2009年6月26日金曜日

クラス替えのこと

 ヨーロッパの学校は(アメリカもだと思うけれど)、6月が年度末。というわけで、クラス替えの発表があった。先日、お迎えに行ってみると、廊下のクラスの掲示板に新クラス表が貼ってあり、うちのクラスの子供の名前にマーカーが引かれている。うちの娘は今度は3A。いつも、一番仲良くしてもらっている、ブリュッセル生まれの日本人の女の子とはクラスが離れてしまった。

 と、英語が出来て、いつもいろいろと面倒を見てくれている母親の一人が、一大事! というように、「ほら、***(と、名前を挙げて、リストを指差し)と違うクラスになっているわよ! 先生に言って、一緒にしてもらうようにしなさいよ!」と言ってくる。
「いや別に……」みたいな反応をしていると、重ねて、
「どうして? だって一番仲が良いんだから、一緒がいいじゃない」と言う。
 表情を見ても、特殊なことではないらしいし、善意で言ってくれているともわかる。そして、純粋に、私の低調なリアクションが謎らしい。「なぜ?」という顔をしている。
「なぜならば、ほかのこの日本人たち(とリストの名前をさして)も、仲が良いから、not so badなのです」と言ってみたら、一応、納得してもらえたが、今度は、もう一方の女の子のクラスに、日本人や、仲の良い子がいない! というのが心配になったようだった。
 よくよく表を見てみると、その母親の子供は一番仲の良い子と同じクラスなので、前もって交渉してあったか、去年あたりから、ずっとそうしてるか、なのかもしれない。

 一件落着とおもっていた翌朝、また、そのお母さんが寄ってきて、
「クラス替えの話だけど、今、意見のある親が、校長室で話しているところだから、あなたも行きなさい!」と言ってくれた。
 別にそこまでしなくても……と思うが、ほんとうに、何人ものひとが校長室に押し掛けていた。その母親がそばで見ていて「If you want!」と重ねて言っているが、うーん、そこでその笑顔で見ているのって、「If」とか「you」とかを越えてるんですけど……。にっこりわらって、「Thank you for your kindness」と言って、手を振って、別れてしまった。

 やっぱり、未消化な気持ちが私にも残るので、その時、彼女に言いたかったことを、夕方、言うぞ! ととりあえず、ドイツ語で組み立ててみる。「確かに、一番仲の良い子と分けられたのは、残念ですが、食事や遊びの時間は一緒にいられるし、新しい友達が出来る良いチャンスでもあり、心配はしていません」。
 これが英語になれば、きっと大丈夫、頭の中で文章を転がす。「分けられた」はドイツ語では思い浮かぶが、英語で浮かばない――きっと恥ずかしいようなすごく単純な言葉なはず――同じクラスのドイツ人の母親が、お迎えの時間にばっちりの時間に遭遇しないかな? 通訳してくれないかな、と考え、「彼女とうちの娘が来年は違うクラスで」とすればなんとかなるか、と考え直す。
 しかしでも、こうして文章にしてみると、私の考え方が、これまで、自分の意思ではないクラス替えを是とするよう、長年刷り込まれてきた考えだと気づく。たとえ、この文章の意図が通じたとして、仲の良い子と一緒にいるのが一番、親が声を上げ(成長したら子供本人が、になるのかな?)、より良くなるように求めていくべきだ、とする人たちには、この感情は通じるのだろうか。

 夕方には、そのもう一人の日本人の母親に会ったので、なんか、ほかのお母さんに心配してもらったけど、別にいいですよね? と話してみた。向こうには、やはり、ほかの母親から、ご注進電話があったそうだ。わざわざ電話って……。でも、別に、元のクラスからの友達が一人もいないって訳じゃないから、いいですよと返事をしておいたとのこと。この母親は、ブリュッセル暮らしも長いし、上の子が小学校と、慣れているので、クラス替えの希望は言ったりするものなのか、聞いてみたら、もちろんそうだし、担任の指名をしたりするとのこと。そこへ、心配してくれていた母親が登場したので、彼女にいろいろ話してもらった。寄らば大樹の陰。ちょっと情けない。でも、情けないと思うなら、返事を持ち帰って考えたりせず、反射で言えるようにならないと。少なくとも、わからなかったり、できなかったりでこの状況に甘んじている訳ではなくて、プラスと受け止めている、ということは示さないと――と強く思った。私としては珍しく前向きなことだ。

 その後も、新しくなったクラス表を見て、またそのことに抗議する父親が出たり、それを巡って親同士もめていたり、いつも温厚だと思っている人の意外な一面が見られたり、うーん、やっぱりみんなが満足するって無理なのでは――って思っちゃうところが、やはり受け身か。少しでも良くしたい、改善の余地があれば正したい、と思う力もまた、良いものなのだろう。

 会社にも(当たり前か)、大学にもなかったし、子供だって、保育園は一学年一クラスの小規模園だったから、「クラス替え」って本当に久しぶり。高校一年の最後の日に、クラスの黒板に、担任が新クラスの表を貼り出すのを、どきどきしながら待ったのを、今でも克明に思い出す。自分が手を出せないからこそ、のときめきがそこにはあった。

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