2010年8月16日月曜日

さよならB街

 日本に帰るまであと二週間たらず。もっと書きたいことはたくさんあるけれど、この機械も、あさってには船便に乗ってしまう。日本に帰って次に住む街はBではない。さよならB街。
 この間のドイツ生活では、また行きたい、と思うところがたくさんあって、実際、このブリュッセル生活の間に、なんどもなんども出かけて行った。夫はブリュッセルにはまた来たくなることなんてあるだろうか? などと冷たいことを言っている。二人とも、けっきょく最後までほんとうにはこの街を愛することは出来なかった。
 気ままだったドイツ暮らしと違って、今回のこの街の記憶は、生活に密接に結びついている。なつかしく思い出すのは、景色や物ではなくて、この時の私たちの生活なのだろうと思う。何度も通った現地の幼稚園やスポーツセンターへの道。きっと懐かしく思い出すけれど、それはまた時を経て訪れても体験できるものではない。40代最初の私たち、幼稚園から小学校入学にかけてのこどもがいた、このときだけのものだ。

2010年6月22日火曜日

W杯のこと

 W杯が始まった。
 ベルギーは出場していないせいもあり、あまり盛り上がっていないが、先日、隣のオランダに行ったときは、商店街がオレンジ(ナショナルカラーですね)の旗やボールの飾りで埋め尽くされているし、カフェはそれぞれ「きょうは中継見せるよ〜」を謳っているし、その日試合のあったイングランドのユニフォームの人々はいるし……で大盛り上がり。ドイツだって、この間行った時はまだ始まってもいなかったのに、国旗を部屋から提げるわ、車に付けて走ってるわ――という有様だった。

 我が家は、地上波のテレビは見られず(配線自体がおかしいから工事をした方が良い、と言われて放置してある)、衛星放送を入れていて、外国の放送局の国外放送用のものしか見ていない。オリンピックもそうなのだが、このW杯も放送権上の問題だそうで、国際放送では中継はもちろん、録画画像も見られなくなってしまう。
 この「放送権上の問題」はスポーツ関連だけではなく、たとえば、NHKが民放から借りて来た画像なんていうのも、借りる時の条件で、国内のみとでもなっているのであろう、見られないし、事務所との契約なのか、番組内で過去の映像なんかを見せるときに、いつも見られなくなってしまう芸能人もいる。まあ、音声は聞こえるわけだし、誰が隠されたのかっていうのはわかるので、法則性を推理するのもなかなか乙なものである。先日は、ハプスブルグ家関係の映像はまったく見られなくなっていたが、ハプスブルグ家? 管理している博物館かなにかの条件なのかな?

 閑話休題。
 というわけで、日本の海外向け放送では、ニュース内でもW杯関連の時は画像に「放送上の都合によりお見せできません」というお断りの文字がかぶってみられなくなってしまうし、ドイツの第二放送ZDFに至っては、海外放送用にW杯を完全にカットしたプログラムのZDF Neoというものを放送している。当初、夫はドイツ放送局のHPから、文字配信の(!)中継をチェックしていたのだが、ベルギー放送局で動画中継が見られるのがわかって、それを見ることにした。フランス語でも、サッカー中継なんて、数字と固有名詞ばかりなので、分かる気になるのもなんとなく嬉しい。

 月曜の昼、出先から帰る時、トラムでポルトガル人街を通ったら、いくつか並ぶポルトガル料理店の前に机を出して、国旗やユニフォーム、ブブゼラも売っている。テレビ中継もつけておくそうで、人々が集って来ている。なんか、外苑前駅から神宮球場への道のよう。窓からポルトガル国旗も提げてある部屋も多いし。そうか、今日はこれからポルトガル戦か、と思っていたら、トラムに国旗をマントみたいに首に巻いた青年も乗り込んできた。
 8年前、住んでいたボンもそうだったけど、外国人の多い街は、それぞれ、自国を応援して盛り上がる。気づくと、いろいろな国旗が、窓から提げられている。ポルトガルとブラジルの両方が提げられた窓なんかもあって、国際カップルかな? なんて想像したりする(最近、ベルギー国旗を提げている部屋も多いが、それは、先日の総選挙でベルギー分離派政党が躍進したことに対する反動)。アンチナショナリズム教育のせいか、いまひとつ、私は日本万歳という気持ちになりきれないところがあるのだが、自国愛――っていうのも悪いもんではないんだろうなあと思ったりはする。

 ところで、夫のヨーロッパ在住はこれで三度目になるのだが、ジンクスというか奇妙な符合がいくつかある。その一つが、W杯の年に帰国というもの。この符合には、ほか、日本にいないうちに、改革を訴えて、圧倒的な支持率を得た内閣が出来る(細川内閣/小泉内閣/鳩山内閣)。と、そのうちに大臣や官房長官の罷免/更迭をきっかけに人気が失墜するころに、帰国が決まる――なんていうのもあって、今年も、まさかね……と言っていたら、5月に入り、急な帰国が決まってしまった。このB街ともあと2ヶ月でお別れである。

2010年5月21日金曜日

ぐっぱーのこと

 小学校に入って、いろいろまた歌やら遊びやら、その場独自の文化を持って帰ってくるこども。先日は、「ぐっとっぱーでわっかれっましょー」と歌っている。これは「ぐっぱー」だな? 聞くとやはり、ぐーとぱーを出して二組に分けるときに使うという。おお、懐かしい。

 私の小学校では「ぐっぱーぐっつきやす」と言っていた。一回で決まらない時は「あいこでやす」と言って出す。しかし、文字にしてみると、「やす」ってなんだろう? なまり? 私はその後、もう一校の小学校出身者が大多数を占める中学に進んだのだが、そこでは「ぐっぱーよっ」だった。決まらなければ「よっ」「よっ」となんども言う。文字にすると伝わりにくいだろうけれど、「ぐっぱーぐっつきやす」はわりにゆったりおっとりした感じで、「ぐっぱーよっ」は「よっ」にかなり強いアクセントがあって、語気が荒い感じになる。最初は、なんだかきつい感じがしてなじめなかった記憶がある。
 その後、さらに高校へ進んだとき、この「ぐっぱー」はさらにバリエーションが豊富だと分かった。クラスで、統一ルールを作るべく?調査が行われたのである。もう詳しいことは覚えていないけれど、「ぐとぱあよ」とかなり平坦にテヌートがかかった感じで言うところと「ぐっとっぱっ」っと全体的にスタッカートな感じの掛け声のところもあったように覚えている。私の小学校出身者が進む中学校では、そのまま「ぐっぱーぐっつきやす」が使われていて再会できた。変わり種としては、隣の寒川町では「うらおもて」というのが使われていた。「うーらおーもて」というかけ声で、いっせいに手を出す、甲側を出しているか、てのひら側を出しているかで分けるそうだ。なんどかやってみたが、これは視認性が低いということで、統一ルールには採用されなかった。けっきょくなにか一つが採用されたような記憶があるけれど、あまり定かな記憶はない。

 ちなみに、今、これを書きながらWikipediaで調べてみたが、項目としては「グーパー」と立っており、その他の掛け声にも「ぐっぱーぐっつきやす」は登場しない。類似のものには「グッパーぐっつきよし」というものがあるが、やっぱり「やす」はなまり……? そして、「うらおもて」は別の項目が立っていて、神奈川県では小田原市で使われているという例が挙げられている。こちらのほうが「ぐっぱー」より歴史は古いらしい。

 さて、こどもはこれを使って「どろ」と「けい」に別れて鬼ごっこをする、と言っている。おお、それも懐かしの「どろけい」だな〜。これも、たしか、小学校時代と中学校時代では呼び名が違ってどちらかが「どろけい」、もう一方が「どろじゅん」だった記憶がある。こどもは「どろ」と「けい」がそれぞれなんだかは分かっていないらしいが、「泥棒と警察」「泥棒と巡査」だよ。
 と、こどもに教えてやってから数日、持ち帰って来た学級通信に「ケイドロ」と書かれているのを発見。えーーーー、そんな呼び方になるんだ。ちなみにこの日本人学校は生徒の大半は愛知県出身、先生は三重県出身である。

2010年5月4日火曜日

メイルのこと

 使っているMacのメーラー「Mail」+ベルギーのプロバイダ「Skynet」経由で、ある日突然(というか、その日の朝までできていたのだ。あるとき突然、というべきか)、受信は出来るものの送信が出来なくなってしまった。プロバイダのサイトを見に行ったり、問い合わせメイルを出したりしたけど、復旧できない。まあ、私の問い合わせメイルの英語が意味不明だったのかもしれないけれど……。顧客サービスと言う観点からは、そーゆーときでもとりあえず、「メイルの意味が分からないけど、こういう感じ?」とかメイルをくれても良いのでは? と思うが、「顧客サービス」という概念は日本にしかないからな。
 ネット接続はふつうにできているので、GMailでアカウントをとって、メイルはそっちで――になってしまい、不便はないけど、まあ、なんとなく釈然としないでいるうちに一ヶ月が経ってしまった。
 一念発起して、アカウントを入れ直す――という荒技に出てみたら、荒技過ぎて、これまで送受信したすべてのメイルを消してしまった。そして、そこまでやったのに、結局、受信しか出来ず、送信は出来ないという症状は変わらず。
 うーーーーん。
 からっぽになってしまったメイルボックスを見ていると、ああ、ベルギー生活、なにも残らなかったな……という気持ちになってしまう。『3月のライオン』の桐山零くんは、先生に「なにも成果が無かったなんて言うなよ/がんばってたよ/俺は見てたよ」と言ってもらえるが、そんなことを言ってくれる人もおらず。

 と、きょうも曇天のブリュッセルで暗いことを書いてみましたが、落ち込んでいるというより、むしろあっけなさを通り越して、すがすがしい気持ちになっていますので、ご心配なく。ただ、メイルが消えてしまった、悲しいなあは気分の問題だけど、そこでしか分からないメイルアドレスもいくつかあったのが困る。もし、ここを見ていて、「ああ、このところメイルしてないなあ」という人がいたら、直接メイルくださいませ(って、そう人数いないけど)。

2010年5月3日月曜日

ブリュッセルの週末のこと

4月の最後の週末はとても天候に恵まれて楽しい週末だった。気温も25℃超えで、人々は半袖やノースリーブで歩いているし、カフェやレストランは外に席を出して、みんなビールやらワインやらを飲んでいる。好きになれないだのなんだの書いているけれど、ブリュッセルも春が来ると、とたんに素敵な街になる。天気がよいのは七難隠すってところかな。

 土曜日、これまで購入を検討してはやめてきた牽引型のこども用自転車を買おうと決めた。こどもも、最近は重くなって来たし、飛び乗ったりふざけたりするので、日本で買って持って来た無印の自転車に、後部座席を付けたものはそろそろつらくなって来たのだ。こっちではときどき見かけるのだが、後輪だけのこども用自転車からにゅーっとバーが延びていて、大人の自転車のサドルの下に付けられる、というものがある。幼稚園にもドイツ人父子で、毎日それで通園している子がいて、家ではくっつき自転車、と呼んでいた。それを、私のこっちで買ったクロスシティの自転車にくっつけようというもの。
 朝、マルシェのついでに自転車店に行ってみると、新品と中古と1台ずつあって、中古だと半額くらいになるのでそっちを買うことにした。親の自転車にも金具を付けて、そこでつけはずしをするようにするので、取り付けをお店にお願いする。中古のなので、チェックしてから売りたいというので、合わせて午後の引き取りに。
 午後、夫は自分の自転車で、私とこどもはトラムで受け取りに行く。くっつけある自転車を見て、こどもは大喜び。さっそく、公園内の自転車と歩行者のみの道を走る。自分一人で漕ぐよりスピードが出るので、面白いらしい。自動車道と交差する陸橋をわたるところは大騒ぎになる。しばらく走って、どこに行こうか? よし、じゃあ、小学校まで行ってみよう。小学校は、家からは距離はたいしてないのだが(自転車20分というところなので、4-5kmか?)、交通の便が悪いため、公共交通機関を乗り継いで行くと大回りになってしまうのだ。このくっつき自転車で行く実験をしてみよう。公園内の遊歩道がかなり近くまで行っているので、楽に行くことができた。土曜日は、現地やインターナショナルの学校に通う日本人が、日本の教育を受ける「補習校」の日なので、校庭で遊んでいる親子連れがけっこうたくさんいる。こどもも入りたがるが、きょうはカードキーを持って来ていないので入れない。
 そのまま、今度はちょっと街中の方へ出て行って、アイスクリームを買って食べる。途中の温度計が27℃と示していたが、アイスの店も長蛇の列。人々も、外を出歩いて、一気に夏の風景になっている。
 帰り道、最後になだらかなのぼりがあるけれど、こどもが一緒に漕ぐので、少しはあとおしになって、楽しく上ることができた。トラムと、自動車道と、自転車道とがマロニエ並木を挟んで並走しているところで、気持ちのよい道。ロードレーサータイプの自転車も、家族連れもたくさん自転車を走らせていた。

 翌日の日曜日、ブリュッセルの郊外、一ヶ月だけ開放するチューリップ庭園があるというので予定していた。と、夫が直前になって、「この日はいろんなビール醸造所でオープンデイだそうだよ!」とネットで見つけて来た。ビール醸造所オープンデイと称して各地の醸造所が見学できるらしい。いかなくちゃ!
 夫が、これまで飲んで来たビールを中心に、回るところを決める。
 最初は、ピンクの象のマークが可愛い「Derilium Tremens」を作っているHuyghe。可愛い〜なんて言っているし、淡い黄金色の香り高いあっさりタイプのビールなのだが、アルコール度数が高くて8.5%。そもそも、このDerilium Tremensというのが、アルコール禁断症状による幻覚症状という意味で、ピンクの象は、その幻覚を表したものなのだそうだ。
 近くまで行くと、ピンクの象のロゴマークの入ったポロシャツを着た若者が、誘導してくれて、近くの小学校に車を置くことができた。そう、ビール醸造所オープンデイで、もちろんみんな飲むだろうに、へんぴなところも多く、自動車率は高い。このHuyghe社では、飲まない運転手を一人指名しておこう、というボブキャンペーンのポスターを貼り、啓蒙活動?に勤めていたが……。
 さて、アールデコ調のたてものを、あざやかな水色に塗って、ピンクの象を描いた建物に入ると、まずは、古い瓶や馬車、ジョッキ等の歴史的展示。その後、不織布のシャワーキャップを渡されて、かぶって銅の発酵釜を覗く。パンに似た酵母の匂い。その後、寝かせておくステンレスタンクの部屋。瓶詰めして、箱詰めして――を、昔懐かしい「工場見学」みたいに順路に従って見る。最後は、箱が山積みになった裏庭をぬけて倉庫へ。そこで1杯ずつ無料で試飲できるので、私はやっぱりDerilium Tremensを、夫はフランボワーズ入りのフルーツビールを。倉庫の外では、こども連れのために、ロゴの入った風船を配ったり、空気で膨らませたトランポリンのような遊具があったり、こどもをそこに放し飼いにして、大人はビールを飲んだり、酔いを醒ましたり。子連れは多いが、やはり近所の人が多いのか、フラマン語が多かった。そうそう、自転車で乗り付けている親子連れ――なんてのも多かったのだった。


 次は、ブリュッセル近郊でしかできないという酸っぱいビール「ランビック」を作る「Mort Subite」へ。この酸味を出すのは、ブリュッセル近郊の空気中に漂っている天然酵母のみなのだそうだ。このMort Subiteも、直訳すると「突然死」という意味。ブリュッセルの一番の観光地グランプラスそばにある直営のカフェで、銀行員(新聞記者という説もあり、私はそっちを支持したいところだが……)が夜、ビールを飲みながら賭けカードゲームをしていて、会社から急な呼び戻し(新聞記者という説だと、特ダネが入って社に呼び戻されるという。ね、こっちのほうが信憑性があるんだけどなあ)があると、その抜ける一人が「突然死」を宣言し、ゲームはそこでストップ、その人が負けになるという、そんな遊びからついた名前だというのだ。
 ここは窓も大きくとった、学校のような建物。ランビックは長く熟成させて酸味を出すので、樽ごとに、銘柄と仕込んだ日が書かれた小さい黒板が下がっていたりする。銅釜や、オークの樽もあるけれど、それは歴史的記念物としての展示で、今は、ステンレスタンクで熟成させるらしい。
 ここでは、白ビールにサクランボを加えたものと、ランビックに砂糖を入れて飲みやすくしたファロ。これまで飲んだファロは苦手だったけれど、ここのは甘みが控えめでとても美味しかった。ここにも空気トランポリンがあって、小学校高学年とおぼしきおねえさんが小さいこどもの面倒を見ていて、うちのも一緒に遊んでくれていた。感謝を捧げつつ、ビールを飲む。途中で、その子がやってきて「この子はフラマン語は出来ないの?」と聞く。夫が、片言のフラマン語で「残念だが、できない」と答えると、がっかりしていた。それでもその子は帰るまでずっとうちの子と遊んでくれた。途中で、その子と一緒にひきあげてきたので、ソーセージパンを買って来て食べさせる。ここのはランビック煮込みのソーセージだった。ジャズの楽隊がやってきて、演奏をする。戸外でビールを飲んで気持ちよくすごす季節がやって来たなあ。

 ここで、ビールツアーをいったん休憩。チューリップ庭園を挟むことにした。古城の庭でGroote-Bijgaardenという。チューリップで有名なのはオランダのキューケンホフだけど、人工的すぎるし、人も多い。ここのなんとなくきっちりしていない感じの庭園が私たち夫婦は気に入った。白鳥のいる池や芝生、自然な起伏もあり、雑木林のような木立があって雰囲気が良い。昔、大船のフラワーガーデンというところによくチューリップを見に親に連れて行かれたものだが、そこを思い出したりもした。

 さて、最後のビール工場はTimmermans。ここはフルーツビールに力を入れているところで、よくあるサクランボやフランボワーズ以外にも、桃やイチゴのを作っていて、それも飲ませてくれていた。ここは、一番、見学に力を入れていて、ガイドツアーが催されていた。私たち家族は、勝手に見て回っていたのだが、英語、フランス語、オランダ語のツアーとすれ違った。ここでも酵母を大きなステンレス槽で発酵させているところを見学できたが、Huygheと違い、どこか味噌とか、煮豆とか大豆の発酵する匂いを想像させる匂いだった。そのまま、熟成させる樽の部屋へ行くと、一気に酸味のある匂いになる。

 ドイツ語でも、一年で一番美しい季節は五月というし、これから、ヨーロッパは一番素敵な初夏になる。マロニエの並木も、緑が濃くなって、花も開き始めた。家の近くの公園は、去年まで水を抜いていた池に水をはってボートも営業を始めている。こっちの人でなくても、外に出なくちゃ! という気持ちになってくる。

 でも、今日、こんな文章を書くまとまった時間がとれたのは、昨日今日と、また一日中降ったりやんだりの薄暗いてんきだからなのであった。

2010年4月29日木曜日

ケルンの週末のこと

 夫は、ドイツ在住時代はサッカー観戦が好きで、よく行っていた。ブリュッセルにきてからはこどももいることもあって、行かずにいたのだが、この間、ついにまた行って来た。ケルンFC。金曜日の夜の試合なので、夫は少し早引けして来て、車で出かける。
 スタジアムだから、食いっぱぐれるかもしれないと、おにぎりも作った。出がけに、こどもが「私のおにぎりは自分で持つね~」と言って、自分の鞄に入れる。これが正解で、あとで宿で、荷物を開けてみたら、親はすっかり持って来るのを忘れてしまって来ていた。こども一人、喜々として食べていた。そして、ぽつんと家に残されたおにぎりは、日曜に帰ってすぐ捨てられてしまったのであった。

 さて、今回は、スタジアムのあるケルン郊外のJunkersdorfに宿を取った。体育専門学校のある街。学生街の雰囲気も、郊外のまだ小さいこどものいる家族の多い住宅街としての性格も持っていて、宿からスタジアムへ歩く道も楽しかった。広い緑地、舗装のきれいな歩道(ブリュッセルの舗装は、ほんとうにひどいので!)、歩道にチョークの落書き、→が書いてあったりして、うちのはそれを追って走っていた。ほんとうにチョークが好きだなあ、と私が笑うと、こどもは「こどもはみんな、チョークが好きさ」という。そんな言い回しをどこで覚えて来るんだろう。整備された自転車道を、家族連れや学生が自転車で通るし、家々の前庭には、こども用も含め、家族全員の自転車が並べられている――。ここに住みたい! と夫と二人で盛り上がる。もちろん、そんなことは無理なのだけれど。昔、小塩節氏のエッセイに出て来たカフェは、すっかりFCケルンファン御用達のスポーツカフェになっていた。外でソーセージを焼いて売っているので買って食べる。
 スタジアムについて、まずはショップ。こどもにユニフォームを喜々として買い与え、自分も、買うかどうするか悩む夫。家にあるユニフォームは弱い時代のものなのだそうだ。けっきょく彼はTシャツにしていた。私は応援用の?マフラー。黒にワンポイントのかなり地味なもの。普段でも使えるかもという趣旨で選んだのだが、この日も、そしてその後も、しばらく寒い日が続いて、実は重宝しているのであった。
 鉄骨とコンクリートむき出しの無骨な、神宮球場を思わせるスタジアムの外階段を上がって観客席に向かう。地元信金?のSparkasseがバンバン風船、というのだろうか、膨らまして打ち鳴らす風船を配っているし、夫の愛用しているホテル予約サイトがストラップを配っている。

 以前は、スタジアム内ではアルコール飲料を売っていなかったが、今回はビールが売られていた。時代に逆行している気もしないでもないけれど、ファンが紳士になったということかもしれない――と思ったが、この日の対戦相手はBochum。途中でファンが警備員を殴ったり、発煙筒を焚いたりしていた。スタジアム内では、ホームのファンとアウェーのファンは、出入り口も別にしてある。また、安い立ち見スタンド(野球での外野席の扱いか?)もアウェーのファンが入るところを柵で囲い、その柵をがっちりと大量の警備員や警察が固めている。ざっと見た感じ2%くらいかという狭いところに押し込められて、日本で言うと、甲子園のアウェーファンかという感じだが、まあ、そんなわけで、決しておとなしくはしていない。以前は、帰りは警備員が誘導して、帰る道も違う道を通って帰るようにしていたくらいだった。
 日本のチームもそうかもしれないけれど、ドイツのチームは、近いもの同士、ファンが仲が悪い。以前、エッセンのスタジアムで入場するときに、まわりに立ち見席とおぼしき柄の悪いファンがたくさんいたけれど、どこで売っているのか、「**(隣町のチーム)の奴らは豚の息子」をはじめとして、かなり放送禁止用語的なフレーズ及びイラストの書かれたワッペンを大量に貼付けたGジャンを着込んでいた。
 夫は、ボンから観戦に行くので、ケルンと、レバークーゼンの二つのチームのスタジアムによく行っていたが、この二チームがまた仲が悪い。夫は、応援用に? ユニフォームまで買って着込んでいて、玄関先のコート掛けに両方掛けていたのだが、あるとき、郵便屋さんに、「そのユニフォームが両方あるって変じゃない?」と聞かれたことがある。「うーん、夫のだから。私はよくわからない」と適当に返事をしたのだが、「いや、それ、絶対に変」と主張されてしまった。
 
 さて話戻って。
 試合開始前から、グラウンドでは、協賛会社の披露があったり、チアガールがパフォーマンスしたり。そして、スタメン選手のコール。よくある試合風景ですね。電光掲示板に顔写真と、名前や出身地などのデータが出て、ファーストネームをアナウンスすると、スタンドから、ファミリーネームをコールする。どんどん気分が盛り上がって来るところで、FCケルンの応援歌が流れる。観客は総立ちになって、応援用のマフラーを両手で高く掲げて左右に身体ごと揺すりながら歌う。当然夫も、私のマフラーを取り上げて歌っていた。この歌も入ったFCケルン応援CDというのがうちにある(ほか、流行歌の替え歌や、ケルンのご当地バンドHoenerも歌う、とにかく「ケルンケルン」騒いでいるCD)ので、こどもにも耳なじみがあって、一緒に歌っている。二番に入って、テンポが上がると、みんなマフラーを右手に持ち直してぐるぐると回して歌う。ふと見ると、アウェースタンドでは、まったく違う歌をがなっている。
 私は、サッカーはまったくルールも分からないし、野球だってたいしてよくわからないけれど、こどもの頃には熱狂的な阪神ファンの母親に、結婚してからはこれまた阪神ファンの夫に野球に連れて行かれていて、こういうスタジアムの雰囲気は大好き。日本でビールが一番美味しいのは、野球場のスタンドだと思っている。なので、すっかり気分が盛り上がってくる。こどもも、バンバン風船を膨らまして渡してやると、要領よく打ち鳴らしている。そう、こいつも1歳くらいのときから毎年、母親孝行と称して、年に一度は母も含めた4人で野球場に行っていたのだ。こどもが生まれる前には、残業後に待ち合わせて神宮に行ったり、東京で住んでいたのが東京ドームのそばだったので、当時はまだ本拠を置いていた日ハムの消化試合――なんていう空いた週末のデイゲームに、ふらっと行ったりもしていた。

 試合は前半にケルンが1点を入れる。後半に入って、あきらかにこどもが飽きて来ているので、夫は、適当なところで帰ろうと言うが、ケルンが押され気味でなかなか帰れない。終了10分前くらいに、でも見切って立ち上がった。スタジアムを出る前に、大きな歓声が上がって、壁のモニターを見ると、追加点が。これで負けることはあるまいと、気分よく帰ることにする。帰り道、また住宅街を通って帰る。家から明かりがもれていて、こどもが作ったらしいイースターの飾りが見えたりする。試合が終わったのか、背後から歓声が聞こえ、また応援歌も聞こえてくる。なんか、やっぱり日本で野球を見た帰りっぽい。

 翌日は、今年150周年を迎えるというケルン動物園へ。150年前というと、桜田門外の変だそうだが、マーラーの生まれた年でもあるそうだ。そうたくさん行っているわけではないが、ヨーロッパの動物園の中で、私はここが一番好き。ゆったりしているし、動物が近くに見られる。栄養状態? も良いような気がする。ここでで「レバークーゼンの奴らは地獄に堕ちろ」と書かれた死神イラスト付きのワッペンをつけたGジャンを着ている若者に出会う。ああ、今でもあるんだなあ。動物も楽しく見て回るこどもだけど、最後にある巨大な遊び場が一番好きで、そこへはまり込むともう出られなくなる。縄吊り橋を渡るアスレチック遊具があったり、長いステンレスチューブになった滑り台があったり。去年来た時は、上れなかった縄梯子が上れるようになったり、すべり棒で滑り降りられるようになっていたり、楽しめるところが増えている。だが、この滑り台を何度もやっているうちに、ふざけてうつぶせで頭から滑って、着地点の砂場につっこんでしまい、怖かったり痛かったりと、大泣きになってしまった。本当はもっと長くいて、ここで昼ご飯も済ませる予定だったのだが、アシカを見せたり、ショップに寄ったりして、機嫌を持ち直させて、ケルンの街中に戻ってランチ。この日は気温も上がって、人々は夏のような格好をして繰り出している。午後は買物。でも、人が多いせいか、やっぱりボンの方が慣れているせいか、リストを作って行ったのに、ちゃんと消化できなかった。でも、こどもはお風呂で遊ぶ浮き輪を持った女の子プレモが買えてご満悦。夫もついにプレモを買った。サッカー選手。私は、大型楽器楽譜店で、リコーダーの楽譜を買った。初心者向けの運指の練習曲集と、ドイツリート集。私も満足満足。
 この日は、また郊外に調べておいた韓国焼き肉屋で夜ご飯を食べて泊、翌朝、近所のパン屋さんが日曜日も朝だけ開けていたので、そこでパンを大量に買い込んで、一路ブリュッセルへ。午前中のうちに帰宅して、昼までのマルシェに買物に行く。ケルンまで片道2時間。ああ、毎週でも行きたいよう〜と口走る私。運転もしないから気楽なもの。金曜の夜に行っておいて、土曜に買物をして土曜のうちに帰ってくる、というのを今度はやろう、そうしたら、ボンの行きつけだった八百屋にも行きたいなあ。

2010年4月19日月曜日

さよならエコール

 この4月で、うちのこどもも、こっちの幼稚園としては年度の途中だけど、日本式には小学校一年生。現地の幼稚園からそのまま夏に小学校に進ませる手もあったのだけど、けっきょく、小学校からは日本人学校に入れてしまった。当初、幼稚園になじめないときに、小学校からは日本人学校に入れてあげる、と話していて、こどももずっとそれを覚えていた。仮申し込みの前に、こどもに確認したけれど、やっぱり日本人学校が良いと言う。親は、幼稚園に慣れている姿も見て来ているので、惜しい気がして来て、いろいろ、聞き方を変えて「**ちゃんと同じが良いんじゃないの?」とか、やってみたけど、「日本語の学校が良い、もうフランス語の学校は嫌」というので、まあ、これははっきりしてるのかなあ、と思うに至った。
 それに、日本の学校と、こっちの学校は学習的な面はともかく、習慣的なことも違うので、帰る前に親子ともどもリハビリをしたほうが良いとも思うし(日本人小学校に通わせ始めた現在、順応性が低いのは私の方だとわかりました)。
 4月の最初の週末から、こっちは2週間のイースター休暇に入るので、その前まで通うことにして、担任とも、事務の女性とも話す。転出手続きはとくになにもないとのことで、口頭で伝えたら終わってしまった。あっけない。

 最後の週、個人面談があった。先生にはTres bien! Perfait!と言ってもらった。数字に合わせて絵を書くとか、見本通りの配置で図形を書くとか、フランス語の文章「真ん中に木、そこにりんご、その下、右に親猫、左に子猫」とかそういうのに合わせて絵を書くという作業をした紙の綴りが作ってあって、完璧に出来てます。とこのとであった。フランス語も良くできるようになったんだから、日本人学校に行っても、フランス語の勉強は、続けさせてくださいね、そのために家でもフランス語で会話しなさいと言うので、いや〜、今、私よりこどもの方が出来るますから……と言ったが、今、あなたは私とフランス語で話していて、日本語で話しているわけじゃないんだから、それを家でやれば良いのだと言うことであった。いやいや、フランス語で話しているのはあなただけであって、私はあいづち打ってるだけですよ〜。でも、こういう会話をしていると、ますます、現地の学校に入れたい気持ちが親は盛り上がってくる。そういえば、日本で通わせていた保育園では、人間関係とか、生活態度ができているかどうかを話されたものだが、こっちはこういう勉強的なこと、語学の習得のようなものを言われるように思う。保育園と幼稚園の違いなのか、土地柄なのか……。

 こどもは3月の末が誕生日で、こっちは自分の誕生日にケーキを用意して振る舞う習慣があり、学校にも、ケーキを持ち込む。そこで、お別れ会もかねて、少しゴージャスにすることに。去年、「うちのパン屋」にケーキを頼んだところ、2週間前には申し込まないと、釜の段取りがあるからだめ、と断られたのだ。で、今年は、早々に申し込みに行った。日付と人数(20人)を話し、おばさんが「やっぱりチョコが良いかしら?」と言うのを、うちのはチョコが嫌いなので、イチゴと生クリームのケーキを指定して、今度は、焼く本人のおじさん(といっても童顔でかわいい人)が台はタルト台とビスキュイ・サボワとどちらにするか、と聞かれ、おばさんが、「学校で先生が切るわけだから、ぜったいビスキュイの方が良いと思う」と強く助言して来たので、私も同感だし、ではそれで、と頼んで、もうばっちり、とうきうき。
 と、直前になって、その日はスポーツセンターに一日遊びに行く、という行事のお知らせが入って来た(一週間切ってるのに!)。頭に血が上って、外国出張中の夫と電話協議したりして、翌日、担任に話をつけに行ったら、「Bonjour」と声をかけるなり、「29日のことね!」と言われてしまい、とても謝られたけど、やっぱり29日には出来ない30日でどうか、と言われ、「もうパン屋さんに頼んじゃったんですよ~」「おーーー」「えーっと、相談します」「パン屋さんとね! 結果を知らせてね」。今度は、パン屋に出かけて行って交渉。パン屋も、「29日がダメになって」と言ったら、一瞬顔が曇り、「火曜、つまり30日――」と言ったら、「火曜に、30人分!?」とパニックするが、人数変わらず、一日の延期で済むと知ったら「Pas problem」ということになった(問題ないということ)。
 また、誕生日には、ケーキを振る舞うのみならず、小さな袋に駄菓子(グミの小袋や、小さなチョコの箱等)を入れて人数分用意して配ったりする。これもやりたい、クッキーを焼け、とこどもが言う。もう最後だし、やりますよ〜! と大きなくまの顔の型で抜いてサブレーを作る。前日の午後作り始めて、途中で生地が足りないことに気づき、夫にSOSを出す。会社の帰りにバターを買って来てもらう。途中まで手伝っていたこどもも飽きて来たので、後半は夜に回し、こどもが寝たあと、一人で型を抜き、どんどん焼く。焼き終わったのを、シリコンペーパーでいったん包み、こういうときのために売られているディズニーキャラのビニール袋に入れて行く。
 誕生日当日、パン屋にケーキを受け取りに行くと、おばさんだけじゃなくて、おじさんも出て来て、大きな箱に入れた巨大なケーキを出してくれる。四角いケーキを生クリームでデコレーションしてあり、イチゴが飾られ、アラザンが散らしてある。真ん中にマジパンで作られたプレートがあり、こどものなまえと「Heureux Anniversaire 6ans」と書かれている。しかし、20人分――私が言ったことだけど、バカ正直に人数を申告していたので、巨大なケーキが出来上がっていた。余って持って帰って来てくれないかなあと思うが、まあ、そんなことはありませんでした。あとで聞いたら、他のクラスや、事務の女性にも振る舞われたそうです。クッキーも余計に持たせてあったので、ほかのクラスの仲良くしてもらった日本人の方達にも配ったり。

 そして、最後の日がやって来た。その日は、私は歯医者の予約があり、間に合わないかもしれないので、お迎えは夫に頼んでいたし、また、担任が午後を休みにしている(教えているのか、まだ学んでいるのか、大学に火曜と木曜の午後に戻っているのだ)日なので、朝のうちに、用意しておいたお別れのプレゼントの亀の風呂敷を渡す。前日作った「これは、ものを包んだり運んだりする日本の伝統的な布です。日本では、鶴は千年、亀は万年生きるとされ、長寿のシンボルです」というメモを付けて。こどもにも、こどもと担任、マスコットの亀の絵を描き、Merci!と書いた手紙を作らせたので、それも一緒に渡す。
 帰りは歯医者がぎりぎり間に合うタイミングで終わったので、タクシーを飛ばして駆けつけた。担任は、案の定午後休みを取っていたが、間に合ってほかの子たちと別れを惜しむことができた。

 担任からは、これまでクラスで作って来た作品が返却されていた。
 まず、大きなファイルにこれまで描いて来た絵がきちんとファイルされているもの。
 クリアファイルの左ページに歌が、その右側に、それをテーマに描かせた絵――画材も、色鉛筆、クレヨン、絵の具などいろいろ使っている――が入っているもの。この中には、クラスの子供たちの名前を織り込んだ歌が作られていて、それも入っていた。もうフランス語はどんどん落ちて行くだろうと思うので、そのファイルを見せて、こどもに歌わせて、歌も録音で採集することにした。いくつか録ったが、さあ、いつまで覚えているのだろうか。
 スケッチブックに、担任がお題を出し、こどもに絵を描かせ、その後、補足を担任が書き込んでいるものもあった。たとえば「アンドリューの妹が幼稚園に来ました」という題にこどもが描いた絵、そこにアンドリュー、そのお母さん、赤ちゃん、担任――といった補足のメモ書きがついている。
 時系列にそってファイルされていることもあって、いろいろ思い出されて親は感慨深い。

 ところで、タイトルに「エコール」と書いたけれど、こどもが幼稚園に慣れないでいるときに、「これは保育園でも幼稚園でも、小学校でもなくて『エコール』というもっとすごいものなんだよ」と教えたので、家ではずっとエコールと言って来ていたのだ。日本語でもドイツ語でも、幼稚園とそれ以上の学校とでは違う単語(Kindergarten=幼稚園とSchule=学校)を使っているが、フランス語では、幼稚園から「maternel(母親の/母性の)」は付くけれど、Ecole=学校と呼ばれているのがちょっと珍しくも感じていたので――。

 イースター休暇の最後の日曜日、家の近くの公園に遊びに行ったら、去年同じクラスだった二家族が遊びに来ていた。うちのもさっそく混ざって遊ぶ。いつもだったら、適当なところで切り上げて帰るところを、その日は、気が済むまで遊ばせてやり、他の家族が帰るのと合わせて帰ることにした。最後に、そちらの親が「じゃあ、明日また幼稚園でね」とこどもに言う。今年はクラスが違うのでこどもが幼稚園をやめたことを知らないのだ。と、私が口を開く前に、こどもがフランス語で「私は今、日本人学校に通っているの」と発言、相手をびっくりさせた。「学校を替わったってことか? なにがあったのか?」と聞く親に、「いやいや、日本では4月から学校が始まるので、もうこの4月からこの子はprimary schoolなのです」と説明する。「じゃあ、良いことなのね?」と確認された。この二家族は、片方が、東洋系の母親、もう片方はアフリカ系の養女とマイノリティなためか、私たち一家が幼稚園になじめているかどうか、いつも気にしてくれていたのだった。「そういうことなら、さようならは言わないわ、また会いましょう」と言われ、「A bien tot!」と何度も繰り返して別れた。子供たちは、眼を大きくして驚いた表情で話を聞いていたが、最後に三人でハグして別れた。
 帰り道は、なんとなく暗い顔をしているこどもに「みんなぎゅーってしてくれたね」と話しかけると、「Sは泣いてた」とつぶやく。これまで、日本人学校に行くことがとにかく楽しく嬉しくて、親が見ているとがっかりするくらいあっけなくエコール生活と別れを告げたのだった。悲しい面、というのは初めて気づいたのかもしれない。
 
 そして、日本人学校。初日からうきうき通っている。行き帰りがスクールバスになるので、ちょっと心配で、帰りは、お迎えに行くかと言ってみたけど、いや、バスに乗るんだ、と出かけて行って、初日も水泳教室で一緒の男の子を見つけて一緒に乗って来たとかで、楽しくやっている。
 大きく、違うなあと親が感じたのは、これまで、幼稚園では、読んでもらった本の話をしようとして、うまく説明できなくて、かんしゃく起こしてたりしていたのが、読んでもらった紙芝居を起承転結を付けて、ちゃんと再現できたりして、やっぱり、頭の中で、日仏が整理できてないと、自分で分かってストレスだったのかなあとちょっと思ったり。
 こうして、どんどん新しい知識を入れて行くいっぽうで、どんどん忘れて行くこともあるんだろうなあとも親は思う。

 でも、たった1年半だけど、フランス語の幼稚園に通わせたことは、後悔していないよ。