2009年6月2日火曜日

望郷の念のこと

 木曜日はしなくてはいけない家事が少ないため、都心に出たり、昼を外食したりと羽を伸ばすことにしている。先日、ベトナム料理で昼ご飯を食べ、目をつけておいた自家焙煎のコーヒー屋に寄ってみた。豆の小売りが主で、カウンターで飲むこともできる。一杯注文して、その場でいれてもらい、一口飲んだとき、懐かしいような切ないような気持ちがわき上がってきて、めまいまでするようだった。
 東京で仕事をしていた時の記憶がよみがえってきたのだった。

 コーヒーということでは、家でもよく自分で入れて飲んでいるし、喫茶店に家族で入ることも多いと思う。でも、家族で喫茶店に寄るのは、子供のトイレ休憩が主な目的になってしまっていることもあって、入りやすい店になってしまう。こういう自家焙煎コーヒー屋は、この街では存在自体少ないし、入るのは本当に久しぶりだった。
 日本では、よく、仕事の合間に外でコーヒーを飲んでいた。他の人と行く時は、会社のそばが激戦状態となっていたテイクアウト中心のチェーン店が多かったし(相手によって、好むコーヒー店が違ったり)、一人の時は、昔ながらの「コーヒー専門店」に行くことも多かった。
 そういえば、育休中、やっと子供を電車に乗せる勇気が出て、初めて大手町に出たとき、チェーンのコーヒー屋でテイクアウトして、ビルの谷間で、紙コップに口をつけたとき、やっぱり、こういう懐かしい気持ちになったのだった。

 これまで感じた仕事への「懐かしい気持ち」の一番強かったものは、ドイツを出る直前。そのとき、2002年の夏は、日韓共催のサッカーのワールドカップが行われていた。ドイツチームは最終的に準優勝だったが、本戦に進んだとき、ドイツ戦のときは仕事を休んでも有給外ということになり(首相がそう話している映像を見た記憶があるが、どういう拘束力だったのか……)、日本で試合のある夜、つまりドイツでは午後から個人商店はもちろん、銀行さえも閉まってしまうほどだった。
 その頃には、もう家は引き払ってしまっていて、その日、私は、語学学校に通っていたときからのなじみのビール屋兼定食屋でお昼ご飯を食べていた。ちょうど試合のテレビ中継を流していた。
 となりの席に、仕事帰りとおぼしき30歳前後の男女と50前後の男性が来て座った。若い女性は「あ、オリバー・カーン! 私、この人だけは顔、分かるのよね〜」「クローゼは今日、何点ゴール決めてくれるのかしら?」とはしゃいでみせるが、男性二人は、まるで聞かずに「監督の選手起用が」とか、「フォーメーションが」とか、もっとディープな話をしている。女性も別に、意に介した様子もなくにこにことそんな二人を見ている。
 料理が運ばれてきて、上司らしき男性が「さて」と顔を上げた。と、まったく聞き取れない単語の羅列になって、どうも仕事の話に切り替わったのだとわかる。すると、今度は、女性が身を乗り出して、熱心に話しだし、上司も、適切に相づちを挟みつつも、彼女が語るに任せている。でも、話に引き込まれている様子。若い方の男性は、ほとんど口を挟めず、黙々と食べながら聞いている。
 そのときにも、やはり、東京や、仕事の記憶が一気によみがえってきたのだった。

 今の暮らしは楽しいし、人間らしいと思う。でも、やはり、期間の限られた駐在の、さらに夫の付属品という生活は、安全な金魚鉢の中から外を見ているように感じてしまう。
 気候風土が合うのか、こっちに来てから、堀江敏幸氏や、須賀敦子氏のヨーロッパ暮らしのエッセイを読みたくなってなんども読み返したりしているけれど、ときどき、あの「まだ何者でもない」ことへのいらだちや、イタリアの家族との肌合いの違いを感じながらの暮らしを、同じヨーロッパ暮らしと思うことに後ろめたさを感じてしまう。
 ほんとうに強欲な話だとは思うけれど……。

1 件のコメント:

Asako さんのコメント...

こういう感覚、(最近はさっぱり味わっていませんが、)分かります!

望郷って、本当に必ずしも場所に対するものじゃないのよね。居場所なのよね。自分が築いてきた空気というか。