幼稚園に子供と行く。外に貼紙があって、金曜の夜に火事があり、「子供たちの安全と電気系統の修復のため」この月火は休むとある。玄関ホールに非常勤の先生がいて、担任は中庭にいると教えてくれる。ほかの親子もちらほら来ていて、担任の先生と話している。しばらく子供を遊ばせてから、二人で、建物の中に入ってみた。廊下は電気も落としてあり、とても焦げ臭いが、火元だったというウサギ小屋は、意外に焼けてなく、水浸しとはいえ、わらも健在。ウサギもきっと生きているだろうと思うことにした。そして担任に挨拶。ありがとうとか、良い休暇を!くらいしか出てこないのが悲しいが、なに、日本にいたって、こういうときに如才なく話せる人間ではない。最後に子供に「ma cheri!」(私のかわいい子)と呼びかけて、キスしてくれた。

 家に帰ると、前に、幼稚園で種を植えて持って帰ってきた鉢が、やっと咲いていた。留守も多く、ここに来て日が強くて、葉は焼けて落ちてしまったけれど、ゼニアオイ(と思われる)ピンクのかわいい花に子供も喜んでいた。
 夜になって、夫も帰ってきたところで作品解説をしてもらう。描いたときのことを思い出すのか、説明は、かなりフランス語になってしまう。中に一冊「人物画の成長」というようなノートが入っていた。ページごとに「9月」「10月」……とあって、人の絵を描かせてある。最初のページに、「この一冊の中のひと月ごとの10の絵、そして、学年ごとに子供の成長を感じるでしょう」と書かれ、それぞれの学年での達成目標が描いてある。うちの子の、年中組では、垂直に人物像を描くことができる/服やボタンを描くことができる/人物像のディテイル、それぞれの数、服、髪などを描くことができるだそうだ。最初、ぱらぱらと見たときはあまり成長は感じられないなあと思ったものだが、この目標を見ると、途中から首が発生したり、がんばって指を5本描こうとしている気配が見られる。
 むしろ成長が感じられるのは、毎月の遠足の絵。あまりにも余裕のなかった最初の10月から、どんどんと余裕が出てきてのびのびと描いているのが感じられる。
 また、同じ袋に、最後の遠足の写真が入っていた。ポニーと聞いていたのだが、立派なちゃんとした馬に、鞍を置いて乗馬帽をかぶってまたがっている。緊張しているのか、顔が少しこわばっているのがおかしい。動物はけっこう怖がるので、こういう団体で行かないと、触ることも出来なかっただろう。いやいや、悪運強く行かれて良かった。

 なにはともあれ、ほぼ1年、無事に通うことができて、最初のあのつらい日々が、笑い話になる日が来て本当に良かった。そしてこれから長い長い2ヶ月の夏休み。はー…………。