2009年4月21日火曜日

郵趣のこと

 ドイツで暮らしていたときには、語学学校に通ったものだが(2クールで挫折して辞めてしまったが)、今回は、子供がいて忙しいからと、通わないでいるうち半年以上が経ってしまった。そして、恐ろしいことに『よつばと!』と1冊独習したボキャブラリーのテキストだけでなんとかやって行ける気になってしまったのである。まあ、フランス語と言っても、会話する相手は住んでいるところの管理人さんと子供の担任の先生、あとは買い物だけ。意外にボキャブラリーは少なくて済むのであった。

 ドイツ時代と今とで、ボキャブラリーで一番大きな違いは郵趣関係だと思う。当時、まだ生きていた父親は切手や消印に始まり、郵便局の作るグッズを集めている「郵趣な人」だった。旅先で、必ずはがきを投函し、娘の私にも強要していたし、偏愛していた丸ポストの写真も取り集めていた。晩年は、郵便車のミニカーも買い集めていた。
 ドイツに暮らし始めてしばらく経って、ボンの本局で新しい切手の発売の日から一週間、切手やグッズを売る郵趣関係のブースが立つことに気づいた。その上、一番はじの窓口は「特別印窓口」として、初日印を押してくれていた。ベルリンに首都が戻ったけれど、なぜか、切手の初日印はベルリンとボンの二つを作っていて、客は、「ベルリンを」「これにはボンのを」「もちろん消印はボンで(ベルリンに対し、敵愾心?を持っている人も多かった)」などと注文して押してもらっていた。
 父親の遠隔操作を受けつつ、周りの客の様子を観察しつつ、月に一度(ドイツ人は郵趣の人が多いのか、記念切手は月に一度第三木曜日だったかなんだったかに発売されていた)ボンの本局に行って、初日印を作り続けた。父親の宛名シールを大量に作っておいて、封筒に貼り、切手を買って、特別押印窓口で「ボンをいくつ、ベルリンをいくつ押してください、切手の消印のほかに捨て印も押してください」などなどと細かく指示をしたりしていた。
 記念切手にあわせて、その切手のモチーフを説明したリーフレットや、モチーフから派生したグッズを作っていたので、父親の興味のありそうな作家や音楽家といったもののときには買って送ったり。すっかりそのブースのおじさんに顔を覚えられ、三年の駐在の最後の頃に「しかし、お前のドイツ語の上達はのろいな!」などと言われたりしたものだった。

 ベルギーに来てしばらくして、郵便業務を請け負うプレスショップで無料配布されている郵便局のロゴの入ったメモ帳を見つけたり、住んでいる建物が、地域の郵便配達の拠点らしく、たくさん郵便物の入った郵袋が、エントランスに投げ込まれ、配達員さんが、そこから少しずつ取り出して徒歩で配っているのを目撃した。が、「見すべき人のありと言わなくに」などとつぶやいてそのままにしておいた。そんな頃、夢に父親が出てきたので、こんなことがあったと話したら、「え! もらっておいてくれればいいのに! 写真を撮ったりとか!」と言われ、「いや……だって、もう死んでるからいいかと思って……」と言ったら、真顔で「ひどいなあ! 死んだからって!」と言われてしまった。そのくらい言いそうな人ではあった。
 夢枕に立たれてはしかたないので、メモ帳はもらい、郵袋の写真は撮った。

 でも、それで終わりにすることにした。今も、フランス語で「初日印」をなんと言うかを私は知らない。

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