2009年5月18日月曜日

ぬいぐるみのこと

 道を自転車で走っていて、「いなくなりました!」の貼紙に気がついた。迷い猫のポスターは多く見るので、またそれかな? と近づいてみると、失われたのはぬいぐるみ。子豚?のぬいぐるみの写真が入れ込んだプリントで、どうもその大通り沿いでなくしたらしいと書いてある。通り沿いに、その家の住所の通りの角から、マルシェの立つ広場まで、かなりたくさん貼ってある。
 生きた猫でもないのに……と思ったが、持ち主の子供からしたら、生きていても生きていなくても同じかも知れない。
 そう思ったら、前に、うちも子供のぬいぐるみをなくしかけたことを思い出した。
 
 去年のゴールデンウィークはまだ日本に住んでいた。ちょうど、夫婦そろって仕事に行き詰まり感を覚えていて、ゴールデンウィークには、ぱーっと遊びに行こう! とドイツ旅行に出た。ミュンヘンと、夫が留学時代に暮らしたムルナウという街を拠点に、南ドイツツアー。その日は、朝から世界遺産の教会を見、ノイシュヴァンシュタイン城へ向かうという、この旅行の中では移動の多い一日だった。季節も良く、城へ向かうシャトルバスの乗り場には大勢の人が。列もできていないし、大声ではしゃぐ集団もいて、大混乱だった。バスは立ち乗り。子供は時差ぼけもあったのか寝てしまう。夫が子供を抱きかかえ、マリエン橋からノイシュヴァンシュタイン城を眺め、帰りは馬車――で、麓にもどってきて、気づくと、私が持っていたはずの子供のリュックサックがない。そのなかには、子供が大事なあまり、この旅行にも連れてきた犬のぬいぐるみが入っている。
 まだ寝ている子供を抱きかかえている夫を残し、雑踏がすごかったバス停のあたりを見て回り、インフォメーションセンターや、土産物店などにも届け出られていないか聞いて回った。言葉が通じてないかもと、今度は、夫と交代して、また回ってもらう。でも「おまえの妻がさっき聞きにきたよって言われちゃったよ〜」とてぶらで帰ってくる。
 その先のバスには時間があり、子供も寝ているため、街へ戻るバスターミナルで暗い気持ちのまま座っていると、夫が「こいつが起きたら、ぬいぐるみがなくなったって言わなくちゃいけないな……」とつぶやいた。やっぱり、もう一度見てくる! と、またシャトルバスの発着場に行ったところ、城から戻って来たバスが一台、そして、そのフロントグラスのところに、子供のリュックサックが外から見えるように置いてあった! 運転手に「それうちの子供のです!」と言い、渡してもらったときは、本当に安堵。その後、目を覚ました子供は、そんな苦労があったことは知らない。

 ぬいぐるみは、本当にパーソナルなおもちゃなのだと思う。子供は最初、自分とぬいぐるみという一対一の関係で遊んでいる。その後、ぬいぐるみ同士を会話させるようになり、ぬいぐるみより小さなおもちゃでおもちゃ同士の世界を作って、大げさに言えば「神の視点」でそれを見下ろす遊び方になる。うちの子供も、私がシャンパンなどの発泡性のお酒のコルク栓に顔を描いて作った人形?で家族ごっこや、保育園ごっこをして遊び、プレモへと移行してきた。
 最近は、あまり遊ばれなくなってしまった、あのときの犬のぬいぐるみだが、それでも時々、ひとりで本を読むときにそばにはべらせたりしていて、やはり彼女にとって特別な存在なのだ。

 さて、そんなトラブルはあったが、天気にも恵まれて、とても楽しい旅行だった。
 が、その一ヶ月後、夫にブリュッセル転勤の内示が出たのだった……。あの、次ドイツに来られるのはいつになるか、と焦燥感さえ感じながら、回った旅程、飲んだビール、買い込んだあれこれはいったいなんだったのだろう……。

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