2009年12月24日木曜日

メリー・クリスマス!



※写真自体は先週金曜日の物です。

2009年12月17日木曜日

水泳教室のこと その2

 9月から通い始めた水泳教室の1クール目が終わった。

 途中から、脚のつかない深さのプールに移動して、もぐる練習をしたり、ふと気づくと、先生はプールサイドで見ているまま、飛び込まされていたり、ビート板なしで浮かされたりいて、見ている私がびっくりするくらいだったが、こっちではそうするものらしい。そして、ふと気づくと、うちの子は一番のみそっかすになっていた。すでに体力に性差があるのか、同じクラスは全員男の子で、彼らが勢いよくばた足して行っても、子供一人、力が弱いのか進まない。背泳ぎになると、姿勢が悪く、プールサイドの先生から、ジェスチャーで、天井を見ろ、と指示される。そのくせ、プールサイドでは、仲良くなった男の子とずっとくっちゃべっていて、先生の言うことを聞いてなくて怒られたりしている。いつも注意されてばかりいて、面白くなくなってしまうのではないかと気を回すと、まったくそんなことはなく、毎回楽しみにしているようだし、先生のことも大好き。鈍感なのか?


 昔はこういう子供ではなかった。

 保育園時代、3月の末に生まれた子供は、ずっとクラスで身体も一番小さく、やることなすことほかの子たちと差がついてしまっていた。保母の先生に、「いや~、なかなか気が強いです」と言われたことがある。確か、スキップのときと、かるたのときと例を挙げて説明されたと記憶があるが、最初は、まったくできないそうだ。もちろん、できる子もいて、そんな子にできないことを笑われても、怒るでもくやしがるでもなく、にこにこしていると言う。が、すっと輪に混ざらなくなり、あれ? やっぱり気にしてたのかな? と思うと、ある日、突然できるようになって、輪に戻ってくるという。確かに、スキップやかるたは、家でこっそり練習していた。それは気が強いというより、性格悪いんでは? と心配したものだ。いや、私にもそういうところがないわけではないので、しょうがないのですが。


 なので、実は、いつか水泳もできないことに気づくと、行かなくなってしまうのではないかと思っていたのだが、杞憂だったようだ。こっちにきて、自分だけできない、ということを気にしていたらやっていけないと気づいたのだろうか。

 ともあれ、最後、ひどい風邪を引いて3回たてつづけに休んでしまった以外は、楽しく通えた。


 さて、このクールが終わったあとはどうしようか。本当は、親としても送迎が大変なので、水曜日の午後、早い時間になにか習い事を入れたいとは思う。子供は、本当はダンスが習いたいという。彼女は、お姫様は王子様と踊るのが仕事なので、それを覚えないとお姫様になれないのだ、と主張しているのだ。しかし、ちゃんとしたバレエ教室はトラムで1本とはいえ距離があり、やっぱり毎週のこととなるとちゃんと送迎できる自信がない。プールのあるスポーツセンターにあるダンスコースを調べてみたけれど、それはクラシックバレエではないからか、6歳以上からとなっている。

 次のクールは3ヶ月。明けた4月からは、子供も日本人学校に通うことになる。そうすると、趣味や行動範囲、人間関係で、いろいろやりたいこと、できること、通える場所が変わってくるだろう。

 よし、新しいことを始めるならそのタイミング、次のクールはやっぱりまたここの水泳教室に通おう、と決めて、子供とも話す。


 コースの終わりに進級テストをするという。

 そんな子供なので、当然、進級できないだろうと思っていた。そして当日、他のコースの先生たちは、紙を手にして、なにかメモを取りながら見ているが、うちの先生はなにもしていない。クラスが5人(しかも、その日は一人休んでいた)なので、全部頭に入っているということかなあとも思う。

 が、次回の申し込みに行くと――継続申し込みなので、システムは前回と同じアナログながらも、余裕がある――次はグループ2ね、と事務に言われる。え? 進級できてたんですか? と思うが、聞く勇気も語学力もないのでそのまま更新して帰ってくる。もうあのクラスにも慣れて仲の良い子もいるから、一緒が良いかもしれないな、とも思う。


 そして、今期最終クラスの日が来た。

 その日は、水泳はまったくやらずに、ずっと遊び。ちょうど畳くらいの大きさの発泡スチロールの板を水に浮かべて、そこから飛び込ませたりした。上のクラスと合同でやっていて、そっちの先生がプールに入ってそっちがわを、うちの先生が、プールサイドがわを支えていたのだが、子供たちが喜んで板の上を走って飛び込み――とやっているうちに、先生が、わざと板を揺らして子供たちを落としたり、板に掴まって抵抗する子供をひっぺがしてぽんぽん水に放り込んだりとどんどん荒っぽくなっていって、子供たちの興奮もどんどん増して行く。

 一つ下のクラスは、その板の上に子供たちを乗せて、先生が、プールの中を引き回して歩いてやったり、もっと大きいクラスは、深い方のプールで、子供たちだけでその板に乗って、沖?に漕ぎだしたり、お互い突き落としたり、這い上ったり、ひっくり返したり、恐ろしい騒ぎだった。後半は、何本も滑り台をやった。

 子供たちが楽しそうな声が観覧席まで聞こえてくる。しかし、こんな荒っぽいことをされても喜べるなんて、水が怖くない、好きな子供たちになっているのだなあと感じられる。あるいは、先生に対して信頼があるのか。


 そして、最後にベルギー王立水泳協会のからとスポーツクラブからの二つの修了証が渡された。

 スポーツクラブの方は水色の上質紙にBrevet de Pingouin(ペンギンレベル修了証というくらいの意味か)とあり、

*ちゃんと沈むことができる、とか、

*水中の物を拾うことができる、とか、

*腕を後ろ向きに回すことができる

(背泳ぎの腕をやらされていたので、それか?)

*一人でうつぶせでも仰向けでも浮くことができる

 だったので、これなら合格している! と思えたことであった。

 王立水泳協会のほうは、イラスト入りのカラフルな物で、コミカルなひよこの絵が書いてあり、大きく「小ガモみたいに、私は水が怖くないよ! 終了!」というような意味のことが書いてある。王冠や紋章も描かれていてそれっぽい。黄色い織りネームのようなものがホチキスで添付してあって、それが肩章のような、修了証なのであろう。

 親としては、一つのことをやり遂げられた達成感がじわじわわいてくるのだが、子供はわかってないのか、淡々としている。


 ところで、手続きのアナログなことを前回も書いたが、最初には頭金しか払っておらず(といっても90ユーロ中40ユーロ)、あとで請求書払いみたいに言われてたけど、来ないなあ、と思っていたのだが、最後に近いある日、観覧席で座ってみていたら、事務の女性が、いきなり「あなたまだ、お金払ってないよね!」と隣に座って、最初に私が書いた申込書を見せて、「これ、あなたでしょう?」という。

 その日は、お金をたくさん持っていたので、「ここで現金で払います」と言って、払ってしまった。会員カードにお金払いましたスタンプを捺してもらって一件落着。が、しかし、お金を払っていない人を洗いだして、見た目で声をかけているのだろうか。と思うと、またもなんという非合理的な――という思いが募るのだった。

2009年12月16日水曜日

ドイツ物欲の旅のこと 後篇

 さて、次の目的地はエッセン。

 まずは、世界遺産になっているZollvereinへ。ここは、世界遺産といっても近代遺産。昔社会科で習って、耳障りが良いので覚えていた「ルール工業地帯」の炭坑あと。巨大な施設を一部現代美術館に使っていたり、また、炭坑あとの見学が出来たり。以前、見に来てスケールの大きさと、今は使われていないが、機械やトロッコ等の力強さに感動した――のだが、今回、あまりに下調べせずふらっと来てしまったので、ちゃんと見学できず、そとからぐるぐる回って見て、そのまま街の中心へ行く。
 この日は、日曜日だったので、普通の商店は閉まっている。クリスマス市を流して、屋台飯を食べる。ベジタリアン屋台のシャンピニオンのソテーがおいしかった。子供は、大好きなQuark (クヴァルク=ドイツのフレッシュチーズ)入りの生地で作った揚げドーナツに大喜び。このお菓子、主にカーニヴァルで食べるお祭りのお菓子。
 このエッセンのクリスマス市には、移動遊園施設がいくつか来ているので、子供は喜々として乗る。メリーゴーラウンドや、ブランコがひたすらぐるぐる回るのとか――私は確実に酔うのでぜったい乗らないのだが、夫は何回かつきあって、目を回していた。子供はどうして平気なんだろう。三半規管が未熟だからなのかな。ドイツのクリスマス市らしく、郵便局もブースを出していて、郵趣グッズや記念切手を販売していたり、記念印を捺してくれたりしていて、ついふらふらと近寄ってしまった。でも、もう喜ぶ父もいないので、見るだけにする。
 ここでもホットワイン(Gluewein)を。ドイツのクリスマス市のホットワインは、それぞれオリジナルのカップに入れてくれる。場所ごと、年ごとにイラストも違うし、年号も入っている。デポを払って、容器を返すときに返金してもらうシステムで、そんなわけで、逆に、もらって来てしまう人が多い。コレクションアイテムになっている。ドイツ時代にいくつか集めて、家で使っていたのだが、今回、ブリュッセルには持って来ていなくて、雑に使えるカップがなく不便を感じていた――と言い訳しつつ、ケルンのNeumarktで1個、ここエッセンでも1個もらってしまう。ケルンは、もちろん、ドームが描かれていて、また今年のNeumarktのテーマらしい天使も描かれている。ここエッセンでは、ハート形にZollvereinの描かれているのがあったので、それをもらってきた。

 このエッセンのクリスマス市の一角に「中世市」というコーナーがあった。そこは、店員さんもみんな中世風の格好をしていて、売っている物も古めかしい感じ。パンは薪窯で焼いているし、騎士のような格好も、木の短剣なんかも売っている。
 ヨーロッパの人たちにとって中世はある種のノスタルジーなイメージがあるのか、折々に、各地で中世祭りが開かれて、騎馬戦を見せたり、子供たちに火起こしや甲冑を着る等の体験をさせたりしている。騎士は男の子のあこがれなのか、おもちゃ屋さんでも書店でも騎士ものコーナーがあったりする。騎士のコスプレ?用品が売られていたり、短剣や盾も売られている。プレイモービルにも騎士のシリーズがあるし。日本でいう戦国時代の位置づけか、忍者ごっこやちゃんばらを男の子たちが好むようなものなのか。
 そこに手回しのハンドルでぐるぐる回してくれるブランコの遊具があり、うちのは大喜び。スピードも出るし、「もう一回!」と子供たちが叫ぶと、係の人(これも中世風衣装)が、応じて回してくれたり逆回ししてくれたりが、面白いらしい。旅の終わりに、一番気に入った物を子供に聞いたらこれを挙げていた。

 エッセンを出て、次に向かうはミュンスター。ここもおおきなクリスマス市がある。ホテルにチェックインしてまた市を流す。これまでもクリスマス市では、少しずつクリスマスオーナメントを買っていたので、今回は、ここでは必ず買う、と思い、集中して見てみた。去年は、ガラス細工のをいくつか買ったので、今年は錫の透かし彫りみたいになったもので、雪だるまに動物たちが群がっている形の物にする。夫も、木で透かし彫りにした中に明かりを入れた飾り(これはツリーではなくて、卓上の物)を一つ買う、というので、みんなで選ぶ。以前、本場のザイフェンという街で、ろうそくの力でくるくる回る飾りを買ったのだが、引っ越しの際、軸を曲げてしまい、回らなくなってしまったのだ。ここでもホットワインを買って、容器ももらってくる。

 夜ご飯に出かけた時、健康器具店?のショウウィンドウに、私が探していたショルダーウォーマーというのだろうか、肩部分だけあるアンゴラで出来ている羽織る形のシャツを発見。ドイツで一つだけ買って使っていて、また、このベルギーでも必要を感じていたので、探していたのだ。日本では使わないんだけどね〜。朝9時から開いているというので、翌朝、早起きして一人で買いに行った。こういう血圧計とか、脚気をしらべるためのハンマーとか健康下着、サポーターのたぐいを集めて売っている店、ドイツでは良く見つかるのだが、目立つようにショウウィンドウを工夫してあるということなのだろうか。ドイツは年寄り文化がちゃんと地位を得ているのかも(勝手な感想です)。

 さてさて。翌日はミュンスターでの目的地Westfahrenstoff。これは布地の会社。クラシックなプリントのしっかりしたコットン生地を多く作っている。最初の出会いは横浜の元町にあった布地屋さんだったかと思う。ボンでも、一軒おもちゃ屋さんでここの生地やハンカチ、子供服等を置いているところがあった。ヴァルドルフ人形作家のサイトで「洋服はWestfahrenstoffの物を使用」とわざわざ書かれていたのがあって、手作り好きには愛好家が多いのではないかと思う。
 出がけにホテルの駐車場から車を出そうとして、底を擦ってしまう。嫌な音がしたなあと思ったが、そのまま出発したら、どんどん音がひどくなって行く。なにか引きずっているような音。車を停めて夫が見てみると、底板が外れているという。どーするどーすると思うが、夫はとりあえず、Westfahrenstoffまでは行くと言う。ついたところで、アウトレットの売り場の女性に、この近くに自動車を修理してくれるところはないか尋ねると、なんと隣がそうだという。そのアウトレットには同じミュンスターにあるおもちゃ会社Spielbergのスペースもあって、子供の大好きなPrinzessin Lillifeeのキャラクターグッズがたくさんあって、子供もいきなりはまる。目の色の変わった私たちを置いて、夫は修理を頼みに行った。
 もちろん、棚にきちんとした量り売りの布もあるが、床に、それぞれ25ユーロ/kg、とか、1枚2ユーロとか、書かれた段ボールが置いてあって、布地がぎっしり詰まっている。もちろん、値段によって状態はまるで違って、切り方が斜めだったり、妙に細長かったりするのが入っている箱もある。
 夫が帰って来て、「30分でやってくれるって! 最初は、もう一人が飯に行ってるから、午後しかできないって言われたんだけど、遠くまで帰るから無理とか粘ったら、引き受けてくれた!」と喜んで言うけど、私も子供も真面目に聞いてない。「だから、ゆっくり見てていいからね……」と夫は寂しそう。えー、30分なんて、そんなわざわざ言うほどゆっくりじゃないじゃん! まあ、彼にはまったく興味のない世界ですからね。
 けっきょく、キロ25ユーロの箱から、割とちゃんとした形に切られているネルのオレンジと緑のチェックの布。これは湯たんぽのカバーを作ろうと思う。パッチワーク用なのか、45×45センチに切られた、これはかなり状態の良い布地の9枚セット。500g入ってて5ユーロ、と書かれた福袋(?)。夫は、いつも福袋の存在を馬鹿にしている私が、そんなものを買って、と驚く。家に帰って開けてみたら、ほんとうに、すごい端切れで、古い見本帳をばらしたのか、穴の開いているのとか、まっすぐに切られてない物が多い。でも、子供相手に遊ぶには面白い。そしてこの会社の創立の元となったテキスタイルデザイナーの作品集を買う。この本には、今も売られている布地も、彼女のデザイン画、レース編みの作品なども載っていてまさに私の好みの一冊。子供にも、カーニヴァルでどうせ使うことになるだろう、と、Lillifeeのバレリーナ衣装を買ってやる。

 無事、車の修理も終わって、帰途につく。昼ご飯を食べにオランダ国境近くの街に寄ったら、通りの名前や地名、さらに食べたパンケーキもオランダ風だったり、アーヘンで高速脇の郊外型スーパーでビールをケース買いしようと思ったら、東欧系移民向けばかりで、やっとドイツの大手チェーンが発見できたり、いろいろしながら帰って来た。

2009年12月10日木曜日

ドイツ物欲の旅のこと 前篇


 またまたドイツに行って来た。今回もクリスマス市(Weihnachtmarkt)も目的の一つだが、主目的は買い出し。

 ドイツって、ものが良くて安い気がして、行くとつい日用品も買ってしまう。歯ブラシなんかは、もうぜったいドイツで買う。オランダ/ベルギー地区のニュースを日本語で紹介してくれているサイトがあって、先日、EU圏内での物価比較の話題が出ていたのだが、同じIKEAの商品をくらべた場合、一番高いのはベルギーとのことだった(ちなみに一番安いのはフランスだそう)。ほら~。正当化された気になったけど、旅費がかかるわけだから、そこもひっくるめて元を取ろうと思ったら、歯ブラシ100本でも無理である。


 さてさて、そんなわけで、金曜日。今回は、子供の幼稚園のあと、夕方出発。また、まずはブリュッセルから特急一本で行かれるケルン。最近、スピードアップして、2時間かからずに行かれる! と宣伝しているが(といっても1時間57分なのだが)、当然のように20分遅れて、結局2時間ではたどり着かない。フランクフルトでの仕事を終えて、ケルンで待ち合わせしていた夫が、ホームまで迎えに来てくれて、子供は大喜び。「パパー!」と電車から飛びついて、ほかの客の感動を誘っていた(水曜の昼に別れたばかりなのですが)。

 ここのクリスマス市はドーム前と、古い市場あと、Neumarktと三カ所あって、どこも規模が大きい。屋台も、食べ物/クリスマス飾り/おもちゃ/手工芸品と各種たくさん出ている。毎年同じ場所に出すので、どこになにがあるか、なんとなく見当がつく。古い方の市場に面したホテルに荷物を置いて、近い屋台を流す。炭火焼き串豚肉を買って、三人でばりばりとかじる。ケルンのクリスマス市、この日はほんとうに人が多くて、子連れで歩くのが大変だった。去年も子連れでも来ているはずなのに、今年は特に混んでいるのか。こりゃだめだ、と引き上げおしゃれカフェっぽいところが空いていたので、そこで軽く食べる。


 翌日は、以前住んでいた街Bad Godesbergへ。

 夫は洗車に行ったので(彼は、未だに洗車もこのガソリンスタンドでしかしない)、子供と二人で、まずはMarkt(市場)。火木土と市が立って、主な買い出し先だった。懐かしい〜。ここでは、子供も食べるカレー粉を。昔から同じおじさん(というか、前は「おにーさん」だった)。辛くないカレー粉を指定するとぱっととってくれるので「そっちじゃなくて大袋で」と替えてもらう。ざっと流すと、ジビエ専門店のWild肉屋のオヤジも健在、当時は若かった息子が急激におっさんっぽくなっている。じゃがいも屋さんや、ほかにも何軒か知った顔もあるけど、思い出すのにいなくなってしまった人たちもいる。いつもDoppelnuss(Wナッツですね、クルミとヘーゼルナッツ)というパンを買っていたパン屋で、それも買いたくなるけど、旅の最初なので、ぐっと我慢して、ちょっとしたおやつっぽいパンを買う。子供はパンを一切れもらう。

 次は、BIOショップ。はちみつを買おうと思って来たのだが、WELEDAの商品がさすがに豊富なので、子供用の石けんと、身体が温まるというバスミルクのお試しサイズ。WELEDAの商品はブリュッセルだって買えるのだが、このお試しサイズの小瓶はないのだ。意味もなく、トマトペースト。子供のリクエストでもっと意味なくパスタ。

 書店に行って、小さい絵本でプレモのキャラクターを使ったのがあるので、それを子供に、親に毎年ここでカレンダーを買って送っていたので、今年も買う。以前はファミリープランナーを送っていたんだけど、もう一人暮らしになっちゃったので、ちょっと大きめに日付の升が切ってあるカレンダー。でも、イラストレーターは当時と同じHerme Heine。この店頭にベートーヴェン像があるのだが、サンタ帽をかぶらされ、この店の袋を持たされていた。

 次に大手チェーンのドラッグストア。例に寄って――の歯ブラシを買いつつ、子供に約束の湯たんぽを物色。去年私がブリュッセルで買って使っているのを、この間、風邪のときに、氷嚢にしたり、湯たんぽにしたりして子供に使わせたので、子供はずっと欲しがっていた。ブリュッセルとあまりに値段が違うので愕然とするが、ドイツ製なのでしょうがない。でも、とりあえずここは見送る。夫が合流して、ボディタオルを買う。

 別の薬局に寄って、そこでマウスのカバーのついた湯たんぽを子供に、もう一軒のBIOショップで、常備している胃腸に効くというハーブティを買う。暖かそうなアルパカ糸の靴下に惹かれるが、ぐっとこらえる。

 小さな広場に小さなクリスマス市が立っているので、そこで子供にメリーゴーラウンドに乗せて、この街を出る。


 ライン河を渡った反対側に、Koenigswinterという、アデナウアー首相の旧邸もある街がある。そこへは、橋がなくて、車も乗せられる渡しで渡る。河の上を風が通ってとても寒い。車に乗って待っていると、チケットきりのおじさんが来るので、お金を払って切ってもらう。

 Koenigswinterには、陶芸工房が一軒ある。絵は完全にドイツなのだが、湯のみの形、質感は和食器の雰囲気がある。そこの湯のみを使っているのだが、子供のはないので、それを買いにいった。ドイツに住んでいた最後に、なにか記念になる物を、と、この店で、表札を作ってもらったこともある。東京では使っていたが、今の部屋には必要ないので使っていない。子供には、柄は同じだが持ち手のついたカップにすることにした。その工房の面した道には、ここで作られたタイルがはめ込まれていて、子供と探し、踏んで遊びながら帰る。


 この街で昼ご飯を食べ、さらにWuppertalで織りリボンを作っている会社が、土曜日の午後だけ開けるので、そこに買い物に進む。

 以前、Bad Godesbergに、手作りの子供服を売っている店があって、当時は、子供もいなかったのだが、なにか惹かれて、店内に入ってみると、布地やボタン、リボンなど資材もたくさん売っていた。そこで出会ったのがここのリボン。連続模様のリボンも多いけど、モチーフごとに切り離してネームタグみたいにして使えるのもあり、モチーフも「ヘンゼルとグレーテル」や「星の金貨」など、メルヘンチックな物が多い。日本に帰ってから、プチグラパブリッシングさんが紹介していたので、ここの工房の存在を知ったのだった。

 途中、子供は寝てしまったので、路駐しながら、夫が待つという。一人で向かうと、れんが造りの古い建物、縦長の窓から織り機が並んでいるのが見える。今日は土曜日なので、機械は稼働していない。ドアは閉め切ってあるが、クリスマスリースが飾ってあって、押すと鍵はかかっていないので入ってみると、すぐの階段の上に向かって矢印が書いて貼ってある。天井の高さなのか、細長い窓のせいなのか、古くてぎしぎしいう木の床のせいか、なぜか学校を思わせる室内に、壁と窓に面した棚にちまちまとリボンが並べてある。部屋の中心に机があって、お菓子とコーヒーを並べて、常連?なのか、初老のご婦人方が歓談している。思ったより客が多くて、みんな目の色を変えてリボンを吟味している。男性連れも何人かいたのだが、意外に?協力的で、「こっちの色が良いんじゃない」なんてアドバイスしたり、高いところのリボンをとってくれたり。

 支払う段になって「どこにすんでいるの?」「今はブリュッセルですが、以前ボンに住んでいて……」と言いかけたところ、「ねえ、この人、ブリュッセルから来たんだって!」と中心のテーブルに向かって呼びかけられてしまい、「コーヒーを飲んで行け」「まずは座れ」と大騒ぎだった。が、「夫と娘が待ってますので……」と断ると、かわりに細かいものをおまけに入れてくれた。

 手芸の腕もないし、こんなものどうするんだという気にもなるが、織りリボンとか、チロリアンテープというものにめっぽう弱い。丸めて缶に詰めておいて、ときどき眺めるのも楽しい。宝石を眺める趣味よりは安上がりだと思って、許してもらおう(誰にか?)。

 ここWuppertalは、谷をまたぐ格好の橋脚を建て、レールを敷き、ぶら下げた形の電車Schwebebahnも有名で、この間、それには乗りに来た。変な揺れ方で、乗っても面白いし、走っている姿も、レトロフューチャーとでもいうべき魅力がある。この存在を知ったのは、これをモチーフにした切手が発行されたから。今回は、車なので、それはパス。残念だが、これは普通に公共交通機関なので、いつでも来さえすれば乗れる。


 さて、ケルンに帰って、今度は夫が買い物だ! という。靴屋で靴を、服屋で薄手のコートを買う。対抗上、私もブーツだ! と言ってみるが、私はふくらはぎが太く、足は幅が狭くて甲高と、靴を合わせにくい足なので、やっぱり買えず。子供にプレモのアドベントカレンダーを買う約束があって、おもちゃ屋を流すが、もう12月に入っているので、売り切れだと言う。ここに来る前に、夫は出張先のフランクフルトやエッセンで見て回ってくれたのだそうだが、そのときもなかったという。

 そもそも、旅行のたびに、何体かプレモを持って来るのだが、今回、用意までさせておいて、私が持って来るのを忘れて、子供にはめちゃくちゃ怒られた。私の海賊と男の子を予備に持ったのは忘れなかったので、それを貸してやっていたのだが、お怒りは解けず。旅の間中、そして帰ってからも「ままは忘れん坊だからな!」と言われ続けることに――というわけで、小さめのユニットを買って、もうそれは開けて遊ばせることにした。


 この日は、飲茶を食べて、よい気持ちでメインストリートを歩いて帰って来たら、なんと、土曜日なのに、22時まで店を開けているという! 往時は、土曜と言えば、午前中でほとんどの、大手デパートやチェーン店で16時閉店だったのに。隔世の感がある。大手書店が開いていたので、明かりに誘われる蛾のようにふらふらと入り込む。ドイツに来ると、リンドグレーンのDVDが豊富(フランス語圏では、ピッピだけになってしまう)。岩波書店の作品集に入っているくらいの物なら網羅されているくらい。2枚組のでロッタちゃんの多く入ったのがあったので、それを買う。


 こうして振り返ってみても、気が狂っているとしか思えない物欲の旅だが、まだ続く。



※画像はケルンドーム前のWeihnachtsmarkt


※※たまにはURLなど。ドイツ語ばっかですが。


 Koenigswinterの陶芸工房

 http://www.toepferei-dietz.de/


 織りリボンのKafka

 http://www.baenderei-kafka.de/


 WuppertalのSchwebebahn

 http://schwebebahn.com/

2009年12月3日木曜日

世界地理のこと

 先日、私が、子供にノンフィクション絵本が欲しい欲しい! と騒いだら、元勤務先の先輩と母親が、「こんなの良さそう」といろいろ言ってくれた。と、一番に挙げてくれた一冊が偶然一致。てづかあけみ氏『はじめてのせかいちずえほん』。本に関してうるさいことは確実で、趣味がまったく違うはずのこの二人が同時に勧めてくれるなら! と思い、母親に買って送ってもらった。

 勧めてくれた二人は「5歳にしてブリュッセルに暮らしている子供の頭の中では、地理はどう理解されているのか」に興味があったらしい。
 地続きでいくらでも「外国」に連れだされているので、経験だけはしているが、理解はしているのかどうか。むしろ「海外」と、違う国はすべて海の向こう側――だった子供のときの私のほうが、強く外国を意識していたように思う。父親が海外単身赴任が多かったので、遠くに別の国があるのだ――とはいつもいつも思っていたし。
 一方、あんなに時間をかけて苦労して帰る日本なのに、母が「おばあちゃんもプールにいきますよ」とメイルしてくれば、自分が通っている水泳教室で会える気になってしまう。手紙を書いて、ポストに入れよう、と家を出ると、実家のポストに直接入れる気になっていたりする。
 5歳とは、そういうものなのかもしれないが、記憶や知識、情報が、点と線でつながっていて、面になっていない。空間だけではなくて、時間もそう。今日と昨日、この間とずっと前――がごっちゃになっている。

 そんな彼女の頭の中では、「言葉」が国を分けるかなりおおきなポイントになっているらしい。ドイツは「なにかしてもらったら、merci!じゃなくて、Danke!と言わなきゃいけない国」という理解。もちろん「プレモを買ってもらえる国」という理解もあるが……。言葉ベースなので、ブリュッセルとフランスが別の国で、でも、「Dank U」と言わなきゃいけないフラマン語圏のベルギーは、ブリュッセルと同じ国、と、理解できているかどうか。
 子供が通っている幼稚園は公立だが、外国人が多い地域なので、メンバーが国際的。20人のクラスのうち、把握しているだけで日本人3、イギリス人2、ドイツ人3、ポーランド人1、イタリア人3、中国人1――生粋のベルギー人のほうが少数なのだ。このクラスでも、誰々は何国人――というのは、彼女なりに整理しているのだが、それもやはり言葉ベース。
「L**はフランス人だよね」「え? イタリア人でしょ?」「だってフランス語できるよ」なんて言っている。「じゃあ、パパはドイツ語できるけど、ドイツ人?」と聞くと、平然と「そうだよ」。そんなに国籍が単純だったら良いのにね。でも、大ゲルマン主義みたいに危険なこともあるかな。「私もフランス語が出来るようになったらフランス人だよね」「ベルギー人にはならないの?」「???」。ちょっと理解を超えたらしい。「あんどほーは『えいごけん』だよね」。うーん、アイルランドやカナダ、可能性がいろいろあるから、私たち夫婦はそういう言い方してるけど、「けん」ってなんだか判ってるのかな。それにフランス語が公用語のクラスでは「あんどほー」になってしまってるけど、ほんとうはAndrewなんだよ。
 公用語はフランス語――と言っても、子供たちの間では子供語で通じ合っているのだと思う。お互い、自分の母国語で押し切って、それでも会話が通じているときもあるし、その場では、フランス語でぺらぺらしゃべっているのに、あとで私が「何話してたの」と聞くと、再現できないこともある。言葉すら使っていないときもある。その年代にこの環境にぶちこめたことを良かったと思おう。もちろん、これでは身に付かないので、他言語習得にはならないだろうが、そこまでは望んでいない。

 そんな彼女なので『はじめてのせかいちずえほん』では、各国の言葉での「こんにちは」が書かれた「いろんなことばが あるんだね」のページが気に入っている。「JはBuenas tardesって言うんだよ」なんて言っている。じゃあ、今度はJにそう言ってあげなよ! と言ったりするが、おっとりしたJ君は、日本人グループに混ざって遊んでいるうちに、日本語を話してしまっているそうである。

2009年12月2日水曜日

聖ニコラのこと


 ヨーロッパでは、12月、子供には聖ニコラからとクリスマスと二回プレゼントがある。もちろん、「良い子」なら、だが。

 聖ニコラは、サンタクロースと同じ、良い子にプレゼントを持ってくる存在で、12月6日の朝に来る。ロバに乗ってやってくると言い、前夜、ロバ用ににんじんを、聖ニコラ用に飲み物を用意して、良い子は寝て待つと、朝、プレゼントがおいてあり、にんじんにはロバがかじったあとがあって、飲み物はなくなったりしている(もちろん、親がやる)のだそうだ。ベルギー名物の「スペキュロス」という香辛料の効いた薄いクッキーがあるが、それも、昔は、この時期だけの物だったそうで、聖ニコラの木型で抜いた物をこの季節はどこのお菓子屋さんでも売り出す。
 サンタクロースとちがうのはPère Fouettard(直訳すると鞭おじさん)という従者を連れて来ること。ちょっとトルコ風?の服を着て、顔が黒い。非キリスト教現代人の私から見ると、やや政治的に正しくないところがあるような気がするが……。ドイツではクランプスと呼ばれる、角のはえた、まさになまはげのような鬼だが、やはり、鞭で叩く存在は来る。これはほんとうに怖い物らしい。また、悪い子には、朝、プレゼントではなく鞭がおかれていたりするという。
 ドイツのときには、聖ニコラのプレゼントは、お菓子とかりんごとかで良いと聞いた気もするけど、こっちはおもちゃ屋さんとかも盛り上げる。ドイツ時代には、子育て世代とは交流していなかったので、もしかしたら、ドイツでもそうなのかもしれないが……。日曜日は、お店、基本お休みだけど、11月後半は開けるし、カタログを送って来たりする。幼稚園でも「聖ニコラに持って来てもらいたいもの」と称して、おもちゃの宣伝を切り抜いて貼った物を作ったりしている(これを買え、と言われているのだろうかとどきどき)。水泳教室で、男の子たちがプレイモービルのカタログを真剣に見て検討していた。こういうカタログに執着するのは男の子の特性だろうか? と微笑ましい。

 一方、クリスマスは、家族でプレゼント交換。幼稚園でも、家族向けのプレゼントを作ったりする。去年は、子供が紙でクリスマスツリーを作って来た。今年もなにやら作っているらしい。

 去年、プレゼントをどうするか――は夫は、「日本式に、クリスマスイヴにサンタクロースが来る、で良いんじゃない?」と言っていたのだが、ちょうど、会社の先輩から子供用にと本を送ってくれたので、それを聖ニコラからと渡してしまい、さらに、クリスマスイヴには、リクエストがあったキックボードをプレゼントしてしまったし、日本の実家から送られて来たクリスマスプレゼントも渡してしまった。今年も、その伝統に則って、聖ニコラには本をあげる予定なのだが、さて、クリスマスはどうするか……。

 幼稚園に、2日、聖ニコラとPère Fouettardがやってきた。朝ご飯を一緒に食べようと言うイベントがあるので、出かけて行く。エントランスで、担任の先生たちからパンやジュースを受け取り、聖ニコラにだっこしてもらって写真を撮ったりする。日本的に幼児がみんなで聖ニコラの歌を歌ったり――なんてイベントはない。聖ニコラの歌、練習してたんだが。
 ここのPère Fouettardはまったく怖くなく、子供には英字ビスケットをくれて頭をなでてくれた。でも、もちろん鞭は持って来ていて、園長先生を始め、教職員や、保護者は叩かれてはしゃいでいた。

追記:翌日、教室に行ってみたら、「聖ニコラが昨日持って来てくれた!」という新しいおもちゃがありました。算数セット的な教育おもちゃと、絵合わせパズルみたいなの。

2009年11月24日火曜日

医者通いの一週間のこと

 一家全員、インフルエンザ? で寝込んでいた。
 ? が付くのは、悪質な風邪かもしれないので。

 発端は、14日だった。日中、子供が機嫌が悪く、これは熱が上がるかもしれないなあ……と思っていたのだが、ちょうど、この日、私たち夫婦の体調不良で延期していた私の誕生日ディナーのリベンジマッチが予定されていた。けっきょく、そのディナーは決行され、もうブリュッセルに来てから一番美味しいレストラン! と思うほど満足したのだが、その夜、予想通り子供の熱が上がって行った。

 そして日曜日、ずっと子供はどんより寝ていて、熱も上がっていたけど、インフルエンザの可能性があるのに、解熱剤は危険なんじゃないか、と私が主張して、放っておいたら、翌月曜には、だいぶ下がって来た。交代で私は日曜午後からとにかく全身が痛くてつらく、あと、喉が痛くて咳が出て吐き気、でも、熱は37℃行ったり、下がったりというくらいで微熱。夫が喉痛と咳だけ、ということで、医者に行ってみた。予約診療が一般的なのだが、日本人相手の医者のうち片方は、月曜日午前に予約なしの診療の時間があるので、そこへ連れて行く。
 子供を最初に見せたら、医者も、風邪かインフルエンザかどっちかよくわからない。検査しろと言うならするけど……という。こっちの医者は、そこをはっきりさせることにはあまり熱意がない。治療法は、風邪だろうとインフルエンザだろうと一緒だから(対処療法しかないので)、検査することには意味がない、というのだ。でもいちおう、検査を頼む。次は私を見てもらったら、もうこれは明らかにインフルエンザ、肺まで来ている! リンパ腺も腫れている! と言われてしまう。熱が上がらないけど……と不思議がりつつ、咳止め吐き気止め、解熱鎮痛剤、タミフルなどなど出せるものは全部出してもらった。木曜に再診する予約をしてその日は帰る。夫はそこに至るまでの間の医者があまりに怖いと言って、診察してもらわなかった。そうかな? 私は判りやすい医者で、親切だと思うけれど。これまでの私の仕事周りで会って来た中年女性に多いタイプで慣れているのかもしれない。咳に関しては、私の咳止めを分けて飲ませて良いということで、診察料も二人分ですんだ。

 薬は、医薬分業が徹底しているせいか、私が勧めるこの薬を飲め、という感じではなく、自分では何をしているか聞かれ、飲んでいる薬、持っている薬を話して、じゃあ、それを飲め、とかそれじゃダメだから出しておこう、とか相談しながら処方箋を書く。
 といっても、私も普段からダメ人間な上に、体調が悪いので、薬の名前なんて、とっさに出てこない。
「子供も、喉の薬を持っています。えーっと、名前が名前が……とにかく、噛むタイプの錠剤で、イチゴ味で……」
「パッケージになにか動物の絵が付いていました」(これは夫の助太刀――?)
「くまだったかと思います」(これは私のぼけ。ほんとうは象で、くまは解熱剤でした)
「と、言われても種類もいろいろありますからねえ……」
「思い出しました、Medicaだったと思います!」
 というころには、もうちゃんと聞いてくれず、私の薬のときには、
「鎮痛剤は何を持ってますか? 日本から持って来てますか?」
「えーっとケロリンを」
「それは商品名ですね、成分はなんですか?」
「無水カフェインとか……」
「そういうんじゃなくてちゃんとした鎮痛解熱剤は持ってないですか?」
「持ってません」
「じゃあ、出しておきます」
 ――という会話をした。あとで、調べてみたらわが愛する?ケロリンも、ちゃんとアセチルサリチル酸が入ったちゃんとした薬であることが判り、ケロリンにたいして、ほんとうに申し訳ない気持ちになった。
そして、子供は、熱しか症状がなく、解熱剤は持っていたので、「じゃ、また熱が上がったら、今度は解熱剤を飲ませてください」で、まったく薬は出なかった。
 
 この日の、インフルエンザ劇症レースで、最下位は私。薬を飲んでも、なかなか落ち着かず、子供にDVDをあてがって、だらだらと寝ていた。途中、起きて様子を見に行き、「ちょっとつらいから休ませてね」「うん、寝てて寝てて! お昼ご飯は!?」と容赦のない言葉を浴びせられたりしていた。

 翌火曜日、夫の咳が悪化して来たので、今度は、交通が不便で、日本語の通じない医者、に夫が行くことにする。私もまだつらいし、子供も、咳がひどくなって来たこともあるし、一緒に連れて行ってもらう。と、そこで出た診断は「二人ともインフルエンザじゃない」だった。リンパ腺の腫れとかが、決め手らしい。うーん、月曜の医者の検査結果が判るのは水曜日。そこで真価が判明する。そろそろ、うちのホームドクターを絞り込みたいし、その結果を見て、かな? などと夫と話す。
 この夜、夫の熱が上がり、水曜から予定していた出張をキャンセルすることにした。今回もドイツ行きなので、金曜から私たちも合流し、またいろいろ買い物でもしよう! という楽しい企画だったのだが……。夫の記憶によると、去年、Bad Godesbergで2泊、夫と子供がお腹を壊して、ずっとホテルで寝ていたことがあったのだが、それはフランクフルトの同じシンポジウムに出た帰りだったので、まったく同じ時期だったろうとのこと。この日の日替わり最重症患者は夫か。

 しかし水曜には、子供もまた咳が悪化、熱も上がって、夫にべったり貼付いており、出張よりもつらい思いをしたのではないかと思う。この日には、私はだいぶ回復し、自転車で買い出しに出られるようになっていた。子供には、解熱剤と、月曜の医者で私に出た咳の薬を飲ませ、夜にそれに加えて前に処方されたことがあり、日本で飲んでいた薬と成分が一緒で安心している痰切りの薬を飲ませた。

 木曜日、私の再診に子供を連れて行く。8時の予約なのが、医者が遅れて(渋滞だったらしいが)、外で待たされた。私はもう卒業、子供は悪化。昨日から飲ませている痰切りをベースにして、抗生物質を加え、また熱が上がったら解熱剤、で行こうと話す。
 薬に加えて、子供は、キネジセラピーを受けることになった。デジタル大辞泉によると、キネジセラピー【kinesitherapy】運動療法。疾患の治療に運動を応用すること――とある。ヨーロッパではさかんな代替医療で、興味はあったのだが、医者の紹介がないと受けられないので、これまで私は手が出せなかった。これまで聞いたことのある体験談は、産前産後の体質改善目的で、整体? という理解だった。

 いざ、行ってみると。うちの子供の場合は施術者が、膝の上に乗せて、リズムを取りながら、胸郭を押して、わざと強く呼吸するようにして、わざわざ咳を出させるようにしていくものだった。ドイツ人が良くやっている、おうまごっことか、汽車ごっこに近い。医者がそこを紹介しつつ、「N(子供の名)。その先生は痛いこともしないし、怖くないからね」と子供に向かって、ちゃんと説明してくれつつ、私に向かっては「きっと怖がると思いますよ」と教えてくれたが(こういうところは、とても優しい医者だと思うが)、うちの子供は最初から、面白がって、ちっとも怖がらなかった。
 最後に、ストローをくれて、これを3本、水の入ったコップに入れ、息を吹き込む(なるべく長く)というのをやらせるように、とのこと。見たときは、なんというか――効果はあるのか? と思われた。まじない加持祈祷とあまり差がないように感じられたのだ(失礼ながら)。
 医者は、キネジセラピーに行くと、けっこう疲れるので、今晩は良く寝られると思う、と意地悪そうに笑って「家族みんな(傍点がふってある感じでゆっくり)、良く眠れるでしょう」と繰り返した。たしかに前日の夜は子供の咳がひどくて家族全員眠れなかったのだった。そんな話はとくにしなかったのだが。そして予告通り、帰ってくるなり夜ご飯前に寝てしまったが、一度起きて来て、ご飯を食べて薬を飲んだら、またがっくりと寝てしまった。翌日続けて行ったときには、呼吸音が良くなったと褒めてもらったし、格段に咳は軽くなって来ていた。

 ところで、インフルエンザの検査は陰性だったのだ。
 全員同じ症状なので、彼女がインフルエンザではないということは、私も違うのだろうか? それとも子供は検査で陰性になりやすいというから? でも、所見としても、インフルエンザとは彼女は言われないんだよなあ。医者の腕(?)もけっきょくよくわからず。まあ、診療時間が違ったり、交通の便などの便利さも違うので、この二カ所を併用して行けば良いんだよ、と夫とは話す。

 そうして、週末には、子供もだんだん小憎らしいことを言えるようになって来、確実に復活して来た。復活すると、ドイツに行かれなかったことがどんどん悔しくなってくるが、夫が、その時予定していた面談相手とまたアポをとったというので、その前後にまた行かれることであろう。

 月曜日にもう一度診せにこいと医者に言われていたので、嵐のような悪天候の中を子供と二人トラムと地下鉄と乗り継いで行った。地下鉄駅からは近いけど、マンション街だからか、風が強くて、子供が「飛ばされる~」などとはしゃぐ。が、建物についてみたら、しまっていて、外の呼び鈴のところに「Because of Health problem」で休むと英語で書いてあった。子供に、お前の風邪がうつったんだよ! と言いながら帰って来た。笑い話にする余裕が出て来たのも、体調が良くなって来たからだ。
 日本の医者はそんなことでは休まないよなあと感心したけど、夫は「それは都合により、といってごまかしてるだけじゃない?」という。そういえば、「うちのパン屋」も体調を崩したから休み、と書いて貼り出してあったことがあるけど、パン屋だって、日本ではそんな理由で休んでいるのを見たことはない。

 火曜から、子供は幼稚園復帰。長かった一週間が終わって、また日常生活が帰ってくる。

2009年11月5日木曜日

ブルゴーニュ旅行のこと






 11月1日は万聖節、ヨーロッパでは墓参りの日で、日本のお盆同様親戚が集まったりする重要な休日。マルシェの花屋も墓参り用の菊やアレンジメントで埋め尽くされる。子供の幼稚園も一週間休み――というわけでブルゴーニュの旅に出かけて来た。


 といっても最初はシメイ。まだベルギー国内。ここのビールは、初めて知った「ベルギービール」だと思う。大学生時代、世界には強くてちょっと変わったビールがあるんだよ――という出会いだったような。バブル時代だったのです。修道院への道が日本と同じ楓の仲間の並木道になっていて、まさに錦秋のおもむきだった。雨の中、修道院をちょっとだけ見て、併設のカフェに行く。お昼ご飯のあと、チーズフェスティバルをやっていて、外にテントが並んでいたので、見て回る。修道院ビールを使ったウォッシュや、ヤギのチーズがたくさんあって惹かれる

けれど、旅の始まりなので一つしか買わず(でも、一つは買ったということですね)。子供用にぬりえと色鉛筆が用意してあるので、そこで子供を遊ばせる。



 この日の宿泊地はランス。シャンパンの産地だと言うけれど、日曜日、しかも祝日、さらに嵐のような激しい風雨と、買い物歩きはできなかった。小さな教会の前に一台だけ設けられていたメリーゴーラウンドで子供を遊ばせて、大聖堂を見て、観光も終わり。大聖堂も、外は真っ暗だし、そもそもシャガールが好きではないので、有名なステンドグラスもじっくりとは見なかった。風雨がかなり強くて外観もちゃんとは見ず……。ただ、ガーゴイルが本来の用途を果たして水を勢いよく吐いているのを見られたのがとても面白かった。その後、家に帰ったら日本から送ってもらった本が届いていて、そのなかの深水黎一郎氏の『花窗玻璃』がランスが舞台だったので、もう少しちゃんと観光すれば良かったかな……という気にもなったが、あの嵐の雰囲気もまた、強烈な印象として記憶に残るのであろう(負け惜しみっぽいな)。


 次の日、ボーヌに向かう。こじんまりした建物が並ぶかわいい街。ちょうど、街についたときに雨が上がったせいか、街を歩いても楽しい。お昼ご飯もおいしい。ここでも小さな広場でメリーゴーラウンドが来ていたので、子供を遊ばせる。

 15世紀に建てられ、1970年代まで使われていたという慈善病院を見学。今は、博物館として公開している。一年に一度、ワインオークションが開かれているそうだ。ヨーロッパは格差社会だなあと思わせるのは、私にとっては、物乞いの人がいること以上に「施す人がいる」ことだけど、この「施し」はほんとうに豪奢。宗教もあるのだろうけれど、お金持ちの使い方ということをなんとなく考えてしまう。色瓦で幾何学模様が描かれた屋根がウィーンの聖ステファン寺院を思い出させたけれど、この辺りの地方の特色だそう。確かにその後も、もっと単純ではあるけれど、色瓦の屋根を見かけた。

 そのあとは、カーヴでワインの試飲。入り口で入場料を払って、テイスティング用のステンレスの皿と採点表をもらって地下のカーヴへ。ろうそくの光のみの暗闇に樽や瓶がならんでいる。テーブルとして置かれた樽の上に開栓された瓶が置かれているので、勝手に注いで飲む。捨てるための樽も用意されていて、ちゃんと口に含んでから吐き出している人も見たけれど、どうも格好よく出来ないので(気にすることでもないと思うが)、ちびちびなめて、残りを捨てて行く。二カ所で試飲。



 翌日は、産地へ。ムルソーとモンラッシェ。試飲しつつここではいくつか買った。ムルソーのシャトーには絵画が飾られていて、ビュッフェの絵がたくさんあった。酔いを醒ますのと、子供を遊ばせるために外を走り回ったりするが、ずっと小雨が降っていた。午前中に駆け足で回ってしまったので、またボーヌの街へ戻って、お昼ご飯。子供をメリーゴーラウンドに乗せたり、本屋さんに寄ったりして酔いを醒ます。

 次の目的地、ディジョンに行く途中、ロマネコンティの畑に寄ったのだが、道に迷ってくねくね行ったため、私はすっかり車酔いしてしまった。ワインの産地は、畑の中や山道を蛇行して走る道が多いこともあり、私はいつも車に酔ってしまう。しかし、今回はここでか……と思うと無念。夫が一人、買いに出かけた。が、どうしても勇気が出ず、やはりロマネコンティは買えなかったとのこと。


 ディジョンにたどり着いたときには、また天気が悪く、夕方真っ暗な中を街を歩く。これまでの小さな街と違い、大都会で驚く。建物も大きくなるし、ギャルリ・ラファイエットもある(ランスにもありました)。ここにもなんとまたメリーゴーラウンドが来ているので、子供を乗せる。ノートルダム寺院にあるという金運のふくろうを探すが、天気が悪く見つけ出せない。うちは金運はないのだ、と思うことにして、夜ご飯を食べてホテルへ戻る。


 けっきょく、金運のフクロウは、翌朝執念で探し出し、名産のマスタードも買った。一軒、ワインショップにも寄ったら、マダムがいろいろ勧めてくれて「この生産者は**と言って、ここにも登場するんですよ」と見せてくれたのが、コミック『神の雫』だった。フランスのワインを紹介したとして料理本の賞を受賞したと、フランス語の料理雑誌でも見たことがある。日本人としては嬉しいような恥ずかしいような、なんか複雑な気持ち。

 最終日はひたすら帰途。途中、ナンシーでお昼ご飯。ここも都会でおおきな建物が多いけれど、アールデコの金属装飾がきれいな私の好みの建物がたくさんでとても嬉しい。夫は名物のミラベルのタルトを食べようと思っていたのだが、またまた天気が悪いので、歩き回ることができない。お昼のあとは、また本屋を流しただけで帰る。


 天気が悪い悪いと思っているベルギーよりも、ブルゴーニュの方が天気が悪いね――などと言っていたはずが、国境を越えたら、この悪天候の旅のうちでも、もっともというくらいに激しい風雨に見舞われ、やはりベルギーの実力を見た思い。


 なんだか、子供が不機嫌だなあと思っていたら、発熱していたことに帰宅して気づく。今回は、彼女にとっては面白いことは(メリーゴーラウンドのはしごくらいしか)ない旅だった上、小雨の中を連れ回して、無理させたかとかわいそうな気持ちになる。この間開拓?した医者が開院時間を公開せず予約のみなので、そこに電話して、その日のうちに診てもらえた。のどの炎症からくる熱で、インフルエンザではないと思うと言われ一応安心。しばらく幼稚園も水泳教室も休みなうえ、天気も悪いのだから、ゆっくり過ごそう。


※どうも画像を入れるとフォント他の設定が動いてしまい、うまくいかない……。二番目の紅葉がシメイ、ラストの赤い放水栓のある写真がモンラッシェ。ほかはボーヌ。

2009年10月30日金曜日

かわいいのこと

 うちの子供は、父親が大好きでしょっちゅう「パパが好き、ママは嫌い」と言っている。理由を聞くと「遊んでくれないから」とか「ハグしてくれないから」とか。まー、確かに私は子供得意でないんで、生来子供好きの夫と違って少し距離を置いてる感は否めない。が、あるとき「かわいいって言ってくれないから」と言う。

 えー、言ってませんか? 「良い子とかえらいとか言うけど、かわいいって言わないじゃん!」。確かに記憶を辿ってみると、褒めるときは「良く出来た」「えらい」、彼女が気に入っている服を着て見せに来たときは「いいじゃない」「似合ってる」と言っているかも。「え~、それは良い子、とか、えらい、のほうが良いからじゃん」「違う! かわいいが一番良いの」。
 それは私も、かわいいものは好きだけど、自分を「かわいい」存在だとアピールするのははしたないことだったり、良くないことだと思うふしがある。小中高と公立育ちだったせいか、中学生時代に「ぶりっこ」ブームがあって、アンチな気分が育ったせいか、周りにもそういう人間が多かったと思う。そうだ、大学に入ったら、私の目から見ると「臆面もなく」ピンク大好き、リボン大好き、を公言し、自然に甘ったるいしゃべり方をする人たちがいて、ああこういう文化もあるものだなあ、と思ったものだった。
 子供も、もともと、親がそういうふうに育てていたからか、機関車が好きだったり、格好もズボンが好きだったり、男の子とばかり遊んだりしていたのだが、年頃なのか、ベルギーに来た頃あたりから、お姫様嗜好になって来た。服はピンク、ワンピース、フリルありが好き。しょっちゅう、まつげをばりばりにはやしてふりふりの服を着たお姫様の絵を描いている。靴にはちゃんとヒールまで描いて、「お姫様はこういうの履くの」と言っている。「ママはどうしてこういう靴履かないの?」「頭痛くなるから嫌いなんだよね~」。まあね~、私も若い頃はヒールのある靴履いてましたけど、最近とんと履かなくなりました。かろうじて手元に少し残してあるパンプスもフラットなものばかり。先日、冬用にブーツを買ってやったら「この靴は、かかとがぴっとなってるってことね、頭が痛くなる靴ね」と言ってうっとり履いている(ほんとうはフラットな靴です)。
 ドイツ製でPrincess Lillifeeというお姫様キャラがあって、いろいろグッズ展開しているのだが、先日、その売り場に連れて行ったら「C'est mignon! Regards Mamman!! C'est princess.....C'est rose....C'est petite.....」と鼻にかかった高い声でため息まじりにつぶやいている。幼稚園でも、そして他の国の子たちともこういうガールズな会話をしているのかとちょっと面白い。親が教えなくても、こうして「かわいいものは良い」を覚えて行くのか。私も、もう忘れてしまっただけで、5歳の頃は素直にそういうものを良しと受け入れていたのかも。

 先日は「私、大きくなったらお嫁さんになるの」と言い出し、また私を驚愕させた。「へー……、私、そんな夢持ったことないなあ」「ママは、お嫁のママになる、って思えば良いじゃん」。そんなことも夢見たことはありません。さてさて、この子はいつまでこのフェミニンなままなのか、これからも環境で変わって行くのかな。

2009年10月26日月曜日

フランダースの旅のこと


 このところ、二回続けてフランダース地方に出かけて来た。ベルギーはおおまかに北部のオランダ語圏のフランダース地方と、南部のフランス語圏ワロン地方とに分けられるが、言葉が違うだけでなく、平地の多いフランダース、山地のワロンと、景観もずいぶん違う。フランダース地方は、運河沿いに走る自転車道、れんが造りの建物のファサードの様子等、やっぱりオランダに似ている。細かいことを言うと、お店もオランダ資本が多いので、自転車(オランダのメーカーGiselleが多くなる)を始め、道行く人のファッションもオランダっぽい(と思う)。はっきりいうと体型も違う(と思う)。

 最初はビールとリネンの旅。そもそも、その前の週末にポルトガルに行こうという予定があり、タブッキを読んだり、夫は『供述によればペレイラは』に出て来る地名マッピングまでして気分をもりあげていたのだが、子供の風邪であえなく中止。本来出かけているはずの土曜日、がっかりした夫がさっさとその次の週末に1泊の予定を組んだ――というもの。その後、私と夫も続けて子供にうつされてお腹にくる風邪で倒れて、またも行かれないのかと思わされたが、なんとか週末までには体調を立て直して出かけたのだった。
 まずは、ビール。ヴェストフレテレンを作っている修道院Sint Sixtusへ。ここは醸造量も少なく、また、販売委託をせず、飲むためのカフェが修道院に併設されているのと、持ち帰りの瓶ケースを予約販売しているのみなので、これまで飲んだことがなかった。ブリュッセルで開かれたビールフェスティバルにもブースを出していたのだが、午後一で出かけたのに、すでに売り切れ。どんなビールかと気分も盛り上がる。近づくと畑ばかりになり、辻に立つ方向表示を見ながら進む。一度「修道院」と書かれた表示を見落とし、広大な畑を一周して戻った。平地なので、かなり先まで見晴らせるのだ。 修道院には、12時ちょうどくらいに着いたが、カフェにはもう人が入っていた。駐車場には、ベルギーナンバー以外にも、フランスナンバー、懐かしいボンのナンバーも。そしてビールはとても美味しかった。わざわざ来た甲斐がある。そして、これもここの名物だという鶏肉のゼラチン寄せが和風かと思わせるさっぱりした味でとても気に入った。近いし、また日帰りで来よう! 今度は、ちゃんと持ち帰りビールも予約しよう!(ネットで予約状況が確認できるが、1週間くらい先まではびっちり埋まっているのだった)と決心。でもカフェの食べ物が基本つまみで、子供の好きなものはないのが難点か……。ちょっとした公園が出来ていて子供を遊ばせられるので、そこと、広大なじゃがいも畑、芽キャベツ畑を散策して酔いを醒ます。
 次に、やはりビールの産地Watouに行く。ここでもカフェに寄ってビール。子供はホットミルク。ここのビールは軽くて美味しいけど、あまり印象に残る感じではなかった。また酔い覚ましに街を散策。赤っぽいれんが造りの長屋のような家が建ち並ぶ中に、コミカルな姿のビール醸造家の像があったりするのも楽しい。
 この日は、ポペリンゲというホップの名産地だった街に泊まった。街のインフォのマークも、道路に埋め込まれたマークもホップがモチーフ。ホップ博物館まであるので行ってみる。ホップの保管に使われていた建物だという。一歩はいるなり薬草臭いような。今年の品評結果が書かれた紙が貼られて、それぞれの畑ごとにホップが展示されている部屋があった。嗅いでみて、これが良い、と素人が思うようなものは点が良くないところがまた面白い。歴史や収穫道具の展示を見て帰る。夜もまた地元ビール。
 翌日はコルトライク。この街はリネンの産地として有名で、リネン博物館に行くのが目的だった。午後から開館なのだが、午前中の早い時間に着いてしまい、街を一周してしまってお茶までしたがお昼ご飯を食べるのにも早い。あまり期待していなかったペギン会院というものに行くことにする。
 十字軍時代に戦争未亡人の生活を守るために建てられた建物――と聞いていて、修道院だと思っていたのだが、実際には、宗教的な性格は弱く、女性や子供だけの生活を守るために塀で囲い、建物群を作っているところ。それぞれ居住空間は独立していて、長屋のような建物が中庭を中心に建てられている。回りの街が、れんが造りで赤っぽく見えるのに対し、塀の中では白く塗られた壁、濃い緑や藍色で塗られた窓のあるこじんまりとした建物が並ぶ。静謐な雰囲気を持った小さな街のようだった。今も実際に人が暮らしている。資料館として公開しているものもある(が、午後からなので、今回は見られず……)。中世の雰囲気の残る建物といっても、これまで見て来た鐘楼や教会、商館のように贅をこらしていたり大規模だったりするものとまた違うところが素敵な印象。
 フランダース地方には、13の「ペギン会院」があり、世界遺産に登録されている。これまで興味を持たなかったことを恥じ(ブルージュにもあるのだが、素通りしているのだ)、これから見に行こうと心に誓う。
 さて午後。14時の開館まで待ちきれず、早めに博物館へ行くと、前庭にカフェがあり、にぎわっている。そこで待つことにすると、店の前に寝そべっていた白黒の犬が、子供を見つけてテニスボールを持って近寄って来、「あそびましょう」と誘うので、子供は、すっかり捕まってしまった。その姿が見える一番外に近い席に座って大人はビールとコーヒー。ときどき、煙草を吸いに外に出る人がいる。犬も、子供と遊ぶのが物足りないので、そっちに近寄って「ボールをなげてください」と頼み、遊んでもらったりしている。見ているうちに、博物館の建物に出勤する人が見え、いざ、博物館へ。
 本館の方はやはりリネンの歴史やその生産の展示。人間はマネキン人形なのに、馬や犬、猫といった動物が剥製なのがやや違和感あり(夫に言うと、そりゃ人間が剥製だったらまずいだろうとのことだが……?)。繊維を叩く道具や、紡ぐ道具などなどの展示がおもしろい。堪能して出ようとすると、もう一軒違う建物で展示があると言われる。裏庭を抜けて、もう一つの建物へ。そっちはリネン製品の展示だった。レースやリネンクロス、刺繍等、細かい展示が一階にあり、二階は、産着から、下着おしゃれ着、趣味の刺繍、そして病院や老人ボームのパジャマ、経帷子――と人生のそれぞれのシーンでのリネンという展示。楽しみにして来た私はもちろん、子供もすっかりレースや刺繍、豪華な子供服に目を奪われて「私も欲しい!」と騒ぐ。意外にフェミニンな趣味を持つ子供。

 さて、次の週は日曜日にLierという街に行って来た。ここは運河に囲まれていて、ペギン会院もあるという、ガイドには「小ブルージュ」と表現されているような街。世界遺産の鐘楼や、からくり時計のある塔もあり、とてもかわいい雰囲気。お昼に着くように家を出て、正午のからくり時計を夫と子供は見て(たいしたことない! とがっかりして帰ってくるが)、お昼ご飯。その後、黄葉の始まった並木道をどんぐりを拾ったり走ったりしながら散策。運河の土手に出る。運河沿いにポプラや柳が植えられ、自転車道が走っていて、14時だというのに低いところに太陽も雲もあり、光が弱々しい。オランダやベルギーらしい風景。「旅情旅情!」と騒ぎつつ歩く。子供は土手を半分降りたり上ったりしてはしゃぐ。はしゃぎすぎて転び脚をくじいて泣く。ペギン会の白い街に入り、のんびり歩く。古い井戸があり、その名も「井戸通り」という路地や、ツタの絡まる壁に挟まれた路地、一階の窓に目隠しに下げられたカフェカーテンが白地に白で猫や、花、四季のアレゴリーの模様だったり。カーテンを通して明かりがもれてきていたり、人の気配を感じるところも楽しい。もちろん、アルベロベッロの民俗博物館で書かれていて、考えさせられたのだが、「世界遺産」として保存することと、街として活かしておくことの両立はとても難しのだと思うが……。最後にカフェに寄る。子供が、そばの運河沿いに置かれたブリキの羊と羊飼いの像が気に入って遊びに行くというので、見張れる位置の外席に座る。ミントティを飲んでくつろぐと、こんなゆっくりした時間も良いなあという気持ちになってくる。

 この日曜から、冬時間になった。日本とは8時間時差。どんどん冬が近づいてくる。

※初めて画像を載せてみたが……。両方ともLier 2009/10/25

2009年10月15日木曜日

偏愛する肉屋のこと

 最近なんだか、「ブリュッセルぐちぐち日記」と化してきているので、気を取り直して好きなものの話ということで、ときどき書いている「偏愛肉屋」の話を――で、いきなり肉屋の話! というのもなんだが、私らしいともいえよう。

 子供を通わせている幼稚園のそば(家からは遠いがわなので、距離にして1km強くらいか)に教会の広場を中心にした小さな商店街がある。パン屋2軒、薬局2軒、床屋1軒、美容院2軒、コインランドリー1軒、子供服店2軒(うち1軒は高級っぽいセレクトショップ。もう1軒は古着や婦人服ほかもある庶民的な店)、肉屋1軒、婦人下着店1軒、カフェ1軒、中華料理店1軒、旅行代理店1軒、移民系スーパー1軒、大手スーパー支店1軒(しかし、営業時間が短く、もともと荒物屋がフランチャイズした雰囲気がみえみえであまりスーパーっぽくない)婦人服1軒、ビオショップ1軒、駄菓子や文房具も置き、最近は簡単な郵便局機能もあるプレスショップ1軒、不動産1軒、銀行1軒、合鍵や靴の修理をやってくれる店、チョコレートのノイハウス1軒。
 水曜日には小さな市が立つし、少し離れて、暖房具や水回りのメンテナンス店とクリーニング屋、花屋、保険会社?があって、ここだけで、生活のほとんどはまかなえる。お年寄りがカフェでくつろいでいたり、学校帰りの子供連れが細々した買い物をして子供も駄菓子を買ってもらう――そんな古くからある住宅街の広場。
 
 さて、その一角にある肉屋が私の偏愛肉屋No.1である。店名としては店主の名前がついているようだし、呼び名としては、この広場の教会の名前で呼ばれることが多いのだろう、包装紙にもその名前が入っている。でも、うちでは「若旦那の店」と呼ばれている。
 下世話な趣味だと思うが、個人商店のお店の人の人間関係を推理するのが好き。普通の店だと、顔が似ているとか、お互いの話し方で推理するのだが、肉屋は、骨付き肉を切ってくれる人が、店主(あるいはその家族)であることが多い。この店では、ちょっと馬面で目鼻立ちがくっきりはっきり、口を大きく開けて白い歯を見せて笑う男性が店主であろうと見当をつけた。塊肉から切り出してもらう注文をすると、ほかの店員さんも「それはムッシューでないと」と言って担当を替わる。以前、夕方空いているときに店に入ったら、彼が一人でラムを解体していて、私に気づかず、しばらくしてから、はっと気づいて糸鋸を手にしたまま振り返り、急に笑顔を作ったときは映像的に怖いくらいだった。
 その笑顔の清々しさと回りを固める店員さんたちが年配なことがあって、我が家の呼び名として「若旦那」と呼ぶようにしてしまったのだ。
 肉がとても良いし、ソーセージ、ハムといった加工品も美味しい。肉の中ではラムがとても美味しいが、まあ、こういうほうがまっとうなのだとは思うけど、いつでもすべての肉がそろっているわけではない。ラムを解体した日は新鮮なラムがたくさん並んでいるし、牛肉の多い日もある。ラムはナヴァラン用という角切りの煮込み肉を買ってくることが最も多いが、ないときには、骨付きのバラ肉を煮込む。焼くときには、もも肉の輪切りにしたもの。一度、ちゃんとしたロースト用の肉を買ってみたいと思うのだが、私の中の肉の値段コード1kgあたり20ユーロ以下を超える値段なので、まだ買ったことはない。豚のあばらに薄く肉がついた部位もよく買う。これは甘辛醤油味でオーブン焼きにして食べる。
 市の立つ日など、順番を待つ列が店内で折り返すくらいにごった返すときもあるが、お揃いの紺のギンガムのシャツに紺のエプロンのユニフォームを着てきびきび働いている店員さんの姿を見ているのも楽しい。襟と、背中のプリーツの内側に紺無地の布が切り替えてあるのがとてもおしゃれ。背中のヨークと胸に店のロゴが刺繍で入っている。並んでいるうちに、他の人が頼んでいる言い方を聞いて、注文方法を学んだりもした。ちょっと通ったら、私の顔を覚えてくれて、すっと常連に対する顔になってくれたときのことも忘れられない。

2009年10月14日水曜日

アウェイで暮らすこと

 木曜日、健康診断に行ってきた。いつも、言葉が出来なくても、なんとかなるさでやってきてしまうはた迷惑な私だが、医者だけは日本語の通じる医者に行っている。その医者のやっている健康診断。医院での健診はすべて終わって、あとは、マンモグラフィのみ。紹介状を持って放射線科の専門医に。申し込み時にメイルで送られてきた「このフランス語の手紙を渡しさえすれば大丈夫」の手紙を持って。しかし、予約は入っていないと言われてしまう。私の名前でも医者の名前でも調べてもらったが、なし。予約用の大きなノートを開いて、1ヶ月近く先に、その医者で同じ時間帯の予約があるが……? と言われてしまう。うーん、しょうがないので、医者に電話する。「うそー!」と開口一番言われてしまうが、それは私も同じ気持ち。「でも、予約ノートも見たんです!」としつこく言う。とにかく、直接話してくれるというので、任せて一度電話を切る。折り返しかかってきて、翌朝の予約が取れたという。
 まー、この国で予約どおりにいかないとか、時間が守られないとかいちいち驚いたり腹立てたりしてたらやってけませんからね! と気を取り直して、放射線科の住所を見たときから決めていたレバノン料理の店でランチを食べて帰る。

 翌日、また紹介状を持って放射線科へ。もう顔を覚えられているので、にこやかに受付の女性も迎えてくれて、スムーズに進む。医者は英語だが、まあ、基本単語ばかりなので、大丈夫だろう。
 が、医者が「これを右手に持って」と渡したのは、バリウムでは? 「私、マンモグラフィを受けにきたんですけど」。医者が怪訝な顔をしながら紹介状を持ってくる。「ほら、ここに書いてある、これは胃/食道の検査なんだよね」と言われる。フランス語なので、わかっていなかったのだ。不覚を恥じつつも、「いやでも、先生にお願いしたのは、マンモグラフィなんですよ!」と言うと「うーん、じゃあ電話して聞いてみよう」。戻ってきて「いやいや、やっぱりマンモグラフィだって言ってたよ。渡す紙だけ間違えたんだよね〜」と笑って言う。そういうときに、笑って良いのか、怒った方が良いのか、会話コードが今ひとつよくわからない。つい「いえ、私もちゃんと紙を読んでなくてすみません」などと言ってしまう、が、相手の反応から、それはどうも相手の予期した返事ではなかったのだなあと察する。失敗したかなあ……と考えると、嫌な気持ちスイッチが入ってしまいそうなので、いやいや、ミスしたのは医者だ医者だ、そもそもここまでだって、問診票を送ってこなかったり、他にもミスはあったんだ、と思い直す。

 健診は簡単に終わったけど、なんとなく気持ちが疲れていて、そばにあったリフレクソロジーのサロンに入る。こんなのが突然あるなんて、東京みたい! 気分転換気分転換! と気持ちを盛り上げつつ。お金使わないと気分転換出来ないの? と心の中でささやく声がするが、そんな声にとらわれていると、また嫌な気持ちスイッチが入るので、考えないことにする。スタッフ全員が中国人のサロン。ついてくれた女性は、上海から来ているという。英語は得意じゃないというが、私もフランス語は出来ないので……と言って、英語で会話することにする。「この街は好きか?」と聞かれ、当たり障りのない会話コードで、つい「Yes」と答えてしまうが、「Why?」と聞かれ、とっさに理由が浮かばないことに愕然とする。いや、昨日今日とここまで来て、この街の良い理由なんて思いつかないよ! じゃあなぜ、最初に「Yes」とか言ってるのか? ぐるぐるしつつも、さらに当たり障りのない道で「街はきれいだし……食べ物はおいしいし……あ、でも、食べ物はきっと上海の方がおいしいよね?」「そう! フレンチだって、もちろん日本食だって美味しいレストランは上海の方が多いよ」。ここはうまく切り抜けた、と思うが、「働いているの?」「いや、夫が働いていて……」「あ、じゃあ、なんか学校に通ってる?」「いや……」「どうして? ブリュッセルはいい学校たくさんあるよ! 私、フランス語習っている。もっとフランス語がうまくなれば、もっと良い職が見つかると思うしね! なにか勉強しないの?」なーんて、重ねて聞かれてもなあ……。いえ、自堕落な主婦なんで、語学とか必要ないんです。向上心もないんです。と頭の中でつぶやく。嫌な気持ちスパイラルに入り込みそうになるのをマッサージに気持ちを向けてなんとか踏みとどまる。マッサージ自体はとても気持ちよかったです。
 受付で支払おうとすると会計の男性に「回数券があってとても得なんだ」と流暢に説明される。一回分ただとか、一番安いコースの値段で高いコースが受けられるとかとかとか……。いえ、それは必要ありません、なぜならば、ここは家のそばではなく、今日は偶然そばにきたので立ち寄っただけなので、何度も来られるとは思えないからです。と言うが、「でも、ブリュッセルにもう一軒、アントワープにも支店があるんだよ。もう一軒のサロンはとても素敵なサロン。それに、アントワープに旅行に行ったときに、ちょっと寄ってみようかな、なんて思うのも良いと思うよ!」いや、でもいりません。「期限もないんだから、ぜったい悪い話じゃないよ」。いえいりません。「ぜーーったい、損はしないから。330ユーロ、現金にする? カード?」。「今日は、今日の分だけ払います、それ以上は払いません」と言い放つ。「ぜったい得なのに」とぶつぶつつぶやかれつつも、やっと解放してもらえる。

 土曜日、未明から子供が喉とお腹の痛みを訴える。この日から旅行に出る予定があったのだがキャンセル。がっかりするけど、子供はつらそうだし、夫は金銭的損失大だし、私一人無傷といえよう。いつもの日本語の医者は、土日は休診、もう一人の日本語医も、予約の電話がつながらない。日本人診察経験のある医者リストから、近いところを探し、英語が通じるというところに予約を入れる。やはり日本人の多い地域の開業医だけあって、日本人患者が多く、私たちの前後も日本人だった。簡単な日本語を話してくれるし、薬の飲み方も日本語で書いてくれる。医者としては信頼できるし、これからこっちにしようか? と思うが、とても不便な場所なので、自動車がないと行かれない(ちなみにいつもの医者は地下鉄駅のすぐそば)。私が、あるいは私一人で子供を連れて……というのは難しい。「うちのパン屋」の近く(より遠い側だが)なんだから、気合いを入れれば、自転車で行ける! と言ってみるが、体調の悪い時、もしくは、体調の悪い子供を後ろに乗せてか? と反論される。

 こういうときに、私が今いるところは、ホームじゃなくてアウェイなんだなあとつくづく感じる。ホームだったら、頭を使わずできる会話もコードが違う。言葉が出来ない、車の運転が出来ない――ことで狭くなる可能性がホームより大きい。当たり前と言えば当たり前だが、ときどき、そういうことが重く感じられるときがある。

 その後、日曜夜から私が、月曜夜から夫が子供の風邪がうつってしまい、時差があって良かったとはいえ、とてもつらい思いをした。土曜一日でけろっと元気になった子供に処方された薬を勝手に飲み、火曜日の夕方、薬局に出て、やっと大人用の薬を買ってきた。私は胃に、夫と子供は腸に来て、それぞれつらいときはほんとうに劇症だったけど、意外にあっさりと抜けた。元気になってみると、現金なもので、気持ちも上向きになってくる。
 アウェイ暮らしだからこその気楽さをいつも享受している身がなにをいうか、大人は薬を常備しておけば、ある程度は乗り切れるし、ほんとうに困ったら、タクシーでも他人でも、どんどん使えば良いんだ! 困れば、いくらでも単語の羅列でも、身振りででも通じさせられるとかいつもは豪語しているじゃないか――という気持ちにすらなってきて、弱ってるときの私くらいの方が真人間ぽいかな。

2009年10月6日火曜日

編み物のこと

 編み物の季節がやってきた。
 編み物が好き――といっても、生来飽きっぽいし、こつこつまじめにやる性格ではないので、小物限定。マフラー、帽子、ミトンといったところ。まあ、私程度の腕前だと、手作り感が出まくっちゃうから、セーターとか編んでも着られないし……。この辺は、何度か作っているので、工程が頭に入っていて、本等見ずに、適当に始めて適当になんとかなるのがまた、ふまじめな私に合っている。東京にいるときは毎日忙しかったし、編み物からは離れていた。で、ベルギー生活。冬は寒い。天気も悪いから家にいがち。子供がいて「オカンアート」の受け皿もある!――というわけで、去年からまた編み物熱が再燃してしまった。

 去年は、ひたすら編んでいた。
 まずは子供にミトン。靴下用の毛足の長いピンク~オレンジの段染めグラデーションの糸を買う。最初はリハビリをかねて、なにも考えずにゴム編みで筒を編んで行く。が、こっちは針が金属製が主。重いから疲れるし、滑りやすくて目から抜け落ちる。また、糸が遊び毛が多く、ひじょうにいらいらしてしまう。出来上がったら、子供には不評(毛が抜けるから)。
 次に、竹製の編み針を探して買ってきて、私にミトン。また暗い紫~茶~明るいオレンジの段染めグラデーションの糸。これもまた、なにも考えずにゴム編みで編む。靴下用なので、化繊混で、固めに編んだので、目が詰んで、とても暖かいものになった。左右に差がないので、適当にぱっとはめられるところもお手軽。
 また子供にミトン。気分が乗ってきたので、編み込み模様でお花を作る。といっても、裏編みに下向き↓型に表編みを入れて、ポップコーン編みを乗せた簡単なもの。ちょっと濃いめのフクシャピンク。これはウール100%にしてみた。
 その↓型を見ていたら、これは顔になりそう? と思いつく。というわけで、私のミトンのあまり糸で子供にミトン。↓上端に一つ、その上両側に目のつもりでポップコーン。あとからかぎ針細編みで耳を付ける。くまミトン。
 子供が汚すから、なくすから、たくさん編まなきゃ! を大義名分に、またまた子供のパープルのミトン。表編みで編んでいって、クロスステッチの図案を参考に、ハートを裏編みで入れる。
 そして、自分用にベレー。好みど真ん中のオレンジ系アルパカツイード糸(ベージュや緑のネップが入っている)を買ったので、ネットにある基本のベレーの編み方を参考に、前に買っておいた模様編みの図案集から、ポップコーンと縄編みを組み合わせた模様を入れる。手が混んでいるので飽きなかったし、達成感もあるけど、うーん、せっかくツイード糸買ったんだから、もっとシンプルでも良かったのかも。
 春、アフガン編みなるものを知ったので、綿麻糸で私のショートマフラー。肩こり対策。
 ほか、余り糸で小さなパペットみたいなのもいくつか作った。それらは、今は、プレモに着せてトトロをやらせるための着ぐるみとされている。

 さて今年。
 去年作った子供ミトンのうち、ピンクのお花のは、汚しまくって洗っているうちに縮んでやせてしまい、パープルのは片方を子供がなくし、くまミトンは、両方を、たぶん、カーニバル見物のときに親がなくした。うーん、需要が発生するって良いなあ! 私なんか、ドイツ時代に編んだミトンが未だにはめられるよ。
 というわけで、今年もまずは子供ミトン。ハートをリクエストされたので、ピンクの糸を買って、去年のパープルの残り糸で編み込みでハートを入れてみたけど、裏に糸を渡すのが嫌で、編み込みを折り返しにしたら、うまくいかなかった。シーズン最初ということもあるのか、全体的にうまくいかない。「ごめん、またもう一個作るよ」「うん、今度のはうさぎにしてね」「うさぎ?」「去年はくまだったでしょう?」ははははは……。うさぎってどうやるんだ? でも、耳をどう工夫するかを考え始めて、これもまた楽しい。
 次は、私のものにしようと、靴下に手を出してみることにした。こっちでは靴下編みが盛んなのか、糸も豊富に売っている。でも、日本みたいに編み図にしないで、文字で「何目何段、何目何段……」と書いてあるだけなので、なかなか手を出せないでいたのだが、ネットで日本語で調べた。いろいろ宗派?がある。履き込み口から編む/つま先から編む/あとからかかとを付けるなどなど……。いろいろ見て履き込み口から編むタイプに挑戦。ちんぷんかんぷんながら、ともかくやってみよう! 糸は、ドイツのシュタイナー系の店で天然素材染めの変なカエル色のものが安くなっているのを買ったは良いけど、何にも使えず放置してあったもの。太いから、靴下というよりルームシューズか。足首部分を短くする。「信じよ、さらば救われる」と書かれているサイトがあったが、ともかく書かれている通りに編むと、かかとが立体的にできる! すごい! これは楽しい! はまる! 編みながら、サイトをいろいろ検索して、北欧のいかにもっぽい模様の入った編み図をいくつかダウンロード。ついでに手袋も。編み込みが複雑だと、面倒だけど、さすがにヨーロッパでも図にしてくれるので、わかりやすい。一度編んでみると、工程も頭に入っているので、やっと呪文のようだった編み方の説明がわかるようになる。次は、つま先から編むタイプに挑戦しようと決心する。

 いや〜、一度文字にしてみようと思っていたけど、こうしてみると、自分のはまり具合のばかばかしさがよくわかりますなあ。まだまだ今年も編みたい編み図がたくさんあるのだ。
 ネット+活字+編み物――肩が凝るのも当たり前か。でも、やめられないんだよな……。

2009年10月2日金曜日

どんぐりのこと

 子供はどうしてどんぐりが好きなんだろう。

 東京にいた時、保育園でもよく、園の回りのどんぐりを拾いに散歩に出ていて、たくさん持ち帰ってきていた。また、住んでいた建物の裏が雑木林になっていて、くぬぎが生えているらしく、大きくて丸いどんぐりがたくさん落ちてきていた。それを園に持って行くと、みんながうらやましがるらしく、拾っては、持って行っていた。どんぐりと見ると、常にない状態で集中する。その集中力を他に向けたら、良いのではないかと思うのだが……。
 日本を出る直前に買った『よつばと!8』にもどんぐりは登場するが、あれは日本の秋の風情なのだろうと思っていた。

 が、到着してみると、ブリュッセルには、大量にマロニエの実が落ちているのだった。そして、子供たちも熱心に拾い集めているのだった。この落ちていると、とりあえず拾ってしまう習性は万国共通なのだろうか。ビニール袋やかごを用意して拾い集めたり、座り込んで、お互いのマロニエを自慢し合ったりしている。子供もさっそく拾い「マロニエひろいびとになれるかもしれない!」とよつばの台詞を口走り、夫に「ならなくて良い!」と斬って捨てられていた。
 ボンに住んでいた頃も、みんな熱心にマロニエの実を拾い集めていたが、それには別の理由がある。グミで有名なお菓子のHaribo社の本社がボンにあるのだが、そこに持って行くと、グミと交換してくれるのだという。子連れの大人も、たとえていえば、銀杏探しのような真剣さで拾っていた。今、ネットで調べてみたけれど、このマロニエ集めは、毎年、日を決めたイベントとして実在していた。マロニエ10kgあるいはどんぐり5kgでグミ1kgと交換、一人最高50kgまでと上限まで設定されている。

 さて、今年も秋がやってきた。少し前から、風が強いので、青いうちのどんぐりが落ちていて、子供はさっそく拾ってきて机の中にしまい込んでいて、虫が出てきて驚いていた。どんぐりはちゃんと茶色くなって、乾燥しきってから吟味して拾う――を学んだのだった。でもそろそろ、樹上でちゃんと茶色くなってきたので、どんぐり探検の季節到来宣言を出した。
 マロニエ以外にも、ドイツの国樹で低額€硬貨の図案にもなっているDeutsche Eiche(フランス語ではChêne pédonculé)、紅葉のきれいなChêne rougeなど、どんぐりのなる樹は各種ある。また、ほんとうの栗が、よく植えてあって、落ちているのだが、食べるために植えているのだろうか? 八百屋等では、売っているので(まだあまり見ないが)、食べる習慣はあるのだと思う。だが、その割には、庭木として育てられているものの実は、あまり拾われていない気がするが……。ペットが野生化したのか、どこかから移住してきたのか、あざやかな緑のインコが、栗を好むのか、凶暴なくちばしでいがをこじあけて食べているのはよく見かける。これも子供は拾ってきたが、さすがに食べてみる勇気はない。そのうちに、買ってきて食べよう。

 どんぐりの季節が始まったからか、今週、今季初りすを見た。りすって、春から夏にかけては、まるで姿を見ないが、季節が良いから、樹の上で生活できて、降りてこないのだろうか? 冬場は、よく、地上を走っているのを見かけるのだが。

 はぜのような樹や、桜の樹も紅葉が始まってヨーロッパの秋。秋は私の一番好きな季節。でも、日本のような空高く――の秋の日はこっちでは貴重。真っ白に見える曇天がつづくようになる。夫はこれをオペラ『オセロ』のアリア「大理石のような空」とはこれを指すといい、見ると、曲が自動的に脳内に流れるようになってしまったが、こういう空は好きになれない。

追記:子供が、金曜日に、担任からのメッセージを持ち帰ったが、「今度の月曜日に、園の外に秋を探しにお散歩に出かけます」とある。これはいわゆる「どんぐり探検」というやつなのではないか!?

2009年10月1日木曜日

ノンフィクション絵本のこと

 子供が私のところに送られてきた漫画ばかり読んでいるので、夫が嫌がっている。まあねえ、『あずまんが大王』読んでる五歳児っていうのもね……。でも、私はこうして本を送ってもらえているけど、子供の本は、日本以来ほとんど増えてなくてかわいそうといえばかわいそう。ときどき、フランス語の本も買ってやるけど、そろそろ子供の年齢に合ったものと、私が読んでやれる子供も理解できる本とのレベルに差がついてきてしまっている。
 五歳の頃の私は、何を読んでいたか、つらつら考えてみると、今でこそ文学少女上がり(あるいは文学少女崩れ?)な振りをしている私だが、幼稚園から小学生にかけては、図鑑あるいは理系ノンフィクションばかり読んでいた。当時、父親が定期購読していた中央公論社の『自然』も毎月読んでいた。バイオ技術等、まだ科学が希望を持っていた時代だったのだろう。小学校の終わりには『NEWTON』も創刊した。高校時代、数学の壁に阻まれて以降の私を知る人には、驚かれるだろうけれど、将来は科学者になるのだと思っていた頃もあったのだ。

 よし! うちの子供に足りないのはその分野だ! と立ち上がるが、図鑑――ベルギーにいて、日本の図鑑を与えるのも違う気がするし、かといって、フランス語の図鑑では、将来や世界に思いを馳せる糧(大げさな表現だが)にはならない気がする。まずは無難にノンフィクション絵本あたりからか。
 書店で、そのコーナーを流す。『Bonne nuit!』という本があって子供に読んでやる。ご飯は何時、寝るのは何時――といった子供の夜の習慣から、夜はどうして出来るのか(地球の自転の説明)、動物たちの夜、夜働く人たち(空港など)などなどが描かれている。そして、最後は子供の朝の習慣――起きて顔を洗って、幼稚園に出かけるまで――で終わる。
 そうそう、こういうの、こういうので良いんですよ! 普遍性がありそうで、子供も漠然と判ってるけど、まだまだという感のある季節をテーマにした本を買う。ノンフィクションコーナーはやっぱり楽しいなあ。自分用に樹木の小図鑑も買ってしまった。
 そして、年長クラスになったら、クラスに本がたくさんあることもわかったので、もうフランス語の本を買うのはやめようと決める。

 さてじゃあ、日本の本をどう与えるか。
 以前、いただいた安野光雅氏の『はじめてであうすうがくのほん』シリーズをまた読ませてみる。送っていただいてすぐよりも、だいぶ成長して理解できるようになってきた。読物としても面白いので、もともと、子供も好きなのだが、絵を見ながら、勝手に自分で話を作ったりして、やはりこいつの頭は文系仕様なのだなあと思わされる。
 デュッセルドルフの日本語書店でも子供の本を見てみるが、やはり読物中心で、ノンフィクションは少ない。福音館のホームページに行ってみると、月刊誌を海外でも定期購読できるというので、申し込むことにする。『かがくのとも』と『おおきなポケット』で迷うが、雑誌色の強い『おおきなポケット』を申し込む。船便で、送料も安いのがありがたいが、まだこれは一回目も手元に届いていない。

 そのうち、そうだ、かこさとし氏なのでは!? と気づく。住まいとはなにか――を描いていて、とても好きだった本があったっけ。さらに調べてそれは『あなたのいえ わたしのいえ』であるとわかる。夫は、かこさとし氏は『たいふう』だ、という。その本にも記憶があるので、母親にメイルして、私の読んでいたそれらがあったら、送ってくれるように頼む。母親も元司書教諭なので、こういう話にはすぐ乗ってくる。私の記憶の中で『あなたのいえ わたしのいえ』とごっちゃになっていた『でんとうがつくまで』もあるという。が、確かにあるはずの『たいふう』と『かわ』はないという。まだまだ捜索は続けると言うが、そのあたりで発掘された『かがくのとも』をいったんまとめて送ってもらうことにした。

 こうして、もう日焼けして汚くなった『あなたのいえ わたしのいえ』『でんとうがつくまで』、のほか、安野光雅氏『かずくらべ』、絵が薮内正幸氏の『こうていぺんぎん』、『たべられるしょくぶつ』が届く。そうそう、『たべられるしょくぶつ』も大好きでよく読んだものだ、と思うけど、奥付を見ると、みんな1969年-70年刊行なので、これは兄のものだったのだろうか。40年も前のノンフィクション――と思うが、これらは根幹的なことを描いているので、意外に古びていない。発電の仕組みにしても、原子力もふくめたいろいろが示されている。もちろん、家の中にある「電気を使うもの」にはPCは出てこないわけだけれど、それは枝葉の部分だろう。
 子供はやはり、かこさとし氏の絵本にまず反応する。『たべられるしょくぶつ』『こうていぺんぎん』は絵がリアルだからか、あまり興味を示さない。
 また、小学校にはいる前にと、珍しく母親が、アンパンマンの文字と数字のドリルも入れている。ははははは、彼女も孫相手だと、ずいぶん軟化するものだ。

2009年9月29日火曜日

公共交通機関のこと

 ブリュッセルは、ドイツとは違うところが多く、フランスに似ている――と思うが、ボンと同じで、パリと全く違うところがある。それは、市の公共交通機関の乗り方。
 ボンやその他ドイツの都市と、ブリュッセル、あと、経験ではイタリアもそうだったと思うけれど――には、基本的には、「改札口」というものがない。切符を買って、電車(やバス)に乗り込んで、そこで打刻する。その時間から1時間とか、1時間半とか、時間内なら、乗り換えも、往復も可。ボンでは、一度打刻したら、それを提示すれば良かったし、ブリュッセルでは、時間内なら、何度機械に通しても「transit」扱いになるので、かならず、乗り換えのときには機械に通す。検札のときに、チケット、あるいは打刻がないと罰金になる。
 つまり、逆にいえば検札に運良く会わなければ、いくらでもただ乗りし放題――ということでもある。

 ボンでもブリュッセルでも、検札員は、目立つ格好をして乗り込んでくるので、見えてから、急に打刻する人もいる。もちろん、人を罰するのが目的ではなく、着実に払わせるのが目的だ――ということでは正しいのかもしれないが、ボンの長い地下鉄の場合で、検札している間にどんどん隣の車両に移ったり、停車すれば降りてしまう人たちを何度か目撃した。
 そして、ここブリュッセル――。暮らし始めて一年以上経つのだが、いまのところ、二回しか検札に遭遇していない。もちろん、主婦が住宅地と都心とを往復する路線/時間帯は緩いということかもしれないが……。また、トラムとバスには、打刻機が、車内にあるのだが、地下鉄だけはホームの外(だいたいコンコースで、フロアすら違う)にあるため、電車が近づいてくる! と駆け込むと、打刻の機会を失う(いや……確実に打刻して、ちゃんと次のに乗れば良いのでしょうが、どうも性格上、飛び乗ってしまうので……)。どきどきしながら乗っていると、結局検札は来ない。
 払わなくても払っても、なんとなく釈然としない気持ちが残る。

 ブリュッセルでは、今、ICの電子チケットに移行しようとしているので、きっちり運賃に差をつけている。1回、1時間以内の使用の料金が――
*車内では1回券しか買えず、2ユーロ
*乗る前に買えば、1回券1.7ユーロ
*古いタイプの紙の回数券10回で12.3ユーロ
*電子チケットにチャージする回数券10回で11.2ユーロ。
 私が使っているのは、この電子チケット。suicaやpasmoと同じで、定期券機能を乗せることもできる。電子チケットを作るためには、住民IDでの登録が必要で、写真も必要なので、ある意味、敷居が高いのかもしれない。チャージは自販機で銀行のカード(デビットカードとしての使用)あるいは小銭。紙幣ではチャージできない。私が作った当初は、チャージできる有人窓口が少なかったし、自販機もない駅も多い。私の家の最寄りトラム駅にもない。

 さて先日、乗ってから、回数券が切れていることに気づく。打刻機で残高が確認できないのも、このブリュッセルのICチケットの欠点だと思う。自販機では確認できるし、紙の回数券だと紙に印刷されるので、視認できるのだが……。しょうがないので、2ユーロ払って乗る。帰りの駅では、自販機がないので、ええい、短いから大丈夫! と無賃乗車。検札、来るなら来てみろ、「チケットは持ってるのよ、チャージしたかったんだけどさ、今の駅、自販機ないじゃない?」と言ってやろう! とこういうときだけがんばってフランス語で文章を作ってみるが、来ず。
 そして昨日、出先の駅の自販機でチャージしようとして小銭が足りないことに気づく。一駅分歩いて、買い物をしがてら紙幣を崩す。その駅から乗ろうとすると、大きめの駅なのに、自販機がない。しょうがないので、そこからまた無賃乗車して(いや、その先の乗り換えで打刻するし、この片道まるまる一時間以内に収まるから! という言い訳はあります……)大きなターミナル駅に出て、自販機でチャージしようと思ったら、小銭使用不可状態。
 そこの有人窓口では、チャージできると言うので、してもらう。ところが、打刻機が反応しない。また戻って、これダメだよ、と言ってみたけど、機械上は入金履歴がはいっているので(端末を見せてくれた)、それ以上どうしようもないというので、また戻って、やるが反応しない。自販機で履歴を見ると、なぜか、そこでもチャージされている記録ははいっている。
 打刻機じたいの問題かもしれないと思ったが、その駅に三台ある機械のどれでも反応しないので、また窓口へ戻る。怒ってみせたら、係員が出てきて、一緒にやってくれたけど、とうぜん機械は反応せず。係員が、「今から一時間以内なら、問題ないから、このまま乗れ!」と言う。入金の時間が記録されているわけだから、大丈夫ということか。えー!! でも、検札の人にはその理屈、通じないかもしれないじゃん! 頭の中で必死で「駅でチャージまでしました。打刻機が機能してませんでした。駅の人は問題ないって言いました」と文章を作る。検札さえ来なければ、今日の分はまるまるもうけ、と自分に言い聞かせて、精神の安定を保ちながらそのまま乗って帰ってきた。とうぜん検札なんて来なかったけど、うーん、どんどん、この「ちゃんと払っても払わなくても釈然としない気持ち」が募ってゆくな……。

 しかし、ちゃんとチャージした時からの乗った回数を意識して、つねに前倒しでチャージするような習慣がつけられる人だったら、きっとこんなストレスは感じないのであろう。まだまだ私も未熟ですな!

追記:このあと、都心に出たときに回数券は普通に打刻機に通りました。うーん、それはそれで良かったけど、あのときのいらいらはなんだったんだろう……。

2009年9月24日木曜日

ostheopathieのこと

 仕事も趣味も目を酷使する物ばかり。眼精疲労からくる肩こりには、ずっと悩まされてきた。東京で働いているときには、職場のそば、自宅のそば、いくつもマッサージや整体、鍼等々、リラックス関係のサロンにはお世話になってきた。
 この春、いつもと違う痛みが、左の上腕に走るようになった。いやなしびれもあって、ちょうど、日本に帰国したときに、実家のそばの整形外科に行く。症状を聞き、医者は、手を掴んだり、上に持ち上げたり、脈を診たり――で下った診断が「胸郭出口症候群」。なで肩の人間が、パソコンを使うなど、腕を前にした状態をキープし続けたり、椅子や机の高さが合わない等で不自然な姿勢をとり続けると、なで肩が悪化、鎖骨が下がって、神経や血管を圧迫しているという。温めるとましになるとか、肩甲骨の回りの筋肉を鍛えると良いとか、ストレッチしなさいとか、教わって、塗り薬と痛み止めを処方してもらう。要は、姿勢が悪くて運動不足ってことですな。

 日本のテレビ体操を朝やるようにしたり、暖かくなってきたことも大きいのか、ずっと楽だったのが、このところ、どすんと急に寒い日が来ることがあって、そんなときにまた痛みが出るようになった。ばあさんだ……。
 ブリュッセルでも、どこか、肩こりに効くところはないか――と思い、いろいろ探してみた。日本人セラピストのサロンも発見するが、通うとなると、ちょっと遠いし、探しているうちにヨーロッパならではのものを体験してみようと野望が湧いてきた。

 ヨーロッパでは、整体のようなもので、Kinésithérapieと、ostheopathieというのが一般的らしい。とくにKinésithérapieは、気をつけると、看板を掲げている建物も多いし、妊娠中や産後に紹介されることも多いと、『ベルギー生活便利帳』にも書いてある。ただ、医療機関なので、かかりつけ医の紹介がないと行かれないところも多いらしい。
 ネットでいろいろ探しているうちに、隣の市(とはいえ、うちは市のはじっこなので、かなり近い)Tervurenに、オランダフランス英語ドイツ語に対応しているというostheopathieのサロンを発見。この街は、オランダ語圏なのだけど、イングリッシュスクールがあり、英語圏の人もたくさん住んでいるそうだ。こじんまりとした街で、都心よりは出やすいので、ときどき遊びに行ったりしている。商店では英語が通じやすく楽々。
 ドイツ語のページはまだ工事中だが、とても判りやすいサイト。料金や時間、セラピストの紹介もきちんとしている。夫婦二人+従業員女性一人でやっている。夫はイギリス人、妻はドイツ人とベルギー人のハーフでベルギー育ち。ostheopathieをイギリスで学ぶ時、出会い結婚したそうだ。医者の紹介なしでも受け付けるともある。
 まずは、サロンに出向いてみるが、普通の住宅で、とても、飛び込んで交渉する――が出来そうにないので、電話。女性が出るので、いきなりドイツ語で「ostheopathieの予約をしたい。初診」と言ってみると、ドイツ語で返ってくる。これは楽。「いや、子供が小さいんで、夜は無理」「週末より平日がいいんですけど」「水曜は午前中のみで!」と、言っているうちに、2週間くらい先になってしまった。

 さて、その予約の日がやってきた。サロンの建物に入り、施術室の扉のある廊下で待つ。そのうち、サイトで写真を見た男性が子供を連れてやってきて、奥のプライベート部屋に入って行く「おばあちゃん」という単語(これは蘭独同単語)が聞こえてき、迎える女性の声もする。しばらくして、白衣に着替えた男性が出てきて、施術室に入る。サイトで家族関係まで読んでしまっているので、なんとなく状況が想像でき、こそばゆいようなおかしいような。
 時間になったところで、もう一つの施術室の扉が開き、女性が英語で招いてくれる。カイロプラクティクスと似た施術台があり、PCや書類の置かれた机で対面する。「ドイツ語で話しても良いでしょうか。そのほうが私には良いので」と宣言すると。「かまわない」とドイツ語が返ってくる。
 まずは問診。
*痛みの箇所→首から背中(指で示しつつ)が痛い、とくに左。
 頭痛はしないか→今はしないが、月に一度ほど
 腕には痛みはないか→痛みと言うほどではないがはりはある。
 手先にしびれは出ていないか→それはなし。
*いつからか→もう慢性化しているからな……と思いつつ、今回のきっかけになった「今年の春」と答えると、そんなに長く!? とすごく驚かれるので、「いや、痛いのはときどき、普段ははっている程度。疲れると痛くなる」と言い訳する。
*医者には行ったか、どういう診断だったか→春、日本で医者に行った。肩が前側に湾曲している(身振りで)、結果、鎖骨と肋骨の間(単語が出ないので指を示す)が狭くなり、痛みを生じている。塗り薬と飲み薬のみの処方で、一番ひどかったときだけ使っていた。
*手術したことはあるか。健康面で問題はあるか→なし。

 部屋の隅のついたてを指し、下着だけになるように言われる。施術台に座って、首を触られたり、腕を触られたり。そのあとは、横になって、日本での「ソフト整体」の感じ。筋にそって、優しくおしたり、なぞったりひっぱったりする。指示に合わせて呼吸したり、腕を伸ばしたり組んだり。左側の首のこりは驚かれた。悪いところを指摘されると、得意な気持ちになってしまうのはいかがなものか。
 終わると明らかに体が軽くなり、むしろだるさが出てきている。自分でも、立っているときの姿勢が違って、脚がそろう感じにびっくり。久しぶりに、体に優しいことをしてあげた気持ちになる。次は、1-2週間後に来てくださいと言われ、その割には、ずっと一杯で、ちょっと先になってしまったが、次の予約も入れて、第一回は無事終了。

追記:その後、次回予約を入れた日の都合が悪いことが判ったので、電話。施術中で一時間後にかけ直すと言われるが、まったく連絡がないので、メイルで連絡。つつがなく変更できる。私のドイツ語も、まったくたいしたことないのだが、この程度でもフランス語が出来ればブリュッセル生活も変わるかもなあとは思った。

2009年9月22日火曜日

ウォークマンのこと

 ウォークマンを買った。

 ちょっと都心に出るなんてときに、電車で本を読むと、肩こりがひどくなる。そのため、携帯で音楽を聴いたりしていたのだが、イヤホンを壊してしまい、最初は、イヤホンだけ買おうと思ったが、手頃なのがなく、いっそ携帯音楽プレイヤーを買おうと思ったのだ。
 ところで私は、Macユーザー。正確には、Windowsも乗せているので、起動時に切り替えは効くのだが、一太郎を使うときと、携帯に音楽をコピーするときしか使っていない。なので、ほんとうなら、iPodを買うべきなのだと思う。持ち歩きたいのは音声だけなので、シャッフルに目星をつけていた。が、迷っているうちに新型が出て、それはデザインとして好きじゃない。新型が出てしまうと、旧型は市場から姿を消しつつあるし、スペックとしても弱さを感じてしまう。買いたい。でも、欲しいのがない――なら、あきらめる! とならないんだよなあ。
 最近は、ウォークマンがシェアを伸ばしているという記事を読んだ。でも、ウォークマンはMac対応していないから……。まあ、今だって、携帯に音楽入れるときにはWindows立ち上げてるけど……。
 前に、携帯に音楽を入れる前にも、ウォークマンは購入を検討していて、それは確認済み――だったのだが、またネットで検索してみると、新型はiTuneに対応しているというではないか(正確には、ファイル転送のみ)! 日本語で検索している分には、映像も――の高級機種しか対応していないのだが、ふと気づいて、ソニーのベルギーのページにいってみると、一番シンプルなUSBメモリーに近い形のも、iTuneに対応しているという。念のため、ソニーのショールームにいってみる。目星をつけておいたモデルがあるので「これ、Macで使えますか?」と聞いてみる。「もちろん、でもファイルコピーまでしか出来ないから、プレイリストとかは持ってこられないよ」そこまでは調査済み。「あと、iTuneのファイル形式は、ふつう、iPodやiPhoneでしか聞けないm4aだから、mp3に変換する必要があるよ。まったくAppleは、そういう汎用性のないことをするから……」とひとしきりApple批判。Macのことで困ると、Apple storeに飛び込むが、そこの人も「Apple愛」に満ちているし、そういう話を聞くのは面白い。そのファイル変換に自信がないので「ちょっと考えます」と言って店を出る。欲しかったオレンジも店頭になかったし。3営業日で取り寄せられるとは調べてもらったけれど。
 家に帰って、ネットでファイル変換の方法を調べる。なんだ、簡単なんじゃん! 購入決定! というわけでソニーのショールームの人には悪いけど、在庫の豊富な家電店に出向いて、その場でオレンジのを買う。パッケージ全体でもとても小さく驚くが、充電もPCから直接吸い込む?と知って驚く。そうだったのか……。FMも入る機種なので、家に帰るまではFMを入れていろいろいじってみる。家に帰って、ファイル転送。簡単! 聞ける! 嬉しくなる。

 考えてみると、これまで携帯音楽プレイヤーは、ずっとソニーだった。最初のウォークマンは大学に入る時に父親に買ってもらったもの。父親はカタログ大好き人間なので、入学祝いにウォークマンが欲しいと言ったら、各社のを持ってきてああでもないこうでもないと二人で選んだ。良くは覚えていないけれど、紫がかったグレイのだった。私ばっかりずるい! と兄が怒って、自分も体よく買ってもらっていた。同じのはいやだからと、彼はKENWOODのにしたんだっけ。その後、就職してから自分で一台ウォークマンを買った。シルバーの機体にムンクの「叫び」をキャラクター化したシールを貼っていたが、これはあまり使わないうちにテープ自体が一般的でなくなって処分してしまったように覚えている。
 その後はディスクマン。一台は自分で買った。会社のそばの家電量販店で、底値になるのを待って買ったのでなんだか変な青のしかなく、カエルの写真のシールを貼っていた。その後、妊娠後期に妊娠中毒症で入院したときに、やはり父親に頼んで、ディスクマンを買ってもらった。父親はすでにmp3プレイヤーに移行していて、ぜったいそっちのほうが良いと言われたが、あまり音楽に興味がないので、いちいち、機械に落とす手間をかける気になれず、ディスクマンを指定したのだ。同じ理由で、一度もMDプレイヤーは買わなかった。その時は、血圧を上げてはいけないので、クラシックを聴いていた。夫の好きなブルックナー。今でも、聴くと病室を思い出す。でも、懐かしくて、今回のウォークマンに入れてしまった。ディスクマンは、構造的に弱いのか、私の扱いが粗いためだろうけれど、すぐ、接触が悪くなって、このディスクマンも晩年は、上から押さえつけてフラットに持たないと再生できなくなって、こっちにくる前に処分してしまった。
 
 考えてみたら、5代目になるデジカメも、ずっとサイバーショット。最初に買うときに、ソニーに勤めている友人に相談したときに「レンズで選ぶならニコン、トータルなコストパフォーマンスはオリンパス。でも、この値段を出すというときに『物』としての魅力があるのはソニー」と言ってもらったのがきっかけ。その後も、確かにデジカメにしても、今回の携帯音楽プレイヤーにしても「自分の物にしたい」と思うのはソニーだった。ただのソニー信者? でも、一度買うと、メモリースティック汎用性ないし。排他的なのはソニーもじゃん?

追記:ウォークマン、さくさく使っている。プレイリスト持ってこられないっていうけど、アルバム情報やアーティスト情報は持ってこられて、なにも不自由なし。Mac×iPodだと、もっとすばらしいことができるのだろうか?

2009年9月21日月曜日

Journée sans voitureのこと

 この日曜日は、Journée sans voiture――自動車なしの日曜日だった。9時から19時まで、ブリュッセル市内を、自動車で走ってはいけない日。脱自動車社会への取り組みとして、毎年、9月の日曜日に行われていて、今年9回目。自転車で遊びに行こうと考えていて、少し前から、天気予報が悪くて、一喜一憂していたが、当日は晴れ。喜び勇んで出かけて行った。
 去年は、やっとこの家に入居した直後。自転車はまだなかったから、無料になるトラムに乗って、街中に出て行ったりしたのだ。自動車なしといっても、バスやトラム、緊急車両、タクシーは通るし、市外から知らずに来ちゃうのか、罰則が緩いのか、ときどき、乗用車も走っている。意外に危ない。車道はほとんどが自転車だけど、ベビーカーや、ローラーブレード、馬もいる。

 10時に家を出て夫の職場を目指す。マロニエ並木を通りぬける。ここまでは、緩やかな下りだけど、少し上って、カンブルの森に入る。このあたりで8キロくらい? 夫は子供を後ろに乗せているのでかなりハンデがついている。森まで来ると、馬も犬も増える。マグリットはシュールじゃなくてリアリズムなんじゃないかと思わせるような、木立の中を行く騎馬の女性を眺めながら休憩。また走り出す。
 11時すぎに、夫の職場の近くまで来たので、このそばでお昼ご飯を食べることにし、12時まで、公園で子供を遊ばせることにして、大人は休憩。子供は、ここまではずっと自転車の後ろ座席なので、エネルギーが有り余っていて、走り回っている。
 12時を待って、ブルターニュクレープ屋に行き、お昼ご飯にする。若い男性と、そのお母さんとおぼしき男女がやっている店で、男性がフロア、女性がクレープを焼く。焦がし気味でちょっと焼き方は――?なところもないではないが、美味しい。
 夫の職場の前に出る。午後になって、人出が増えてきている。自転車で埋め尽くされたルイーズ通りを行く。こういう風景を見ると、「教科書で見た北京の自転車通勤の模様」と思ってしまうのだけど、もう北京も自動車社会に移行してしまったというから、このたとえも通じなくなってくるのだろうなあ。

 その後は、アップダウンのある道を、ずっといきたいと思っていたのに、交通が不便でいかれなかったイクセル区立美術館に行くが、展示替え閉館中でがっかり。この回りもイスラム人街が広がっている。さらに進んで、自然史博物館(通称恐竜博物館)に行く。
 この博物館は、子供は遠足で来たことがあるので「説明してよ」「するよするよ! はい、まずはこっちに来てください!」。子供は大はしゃぎ。夫はソファでさぼったりしながらついて歩く。恐竜展示はさすがに面白かった。でも、ベルギーの博物館は、前に、科学博物館のような所でも感じたことだが、判りやすさを目指しているのは良いのだけれど、模型や、映像に頼る傾向があり、なんというか、本物をただ見せることの力強さに欠ける気がする。私の勝手な観察だし、それもまた好きずきだとは思うが――。出ようとすると「説明してくれてありがとうは!?」と子供。いや、感謝するほど説明してくれていないけど。

 外に出ると、ますます人は増えている。車道にテーブルを出してパーティをしているところもあり、見ると、お店ではなくて、一般の家庭だったりして、非日常なこの一日を楽しんでいる感じに見える。そこから、アイス屋台で夫と子供はアイスを買い、坂を一回大きく下って、最後の緩やかなのぼりをのぼって家に到着。15時。5時間の外出だった。
 さすがに疲れていて、だらだらと寝転がったりして過ごす。でも、今日一日を反芻するうちに外で見た、平気で自転車を乗り回す子供たちに刺激されて、やはりうちのも乗れるようにしないと! とまた立ち上がって、子供の自転車を出す。今は、補助輪を外す練習中なのだが、週末ちょっとずつしか乗らないし、週末も、出かけていたりしてすぐ間が空くので、なかなか乗れるようにならない。だいぶ、平気で乗れる時間も延びてきたような気もするが、ちょっとでもバランスを崩すともういやになってしまう。自転車に乗れるようになったら、今日みたいな日に楽しく一緒に出かけられるのに。でも、そうなったらそうなったで、危険な気がして、あまり出かけられなくなるのかも。

 晴れるとまだ、25℃以上になるけれど、どかんと寒い日がときどきやってきて、もう冬は近い。マロニエも実を落とし始めている。

2009年9月14日月曜日

水泳教室のこと

 夏休みにスタージュに通わせて、味を占めたので、9月からは水泳教室に通わせることにした。めぼしをつけたのは、スタージュでも、幼稚園でも使っている区のスポーツセンターの水泳教室。幼稚園にも宣伝が置いてあり、火/木あるいは水/金の16時45分〜と、17時30分〜の2コースで、週二回30分ずつ。金曜日は、休みを伸ばして旅行に行ったりするから、火/木を希望しようと考える。申し込みは、スポーツセンターの水泳教室事務室で、9月4日、8日の16時45分~18時と時間帯が指定されている。

 申し込み当日、15時半に幼稚園から子供をピックして、買い物をしてから回る。まだ30分以上間があるのに、もう事務室の前で待機している人もいるが、まだ少ないし、とスポーツセンターの前庭にある公園で遊ばせる。15分前になって、ならびに行くと人が増えている。でも、まだまだ少ないし、遊ばせておいたのは正解だった――とこのときは思ったのだが、そこからが長かった。
 少し後ろに日本人小学校の男の子たちの親子の集団がいて、少し話す。彼女たちが来たときには、すでに受付は開始していたという。それなのに、列が動く様子がない。
 そのうち、申し込み用紙が配られるので、書き込む。名前、歳などなどはわかるのだけど、申し込みたいクラス(つまり、子供の水泳能力のレベル)が分からない。水泳関係ボキャブラリー皆無。辞書を引きながら考えていると、後ろの女性が、「英語に訳しましょうか?」と話しかけてくれる。ありがたくやってもらうが、はたして、英語でも水泳関係ボキャブラリーは持ち合わせていないのだった。身振りを交えてもらってなんとか理解するが、迷う。一番下のレベル0、「まったく初めて」のほうが安全なのか、一つ上のレベル1、「うつぶせになって浮くことができる、ばた足も出来る」にしておくのか。それより上は、深いプール(90センチ)を使うというので、無理だろう。親切な女性は、さらに「歳はいくつなの? じゃあ、うちと一緒ね、水泳はやったことあるの?」と聞いてくれるので幼稚園と、あと、スタージュでもやっていると話す。「うちもレベル1にしたから、あなたもそうしなさいよ」。素直にレベル1にする。

 まだまだ待つ。パリの出張から早めに直接帰ってきた夫が、ブリュッセルに着いたと電話してくる。「こっちはまだまだかかりそうだよう」。子供は飽きて「プール行きたいプール行きたい」と騒ぐ。「今日は申し込みにきただけだよ、水着も持ってないから無理」。後ろの親子もフランス語でまったく同じ会話をしている。

 しばらくして、出てきた人が並ぶ人々に何かを告げる、列に一斉に動揺が走る。後ろの女性が「なんだかわかりました?」と聞いてくれるので「はい! 火/木はいっぱいってことですね」と自信を持って答えると「水/金がいっぱい、だそうです」。テストか?

 ならんで1時間が経った。ほとんど動いていないように感じる。見切って、ついに夫にSOS、子供と肉を引き取りにきてもらう。

 そして、18時すぎ。夫から電話「夜ご飯でなにかやっておくことある?」と聞かれ「ラムが煮込み用の肉買っちゃって、でも煮込む暇ないし、まだまだかかりそうだし……」とパニックした返事をすると「判った。放っておく」と言われる。

 私の前の前の二人組がやたらと時間がかかっている。うしろの日本人の方たちが「なにかもめているんですか?」と聞いてくるので、ちょっと観察して「どうも、それぞれ兄弟2人で、全員一緒に通わせるところはないかどうか探してるんだと思います。今、レベルを替えて、それでなんとかならないかと交渉しています」けっこうみんな、受付を覗き込んで大騒ぎしている。

 そして、18時半過ぎ、やっと私の番になった。せめて私はてきぱきと済ませよう。受付は女性一人。英語で対応してくれる。登録は、PCじゃないのはもちろん、無地のA3サイズの紙にラフに罫を引いて各時間/各コースのリストを作っているので、一回一回、人数を数えて確認したりしながら、話してくれる。それが罫のある紙で、各クラスの人数ごとに枠を切っておきさえすれば、すこし効率化するんじゃ? と思うのだが……。このレベルだと、火/木は遅い時間になる、と言われ、「じゃ、それでよいです」と即答。レッスン料は頭金だけ払ってあとは振込にする、とする。ここまで順調。リストに名前を書き込んでもらい、券も作ってもらう。一つ一つ手書きだから、またそこに時間がかかる。
 が、次に「レッスンとは別に、入場料が要ります。回数券がありますが利用しますか?」というので「はい」と答えるが「お嬢さんの幼稚園はどこですか?」「Jですが」「だとしたら、**モスコレがあるかもしれない」。そのモスコレと聞こえるものが判らない「モスコレとはなんですか?」「モ-ス-コ-レ」。ゆっくりちゃんと発音してくれるけど、判らない。「学校の事務所に行って問い合わせてみれば判ります」「???」。膠着していると、後ろの女性が「モスコレ、字に書いてあげて!」とアドバイスしてくれる。書いてもらうと「Abonnenment scolaire」学校用定期。なんだ、文字にすればすぐわかるじゃん! それにしても私のヒアリング能力のなさよ。無事終了して、とぼとぼと帰る。結局煮込み用のラムは焼いて食べました。

 幼稚園の事務室で、学校用定期を発行してもらい、さて、当日。15分前に受付を通って、いつもと違う、大部屋の更衣室に入る。25分にプールがわのドアが開いて、子供たちが呼ばれ、シャワーを浴びに行く。更衣室に荷物を置いて、大人も外に出る。
 プールの上の観覧席に上がると、子供が一人で飛び出してきて、そのままプールに入りそうになる。あわてて呼び止めて、子供たちの群れに戻す。この間のA3のリストを手に、先生がひとりひとり名前を聞いて、それぞれのクラスで手をつながせて群れを作る。観覧席から、事務の女性が「その子は、こっちのクラス」「そのクラスには、まだ*人いるはず!」と叫んで整理している。
 初歩クラスは先生一人に子供が7人。水に入って、ジャンプするところから始まり、ビート板を手に持ったり、頭の下に入れたり、お腹の上で抱えたりして往復するのに、うちの子供は、話の途中で飛び出して、頭を掴んで戻されたり、人より多く往復したりしてしまっている。もう一人、やはり活発な男の子がいて、その子と二人で争うようにしている。
 私は、子供の頃、ほんとうに水泳が嫌いで、幼稚園のときと、小学校高学年のときの二回、水泳教室に通わされたが、休むことばかり考えていた。だから、日本にいる時、水泳教室は良い、と、回りの保護者から言われても、なかなかやる気にならなかったのだ。また、夫は習い事全般に消極的で、今回の申し込みもずっと反対していた。でも、こういう姿を見ていると、やっぱり本人の好きなことを理解して伸ばしてやりたいと思う。夫だって、私の撮った写真を見ては楽しみ、泳げるようになると良いね、なんて言ったりしている。

 見ているとあっという間の30分だったが、帰り際、脚がもつれたりして、やっぱり本人は体力を使い切ってきたようだ。さて、これから日も短くなる夕方。週二回、通いきろう。

2009年9月10日木曜日

新学期のこと

 新学年早々、保護者を集めて会が開かれるとお知らせが入ってきた。平日の17時-18時。夫は自分は行く気はないけど、早く帰ってきても良いというので、子供を預けて行ってみる。

 最初は、園庭に全クラス集められて園長が挨拶。当たり前だがフランス語、一言も分からない。言葉が分からないのに行ってもしょうがないのかな、と思いながら来たのだけど、さっそく不安になる。最近、フランス語が出来るつもりになっている子供が、一緒に行って通訳してくれる、とか言っていたのだが、おいてきてしまったし。もちろん、連れてきたところで、そんな助かるわけはないのだが。
 が、各クラスの担任を紹介してくれるのは面白かった。名前を呼ばれると、それぞれ、履いてないスカートをちょっと持ち上げるふりをしたり、大げさにお辞儀をしたり、そもそも、園長挨拶中も、来ている子供に向かっておどけてみたり、先生同士ふざけあっていたり、緊張感はない。
 その後、各クラスに分かれて担任の話を聞く。最初に、誰の親かと名乗り合う。18人クラスなのに、8人しか来ていない。子供を連れてきて、庭で遊ばせている人もいるけれど、小さい子供のいる家でこの時間帯は来にくいのかもしれない。
 担任は、非常に話が長い。pourquoi?-parce que(なぜか?/なぜなら)をしょっちゅうはさんで、ゆっくり慎重に話してくれるので、単語は聞き取りやすいけれど、でも、やっぱり話として掴むまではフランス語力はついていないのだった。教室の中で、実物を見せながら話してくれたことはなんとなく分かったけれど……。

 今は、カレンダーや四季というものを教えているそうで、カレンダーだけで普通のカレンダー、日めくり、いろいろその日に書き込めるようになっている大きなカレンダーがあり、壁に、月の名前と、季節の名前が貼ってあって、今がなんであるか、が分かるようになっている。そこには、幼稚園のそばにある大きな木のそれぞれの季節の写真が貼ってあって、春は新緑、夏は緑、秋は紅葉、冬は雪が積もっている。
 子供たちは今、当番でいろいろな仕事をしていて、カレンダー係が、日めくりをめくり、普通のカレンダーにも、その日が何日であるか示す赤枠を貼ることになっているそうだ。当番には、そのほか、お天気係、筆を洗う係、椅子を片付ける係、鞄を片付ける係、移動する時に列を作らせる係、などなどがある。今、うちの子供はお天気係。カレンダーにその日のお天気を描き込んだり、壁の「今日の天気」のところに天気のマークを貼ったりする。
 机で島を3つ作ってあるが、それは島ごとに「算数」「図形」「パズル」と分けてあるそうで、算数のところでは、簡単な数を使った遊び(書かれている順番にビーズを通す、1/2、1/4、1/6といった円形のパズル、などなど)ができたり、図形のところでは絵を描く。
 また、子供たちの名前をブロック体と筆記体で書かれた札が壁に貼ってある。その札を使って、大文字/小文字、ブロック体/筆記体、シラブル(音節)を学んでいるのだという。これまでと違い、絵を描くとき等は、自分で名前を書かせている。壁に貼ってある子供たちの絵には、確かにたどたどしいながらも名前が書いてある。シラブルは、発音しながら、手を叩くらしいが、やっぱりまだまだ分からない子供がいるという。うちのか? 文字の数、母音の数ともまた違うし、私もシラブル数が分からない名前がある。
 また、読んでいる本、歌の話もしてくれる。そういえば、子供は、新しい学年になってから、いろいろ歌を覚えて帰ってくる。

 そして、遠足やプール、お誕生会の話題になると、実物を見せながらではないので、もうまるで分からなくなってくる。遠足は、去年と違ってたくさん歩かせるとか、プールは、クラスごとに色の違う帽子をかぶらせるから、今年は青を用意しろ、とのこと(去年と色が違うので、ブーイングの声が保護者から上がった)、今年の聖ニコラのお祭りの日にちくらいしかわからない。うーーーん、今日、来ていない人も多いし、大事なことは、その都度連絡があるだろう、と思うことにする。

 時間を30分オーバーして会は終わった。密かに心配していた自己紹介し合うとか、親を交えてディスカッションなんてのはなかった。隣のクラスからは、最初の段階から、活発に親と教師が語り合っている雰囲気が伝わってきたから、それは担任の個性によるのだろう。しかし、その隣のクラスは、時間通り早く終わったのはなぜだろう? 分からないことが多いのはつらかったけど、家に帰って、お天気係や、シラブルの話をすると、子供が喜んで説明する。お天気は、先生が言ってくれるのを描き込むとか。やっぱり、シラブルは分かってなかった! 頭でカタカナに置き換えているから、子音だけの音でも、手を叩いてしまう。そうだ、先生は違うって言った、なんて話したりして、それはそれで楽しい。それだけでも行った甲斐はあったかな。ずいぶん、勉強っぽい感じになる印象を受けた。日本にいるのとは半年遅れだけど、ついに最終学年になったのだと感慨も深い。

 翌日は肩こりがひどくて、やっぱり緊張していたのだなあ。いつも使わない頭を使ったってことか。

2009年9月3日木曜日

新学期準備のこと

 年度末に、幼稚園から子供が以下の手紙を持ち帰ってきた。

保護者各位
 新しい年の始まりにあたり、以下のものを用意していただけたらと思います。

*蛍光ペン1パック
*パステル大箱(これは「PANDA」の銘柄指定)
*強力接着剤小さいチューブ1
*太字カラーサインペン2パック
*細字カラーサインペン2パック
*中太黒サインペン2本
*固形糊4本(これは「Pritt」の銘柄指定)
*ティッシュペーパー2箱
*お尻拭き2箱(これも「Kandoo」の銘柄指定)
*長袖のエプロン、お絵描きのとき用
*紙挟みとか用意するから10ユーロを封筒に入れたもの

 前もってご協力に感謝するとともに、みなさんのバカンスが、くつろげる、好天に恵まれたものになりますよう祈っています。 三年担任

 この文房具類は、本人が使う訳ではなく、クラスで使うものとして、いわば「上納」するもの。去年は、年度途中だったけど入って早々に渡されて、なんだか判らないものがいくつもあり、「この印付けたの判らなくて――なんですか?」「実物見せましょう、それが早い」でなんとかそろえたものが、今年は、判らないものは一個もなし! 一年経って私も成長したなあ(去年と同じものも多いから、ともいう)。夏休みに入ってすぐ、子供のスタージュ期間に、ちょっと下見してめどはつけてあったし、7月末までのバーゲンが終わって、8月に入ったとたんに、商店は「Back to school」で飾り付け。気分は盛り上がっていたのだが、結局、実際に買いに行ったのは、最終週の水曜日だった。
 子供も一緒だし、イベントとして、都心の大型文房具店に買い物に行こう〜! いぇーい! なんか、特別のときだけ、銀座の伊東屋に行く感じ? と盛り上げたのだが、これが失敗だった……。広い。しかも、地上三階、地下一階。こういうときに「準備品セット」なんて作ってくれるような親切なことはなく、それどころか、まとめておいてくれさえしないので、
*パステル大箱(これは「PANDA」の銘柄指定)
 →3階ファインアート売り場
*強力接着剤小さいチューブ1
*固形糊4本(これは「Pritt」の銘柄指定)
 →2階事務用品売り場
*長袖のエプロン、お絵描きのとき用
 →1階のほうのファインアート売り場(なぜ階を分ける? しかも内容もどういう分類か見ても判らない)
*蛍光ペン1パック
*太字カラーサインペン2パック
*細字カラーサインペン2パック
*中太黒サインペン2本
 →1階の「いわゆる文房具」売り場

 売り場案内にはジャンルしか書かれず、具体的な「糊」「ペン」なんてのは書かれてないので、何度か行ったり来たりして目星をつけて、「あと、これはどこに……」「それは1階よ」なんてことを繰り返して、疲れてしまった。しかも1階のペン売り場は広大で、銘柄指定のないこれらを決断するのは難しい。店員に聞こうとすると、この階はやはり迷える子羊たちが、リストを手に殺到していて、店員の前に群れをなしていた。

 見切って、ペン類は翌日、地元(といっても地下鉄ターミナルの大きめの店)に買いに行った。最初から「これとこれと……が欲しいんですが!」と店員にリストを渡す。最初の人は慣れてなくて「えっと、太字って書いてあるんですけど」とか言っているうちに、交代されてしまった。今度の人は慣れているらしく、ふむふむと集めてくれる。1フロアの店なのだけど、
*蛍光ペン1パック
→事務用文房具売り場
*太字カラーサインペン2パック
*細字カラーサインペン2パック
→子供用文房具売り場
*中太黒サインペン2本
→レジ横の万年筆等パーソナル文具売り場
に分かれていた。
 ほかにもやっぱりリストを渡して、店員と一緒に探す人が多い。そうするとレジ係が一人になってしまうし、時間もかかる。なにかもっと効率的にできるんではないか? と思うが、まあこのブリュッセルにいる間は「不便を楽しむスローライフ」を呪文のように唱えて生きていこう。食べ物関係だったら、けっこう楽しめているんだけどなあ……。

追記;そうそう、ペンは一袋、みたいな書き方だけど、色数まちまちにならないのかな? メーカーもBic、Steadler、Cohinorあと、Stabiroとかもあったし。そして、パステルは銘柄指定の上、大箱とわざわざ書いてあって、私が見たところでは12色と24色だったので、なんか、大規模? と思いつつ24色を買った。それなのに教室にあるのは、12色ばっかりなんだけど……。

イタリア旅行のこと4 ドイツ、プレモの街

 この旅、最後の目的地は「プレイモービル ファンパーク」。ニュルンベルクの郊外にある。旅の最後に予定しておいて、子供にも予告。旅行中、ちょっとでも良い子じゃなかったら、寄らずに帰る、と脅かし続け、子供は目を三角にしながら、良い子にしていた。プレイモービルのテーマパークらしい、と思って出かけたのだが、そこが面白いのだが、いわゆるテーマパークとか、アトラクションとか、遊園地とかではまったくなかった。むしろアスレチック公園に近いところだった。海賊シリーズ、農園シリーズといった、シリーズごとに建物や、遊び場が作られていて、なんとなくプレモ世界を体験できるようになっているところと、実際にプレモで遊べるところがある。
 門も騎士シリーズの門に模してあって、等身大プレモが両脇に立っている。子供はそれを見たときから大興奮。入り口で、再入場用に、手にプレモスタンプを捺してもらう。その横に、大量に迷子札が置いてあって、子供の名前と、親の携帯番号を記す欄があり、親はみんな書いて子供の手首に巻いてやっていた。うちは、夫が「目を離さなければいいんだよ」の一言でやらなかった。

 まず、屋外から――と行ってみる。まずは、水で遊ぶプレモゾーン。子供のお腹くらいの高さに、流し台というか水路が造られている。ポンプ式で水を流したり、せき止めたり、排水したりできるようになっていて、実際のプレイモービルの海上保安艇や、海賊船、海の生物等、水で遊べるものがごっちゃに流されていて、みんなで勝手に遊ぶ。下流?にたまっているところがあるので、拾って、すきなところへ持って行く。
 ここも、あとで行った屋内のところでも、常に係の人が何人かいて、入れ替えたり、直したりしてくれているので、意外に不潔感や、乱暴に扱われたわびしいおもちゃ感が出ない。子供はクジラに人を食べさせたりして遊んでいた。すでに服はびしょぬれ。
 次に農園シリーズゾーン。農家の建物が作ってあって、等身大の動物プレモが置いてある。牛の乳をひっぱると、水が出てきたり、馬にブラシ掛けをしたりできる。ここも井戸で水を汲んで、ばんばん水を使う。
 さらに、大きな砂場に出る。ここはもうプレモ色はまったくなく、そばに水場があって、みんな水を汲んできてはぬかるみを作る。うちのも、よその子供たちもおそろしくテンションが上がってくる。ここに至って、さすがに夫が車に水着と着替えをとりに行った。
 そもそも、ホームページで見たときに「水着は忘れないでね!」と書いてあったのだが、寒いしと持っていかなかったのだった。売店で服やパンツ、タオルくらい買えるだろう、と思っていたのだが、売店は、一カ所、出口にしかない。戻ってきた夫が、一回出ることになるので、チケットを通したり面倒だから、途中で買いに行かないのが賢明といって、余分に服を持ってくる。なんという商売っけのなさか。そのかわり、コインランドリーがあるのか、園内の案内表示に書いてあった。
 砂場の横は、水場。プールというよりは、川、池という感じで浅い。水着に着替えてここで遊んだところで引き上げて昼ご飯に行った。

  昼ご飯は、屋外のセルフレストランで食べた。子供メニューがあって、ソーセージとパン、みたいないかにもなセットに、果物かヨーグルトのデザート、そしてプレモの絵のついたコップで飲み物、プレモも一体ついてくる。子供は見るなり「プレモ付き、プレモ付き」と騒ぐので、それにして、大人もソーセージやハンバーグにフリッツがついたのと、ビール。ビールは南独によくある陶器マグを模したプラスチックマグに入ってくる。食器はプラスチックながら、プレモロゴが入っていて、Pfandという保証金?を食べ物を買うときに払い、食器を返すときに返金してもらうシステム。食べ物は安いのに、Pfandは高い。ちなみに、私の食べたハンバーグとフリッツ(小)とPfandが同額で5ユーロだった。プレモは、お姫様のがもらえた。私が、現実べったりのが好きで、都市生活シリーズと農園シリーズの一部しか買わず、ずっと欲しいのに買ってもらえなかった子供は大喜び。子供用のコップも持って帰って良いのだと言われて、ほくほくと持ち帰ってきた。

 食後は、とりあえず室内でプレモで遊べるところに入った。ガラス張りの大きな建物で、室内アスレチックと、巨大カフェと、遊び場がある。 それぞれのおもちゃのシリーズごとに、分かれていて、それぞれのイメージの建物がある。子供がはまったのはお城ゾーン。このあとも買う気はないから、たんとお遊び。ここは女の子ばかりなのだが、海賊ゾーン、騎士ゾーンは男の子しかいない。日本の男の子が、ちいさいうちにチャンバラ遊びや忍者遊びで、歴史への興味を芽生えさせるように、こっちでは騎士遊びがみんな好きらしい。おもちゃ屋さんにも、おもちゃの剣や盾も売っている。
 しばらく放っておくことにして、大人はそこが視野に入る席を取って、お茶を飲んだ。コーヒーマグが、外側はコーヒー豆や文字をあしらったデザインで、内側に同系の茶色でプレモロゴが描かれているのがかわいい。Pfandとってるんだから、そのまま持ち帰ってしまおうか、と夫と話したが、「売店で売ってるんじゃない?」「そーだよね!」と返してしまう。が、売店では再会できなかったのだった……。

 また、外に出る。プレモ色のまったくないアスレチック的滑り台がたくさんあり、ばんばん登って、ばんばん滑る。夫は心配してちゃんと毎回つきあってくたびれていた。私は下で見ていて、夫も放っておけば良いのに、と思うが、登るところおりるところが、それぞれ一つではないので、見失いやすいのは確か。園内放送は、保護された迷子の親の呼び出しで、切れ目がない状態だった。

 園全体の目玉と思われたのは、海賊ゾーン。大きな池に海賊船がしつらえてあって、そこへ縄の橋や、オールで漕ぐ筏、ロープを使って移動する筏で岸と行き来する。オールで漕ぐ筏はいくつも浮いているが、人気があって、とても乗れなかった。うちは西部劇ゾーンと、道路工事ゾーンはとばしたけど、男の子たちが、恐ろしい勢いではまっていた。子供も道路工事ゾーンは、かなり興味がありそうだった。てことか、ぐるぐる回すハンドルを使って石を移動させたりとか、そういう遊びもできる。が、出口直前、もうほんとうに疲れてきたので、パス。
 最後に、気に入ったところにもう一度行って良いよ、と話すと、子供は、農園シリーズの牛と、屋内の遊べるゾーンだと言う。その二つを流して出ることに。

 売店は、通販でしか買えないものが直接買えたり、もう、普通の店ではないような少し古いのがあったりするくらいで、ロゴだけ入れて服や雑貨を展開したりするようなことはしていなかった。ストイック。かなり、夫の忍耐力の限界に来ていて、駆け足で見たので、見つけられなかっただけかもしれないけれど……。でも、ここでしか買えないという海賊がいたので自分のために買ってきた。あとで開けてみたら、背にファンパークのロゴも入っている。さっそく子供に「貸して」遊ばれている。そして、カタログで見てずっと欲しかった通販でしか買えない公園セットと、新作の学校シリーズが買えて満足です。

 この日は、ここの街Zirndorfに泊まった。素敵にひなびた街だった。子供の着替えが乏しくなったから、と買いに出たのだが、ちょっとした街なら必ずある、大手チェーンのドラッグストアやスーパーもない。あとで気づいたのだけど、郊外に住宅街が広がっているので、そっちにはあったのかもしれない。ちょうどお祭りをやっていて、移動遊園地が来ていた。子供はまたさっそくメリーゴーラウンドをはしごしていた。
 メインストリートには宿屋や料理屋、パン屋と肉屋くらいしかない。17世紀の建物が多い。お祭りなので、料理屋には、地元の人が集まって騒いだり、素人バンドが来て演奏したりしていた。子供があわせて踊ったりしてうけていた。ホテルの隣の消防署でも、祭りの打ち上げをやって盛り上がっている。一つ坂を上がった裏通りに、教会と、ビール醸造所(それも17世紀からという)があるというのもなかなか風情だった。

 翌朝、一路ブリュッセルへ。長い旅も終わった。「今回の旅行、なにが一番楽しかった?」子供に聞くと、もちろん「プレモ!」「海よりも?」「うん!」大人はがっかりだけど、最後で記憶がリセットされているからだ、ということにしておこう。

2009年9月2日水曜日

イタリア旅行のこと3 アグリツーリズモ

 水曜日、アルベロベッロの宿をチェックアウトして、赤い大地白い家、灼熱のプーリア州に別れを告げた。その日は、ほとんど、移動の一日だが、宿から海が近いので、午後、そこに行く予定にしていた。
 お昼ご飯を食べる場所を探して、高速を降りTermoliという海岸に出た。イタリアの海岸は、とにかく、みんな狂ったように海に向かっているので、路駐可能なところは、どんどん埋まってしまい、車を置くのが大変なのに、ここでは、偶然、かなり海の際に置くところがあったので、つい寄ってしまった。
 もちろん、海をみれば「入る入る」という小僧がいるので、はい行きましょう、ちゃんと水着も持って行きましょう。今回は、砂浜がきれいにある海で、海の家もあり、そこでパラソルとベンチを借りた。お昼でおなかが空いていたはずなのにはしゃぎ回る子供の相手をしばらくして、いったん引き上げて海の家でお昼。うちは簡単にサンドイッチを買ってしまったけれど、みんなサラダを頼んでいて、野菜の山盛りに、オリーブオイルと酢が添えられてきていて、うーん、とても美味しそう。一方、サンドイッチはヨーロッパらしからぬへなへなした食パンで、海の帰りに茅ヶ崎のサンドーレで買って食べる――の雰囲気(マイナーすぎるたとえ)。それはそれで和みました。ここで、やっとスイカを切ってもらって食べる、にありつけて、夫と子供はわしわし食べる。なんか、ほんとーに「海の家」だなあ。
 夫が目星をつけておいた宿のそばの海に移動するかどうか聞いたけど、子供はもう、ここで遊ぶ気満々なので、今日の海はここ、と決めた。

 午後、適当なところで上がって宿へ。今日はアグリツーリズモを予約してある。海岸線を離れ、工業地を抜けて、山へ上がってくると、田園風景が広がっている。昨日までのプーリアと違って、木が増えてきた。事前に夫がプリントしてきたミシュランの地図――といっても、畑に道が走っている、目印なんてないものを見ながら、宿の建物にたどりつく。が、イタリア語しか判らないレストランの手伝いの人のみ、宿のマダムはいないという。電話で呼んでくれるというのを待ってみるが、まったく来ない。ずいぶん待って、また電話がかかってきた。なんのことはない、大きな敷地内にふたつ建物があって、私たちのたどり着いた方は長期滞在用のアパートホテル、予約されていたのはもう一つのホテルで、マダムはずっとそっちで待っていたらしい。それがやっと判ったので、レストランの女性が自分の車で案内してくれてホテルへ。ところが、そっちにもマダムはいない。場所の誤解が判って、彼女は彼女で迎えに出てしまったのだ。車ですれ違わなかったから別のルートがあるのだろう。ほんとうに広い敷地だった。翌朝判ったことだが、オーナーの家もまた、別の離れたところにあった。
 果樹がぽつぽつと植えられた庭に出てぼーっとしていると、眼に見えるのは、広がる斜面にぶどう畑と、牧草地。イトトンボが飛んでいたり、のどかな風景だ。
 この宿には、大きな犬が白いのと、シェパードと二匹、さらに、小さいのがいた。この小さいのを子供が珍しく気に入って、ずっとあとを追いかけ回していた。子供の頃、家で飼っていた雑種に似ていて懐かしく見ていると、かなへびを捕まえて食べしまった。それに気づいた子供が「こっちこっち」「かなへびだよ〜」と声や足音を立てて逃がしてしまったり、しっぽを引っ張ったりして、けっこう良い迷惑だったようだが、宿の犬で人慣れしているらしく、適当にあしらわれていた。
 夜は、麓の街に降りて、魚介をわしわしと食べた。海辺に公園が作ってあって、21時すぎ、暗くなってから子供が出てきて遊んでいて、うちのも一緒に遊んでいた。ここまでの街でも、夜にどこからか?と思うくらい大量に湧いて出てきて遊んでいるのを見た。たしかに日が落ちないと暑いものなあ。

 木曜日はアッシジに行った。この日も暑く、観光地で人が多かったので疲れきってしまった。でも、このフランチェスコ教会は、この旅初のステンドグラスのある教会で、子供は喜んだ。この夏あたりから、ステンドグラスのきれいさに目覚めたのだけど、この旅では、ここまで、ずっとビザンチンとかモザイクとかそんなのばかりで怒っていたのだ。続いてサンジミニャーノ。母親が、前に行ったことがあって、感動したと聞いていたのだが、とにかく暑い。子供も歩かなくなってくるし、移動が多くて、三人、無口になる。早々にひきあげてきた。

 この日の宿は、また、郊外にアグリツーリズモを予約してあった。またも、敷地の中に入ってからが長い。糸杉がたくさん生えている絵に描いたような田園風景。
 宿にプールがあったので、子供を遊ばせていたら、プールサイドでくつろいでいた大人がつぎつぎ帰って行ってしまったので、とても申し訳ない気持ちになった――一応、日が当たらなくなる時間帯に入ってきたため、もあると思うけれど――が、その後、子供と同じくらいの歳の女の子と、2歳くらいの男の子を連れた一家がやってきて、うちよりも大騒ぎになった。女の子は、ぼんぼんとプールサイドから投げ入れられて、はしゃいでいる。
 歓声を聞いてみると、フランス語なので、子供に「フランス語だから、話が出来るよ!」と教える。その女の子とは、気が合うことがわかり、プールから上がったあとも、庭で一緒に遊んでいた。
 
 夜ご飯を宿で食べることにしていたら、席がその一家と隣り合わせ。そちらの母親が「フランス語が出来るのですか?」と聞いてきたので、「ブリュッセルに住んでいるのです」と答えると、「あら、私たちもベルギー人なのよ!」。このあたりで、もうフランス語ではついて行けなくなり、父親に英語で訳してもらいつつ、会話を続けた。
 彼女はイタリア人(といっても、住んでいる場所から夫の推理では、戦後間もなく移住してきた人の二世とか三世とかではないかとのこと)、 ご主人はフランス語系ベルギー人で結婚前までは、今、私たちの住んでいる区に住んでいたと言う。世界は(ヨーロッパは?)狭い。
 子供たちは早々に食べ終わってしまい、飽きるとうるさいからと、母親が、さっとDVDプレイヤーを出してきて、うちのも一緒にディズニーアニメを見ていた。子供がいると必須だよ、と彼らは言う。大人たちはのんびり酒(デザートに甘いワインが出た)を飲んだりできたのでまたそれも良し。

 ご飯後、外に出てみたら、まさに「満天の星」で、天の川も見えた。星座がくっきり、蠍座のアンタレスがちゃんと赤く見えるくらいで、興奮してあれこれ星座を探す。もうだいぶ忘れただろうと思っていたけど、カシオペアや、北斗七星もわかって楽しかった。文字にすると、レベルが低いけれど……。高校時代、私と夫は地学部というものに入っていた。名前はそんなだけど、星の観測会がメジャーな活動(私はそれにしか行かなかった。美術部と掛け持ちでもあったし)だったのだ。高校二年のときに合宿もあったのだが、尾根の反対側に日航機が堕ちて、毎年報道されるたびに「ああ、あの合宿から**年経ったのだなあ」と思い出す。

 翌朝も快晴、おいしい朝ご飯を食べ過ぎる。何種類か出してくれたジャム、英語で説明してくれたのだけど、一つ、聞き落としたものが美味しく、「なんだろう?メロン?」「ちょっと栗っぽさもあるよね」などと話していたら、カボチャのジャムだった。日本の感覚より少し若いのか、瓜っぽい風味もあるジャムだった。
 この宿にもたくさんかなへびがいて、子供が「かなへびたんけん!」と騒いで追いかける。どれもこれも脚が速くて捕まりやしない。夫がやっと一匹捕まえたが、あろうことかしっぽをつまんだので、しっぽを切って逃げてしまった。でも、子供が「かなへびはしっぽをきる」を学べたのでまあ良かったのかも。

 チェックアウトのときに、夜ご飯で飲んだ自家製ワインも買って、この宿は出た。昼ご飯をモデナで食べて、イタリアもおしまい。一路ドイツへ向かう。ドイツでは夫が最初に留学した街、Murnauに泊まる。この日は渋滞もあって時間がかかり、やっと19時くらいに宿に着いた。この街は、夫が土地勘があるので、何度か来ている。宿自体、もう三度目か四度目になると思うホテル。夜ご飯も宿のレストランで。久しぶりに、ドイツのWeizenbierをがぶがぶと飲む。慣れた街で、メイン通りに出てアイスなんかかってぶらぶらしたりして無事帰ってきた、という気持ちになるけれど、まだ旅は続く。

2009年8月28日金曜日

8月28日のこと

今日8月28日は、ブリュッセルに着いて、丸一年が経った日。
特にお祝いもしないが、ここに記しておこう。

イタリア旅行のこと2 海と白い街

 今回のプーリア旅行は、雑誌『旅』のプーリア特集号を参考にした旅行。これは確か、去年日本を発つときに、丸の内OAZOの丸善だったか神楽坂の文悠で私が『よつばと!』8を買ったときだったか、どちらにしても出発前夜に買ったものだったと思う。一年熟成させて、満を持して旅立ったのだ(おおげさだけど)。イタリアもプーリア州まで行くと、景色が、これまで見たヨーロッパ各地とはちょっと変わっていた。高山で森林限界という言葉があるけれど、暑くて、乾燥してなのか、樹がちゃんと生えられない感じ。オリーブの木が、小さく細々と生えている。全体的に赤茶けた土地。でも、果物は名産だそうだ。過酷な土地くらいの方が、果物は良いのかもしれない。自他ともに認める暑さが苦手な私が、なぜ、涼しいブリュッセルを出て、こんなところにいるのか、と疑問に感じるくらい、連日35℃超、一日は40度を超えていた。乾燥も強く「灼熱」という言葉を実感できた。

 そんなちょっと変わった景色の中、トゥルッリという石造りのとんがり屋根の建物が並ぶアルベロベッロという街に三泊して、いろいろなところを回ってきた。この街は池田あきこ氏『ダヤンのスケッチ紀行 イタリアへ行こう』で初めて知った不思議な街。宿も、トゥルッリを予約した。なかは普通の家みたいな感じで、とんがり屋根部分にロフトを作って、そこにもベッドを置いてある、2ベッドルーム。子供は、ハイジの屋根裏部屋! と気に入って、ちょっと登りにくいはしごを何度も上り下りしたり。台所もあって、鍋釜、食器も借りられたけど、外に安くてうまい店がたくさんあるので、けっきょく、一回も料理なんかしなかった。

 今回の旅は、食い倒れ飲み倒れももちろんだけど、子供を海に連れて行くのも目的。オートラントという海岸の街に行ったときは、お昼ご飯が目的だったので、水着を持って行かなかったのが、海を見せたら、当然入りたがり、また、ちょうど岩でかこった水たまりがあって、小さい子供がたくさん遊んでいたので、水につけてしまった。パンツいっちょで遊ばせたけれど、結局、そんな配慮もむなしく全身びしょぬれになってしまったので、引き上げて、お昼ご飯前に、店に飛び込んで水着を買う。選択肢がなく、ピンクのひもビキニ。もろ三角形! その後、いろいろ観察してみると、イタリアの海はどんな体型でもビキニが基本。しかも布面積かなり狭い。私の、子供をプールに連れて行くためにスポーツショップで買った黒のワンピース(しかもアディダスロゴ入り)は完全にドレスコードを間違えていた。
 さて、お昼ご飯は三人でパスタ各1(これも雑誌に出ていた店)。ところで、私もパスタを頼んだつもりだったが、来たものは古代米とじゃがいもを重ねてセルクルで抜いて、魚介のトマトラグーをかけたもの。とても美味しく、この旅一番の味だった。なのだが、私が頼んだものはリコッタとか、ズッキーニソースとか書いてあったから、きっと間違えている。その後、メニューも写真に撮ってきたのだが、この料理の名前は判らなかった……。幻のメニュー。お店のおじさんがぐちゃぐちゃ混ぜて食べろ!と言う。混ぜて食べてみるが、途中で見に来て「それはもっとぐちゃぐちゃに!」と言っていた。
 この街は、床にモザイクのある大聖堂があるのだが、昼休みで入れなかった。

 その後、海岸線を走って、海水浴場に行った。16世紀の遺跡の門のある海=Torre Del Orso。直訳すると熊の塔、という意味らしい。ここも遠浅の海で、子供は浮き輪で堪能。カップルが多く「こういうカップルがいるのがほんとうの海! って感じがするよね」と夫は言う。そうか……私の海の記憶って、小学校低学年の地元の遊泳禁止区域どまりなのかも。その後、国道一本挟んですぐ海の中学校に通っていたのだが、そのころには、ありがたみもなく、さらにはなんとなく不良のイメージがあって海からは離れてしまっていた。

 翌火曜日は、朝市の立つ街Carovignoを調べてあって、出かけて行った。夫はスイカの切ったのを買って食べるつもりだったのだけど、丸ごとしか売ってなくてちょっとがっかり。1個1.2ユーロだから! とか言われてもな……。プーリア州の名産ということで、ブドウを買って食べる。ブリュッセルにも入ってくるけど、とても新鮮で安くて、子供がまた、ノンストップ状態になってしまった。
 この市には、かき氷屋が出ていた。四角い巨大な氷とシロップの瓶を台に乗せていて、注文が入ると、氷を、金属の掌に入るくらいの箱鉋で削って、プラコップに入れてくれ、シロップをかけてくれる。夫と子供がかわりばんこに食べていた。

 お昼ご飯を食べようと、『旅』に美食の街として出ていたCeglie Messapicaに行った。目当てにしていたレストランが定休日だったのだが、すてきに真っ白な街で、旧市街は、車も入らないので、三人でさまよいながら歩いていた。家も真っ白に塗られているし、道路も白い石で舗装されていてつるつる滑る。建物やら道路やらは、すごく日本と違うのに、洗濯物がぶら下げてあったり、路地にごちゃごちゃと植木鉢を出していたり。しかも、玄関は開けっ放しにして、ビニールのすだれで目隠しにしてある。ちょうどお昼時分、TVを見ながら、食器をがちゃがちゃ言わせたり、子供が騒いでいたり、大人がそれをしかる怒鳴り声が聞こえたりと、すごく「日本の下町の夏」なのだった。
 そういえば、アルベロベッロも、変な建物の街だけど、やっぱりビニールのすだれだけで玄関は明けっ放しにして、夕方になると、おばあさんやらが、椅子を家の外に出して夕涼みしていて、それもまた、日本の下町情緒だった。

 こんなふうに、珍しい初体験にどきどきするのではなく、自分の記憶にある何かと結びつけて懐かしい気持ちをかき立てられることを楽しむようになったのは老化かな? と思わなくはないけど。

 けっきょく、お昼ご飯は、一軒だけ開いていた(しかも、外からは判らない感じで)レストランで食べた。もう一組しかいなかった客も、厨房にずかずか入って行ったり、注文しないのに、どんどん料理が出てきたり、身内っぽい感じ。彼らは、お金を払って出て行ったので、いちおう客なのだと思うけど、
 その後、若い親子二組とおばあさんがやってきたら、どうもそのおばあさんが、レストランの給仕をしてる人の奥さんという一家らしく、みんなで席に陣取って、やかましくお昼ご飯を食べ始め、給仕も、厨房の人たちも混ざって食べ始めてしまった。小さな女の子が二人いて、うちの子供のことが気になるらしく、ちょっかい出しになんども来た。その子たちは、トイレに入ってトイレットペーパーを引っ張りだしてしまったり、まったく落ち着いていなくて、大人は、しょっちゅう立ち上がって怒ったり、捕まえたり、またそれも大騒ぎになるのだった。

 このあと、また白い街だけど、観光地になってる感じのところLocorotondoに出かけた。バルコニーに花を飾ることを奨励しているらしく、観光客に人気投票もさせていた。壁の白と対比させたきれいな色で窓や扉を塗っていて、とても素敵な街だったが、やはり、私に訴えてくる魅力は、あの雑然としたCeglie Messapicaが上かな。

 この日は、日中は40℃を超えてしまい、あとで夜のニュースで「猛暑日!」みたいな取り上げられ方をしていたのを見て、びっくりした。そうか、子供が機嫌が悪かったのはそれだったのか……。宿に帰って冷房の効いた部屋に入ったら、いきなり元気になったものなあ。

2009年8月26日水曜日

イタリア旅行のこと1 イタリア前

 今回は、ばーんと10日間の長い旅行に行ってきた。結婚後、いや、就職後最長なのではないだろうか? 行き先はイタリア。かかとの先のプーリア州を中心に、例によって運転手一人の自動車行なので、途中寄り道をしながら出かけてきた。

まず最初は、デュッセルドルフ。ここから自動車を電車に積んでアルプスを越える。夜行なので、夕方の発車なのだが、朝から出てきて、お昼ご飯をまず食べる。デュッセルドルフといえば、アルトビール! Uerigeとか名店もあるけど、ドイツ時代に行って気に入ったのに一度しか行かれなかったBrauerei Fuechschenに行く。香りの高いアルトビール! なつかしい! ステンドグラスや、壁のタイルに店の名前の子ギツネが描かれていて、それもまた可愛くて、雰囲気がある。

 その後、日本人街に出た。今回は日本語書店に子供を連れて行くのが目的。私は日本から本を送ってくれる人に恵まれているので冷静なのだが、子供は大興奮。座り込んで読みふけってしまった。最終的に本を一冊買って出てきた。今はネットで買っても海外に送ってもらえるので、大人はその方が安いし楽だと思ってしまうのだが、やっぱり、本を買う場、見る場を楽しいと思う気持ちをもっているのは、嬉しい。私だって日本にいれば、一日に何度でも書店に行ってしまうような人間なのだ。今はすれっからしになって、個性の薄い日本語書店より(店の性格として、広く人気のあるものを、今の日本の情報を――となるわけだから、それはしょうがない)、言葉は判らなくても、書店員さんの熱意が伝わってくる、手書きポップや帯のある漫画専門店や、都心にある書店のほうが、店の雰囲気が面白いなどとすかしたことを言っているけれど。
 店内のレイアウトや商品(書籍以外の日用品も置くようになった等)も変わっていたが、一番変わったのは、店の一番奥にコミックと、ビジュアル系バンド雑誌、プリクラ機が置かれたコーナーができていたことで、そこには、ビジュアル系コスプレのドイツ人が大挙して来ていた。今時、行列のできるプリクラ機! いや、日本にもそういうのがあるのでしょうか? 手前のコーナーは、100%日本人で、日本語ばかり聞こえるのに、そのコーナーは、ドイツ語のみ。見た感じは東京ドーム前という感じなのに、なんだか不思議な気持ちになってしまう。
 日本食材店も流してみた。ブリュッセルに来て、食材が豊富なのに興奮して、こっちのほうが、日本人は暮らしやすい! なんて思っていたのだが、それは時代の違いだったらしく、デュッセルドルフもパワーアップしていてた。そもそも規模も大きく回転も良さそうで、やっぱりヨーロッパ随一の日本人街なのだった。旅初日なので、当然、何も買わずに出てくる。

 その後、夜行列車に。一等車をとっておいたので、三人で個室だった。そもそも寝台が3階建て。二等車はそれが二組で向かい合わせになっている。寝台列車なんて、それこそ何年ぶりだろうか? ほんとうに子供のときに、親と東北に行ったのが最後? 大学生のときに夜行で友達の下宿先に行ったことがあるけど、そのときは、寝台じゃなかった気がする。
 夜は、食堂車に行ったのだけど、混んでいて大変だった。席に座るまで30分、座って1時間半。でも、ライン川に沿ってゆっくり走る電車で車窓を眺めているのは楽しい。時間的にも夕暮れ時で、旅情旅情。子供も、なんとかもったので良しとしよう。

 三階建て寝台の一階に夫が、二階に私と子供が寝たが、ほんとうに狭かった! 一段目でさえ、普通の電車の座席の高さな訳だから、子供を一人で寝かせるのは危険だと思ったのだが、子供が寝相が悪いというのもあるだろうけど、よく眠れない。いつもみたいに、子供が父親と寝たがったら、大変なことだった。ドイツ人はちゃんとこれで寝られているのだろうか?
 まだ暗い中、電車が時間調整で止まっているので、外を見ると、インスブルックの駅だった。夫と二人で起きだして見る。
 6時すぎに、頼んでおいたモーニングコールが入って、子供も起こして食堂車へ移動。外はブレンナーの駅。以前、私の両親がブレンナー峠を越えたい! ドイツ人は、イタリアの陽光に憧れて峠を越えたんだ! やってみたい! とわがままを言って、夫に車を出してもらって出かけたことがある。峠は、もうEUになって国境でのもなくなっていて、とうぜん「峠の釜飯」があるわけでもないただの通過点になっていた。今回はデュッセルドルフも晴れていたから、何も感じなかったけど、帰りは、ブレンナーを越えるなり、急に天気が悪くなって気温も15℃くらい一気に下がって、やはり峠を越えたことを実感した。

 ヴェローナまでの指定がとれてなくて、途中駅で降りた。車を預けた人が順々に車を出して去って行く。さあ、ここからがイタリア旅行だ!

2009年8月13日木曜日

公園遊びのこと

 スタージュのない夏休みということで、子供を公園に連れて行って遊ぼう――が、初日、二人乗り用の自転車がパンクしていることが発覚。さっそく機動力が低下してしまったのだった。うちの回りの公園は、徒歩ではちょっときついところばかり。そんなわけで、木金は、夫の通勤にあわせて職場のそばの公園に出てみた。

 木曜日は、ブリュッセルに来てすぐ、よく行っていた子供美術館の庭の公園。広くて遊具も充実しており、木陰が素敵な公園。ヤギを飼っていて、我が家では「ヤギ公園」と呼ばれている。最近、遊具が総入れ替えで新しくなったと聞き、あの古い感じが良かったのになあ……と思っていたのだが、行ってみると、アスレチック的に面白いものが増えていて、良くなっていた。

 こういうところでは、うちのはほかの子と遊びたいので、現地調達せざるを得ず、いつも、あたってくだけている。最近では、いろいろ経験を積んできて、前に、公園で遊んでいるときに、ちょうど良い年格好くらいの子を「あの子が遊んでくれるんじゃない?」と言ったら、「ああいうのはむずかしい」とのこと。どういうことかというと、その子は、すぐ下の妹がいて、二人で仲良く遊べるので、そういう姉妹二人組は、入り込めなくて難しいということらしい。彼女なりにじっと観察して、これなら遊んでくれそうというところにぶつかっているらしい。
 そういう眼で私の観察だと、うちのちょっと歳上で、弟と一緒に来た女の子で、しかも、引率が親じゃなくて祖父母というのが一番ハードルが低いようだ。弟の面倒を見るのは飽き飽きしているけど、小さい子供の扱いには慣れている。前に、ボンで遊んでくれた女の子がまさにこのパターンで、最後には、二人を引き離すのが大変だった。また、もちろん、フランス語を使う子より、英語などほかの言語の子のほうが、ベルギー国内では、マイノリティなので、遊んでくれやすい。

 もちろん、そういった「遊んでくれやすさ」とは別に、好みの問題もあって、子供は、好みとしてはちょっと歳上の女の子が良いらしいが、本人は男の子に好まれる傾向にあり、見ていると、「その女の子を追っかけるより、ちらちら見ている男の子と遊ぶことにした方が、簡単なのになあ……」と思うこともある。
 彼女はわざとこけてみたりして笑いを取って遊んでもらう、まるで小学校低学年男子のような手法を使っているので、女の子には受けないこともあるし、そうでなくても、ちょうどこのくらいの歳の女の子は、言葉ができないと馬鹿にしがち(男の子の方がノリが楽しければ寛大なところがある)。

 木曜日は、少し歳上の女の子(南米系?)に最初から眼をつけて、一生懸命、気を引くのだが、そっちは父親がけっこうべったりくっついて遊んでいるので、どうにもうまく入れない。他の祖母同伴の兄弟の弟の方が、一生懸命うちの子を追いかけ回しているのだが、そっちは眼中にないらしく、私が「この子と遊んであげたら?」と言っても、さっくり無視している。最終的には、根負けした?女の子が少し遊んでくれて子供も満足できた。

 金曜日は雨が降っているので、屋内遊戯場に行って遊んだ。ちょうど女の子1人と男の子2人兄弟との4人でグループが形成できて、うまく遊んでいた。女の子と、男の子の上の子が、うちの子のちょっと上くらい、男の子の下のほうが同じくらいの歳だった。最初、うちの子はその女の子が気に入って遊んでほしくて、女の子は、兄弟の兄のほうと遊びたくて、弟の方が、うちの子が大好きで、追いかけあっているうち、なんとか全員で仲良く遊べるようになったという感じだった。恋愛関係なら切なくなるような好意の一方通行状態だが、子供なのでそれはまあ、大丈夫。せまいところを走り回ったり、空気で膨らましたトランポリンみたいな中に、やっぱり空気で膨らました滑り台にできる三角の山とかがあるところで、山にみんなで掴まって大きく揺らして落っこちて遊ぶとか、派手に体を使って遊んでいた。
 最後、夕方になって、夫が迎えにきたところで、うまい具合に解散になった。ほかの保護者もそれぞれ呼び戻して、靴を履いたり、飲み物を飲んだりして、別れを告げ合って帰ってきた。