2009年6月30日火曜日

Donikklのこと

 Oberkirchという街の子供向け祭りに、Donikklの野外コンサートがあるのを夫が見つけてきて、それを目的にドイツに行ってきた。Donikkl、それはドイツの子供向けバンド(正確にはそのヴォーカルの名前)。

 最初の出会いは、アーヘンのカルナヴァルのパレードを待っていた時だった。はやりの曲をずっと流していて、はやりといっても、新旧ごちゃまぜ、10年も前のはずの、前にドイツにいた頃の曲もたくさん聞こえてきた。
 ドイツには未だに「国民的流行歌」みたいなものが存在して、それがかかると、リフレインの部分は振り付き大合唱になる。振りと言っても手を大きく振るとか、叩くとか、そういう単純なもの。前回のドイツ時代では、たとえば『Anton aus Tirol』『Wahnsinn』『Die Haende zum Himmel』などがそうだった。私たちは、けっこうその能天気さが気に入ってSki Hitsなんて銘打たれたオムニバスCDをいくつか買って、聞いたりしていた。
 漫画『とめはねっ!』に、30代後半から40代前半の女性は、みんなピンクレディの曲は歌えて踊れるというような台詞があるが、私も、踊れないまでも、歌詞は覚えているし、漠然と振りは覚えている。今は、こんな曲ってないように思う。当時は、こんなふうにみんなが知っている曲、好きな曲というものになじめなかったのに、でも、私も確実にそういう時代のしっぽを引きずっている。

『Anton aus Tirol』はさすがに廃れたのか、かからなかったが、ほかの曲はかかったりして、みんなが歌ったり踊ったりしているのを見て懐かしい気持ちになった。
 そんな中、私たちはまったく知らないのに、やけにみんなが反応して同じ振りを付ける曲があった。歌詞も単純だし、ずっとリフレインするので覚えてしまう。家に帰ってから、記憶した歌詞を打ち込んで検索すると、『So ein schöner Tag(Fliegerlied)』という歌だと分かる。また、今年のカルナヴァルシーズンに、ケルンの歌手がカバーしたことで火がついたが、もとはDonikklの作った歌だということもわかる。例によってYouTubeで画像を見ると、声も振りもDonikklの方が楽しく、子供もすっかり気に入ってしまった。その後、ドイツに行ったときに、この曲の入ったベストアルバムまで買ってしまう始末。

 歌詞は単純で、

 草に寝そべって、空を見ていたら雲が浮かんでとても楽しそう
 飛行機が飛んできたから声をかけたよ。「やあ、飛行機さん!」
 君がそばにいるから、とても楽しい。
※リフレイン※
 僕は飛ぶよ、飛ぶよ、飛ぶよ、飛行機のように。
 強い、強い、強い、虎のように
 大きい、大きい、大きい、キリンのように
 そして跳ねるよ、跳ねるよ、跳ねるよいつも
 泳ぐよ、泳ぐよ、泳ぐよ、君に向かって
 手をつなごう、つなごう、つなごう、君と。
 だって、君が好きだから。

 今日はよい天気だね、ららららら~×3
※リフレイン※

 このリフレインのときに、飛行機/強い/大きい/跳ねる/泳ぐ/手をつなぐの振りを付けて踊る。繰り返すごとに、どんどん速くなるのも、またこういう「国民的流行歌」のお約束。

 Oberkirchのお祭りは、本当に商店街のお祭りのようだった。天気が悪いこともあって、なんとなく寂しいような、しみじみした楽しさがあるような。70以上のアトラクション、というが、それぞれのお店や、スポーツクラブ、趣味のサークルなどが机を出して、簡単なインストラクションをしたり、ミニSLを走らせていたり、空気で膨らむ滑り台で遊べたり――だった。ピエロが風船を配ったり。子供は、ミニSLの先頭の機関車に、順番を待ってまでわざわざ乗って、滑り台をそりで降りてと楽しんだ。
 そして、Donikkl。その頃には、ちゃんと雨も上がって、親子連れがたくさん集ってきた。子供たちは、舞台に貼付くようにしているし、少し下がったところに作られた長椅子の席で、大人たちはビールを飲んだり、踊っているうちに、グラスを倒して割って騒ぎになったり。
 うちの子供もさすがに知っている曲がたくさんあるので、喜んで踊ったりしていた。でも、曲ごとに、最初にリフレインのところの振りの解説が入ったり、いろいろ話して笑わせたりすると、集中力が落ちてしまう。ドイツの子供たちは、それがあることで、集中するのだと思うけれど。また、反対語の歌「高い/低い、まっすぐ/ななめ、速い/遅い」や、靴下の右と左がそれぞれのキャラクタになっている「ポールとルイーザ」なんていうのは、今のフランス語程度にドイツ語がわかれば、もっと楽しめるのに、と思ったり。でも、それは欲張りというもの。十分、子供だって面白がっていたし、ドイツの小さな街の雰囲気が味わえた一日だった。

2009年6月26日金曜日

クラス替えのこと

 ヨーロッパの学校は(アメリカもだと思うけれど)、6月が年度末。というわけで、クラス替えの発表があった。先日、お迎えに行ってみると、廊下のクラスの掲示板に新クラス表が貼ってあり、うちのクラスの子供の名前にマーカーが引かれている。うちの娘は今度は3A。いつも、一番仲良くしてもらっている、ブリュッセル生まれの日本人の女の子とはクラスが離れてしまった。

 と、英語が出来て、いつもいろいろと面倒を見てくれている母親の一人が、一大事! というように、「ほら、***(と、名前を挙げて、リストを指差し)と違うクラスになっているわよ! 先生に言って、一緒にしてもらうようにしなさいよ!」と言ってくる。
「いや別に……」みたいな反応をしていると、重ねて、
「どうして? だって一番仲が良いんだから、一緒がいいじゃない」と言う。
 表情を見ても、特殊なことではないらしいし、善意で言ってくれているともわかる。そして、純粋に、私の低調なリアクションが謎らしい。「なぜ?」という顔をしている。
「なぜならば、ほかのこの日本人たち(とリストの名前をさして)も、仲が良いから、not so badなのです」と言ってみたら、一応、納得してもらえたが、今度は、もう一方の女の子のクラスに、日本人や、仲の良い子がいない! というのが心配になったようだった。
 よくよく表を見てみると、その母親の子供は一番仲の良い子と同じクラスなので、前もって交渉してあったか、去年あたりから、ずっとそうしてるか、なのかもしれない。

 一件落着とおもっていた翌朝、また、そのお母さんが寄ってきて、
「クラス替えの話だけど、今、意見のある親が、校長室で話しているところだから、あなたも行きなさい!」と言ってくれた。
 別にそこまでしなくても……と思うが、ほんとうに、何人ものひとが校長室に押し掛けていた。その母親がそばで見ていて「If you want!」と重ねて言っているが、うーん、そこでその笑顔で見ているのって、「If」とか「you」とかを越えてるんですけど……。にっこりわらって、「Thank you for your kindness」と言って、手を振って、別れてしまった。

 やっぱり、未消化な気持ちが私にも残るので、その時、彼女に言いたかったことを、夕方、言うぞ! ととりあえず、ドイツ語で組み立ててみる。「確かに、一番仲の良い子と分けられたのは、残念ですが、食事や遊びの時間は一緒にいられるし、新しい友達が出来る良いチャンスでもあり、心配はしていません」。
 これが英語になれば、きっと大丈夫、頭の中で文章を転がす。「分けられた」はドイツ語では思い浮かぶが、英語で浮かばない――きっと恥ずかしいようなすごく単純な言葉なはず――同じクラスのドイツ人の母親が、お迎えの時間にばっちりの時間に遭遇しないかな? 通訳してくれないかな、と考え、「彼女とうちの娘が来年は違うクラスで」とすればなんとかなるか、と考え直す。
 しかしでも、こうして文章にしてみると、私の考え方が、これまで、自分の意思ではないクラス替えを是とするよう、長年刷り込まれてきた考えだと気づく。たとえ、この文章の意図が通じたとして、仲の良い子と一緒にいるのが一番、親が声を上げ(成長したら子供本人が、になるのかな?)、より良くなるように求めていくべきだ、とする人たちには、この感情は通じるのだろうか。

 夕方には、そのもう一人の日本人の母親に会ったので、なんか、ほかのお母さんに心配してもらったけど、別にいいですよね? と話してみた。向こうには、やはり、ほかの母親から、ご注進電話があったそうだ。わざわざ電話って……。でも、別に、元のクラスからの友達が一人もいないって訳じゃないから、いいですよと返事をしておいたとのこと。この母親は、ブリュッセル暮らしも長いし、上の子が小学校と、慣れているので、クラス替えの希望は言ったりするものなのか、聞いてみたら、もちろんそうだし、担任の指名をしたりするとのこと。そこへ、心配してくれていた母親が登場したので、彼女にいろいろ話してもらった。寄らば大樹の陰。ちょっと情けない。でも、情けないと思うなら、返事を持ち帰って考えたりせず、反射で言えるようにならないと。少なくとも、わからなかったり、できなかったりでこの状況に甘んじている訳ではなくて、プラスと受け止めている、ということは示さないと――と強く思った。私としては珍しく前向きなことだ。

 その後も、新しくなったクラス表を見て、またそのことに抗議する父親が出たり、それを巡って親同士もめていたり、いつも温厚だと思っている人の意外な一面が見られたり、うーん、やっぱりみんなが満足するって無理なのでは――って思っちゃうところが、やはり受け身か。少しでも良くしたい、改善の余地があれば正したい、と思う力もまた、良いものなのだろう。

 会社にも(当たり前か)、大学にもなかったし、子供だって、保育園は一学年一クラスの小規模園だったから、「クラス替え」って本当に久しぶり。高校一年の最後の日に、クラスの黒板に、担任が新クラスの表を貼り出すのを、どきどきしながら待ったのを、今でも克明に思い出す。自分が手を出せないからこそ、のときめきがそこにはあった。

2009年6月25日木曜日

鍵のこと

 水曜日、夫と二人で娘を幼稚園へ送り届け、そのまま私はマルシェへ、夫は仕事へ。マルシェで買い物をして戻って、家に入ろうとすると――鍵がない。
 鍵を最後に触った記憶は、前日、出張で遅くなった夫を、閉め出してしまい、慌てて開けて――だから、きっと、鞄にも入れずに、玄関先とか、そんなところに放置してしまってあるに違いない。
 日本ではよくやってたけど、こっちにきて、正確には、ドイツ時代にもやらなかったのに。日本で、皮のホルダーで鞄にくくり付けることにして、だいぶやらなくなって、でも、こっちの二重回しの鍵だと、そのホルダーが使いにくいから、鞄の中に投げ込んでいたのが敗因か?
 と考えていてもしょうがない、まずは夫に――と、鞄を探ると、携帯も家の中に忘れていることに気づく。最近、帰るコール以外にほとんど使わなくなって、非携帯状態が続いている。むしろ目覚まし時計としての職務を遂行しているから、これはベッドサイドにあるに違いない。

 そのまま、夫の職場に向かう。仕事をしているところ、連絡もなく妻が入ってきたので、驚いていたが、理由を聞いて冷たい目になる。ひとしきり嫌みを言われ(夫はそういう忘れ物をいっさいしない人なので)、冷蔵庫から保冷剤代わりに水の小瓶をもらって、マルシェの袋に入れてまた家へ向かう。無事、鍵はPCの前で、携帯は、ベッドサイドで発見されました。

 東京にいたときも、鍵を忘れたことに気づくと、夫の職場にとりに行っていた。子供がいなかったときは、待ち合わせて一緒に帰るとか、とりあえず、夜ご飯を一緒に食べて受け取るとか。でも、子供を預けていると、そっちにタイムリミットができるので、まず、子供をピック、そして夫の職場まで行き、鍵だけ受け取って、タクシーで家へ。暗くなった中、完全なビジネス街でスーツのひとが行き交っている中を、子供を抱いて、門の外で待っているのは、つらかったなあ。

 高校時代の、やはり、職あり子ありの友人たちと、
「うちは、ドアに荷物をかけておくと『鍵忘れた、近くのファミレスにいます』のサインになってて、それ見て、夫が迎えにくる。その前の家だと河原で子供の手を引きながら石投げたりして待ってたこともあるな〜。『パパ遅いね』とか言われたりしてさ〜」
「私なんか、勢い余って実家に帰ったことあるよ!」
「えー、あんたの家って、今の家からJR三本乗り継ぎじゃ?」
「そう、で、次の日あるから泊まれないし、結局夜、夫に車出してもらって帰ったよ……」
 と盛り上がったことがある。全員が、敗因は、鞄を一つに決めないで、あれこれ入れ替えるときに忘れてしまうことが多い――と分析しているのに、なぜか改まらないところがまただめっぽい。
 このメンバーとはほかにも「仕上がった洗濯物をしまうのが苦手なことについて」もテーマにしたことがある。だめ人間自慢大会。

 午後、今度は娘連れでメディアテークへ。あまり好きじゃなかったんだが、ついに世界の常識ディズニーアニメを借りることに。ディズニープリンセスのオムニバスなのかな。そして「フランス語の勉強のために」(何度この言い訳を使ったことか)、フランス映画。これを機に、パトリス・ルコントを見るって言うのはどうか? と思ったが、ジャンル分けされた上でのタイトルABC順で、まったく探せず、結局、ジャック・タチの『Les Vacanves de Mr.Hulot』にする。これも、以前『Casa Brutus』で紹介されていたのを見て、見てみたいと思っていたもの。なんか、私の中の「おフランス」のイメージって……?

 そして、いつもの公園に出る。メディアテーク側は、なぜかカップルや家族連れが多い。静かにまったりとした空気が流れている。一方、いつも行く家に近い側は、家族連れは、まあ共通だけど、犬連れと、若者が多い。大学生くらいの男女混成7-8人グループがビール20本ケースや、ギターを持ち込んでいる。青春ですな!
 で、ひとしきり、ボールを投げたり蹴ったり、縄跳びを練習させてみてあまりにできないので写真を撮ってバカにしたり、いろいろやって、さて、帰るか、と立ち上がると、今度は、自転車の鍵がない。鞄をあさったり、ポケットを探ったりしても出てこない。遊んでいたあたりの芝生に戻って探すが、子供がいきなり遠くへ走ってしまったり、一緒に探すと称して、池に棒を突っ込んでかき回したりして、どんどん、テンパってくるのを感じ、あきらめて帰ることにする。
 とりあえず自転車を、トラムの駅のそばまで引いて移動して(これまた、子供が手伝うと言って、後ろから引っ張ったり押したりして迷惑だった……)、トラムに乗って帰る。
 自転車を置いて帰ると知って、急にことの重大さに気づいた子供が「パパに怒られるよ! バカって言われたらどうする?」
 うるせーーーーーー!!!!!!!

 なぜか、引っ越し時の最後の荷物の文房具類に混ざって、夫の職場にあった自転車の鍵のスペアを持って帰ってきてもらい、夜ご飯のあと、20時半くらいに自転車をとりに、また公園に行った。無事再会できて、嬉しくなり、夏至直後の23時くらいまで明るい公園の中を通って帰ってきた。こんな広大な緑地、ドイツ人だったら、ぜったいバーベキューセットを持ち込んで昼でも夜でも焼いてるだろうと思うのだが、夜になっても、この公園にはそんな人はいなかった。クーラーボックスでちゃんとグラスごとワインを持ち込んで、優雅に飲んでいるグループをいくつか見た。年齢層も、昼より上がっている。もちろん、ビールケース+ギターの青春チームも増えている。そういえば、さすがに日差しは弱まっているせいか半裸になっているカップルは減っているような? 
 子連れ野うさぎのいる斜面を見て、鍵に振り回された一日の疲れを癒して、家へと帰って行った。

2009年6月23日火曜日

1980年代のこと

 有料なこととか、開館時間の短さとか、いろいろ、文句付けましたが、次の火曜日にも、今度は、子供が幼稚園に行っている隙に、一人でメディアテークに行って参りました。借りてしまうと返しに行かなくちゃ行けないし、返しに行くと、やっぱりまた借りてしまうもの。恐怖の永久運動なり。

 まずは、映画コーナーをざっと流す。日本の映画は、宮崎駿/押井守/北野武が圧倒的に多い。もちろん、ほかにも『リング』などヒットしたものは単発でいろいろ来ているけれど……。松本大洋の『鉄コン筋クリート』を借りようかと思ったが、今日は、子供に『魔女の宅急便』を借りることにして自粛。つい、買うのと同じ感覚で、あれもこれもと思ってしまうけど、借りるときは、一週間でちゃんと見られる量にしないといけない(当たり前)。
 次に、DVDは高いけどCDなら安かったはず、とCDコーナーを流す。ぜったいあると思っていた、Anne Sofie von Otterの『Offenbach Gala』がなくて、クラシックコーナーを出て、Pops&Rockの棚へ。
 買ってないU2の新譜もあったので、借りようかとも思ったが、新旧が雑多に置かれている棚を見ているうちに、「そーだ、今聴けば、ワム!やデュラン・デュランって格好良いんじゃない?」と思いつく。今、私の中では『カリオストロの城』でいっきに1982-83年ブームがやってきている。日本でも『1Q84』が売れていると言うし、1980年代前半が、今、良いのでは!(すみません……『Q』は未読ですが、そういう話ではないと思います……)。

 というわけで借りてきた『The best of Wham!』『Greatest』(デュラン・デュラン)。子供が寝てから、夜、こっそりかけてみる。
 夫も私も、ワム!では、『Wake me up befere you go-go』が一番好き。歌詞を見てみたら、歌詞にもバカっぽい単語が並んでいて、いや〜、いいですね! アイドル歌謡! と思ったけれど、よくよく読んでみると、この「My best friend told me what you did last night」って、太宰治『富嶽百景』の「ある人から意外の事実を告げられ」なんじゃ?(太宰は決して好きではないが、あの文章のリズム、とくにこの『富嶽百景』冒頭の一節は大好きで、高校時代は諳んじていたものでした。暗すぎる……)意外に切ない? だとしたら、あの邦題の「ウキウキ」ってどうなの? その後、PVも見たくなって動画検索してみたところ……はい、このPV……「ウキウキ」で良いです……。
 好みはともかく一番売れたのは『Freedom』では?と調べてみたけれど、実は、売り上げも『Wake me up befere you go-go』のほうが上ということもわかる。じゃあ、デュラン・デュランは? 一番売れたのは、私は『Is there something I should know?』夫は『Hangry like the wolf』と予想したけれど、『Reflex』らしい。

 ビルボードの年間ランキングを見ていると、私の洋楽歴は1983年に始まって、1987年あたりで終わることが分かる。中学三年から高校三年。1983年は、その後、私がずっと好きな、Policeの『見つめていたい』Eurythmics『Sweet dreams』も出た年。
 そして、同じ1983年だと思っていた『カリオストロの城』は1979年公開だそう。明確に83年に見たり、話題になったりした記憶があるので、ちょっと違和感を感じる。クラスの男子が「クラリス〜」とか言っていた映像的記憶もしっかりあるし。でもよくよく考えてみると、中学生の時、劇場でなんかめったに映画は見られなかったから、きっと、私も、みんなもテレビで見たんだろうなあ。
 当時は、DVDで見たいときに見る、なんてなかったし、CDも買うまでに、FMとかの新曲情報でじっくり聴いて、貸してくれそうな人を探して――としていたから、音楽や映画は、その「時」の記憶と密接に結びついている。話した相手、その時の景色(世界史の授業で筆談していたとか)、記憶がどんどんよみがえってくる。今の、なんでも調べやすい、「新しい」でないものも、平等に手に入れやすいこの便利さを失いたくはないけれど、この「今」「ここ」の周辺までも記憶するあの感じは、もう持てないのだろうと思う。それって、でも、記憶力が低下しているだけだったり?

 さて、肝心の「今聴けば、格好良いんじゃ?」ですが……。メロディラインは良いんですけど、音がどうも……。夫は「ギターの技術が今と違う! コードがどうたら、カッティングのいれ方がなんたら」とごちゃごちゃ言ってましたがよくわかりません(というか、ちゃんと聞いていない)。それでも、Macに読み込んで、洗濯物を干しながらかけたりしている。中学三年のときのあの暗くて赤い階段を思い出したりしながら。

追記:これを書いて5日と経たないうちに、マイケル・ジャクソンが死んでしまった。売れ方的にも、音楽以外での話題にも、「好き」と言いにくい人になってしまったが、『Beat it』『Thriller』のPVの衝撃は忘れられない。あの格好よい『Beat it』のギターはエディ・ヴァン・ヘイレンだったんですね。

2009年6月22日月曜日

発熱のこと

 そもそもの発端は、先週木曜日の私。いつものように「わーい、今日は自由時間の木曜日」と盛り上がろうとして、どうにも体の動きが鈍いことに気づく。夜、眠りが浅かったから? 生理直後で貧血気味なのか? と思いつつ、トラムで遠出の魚屋へ行き、戻ってくるとトラムの駅から、家までの歩きが、妙に脚が重い。午前中いっぱい寝るつもりで、とりあえず横になる。
 次に目が覚めた時、体が網で包まれて、その外に布団があるような違和感を感じ、なおかつとても寒い。遠くで、金管の音合わせをしているのが聞こえてきて、ゆうべ読んだ『百瀬、こっちを向いて。』の一篇「なみうちぎわ」に入ってしまったかな? と一瞬思うくらい、触覚/聴覚とも現実感がない。
 ずるずると起き上がって、ふと熱を測ってみると、37.7℃ある。もともと、風邪を引いても熱の出にくい体質で、37℃を超えるのは珍しい。いつも風邪の端緒となる喉にも異常がなく、予期していなかったので、かなりびっくりした。しょうがないので、子供のお弁当の残りを食べて、夫にSOSのメイルを出す。
 夫から、早退して子供の迎えは行く、という返事が来て、安心してまた寝込む。たとえ同じ2時間だったとしても、起きなくては、と思いながら寝るのと、寝て、自然に起きたら2時間だった――ではまったく眠りの質が違うので、とても嬉しい。東京にいたときだったら、こんなことはあり得ないので、その特別感がまた嬉しい。
 次に起きてみたら、暑くなっていて、体が少し楽なので、また熱を測ると今度は、38.7℃。月曜日は子供の遠足、火曜日は夫の出張、そして週末はまたドイツに子供コンサート+買い出しに出かけようともりだくさん。これは、みんなにうつさないようにしなくては、と、新型インフルエンザ対策で、夫の勤務先が大量に送ってきたマスクをかけ(使わないよと鼻で笑っていたのに、こんなところでお世話になってしまいました)、また寝込む。熱が上がりすぎて、体は逆に楽になってきているし、なんとなく贅沢な気持ちになっているせいか、他人のことを気にできる余裕ができたので、ちょっとおかしくなった。
 私の熱は、その後、ちょうど日付が変わる頃、がくっと平熱に下がった。さらに一晩寝たら、35℃台に。急激な体温変化に、逆に、体は疲れを感じたくらいだった。

 東京で暮らしていた頃、子供ができてからは、私の風邪にも、周りの大人は「じゃあ、子供にうつさないようにしないと」とか、「家族のために、はやく治さなきゃ」という反応をしやすかった。もともと、非寛容で、ひとに甘やかされたい性格で、弱っているときは、ますますその傾向が強くなっているので、そんな「親切な言葉」にいつもいらいらしていた。医者にそう言われたりすると今、この自分のつらさをどうにかしたくてここに来ているのに! と切れそうになったりしたものだった。

 が、珍しく、私が殊勝なことを思ったのに、天には通じず、日曜日には、子供が熱を出してしまった。土曜日、私はまだ本調子ではないので、夫と子供と二人でプールに遊びに行ってきたら、あまりに興奮したせいか、すごく疲れているなとは感じていたのだが……。
 翌月曜日は、子供の幼稚園では、年度末の遠足。ポニーのたくさんいる農場で乗ったりできるものだった。去年、泊まりだとしたら、どのくらい参加するかの希望アンケートをとって、75%に達すれば実行という話だった。当然、その時期はまだ、子供は幼稚園に慣れてなく、「エコールでお泊まり………」「ぜったいいや!」という状態。不参加の返事を出したのだが、どうも、不参加のひともほかにも多かったらしい。
 日帰りになって、企画自体は生き残り、子供も、幼稚園にすっかり慣れて、担任が「馬に乗る」とか「お弁当もってこい」と言ってくれたと楽しみにしていた。

 午前中は、37℃台だった熱が、昼寝を挟んで、38℃以上に上がってしまい、夜は、食欲もあまりない。お弁当の用意はしつつ寝る。朝、37.5℃と微妙な体温で、慎重派の夫が、やめにしようと決断した。子供はともかく、私はとても楽しみにしていたらしく、すごくがっかりしてしまった。思い出せば、子供の頃は学校が苦手で、遠足もいや。確か、小学校の高学年のときだったと思うが、体調を崩して、遠足に行かれなくなり、「良かった」と思った記憶がある。そんな私が変わるものだ。

 娘を一日家に閉じ込めておくとなると、油断すると、テレビやビデオを見っぱなしになってしまうので、紙を切って指人形作り。糊が使わないで放ってあったので死んでしまっていて、仕上がらなかったが、切ったり顔をかいたりはできた。午後は、手芸用品の引き出しをあさって、発見したビーズとテグスを使って、指環やブレスレットを作らせてみた(ビーズをテグスに通すだけの簡単なもの)。思ったより、集中力があって、自分のだけでなく、友達の、そして私のも作ってくれてちょっと驚いた。その間に、私は、子供のキャミソールにクロスステッチ。意味もなく買い込んである図案集から、単色でできる小さなサクランボのモチーフを刺す。スモーキーなローズピンクでなかなかシックにできたと悦に入ったが、分かりにくい前後を、子供に分かるようにするためだったはずが、間違えて背中がわに刺していることに気づく。がっかりして一枚で終わりにして、娘と並んで、彼女用のネックレス(さすがにここまで長いと本人だと根気が持たないので)を作ってやった。
 文字にすると雑誌『天然生活』に出てくる親子みたいでなんだか恥ずかしいですな。

 昼ご飯もたくさん食べた娘は、熱も36.6℃に下がって「やっぱり、無理に遠足に行かせておけばなんとかなったのでは?」とますます私を悩ませた。しかし、思い出すとブリュッセルに来て、もう10ヶ月になろうとしているのに、彼女が熱を出したのは、今回が初めて。がんばったなあと思うべきか、間が悪いと思うべきか。

追記:翌火曜日、幼稚園に行ってみると、遠足はバスの不都合?で延期になったとのこと。次の金曜日に行われるそうである。悪運強し!

2009年6月19日金曜日

DVDのこと

 ブリュッセル暮らしで、大人はともかく、子供は日本文化?から離れてはつらいだろうと、DVDをいくつか持ってくることにした。これまで買っていた、教育テレビの『にほんごであそぼ』のシリーズに加え、私は、やっぱり日本人の一般教養、宮崎アニメでしょう! と『となりのトトロ』、夫が劇場版の『アルプスの少女ハイジ』を買った。逆にこれを機に、大好きだった『きかんしゃトーマス』シリーズとはお別れすることに。

 が、子供は、『トトロ』は怖いと言う。最初のまっくろくろすけのあたりでイヤそうな顔になり、メイがトトロに最初に出会うシーンで、泣き出してしまう。しょうがないので、しばらく封印していた。その後、劇場版の『アルプスの少女ハイジ』は楽しく見ていたのだが(夫が、自分の選択が正しかったことを威張ったことは言うまでもない)、私の記憶にある名シーン(ハイジが夢遊病になるシーンや、クララの車いすを壊すシーン、そしてヨーゼフがカタツムリを食べるシーン!)がないので、物足りなくなり、フランス語版でボックス買いしてきた。
 が、長くなったせいか、ディスクでいうと7枚目、ロッテンマイヤーさんが怖いと言って、どうしてもまた見られなくなってしまう。夫が出張でフランクフルトに行くときに「ロッテンマイヤーさんに会ってくる」と言うだけで泣き出したりするくらいだった。
 感受性が強いってことで、いいんじゃない? などと言っていたが、その後、『にほんごであそぼ』や、こっちで見られる日本語放送での『おかあさんといっしょ』ばかり見ている子供を見ると、物語を感じる力が育たないんじゃ? と、にわかに心配になって、強引に見せて、また泣かれたり。

 ある日、5歳の誕生日を前に、『トトロ』は克服できた。一度、見てしまうと面白いらしく、毎日見ていた(それはそれでどうなのか)。そして、4月の一時帰国でキャラクターを知っているからと買ってきた『ピーターラビット』のシリーズと『おばけのラーバン』も、最初は怖いと言いつつ、なんとか克服して見ている(日本文化――からはだいぶ離れてきてしまった気もするが)。
「ピーターラビットのおはなし」はマクレガーさんが捕まえにくるところが本当に怖かったらしい。確かに、ピーターの側の視点で描かれた画面で、マクレガーさんが多いかぶさってくるように大きく描かれる。彼女が「マクレガーさんとピーターラビットの絵」を描いたことがあるが、マクレガーさんは歯を剥き出した怪獣のようになっていて、こう見えているのなら本当に怖いのだろう。一方、物語の怖さでは上と、大人は思う「フロプシーのこどもたち」は、画面が、マクレガーさんの背後にカメラがある状態(もちろんアニメだが)で描かれているので、それは怖くないらしい。

 新たなソフトを求めて先日の水曜日、区のメディアテークに行ってきた。子供向けDVDもたくさんあり、アニメは日本のものも多い。公立のくせに、登録料や貸出料がかかって、愕然とする。まあ、街中のレンタルより子供物は豊富だから良しとしよう……それに貸出料も子供物、音楽ものを借りている分には安いような(あまり納得していない)。

『魔笛』
 この前、夫のウィーン出張土産で『魔笛』のイラストのTシャツを買ってきてもらい、夫とお揃いが嬉しいのか、気に入っているので、YouTubeでアリアの画像だけは見ていた。借りてきたDVDはチューリヒ歌劇場のもので、演出/舞台とも現代的。パパゲーノも普通の格好で出てくる。
「この人誰?」
「パパゲーノだよ、お前のTシャツに付いてる人」
「おー、ぱ、ぱ、ぱの歌の人な?」
「そうそう」
「この人、なんで網に入っているの? 悪いことして入れられたの?」
「うーん、これは網じゃなくて……(これは鳥籠を表していて、鳥人間かつ鳥刺しのパパゲーノをイメージ的に表しているとか言えたらどんなに楽なことか……)」
「あ! ドアがあって出てきたよ! 閉じ込められた訳じゃなかったんだね!」
(えっ? 納得したの?)

「この黒い人、なにしてるの?」
「うーん、このお姫様が好きなんだけど、お姫様のほうは、さっきの王子様が好きじゃん? だから、この黒い人は嫌なんだよ(襲われるシーンだと説明できたら一言ですむんだが……)」
「あああ……、で、この人誰?」
「夜の女王」
「夜のジョン?」
「そうじゃなくて、じょ−お−う、じょおう、な?」
「あーーーー、顔は怖いけど、優しいな! お姫様助けてくれたよ」

 このシーンは、よほど印象的だったのか、あとで夫に向かって説明し、夫は、話がよく分かっていると感動していた。私の努力の賜物であろう。

『カリオストロの城』
 宮崎アニメを物色していたら、これが一番良いというので借りてきた。日本語版もあるので、嬉しい。この日本人なら常識と思われるアニメを、あろうことか夫も見ていないというので、週末に三人で視聴。その前に、フランス語の勉強として、フランス語で見てみたが、コロンボより分かりにくかった。台詞に飛躍があるからか?
「あ! この人、クララ! クララだよね!」
「違います。それはクラリスです」
「ふーん、でも部屋はクララの部屋にすんでるんだね」
「え? それは違うんじゃ?」
「?」
 娘は、フランス語版の『ハチクロ』の真山を見て、『3月のライオン』の零くんだ、と言った人である。

「この人誰?」
「銭形」
「この人たちは?」
「警察の人たち」
「銭形は、警察か、ルパンか、どっちの仲間?」
「うーーーーーん、難しい問題だねえ……銭形は、いつもはルパンを捕まえようとしているんだけど、この話だと、ルパンの仲間?」
「ルパン、泥棒さんなのに?」
「うん」
「この人、警察でしょ?」
「うーーーーーん」

「この人、だれ?」
「一応、クラリスにとってロッテンマイヤーさんみたいな役なんだけど、本当は峰不二子」
「ふーん、何探してるのかな、クラリス?」
「いや、ここで探しているのは偽札」
「偽札?」
「偽物のお金だよ」
「お金? 偽物なのに探すの?」
「うーーーん、偽物だけど、使えるんだな」
「偽物だけど使えるお金????」
「………………」

『長くつ下のピッピ』
 衛星放送のドイツ語幼児番組でときどき見ていて、怖くないことは実証済み。1969年のスウェーデン/ドイツ共同制作の連続ドラマ。ファッションがかわいく、画面もきれいなので、大人も見ていて楽しい。ところで、フランス語だとピッピはFifiになる。なぜだろう? Pippiだと幼児語のおしっこと同じ音になるからだとは思うが、それならドイツも同じなのに、そっちはそのまま。
 これは、さすがにフランス語でも子供も聞き取れる単語も多く、話も簡単なので、質問してこない。が、いちいち、うるさい。
「ピッピ、力持ちだな! サンタクロースみたい」
「これ、泥棒でしょ? ピッピの家に入ってくるよ!」
「ムッシュ・デュポンだ! ほらほら、見て、あそこにいるよ!」
 などなどなど、実況中継のようにひたすらしゃべり続ける。同じ画面を見てるから分かるって!
 結局、ピッピのシリーズは、このあと、ボックスで買ってしまった。レンタル料は高いのに、買うと安いし、子供が触りたがるので、借りてくるとヒヤヒヤするし、お試しだと思えばまあ良いか。1話30分なので、切って見せやすいし、毎日、少しずつ見ている。
 中に一つ、大人のお茶会をめちゃくちゃにしたピッピが、落ち込んで一人、家に帰る物語があり、それは怖い?のだと言って嫌がっている。もうピッピの破天荒さを、手放しで喜べない歳になった私としては、そういう話が入っていると、むしろほっとするのだが。

 しかし、娘が、私がDVDを割に簡単に与えているのは、一人で見て、おとなしくしていてほしいからだと理解してくれるのはいつになるのだろうか?

2009年6月16日火曜日

果物のこと

 うちの子供は果物が大好きである。「一番好きなのはメロンかな?」と聞くと「あと、ぶどうとサクランボ!」と答えてくる。メロンは5月には南仏のものが出てくるので(それまでも南半球のものを売っているが)、買うととても喜んでたくさん食べる。これ以上食べたら、もうかなぶんだ! と言われつつ、皮の縁までほじって食べている。一方、私は果物全般あまり好きでなく、メロンはかなり嫌いな方。健康を考えると、私こそ食べた方が良いのだろうとは思うが……。
 夫は、子供に手をかけてやるたちなので、サクランボはちゃんと種を外して食べさせているが、私は、めんどうなので、ちゃっと洗って、そのままお皿に載せ、手を拭くキッチンペーパーを添えて渡してやったら、ちゃんと食べ終わった種は紙に包んで、皿と台所に下げてきた。親もちゃんとしてないのに――と褒めてやった(子供に礼儀作法、行儀のたぐいを仕込んだのはすべて保育園です)。

 ヨーロッパの方が、日本より果物好きなのか、あるいは豊富なのか、季節が良くなってくると、マルシェにもイチゴなどのベリー類、サクランボの専門の屋台が出て、大量に売っている。買う方も箱で買って行く。積極的に試食させてくれるのに子供が釣られてしまい、一緒に行くとどんどん買わされてしまう。
 ブルーベリーなど日本でもよく見る果物も多いが、日本訳としては「すぐり」らしいがドイツでJohanesbeerenと呼ばれるもの、フランスでmirabelというものなどなど、珍しいものも多い。
 サクランボは、ダークチェリーが主だが、この間、佐藤錦のような淡い色合いのものも見た。夫の田舎が山形で、毎年送ってくれていたが、さすがにこっちまでは送れない。ドイツ時代、大家さんの家にサクランボの樹があって、季節には持ってきてくれた。ある年、ちょうど、私の親が来ているときで、とても喜んだ覚えがある。親は、そういえば果物が好きだった。
 私も好きな桃には、平たい形のものがあって、先日、ちょうど試食させてもらえたので、もらってみたら、白桃で、日本のものに近い味だったので買ってきた。平たくて中心が上下くぼんでいて赤血球のような形をしている(あまり美味しそうなたとえではない)。かなり小さめで、二つくらい食べられる。普通の桃の形のものは黄桃が一般的らしい。

 先日、水曜日は幼稚園のすぐそばのマルシェの日なので、子供を送り届けたあと、買い物をしていたら、幼児の集団のぴよぴよとも聞こえるような高い細い声が聞こえてきた。見ると、知った顔も多く、幼稚園の子供の学年の集団だと分かる。そばに寄ってくると、周りの子供たちが、私を見つけて「Maman de N!」と口々に叫んでいるが、肝心のうちのは、ぼーっと野菜などを眺めていて、私が頭をはたくまで気づかなかった。二人ずつ手をつながせて、親と一緒にいるときには考えられないくらいおとなしく、列を乱さず歩いている。60人くらいの子供に対し、大人は3人なのに、さすがに集団行動は違うということなのか。しばらくしてまた見たら、その列は、マルシェを出てつつがなく道を横断し、幼稚園へと帰って行くところだった。
 日本の保育園時代にも、外に連れ出すのが好きな担任だったこともあり、近所の公園によく出かけて行った話は聞いていたが、当然、その頃は働いていたし、その姿を見ることはできなかったので、なかなか面白いものを見た。
 迎えに行って、「今日マルシェで会ったな!」と言うと「fraiseとcerise食べた!」と興奮している。担任にも「今日……マルシェ……」と話しかけてみると、「会いましたね! イチゴとサクランボを買って戻ってきておやつにしたのです。彼女もたくさん食べましたよ!」とのこと。子供も先生も楽しそうに話すので、こっちも楽しい気持ちになってきた。買い食いは、日本の保育園ではやってなかったな――衛生のことや、個人のアレルギーや嗜好、お金のことを考えると、いろいろ難しいのだとは思う。

2009年6月11日木曜日

アイさんのこと

 うちの子供には、もう夫がいるそうである。名前はアイさん。

 確か、発端は、親と意見がぶつかった時、いつもいつも二対一で「そんなことない」「それはだめ」「お前が間違い」と言い負かされてきて、ある日「そんなことあるよ! うちの旦那さんは言ってるよ!」と言い返した――ということだったと思う。いろいろ聞いてみると「名前はアイさんって言うんだよ」「おなじ会社で働いているんだ」と言い出した。それまでにも、夢の?仕事の話はよくしていた。お菓子屋さんと自動車屋さんと、本屋さんの会社で(最初は、お菓子だけだったのが、増えていったのだ)、パソコンでメイルを書いたり、車でお出かけしたりするのがお仕事。パソコンは、ピンクと紫をもっている――などなど。
 どういうふうに頭の中に入っているのか分からないが、意外と、一度言い出した設定はぶれないで、なんども同じことを言ったり、進化させたりする。

 対抗心から生まれたせいか、両親が、自分の行ったことのないところの話をしていると、「私もアイさんと行ったことあるけどね」などと言い出すし、お金持ちで優しいから、なんでも買ってくれるの――ママはお金なしだから、買ってくれないけどね――だそうだ。ちょっと怒りたくもなるが、いつも、あれ欲しいこれ欲しいと言われるたびに「お金がないから買えないんだよ~」と返しているのでしょうがない。
 家には、両親のみならず、祖父母まで一緒に暮らしているとか、子供の名前がレオであるとか、飼っている犬はラッセルテリア(犬種を言った訳ではなくて、外で会った犬をさして、これと同じ、と言ったのだが、これもまた毎回同じ犬種を言う)、などなど具体的なことを言うこともある。あるとき、茅ヶ崎の実家に向かう東海道線の車中、藤沢を越えたところで、「あ、ここ、この先にアイさんと住んでいる家があるんだよ!」と指さしたことがあり、その後、しばらく経ってから、「私たちの家は藤沢だよ」と言葉にして言ったときはちょっと恐ろしい気がした。

 そのうち、アイさんを超える人やことがらが現れて、きっと忘れていってしまうのだろう。もしかして、本当にアイさんが現れたりして? なんて思ったりもするけれど、現実に、惚れ込めることも見つけられず、ひたすら脳内夫の設定だけが増えていくのだけはないことを願っている。
 子供のときに、ベッドサイドのコップに自分にしか見えないクジラを飼っていて、夜な夜な冒険に出かける男の子の物語を読んだ記憶がある(ネットで検索してみたが、探せない。スペインの物語だったと思うが)。彼らの別れは、親に、今は勉強が一番大事だ、と言われて――だったっけ。

2009年6月9日火曜日

パリ行きのこと

 週末、一泊でパリに行ってきた。ブリュッセルからパリまでは、ブリュッセル=ミディというターミナル駅から特急でほぼ一時間半。地図でみると、ケルンの方が距離的には近いのに、残念ながら山脈が邪魔をしているから、そっちは二時間半はかかる。よく出張で名古屋に行っていたが、それとあまり変わらない感じ。
 11時の特急で、12時半にパリには着いてしまう。お昼ご飯をパリで遅めに食べることにして、行きがけにマルシェで焼き菓子を買って出かけていった。三人で予約を入れているので、間にテーブルを挟んだボックス席がとれている。駅で買った簡単なぬりえの本や持ってきたプレモ(細かいパーツは置いて、二人だけ)で遊んだりして、12時になったところで、お菓子を食べた。となりのボックス席には、小学生くらいの三人兄弟がいて、やはり、12時になったら、一番大きい男の子がお弁当を配り始めた。バゲットにハムとクリームチーズを挟んだものをホイルで包んだのと、ヨーグルトドリンク、リンゴ。ついつい観察してしまう。そういえば、名古屋出張も午後一で打ち合わせを入れることが多く、新幹線の中で12時を待ってお弁当を食べたものだった。

 調べておいたビストロに行ったら意外と高級でびっくりしたけど、さすがに美味しくて、難易度が高いと思った鴨のサクランボソースを子供にたくさんとられて驚いたり、ブックオフに日本の本を売りにいったら、久しぶりに見る日本語の本に大興奮の子供にそれ以上に高い子供の本を買わされたり。私にはギャラリー・ラファイエットの「これぞデパート!」っぷりが久しぶりだったり(英語を話すフレンドリーな店員に驚いたり)。
 疲れたと言う子供と夫がホテルに帰ったので、急にできた一人の時間に、大喜びでパサージュを散策したり、お菓子屋さんで、量り売りのキャラメルを買ったりして、パリ気分を堪能。その後、また家族で今度は本当に庶民的なビストロに、夜ご飯を食べに出かけたけれど、これまた美味しくて大満足だった(しかもブリュッセルより安い)。

 さて、今回のパリの目的はポンピドーセンターの「カルダー展」。カルダーは、最初に見たのはなんだったんだろう。一番古く記憶にあるのは、コルクと針金で作った動物のおもちゃ。かわいくて、大好きになった。その後、モビールを知ったのだけど、個人展は見たことがなく、写真でばかり見ていたのだと思う。今回、開催に気づいて、どうしてもといってやってきたのだった。旅の鉄則?で、土曜日に買い物を、日曜日に美術館に行こうと、わざわざ二日目に回して、十時前にたどりついたのだが、なんだかバリケードまでして物々しい警戒。それでも、しばらくは開館前だからかと待っていたが、10時を過ぎても開かない。そばの警官に「今日は開かないのですか?」と尋ねると、例の否定の否定「Si!」が返ってくる。「開くけど、午後になります」「午後って何時ですか」「正午です」「なにがあったのですか?」「オバマ夫妻が来ているのです」
 そういえば、カルダーはアメリカ人だった。

 警戒ぶりにも納得が行き、しょうがないので、お昼ご飯とその後の散策の予定だったモンマルトルに出た。雑誌で調べておいた、パン屋さんでパンを買ったり、甘いものを買ったり、お惣菜屋さんの位置や、お昼ご飯の店候補を確認しても時間が余ったので、階段をいくつも登って、公園に出た。子供を放し飼いにして、まだ若いサクランボを付けた木の下のベンチでさぼっていると、緑が多く、高台で風が渡り、とても気持ちが良い。周りにも雑誌を読んだり、携帯を見たり、ちょっと気持ちを子供からそらして緩めている親たちがいる。全体に斜面になっているところに棚田のように作った遊び場で、その斜面にシートを貼ってあって、登ったりすべったりして遊んでいる子供たちが多い。うちの子供も、滑り台や砂場などの遊具はすぐに飽きて、その斜面で遊び始めた。
 12時になって、ほかの子供たちも呼び戻されて帰り始め、私たちも引き上げてきた。同じ斜面の下の棚田は、ペタンク場で、けっこうお年寄が集まって、投球していた。
 昼休みの早いお惣菜屋さんで、夜ご飯用のローストポークを買って、塊でくださいとグラム指定して言うのを、あなたたち、三人で食べるんでしょう? 三枚に切ってあげるから、そのほうが良いから(C'est mieux! C'est mieux!)と繰り返されて、切り身を、また「ほら、この方が良い」と得意げに笑って見せてくれた。プラスチックのフォークとナイフも付けてくれて、パリの人って、こんなにおせっかいだったっけ? でも、重さがぴったりだったのはさすがだった。

 お昼ご飯も、またまた堪能して、捲土重来のポンピドーセンター。今度は、無事、開館していた。一階に、子供用のギャラリーがあって、そこでカルダーの世界を体験できる展示がいろいろあったので、最初に行ってみたら、子供がおもしろがり、夫が見ているというので、そこに置いていくことにして、展示には私一人で行った。
 展覧会はまた楽しくて楽しくて、これは、私の悪い癖だけれど、好きなものがたくさんあると、もう興奮してしまって、その場に長くいられなくて、走るようにして見てしまう。前に、子供に「そんなに興奮するな!」と指摘されたことさえある。
 針金の作品をつり下げて展示して、白い壁に影が映るようにしてあるのも、思ったより小さいコルクや木でできた動物たちも、本当に愛すべきものたちで、見ていると胸がどきどきしてきた。いつも、展覧会は「この中で、一つもらえるとしたら」を考えながら見てしまうが、今回、もしいただけるなら、1928年の猫のランプをぜひ、いただきたいです。座った猫をぐーっと伸ばした形の針金の顔の部分からランプの幌が提げてある、とても可愛いもの。

 うちのより小さい子供もたくさんいて、楽しんでいる様子だったので、置いてきたことを後悔したけれど、さっさと見て、戻ってみたら「えー、まだ遊んでいたいのに!」と言われるくらい、その子供用のスペースを楽しんでいた。そのまま、はしょってきた同時開催のカンディンスキーを見に戻ろうかと思ってしまった。
 本物を見ないでそこで遊んでいるのも邪道かもしれないけれど、カルダーのモビール作りの原理がわかるように、あの特徴的な丸三角型の板を使ってバランスをとることを学べたり、チェーンや針金で、一筆書きの形を作ったりができ、カルダーが作ったおもちゃのサーカスのビデオを流していて、それはそれでとても楽しいものであった。

 展覧会、とくに好きなもの、思い入れの強いものは、一人で見るのが一番だと思ってきたけれど、働いて、結婚して、子供ができてと時間が少なくなってくると、夫と、そして家族で来ることが多くなってきてしまった。夫は、それほど興味がないので、子供にあわせて、集中力が持つ限りは一緒に見たり、欠けてきたら外に連れ出したりしてくれている。前に、フランドルのタペストリー展に行ったときは、子供はまったく興味が持てず、かなり早い段階で、私一人になってしまったし、前に、やはりパリにピカソ展に来たときには、最初は、面白がって、むしろうるさいのではないかと思うくらいだったが、静物の牛の骨が怖くなってしまい、残り4分の1くらいのところで退場になってしまった。二人は、あの展覧会の目玉のゴヤの裸のマハ、マネのオランピア、ピカソの裸婦のそろい踏みを見損ねているのだった(もう一つの目玉、ベラスケスの王女マルゲリータを何種も連作で本歌取りしているのは、無事、見られたけれど)。

 好きなものを邪魔されないで見たい、という気持ちと、自分の好きなものに家族を連れ回すのと、どっちがエゴ度が高いだろうと思いつつ、しばらくはこういう時代が続くのだろう。
 ブリュッセルの家に帰って、そばつゆを作って、そばをゆでて、買ってきたローストポークで夜ご飯。そばを飢えたようにむさぼり食べる子供に「お前は、旅行も好きだけど、お家も好きだねえ」というと「うん」とうなずく。「旅行は、嫌い?」と聞いたら、「なに言ってんだ!」と笑い飛ばされてしまった。

2009年6月3日水曜日

旬の野菜のこと

 またヨーロッパで暮らすことになって楽しみにしていた食材の一つが「ホワイトアスパラ」。日本でも、会社のそばにホワイトアスパラを得意として、このシーズンにはスペシャルメニューの登場するレストランもあったし、北海道から取り寄せたりもしていたが、やはり、ドイツ時代に食べていたホワイトアスパラは美味しかった(し、安かった)。

 ドイツの人たちは、本当にアスパラが大好きで、たくさん作るために、アスパラ農家には税制上の優遇があるという話も聞いたことがある。季節になると、市場店頭にはたくさん並び、「**産」「朝穫り」「農家直売」などなどと書いて、大声で呼びかけて、売っている。住んでいたボンの近郊には有名な産地があって、そこの地名の付いたのは高く売られていた。ランクがいくつかあって、一番不揃いだったり、割れたりしているのは「スープ用」。kg単位で売られていて、まわりは「2kg!」なんて買っている。私も半kg買っていた。
 もちろん、ゆでてオランデーズソースで食べるのが一番だけど、ドイツの知人に、家庭で作るオムレツのレシピも教わった。柔らかめにゆでて、半分を一口大に切り、もう半分は形がなくなるまでハンドミキサーでつぶし、そこへ卵を加えてさらに泡立てるように混ぜる。その卵液をフライパンに流し込み、とっておいたアスパラを中に巻き込みながら焼く。卵の部分にも苦甘いアスパラの風味が移って、とても美味しい。安めの不揃いなものでもできるのが利点で、日本の高いアスパラで作る気にはなれなかった。ずっと食べていないなつかしい味。
 レストランでは「Spargelzeit kommt!(シーズン到来)」と書いた看板が立つ。敷地内に畑を作ってあって、料理する直前に収穫することを売りにしている店もあった。前菜にゆでてソースがけ、スープ、主食の付け合わせももちろんアスパラ――。
 こうして2ヶ月くらいの旬の間、「狂ったように」食べ続ける。

 ブリュッセルの近郊にも有名な産地があるというし、期待してきたのだけれど、こっちの人たちは、そこまで情熱的ではない。市場でも並び始めて、産地も明記してあったりするけれど、野菜としては高いせいか、あまり買っている人もいない。何度か買ってゆでて食べてみたけど、記憶の中で美化されているせいか、ドイツの方が美味しかったような……。子供も嫌うので、食べなくなってしまった。

 代わりに浮上してきた(?)のがグリンピース(プチ・ポワ)。日本のものより薄皮が柔らかくて、甘みも香りも強い。やっぱりkg売りしているので、半kg買ってくる。ただゆでて、薄めの麺つゆくらいに仕立てた出汁につけ込んで、冷えたところをスプーンですくって食べるのも良し、バター風味で洋風にするも良し。鴨やラムをタマネギにんじんと焼き付けておいたところに、大量に投入して蒸し煮にして食べると、肉の出汁が移って美味しい。トマトベースのラムの煮込み「ナヴァラン風」を、この季節はあっさり生トマトで煮込んで、グリンピースを入れるのも美味しい。

 と、市場に行くたび買ってきて、毎日毎日食べていたら、さすがに子供が最初に音を上げた。もう嫌い! と言って、わざわざミートローフからほじりだして残したりした。うーん、両親はまだまだ毎日でも行けるんだけどな……。それに弁当には便利なのに……。いや、やはり旬だからといって、過ぎたるは……ってことですね。

 そして、次は、空豆の旬がやってくる。枝豆はないけれど。

2009年6月2日火曜日

水曜日のこと

 ブリュッセルに暮らし始めたのを機に、こんな子供の話満載のブログを書き始めた私だが、もともと、子供は大の苦手である。結婚して10年近くもだらだらと子供のいない生活をしてきたのも、子供嫌いだから。でも、あいにく夫は子供好き。いろいろ話していろいろあって、そして今は子供と三人で暮らしている。子供が生まれたら、劇的に子供嫌いが治る――なんて訳もないので、未だに子供と二人きりの時間は苦手。

 そんな私の今の憂鬱は「水曜日」。それは幼稚園が半日で終わる日。平日だから、夫もいない。その時間を埋めるため、日頃からいろいろ考えている。「子供と一緒にどこ行こう……はーーーー……オブラディ・オブラダ……」と力なく口ずさみながら、ネットでいろいろ検索したり。夫には「そのCMは、お前とシチュエーション逆じゃない?」と指摘される。

 これまで、「もぐらくん」の無声映画に音楽を乗せるというコンサートに出かけ、「怖い! もう出る!」と泣き叫ばれて途中退席になったこともある。楽器博物館に行って、やはり子連れが多く、ほかの子供と意気投合してしまい、博物館中を走り回られたこともある。展示の楽器に潜り込んだりとはしゃぐ子供に、そのときは、相手の親と「挟み撃ちにしましょう」と手分けして追いかけたりしたのだった……。ドイツだったら、きっと親子ともども、第三者(たいていは老婦人)にこっぴどく怒られているところだろう。
 家で過ごそうと考えて、一時期は、お菓子作りばかりしていたときもある。でも、一度に食べきれないし、飽きてしまって、最近はやっていない。絵を描いて、切り抜いてステンシルにして子供にお話のある絵を作らせたこともある。力入り過ぎと夫は笑うが、自然体で子供とつきあえるなら苦労してないって!

 この間の水曜日は、しょうこりもなく、子供用のコンサートに出かけた。今回は、特別な演出はなく、ギター二本と、コントラバス、アコーディオンの四人の男声四重唱。途中、フランス語で観客席にリアクションを求めたりするところには乗れなかったけれど、そもそも、うちの子供は「楽器」というものが好きなので、ちょっと変わった弾き方をして、それまでと違う音が出ると、面白いように反応するし、途中からは、歌を口ずさんでみたり、コントラバスの男性が好きだと言ってみたり、楽しく過ごした。終わった後、いつも行きにくい水曜午後の市場に行って、買い物をしたり、クレープの買い食いをしたりもできたし。
 その前の水曜日は、天気もよく、近くの公園に出かけた。キックボードにシャボン玉、『よつばと!』で知っているからと糸電話も作って(紙コップを買ってないので、トイレットペーパーの芯を利用した低予算企画……)、実家の母親が買ってくれた凧がこの間、受けたな、と思い出してそれも、すべて自転車に詰め込んで公園に出かけた。それぞれ楽しんで遊んでいたけれど、ほかの子供がボールを持っているのを見て「うちは? ボールは?」とのたまう。すみません、そこまでは……。

 明日もまた、水曜日がやってくるが、なにも企画がない……。今日から、丸腰で向かうプレッシャーがひしひしと……。

 水曜日の午後は、そんな親のために(?)、いろいろイベントや教室が企画されている。単発のコンサートもあるし、お稽古教室もたくさん。やっと子供のフランス語アレルギーも抜けてきたので、9月からはそういう教室にぶち込もうと模索している。本当は、ほかの日本人のご家族とかと申し合わせて入れたりすれば、ハードルも低いのだろうけど、そんなすてきな対人関係は築けていない。

望郷の念のこと

 木曜日はしなくてはいけない家事が少ないため、都心に出たり、昼を外食したりと羽を伸ばすことにしている。先日、ベトナム料理で昼ご飯を食べ、目をつけておいた自家焙煎のコーヒー屋に寄ってみた。豆の小売りが主で、カウンターで飲むこともできる。一杯注文して、その場でいれてもらい、一口飲んだとき、懐かしいような切ないような気持ちがわき上がってきて、めまいまでするようだった。
 東京で仕事をしていた時の記憶がよみがえってきたのだった。

 コーヒーということでは、家でもよく自分で入れて飲んでいるし、喫茶店に家族で入ることも多いと思う。でも、家族で喫茶店に寄るのは、子供のトイレ休憩が主な目的になってしまっていることもあって、入りやすい店になってしまう。こういう自家焙煎コーヒー屋は、この街では存在自体少ないし、入るのは本当に久しぶりだった。
 日本では、よく、仕事の合間に外でコーヒーを飲んでいた。他の人と行く時は、会社のそばが激戦状態となっていたテイクアウト中心のチェーン店が多かったし(相手によって、好むコーヒー店が違ったり)、一人の時は、昔ながらの「コーヒー専門店」に行くことも多かった。
 そういえば、育休中、やっと子供を電車に乗せる勇気が出て、初めて大手町に出たとき、チェーンのコーヒー屋でテイクアウトして、ビルの谷間で、紙コップに口をつけたとき、やっぱり、こういう懐かしい気持ちになったのだった。

 これまで感じた仕事への「懐かしい気持ち」の一番強かったものは、ドイツを出る直前。そのとき、2002年の夏は、日韓共催のサッカーのワールドカップが行われていた。ドイツチームは最終的に準優勝だったが、本戦に進んだとき、ドイツ戦のときは仕事を休んでも有給外ということになり(首相がそう話している映像を見た記憶があるが、どういう拘束力だったのか……)、日本で試合のある夜、つまりドイツでは午後から個人商店はもちろん、銀行さえも閉まってしまうほどだった。
 その頃には、もう家は引き払ってしまっていて、その日、私は、語学学校に通っていたときからのなじみのビール屋兼定食屋でお昼ご飯を食べていた。ちょうど試合のテレビ中継を流していた。
 となりの席に、仕事帰りとおぼしき30歳前後の男女と50前後の男性が来て座った。若い女性は「あ、オリバー・カーン! 私、この人だけは顔、分かるのよね〜」「クローゼは今日、何点ゴール決めてくれるのかしら?」とはしゃいでみせるが、男性二人は、まるで聞かずに「監督の選手起用が」とか、「フォーメーションが」とか、もっとディープな話をしている。女性も別に、意に介した様子もなくにこにことそんな二人を見ている。
 料理が運ばれてきて、上司らしき男性が「さて」と顔を上げた。と、まったく聞き取れない単語の羅列になって、どうも仕事の話に切り替わったのだとわかる。すると、今度は、女性が身を乗り出して、熱心に話しだし、上司も、適切に相づちを挟みつつも、彼女が語るに任せている。でも、話に引き込まれている様子。若い方の男性は、ほとんど口を挟めず、黙々と食べながら聞いている。
 そのときにも、やはり、東京や、仕事の記憶が一気によみがえってきたのだった。

 今の暮らしは楽しいし、人間らしいと思う。でも、やはり、期間の限られた駐在の、さらに夫の付属品という生活は、安全な金魚鉢の中から外を見ているように感じてしまう。
 気候風土が合うのか、こっちに来てから、堀江敏幸氏や、須賀敦子氏のヨーロッパ暮らしのエッセイを読みたくなってなんども読み返したりしているけれど、ときどき、あの「まだ何者でもない」ことへのいらだちや、イタリアの家族との肌合いの違いを感じながらの暮らしを、同じヨーロッパ暮らしと思うことに後ろめたさを感じてしまう。
 ほんとうに強欲な話だとは思うけれど……。